国葬儀を国葬に擦り替え ~ 故元総理を「国葬」で、と受け取ったのが殆ど。現総理は「国葬儀」と強ばる。銃撃直後興奮に駆られ、故人の恩義にと、咄嗟に閃いたのが「国葬」だったが、根拠法がない。躊躇の暇もなく、副総理が「理屈じゃねえ」と「国葬」をゴリ押し。重箱(内閣府設置法)を取り出し、その角を穿(ほじ)ったら「国葬儀」が出た。「国の儀式」の所掌は内閣の任だから、「国葬儀」で可だとほくそ笑んだか。悪知恵を捏造したのは官僚だ。愚民には「国葬」も「国葬儀」も無分別だからさ。喝!筋の通らぬ「屁理屈」を捏(こ)ねるのが政治かね。これぞ、国民愚弄の極み。恟懼しつつ禁じ手を出すや、「ダボ(人民)」が飛びつき「国葬反対」の大騒擾。有耶無耶のまま「国葬」へと算段する。我が思う壺と「快哉を叫んだ」ろうが、墓穴を掘っただけさ。無知無能で策略の一手のみ、そんな連中が牛耳る「国」は必要か。(「莫迦(ばか)につける薬はない」(第八回・2022/09/10)
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駄文を書いている本人がどうしようもなく「情けなく」なるのですから、こんな愚劣な問題に触れるというのも、はっきり言って始末に終えません。法的根拠のない「国葬」といえば、いや内閣が所掌するのは「国の儀式」だから「国葬儀」なら、閣議決定で問題はないと言う。名のある大学出の大人が、この程度の「ごまかし」を真顔でやるところに、著しい頽廃を感じてしまう。マヤカシであり、屁理屈の捏造だと言えば、まともな感覚は呆れかえる外ないのです。「弔い」を葬式といおうか、葬儀といおうか、どう取り繕っても、することは同じだ。いくら言っても詮無いことで、でもあまりに酷(ひど)いと、駄文であれ何であれ、ぼくの言葉で書いておくことは必要だと思うから、書き留める。
自分の利益になるなら、使えるものは何でも使う、「統一教会」でも「国葬・儀」でも。そこには「信仰心」の欠片(かけら)はもとより、故人を悼む雰囲気は皆無です。じつに酷い遺産を残されたと思うばかりです。

この駄文は午前中に書きあげていました。アップ寸前に電話があり、久しぶりに友人が声を聞かせてくれました。(アップしたのは午後二時過ぎ)その隣には、今夏、ある大学に入学が決まっている人がおられ、久闊を叙すという塩梅で、長々と「雑談」に花を咲かせた次第です。歳を取るという実感はいろいろな場面で感じることができます。何よりも若い人の話を聞く時、それを強く感じますね。かなりの昔、ひとりの評論家が、先輩作家に抗して「歳は取りたくないものです」と書いて物議を醸したことがあります。でも、「歳」は、当人が希望してどうにかなるものではないという意味では、まったく誰にとっても条件は同じで、平等です。

同じように、「死」もまた、誰彼の間に差はなく、まったく平等にやってくるものです。それを避けることはできない、結果においては。その「死」に対して、遺されたものがいろいろな計略を企み、死の意味を曲げてしまうのは、どうしてか。結婚式は当人の希望が実際に確認できますが、「葬式」はどうか。遺言そのままということもありましょうが、そうでない場合がほとんどです。その際、多くは世間体を憚ったり、故人なら、きっとという、勝手な判断で、いろいろな奇妙なことをしてしまいがちです。

今回の「国葬儀」もその典型です。遺族や当の本人の意思が確認できない以上はどんなやり方だってできますよというのは、死を弄ぶことと同義ではないですか。ぼくは白洲次郎さん(左下写真)のことを思い出しています。彼は、戦後の混乱の中で復興にかかわる仕事をした人として知られています。小林秀雄さんの友人でもあった。彼は死に臨んで一通の「遺言書」を認(したた)めていました。別に白洲さんだけではなく、こんな考えを持っていた人はたくさんいました。今だっている。ぼくもそのひとり。加えて、「墓もいらぬ」とするね、ぼくは。ひとりで生まれひとりで死んでゆく、それで何の不都合もないもので、世間はそれを許さないわけがないのに、国葬だ、国民葬だとまことに喧(かまびす)しいのです。遺言があれば話は別、それがなければ(あったところで)、いろいろな「忖度」が働きます。

その時は、恐らく「葬式」は、一種の「演出」になるのでしょう。芝居です。脚本を書く人がたくさんいるから、今回は困っているのじゃないですか。国葬でも国葬儀でも、内容や段取りは変わらない。ただ、それを国民葬だ、合同葬だなどとしたくなかったのは、死を悼むのとは別個の信条(魂胆)がある・あったということです。これは死者が「位人身を極めた」(とみなされている)人だったからなのか。あるいはさらに別の思惑があったからなのか。ぼくにはどうでもいいことで、死を悼む気持ちは、どんなかたちでも示せますよ、ということに尽きます。
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