私は立法府の長だ(「朕は国家なり」考)

 【小社会】国葬をめぐり、岸田首相が窮している。十分に説明すれば国民の理解は広がると考えてきたようだが、そうではない。首相が語る国葬にする理由がおかしいから、多くの人は反対している。❏もっとも、一連の議論はとても大切なことを知らしめていて、その点ではいい機会かもしれない。「『政府』は『国』ではない」というシンプルな概念だ。❏よく「国と地方の関係」とか「県が国に対して―」とか言う。しかし丁寧に言うなら、この場合の「国」とは「政府」のことだ。私たちは日頃、ついこの二つを同じようなものとして言い換えるが、国の統治は三権に分かれていて、主権は国民にある。決して政府が国なのではなく、政府だけで国全体を仕切れる権能もない。❏亡くなった安倍晋三さんは国会の場で「私は立法府の長」と少なくとも2度言った。ただの言い間違えならことさらあげつらうつもりはないが、内閣法制局長官を交代させてまで憲法解釈を変え、あまたの大事を閣議決定で押し切る所作は、まるで「全権の長」のようだった。❏党で決めた。首相が決断した。閣議決定すればおしまい。私たちが国家であり、国なんだから―。長期政権の末に、統治についての政治家のまっとうな思考が壊れているなら、大変なことだ。❏国葬って何ですか。国とは何ですか―。多くの政治家より、よほど国民の方が良識ある統治概念と肌感覚を持っているのではないか。(高知新聞・2022/09/11)

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● 朕は国家なり(ちんはこっかなり)(L’État,c’est moi)=フランス国王ルイ 14世が宣言したといわれ,絶対主義王制を象徴する言葉として知られる。彼は最高国務会議,顧問会議を主宰し,国内のいかなる独立的権力も容認せず,行政統帥外交全権を掌握したが,さらに,高等法院の権威が王の権威に対立するものと考えられるかぎり,国家に悪影響を生ぜしめるとして,高等法院を自己の権威のもとに屈服させた。この言葉もそのときに発言されたものとして伝えられている。(ブリタニカ国際大百科事典)

 悲運の死を遂げた元総理は「朕は国家なり」と、仮初(かりそめ)にも自分(朕)はルイ王になる・なったと思っていたのか。彼は繰り返し「私は立法府の長です」と述べた。冗談でいったのではなく、本気(マジ)でそのように自分を位置づけ(自己評価し)ていたから、その表現が出た。そして表面的も実質的にも「司法」は完全に掌握していると自認したから、無理筋の検事総長人事にまで手を付けたのです。「私は三権の長である」と、無辜の民草には悲しいかな、自身はそう信じていた、盲信していたと思う。こういう存在が今日の時世に出現するのです。至るところでの彼の傍若無人なふるまい、言動の数々は、それ(盲信)を証明していると言えるのではないでしょうか。

 元総理と付き合いがあったわけではありませんから、勝手な評価(八つ当たり)の域を出ないことをお断りした上で、故人の大学卒業以来、さまざまな場面で故人の同僚や担当教師たちが漏らした「人物評」を踏まえると、元来、彼は政治家を思考していたかどうか怪しい。(父の死により衆議院選挙に出馬。彼は政治家の「三代目」だった。「売り家と唐様で書く三代目」)政治的な興味や関心があったとは思われなかったが、時の求めに応じて議員になり、さらに政権党の要職や内閣の一員になりながら、まだ政治家の本心(本懐)は生まれていなかった(最後まで、傾聴に値する「政治哲学」は生まれなかったといえます)。ぼくは何度も直感・直観したが「あの人は憲法を読んでいなかった」節があります。憲法という国の形を規定している根本法を理解していないというのは驚きを超えていました。ある議員が予算委員会だったか、憲法第何条(「九条」だったかどうか、忘れました)にはどう書いてありますかと質した。とたんに彼は激昂し、「馬鹿にするな」と言わぬばかりに顔をこわばらせ、結局は質問には答えなかった(答えられなかった)。そんな人の政治家台の第一は「現行憲法改正」だったというのですから、無知ほど怖いものはないという「教訓」にはなりますよね。

 また「歴史の教養」に関しても、じつにお粗末だった場面に何度か遭遇した。「朕は国家なり」と宣(のたま)わったのは「ルイ十六世」だとも議会で口にした。(あるいは誰も知らなかったが、ルイ十六性はそういったのかもしれなが)そんなことは些末だという。些末だからどうでもいいことかもしれぬが、肝心なことがらを棚に上げているとするなら、どうか。アレヤコレヤ、とても「一国の宰相」の器たり得ない人物が、ついには「総理大臣」にまで上り詰める(それほど、特筆大書するほどのことでもありません)ことが可能だったのは、「時宜を得る」という幸運(と言っていいのか)に恵まれたからでした。「天の配剤」と言ってもいい。いうまでもなく、議会制民主主義を標榜している社会でもあったから。

● ルイ(16世)(Louis XVI)(1754〜93)=フランスの国王(在位1774〜92)ルイ15世の孫。妃はマリ=アントワネット。ブルボン朝の財政危機が深刻化するなか,財政再建とアンシャン−レジームの矛盾解決をめざしてテュルゴー・ネッケルらの改革論者を登用したが,貴族の抵抗で挫折。1789年三部会の召集を強いられたが,時代の推移を見通せず革命に発展し,91年国外逃亡を企てたが失敗した。翌年オーストリアと開戦したが,終始革命に敵対したため,8月10日事件で捕らえられ,1793年1月国民への反逆罪で処刑された。(旺文社世界史辞典三訂版) 

 国民の多数にとっては「天の配剤」を恨んだかもしれない。ぼくもそのひとりでした。この罪は誰にあるとはいえませんが、彼を要職に抜擢した小泉某の責任は小さくないと思います。あまりに才気煥発であれば、神輿の担ぎ手(兵隊)はついてこない。それにまったく恵まれないと、そもそも「一国の政治的な長」にはなれない。似たような才能や評価の存在が複数あったとしても、選ばれるのは、たった一人、だから「天の配剤」であり「時宜にかなった」ということでしょう。

 「総理の器」ということを言えば、彼はもっとも「器」ではない存在だったと、ぼくは思っています。器量がなかったと、ぼくは一貫して見ていました。それが、どうして「憲政史上最長政権」を維持し得たか。それもまた「時宜を得た」からだったと言いたいのです。その証拠に、その最長政権時代に「国民・国家のために何をなしたか」と記憶を辿ろうとすると、次々に「強権的政治手法」の披瀝に及んだことが浮かんできます。(もちろん、この宰相に悪知恵をつけた官僚(「影の総理」と称されていた)の存在を抜きにはできいない。(元総理は、戦々恐々として、総理の椅子に座っているうちに、次第に座り心地に快感を実感していき、ついには傍若無人な「三権の長」を気取るにいたったのです。その詳細は、これから続々と出てくると思われますから、ぼくはこれ以上は触れない)

 故人を云々するのではなく、「朕は国家なり」という意識が芽生えると同じように、彼をして「彼こそは国家(神輿)なり」という応援支援部隊が出来上がっていった、この時勢の力というものの勢いというものに考えが及ぶのです。比べるべくもありませんが、今になれば、一つの小話として言っておきます。H 総統とその忖度・取り巻き部隊(NZI)の成立を取り出したくなるのです。そうすると、「愚連隊政権」の「八幡の藪知らず」政治がどこを見ていたか、わかろうというもので、NAZIという神輿の有り様は、先例として、いささかの参考にはなるでしょう。彼が残した「業績」はいくつもあります。その中でも「国会軽視」あるいは「国会無視」は甚だしい(悪)業績だった。法律(制定=国会)を無視して「閣議決定」を多発したのも上位に数えられる(悪)業績でした。「法が終わるところ、暴政が始まる」とジョン・ロックというイギリスの思想家は言いました。元総理が彼の著作を読んだとは思えませんが、ロックが危惧した暴力政治を、彼とその一統が実際に見せてくれたのは、政治というものの持つ「刹那主義」と利権を漁る習性によるでしょう。

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 「党で決めた。首相が決断した。閣議決定すればおしまい。私たちが国家であり、国なんだから―。長期政権の末に、統治についての政治家のまっとうな思考が壊れているなら、大変なことだ」(コラム氏)等と呑気なことを言われては困ります。今も同じ事態が続いているのではないですか。「募る」と「募集」は違うと故人は恥ずかしげもなく言った、国会で。恐らく違うのは「使われている字が違う」ということだったろう。国語表現力の問題ではなく、自らの無知を糊塗するため、言い逃れて質問時間切れを狙うという、およそ不真面目さを絵に書いたような態度を一貫させていたのです。はじめは怖々(こわごわ)、最後は堂々と、国民を嬲(なぶ)り者にしたのです。国会議員を愚弄したかったのでしょうが、それは国民を愚弄することだと、わかっていたでしょうね。現総理はどうか、馬鹿臭くて話になりません。「国葬」という言葉が使えなかったから、「国葬儀」という表現を持ち出してきた。これは内閣法制局の悪漢官僚の悪知恵だったが、現総理は、都内の私立大学の法学部出身だといいますから、少しは「法律」に関しては在学中に耳にしたかもしれない。「国葬と国葬儀の違いは何か」と問われて、「表現が違う」と言いたかっただけかも。有名無名を問わず大学卒を名乗る政治家(だけではない)は、こんなレベルなんですか。

 「統治についての政治家のまっとうな思考が壊れているなら」大変だと、今気がついたようなことを言われているが、「それが本当だから大変なんだ」と、どうして書かないのかしら。「税金は自分のもの」だから、どう使おうが文句を言うなという、驚くべき「開き直った無知」を曝け出して、公私混同ではなく、公は私であり、私は公であると思いこんでいたのだ。要するに、今の世に蔓延(はびこ)っているのは、人民をとことんまで騙し通し、愚弄する、怖いものなしの政治家です。欺瞞政治花盛り時代に、ぼくたちは生きながらえている。今年度の予備費十兆円という。内閣の一存で、何にでも使える税金を、国会無視で予め決めている、これが民主政の国の政治・政治家のすることでしょうか。と書いていけば切りがありません。最後に一首、まだまだ青二才で、突っ張っていた時代の寺山修司さんは、青年そのままの短歌(啖呵)作った。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

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 「国」というのは入れ物であり、機能する(役に立つ、利用価値のある)何かではあっても、それが口を利いたり、暴力を振るうということはない。しかし国を騙って乱暴狼藉を働く輩がいる限り、政治(家)は「入れ物(あるいは避難所)」を専有し、その人民に役立てる機能を暴力装置にしてしまうばかりです。自動車を考えてもいいでしょう。くるまはどうぐです。それを動かす人間が悪意を持っていれば、きっと悲劇が起こるのです。国家は一台の車でもあります。

 総理大臣は「最高権力者」だから、何でもできると錯覚(自身は本気)して、税金は使い放題、憲法も法律も自分を縛るものではないと、驚くべき破落戸(地廻り)も目をむくような行動様式を身に着けてしまったのが、故人になった元総理です。時代が、環境が、一種の政治的怪物(の偽物)を生み出したともいえます。国家運営などとは無縁の、怠惰な小心者が、時の勢いを借りて、国家を踏み台にして権力を握ると、何でもし放題という乱痴気人間になってしまうのでしょう。今まさに、国家そのものが危殆に瀕しています。だから「国葬(くにをほうむる)」なのかね。

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