「卵かけご飯」はステータス・シンボルだった(小三治)

 【明窓】ご飯ですよ 数年前、政府の国会答弁を揶揄(やゆ)した「ご飯論法」が話題になった。「朝ご飯を食べたか」という追及に対し「ご飯(米)は食べていない」(パンは食べたかもしれない)と回答をはぐらかす手法だ▼思わず「座布団一枚!」と言いたくなるようなネーミングだ。「ご飯」は「炊いた米」の意味と、食事全体を指す場合の両方に使われるからだ。例えば、食事の準備ができたら「ご飯ですよ」という言い方をする▼世界の食に詳しい石毛直道さん(元国立民族博物館長)によると、同じような言葉の使い方は、中国や朝鮮半島、東南アジアにも見られ、稲作民族の食事では主食である米がいかに重要であるかを物語っているのだそうだ▼また日本の食事では、同じ内容の副食物でも、酒が主役の場合は「さかな(肴)」と呼び、ご飯が主役のときは「おかず」になる。同じ米から作る日本酒と飯は、昔から互換性がある食品と思われていたらしく、今でも同時には摂取せず、ご飯の番は酒が終わってから▼ご飯は炭水化物やタンパク質、ビタミンなどを含む栄養食であることに加え、食卓の国際化も可能にしたのだという。パンのときの副食は洋風料理がほとんどなのに対し、ご飯の場合は副食が洋風、中華風など対応の幅が広いためだ。消費の減少が指摘されるご飯だが、小麦など食料品の値上げラッシュが続く今こそ、主食である意味を見直す好機でもある。(己)(山陰中央新報・2022/09/04)

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 「天高く馬肥ゆる秋」などと以前は盛んに言われました。それだけ、夏に取って代わって秋という季節が心身の健康に益しているということだったでしょう。「空は澄み渡って晴れ、馬が食欲を増し、肥えてたくましくなる秋。秋の好む時節をいう言葉」(デジタル大辞泉)杜甫も「「秋(こうしゅう)、馬は肥健(ひけん)なり」と吟じています。牛でも犬でも良さそうなものでしたが、中国では「馬」でした。こんな表現にも来歴がありますが、それは略しておきます。雲のない空がどこまでも高々としている、そんな秋の一日、馬も草を喰(は)んで、益々肥えるのである。寒馬肥ゆとも言ったそうです。この島では天が高くても低くても、人肥ゆと、いつの時代にか、「ダイエット」が大きな関心の的になった時もありました。その傾向は、今も変わらないのかもしれません。

 「ご飯論法」という命名はどこかの大学教員がやったようですが、つまらないことを言ったもの、「人はパンのみに生くるにあらず」と聖書は言いましたが、フランスの女王は「ケーキもあるでよ」といったとか。ご飯とかお米というと、この劣島の「主食」というのが常識になって久しいものですが、明治になってからでも米は「主食」とはならなかった。それだけ庶民には高嶺の花だったのです。戦後のある時期の大蔵大臣は「貧乏人は麦飯を食え」といって顰蹙(ひんしゅく)を買いました。麦が食べられるだけでも上等だった、そんな経験をぼくは幼児期にしてきました。だから、何がなくても「白いご飯」があれば文句は言うまいというふうにはなりませんでした。食べるものが荒れば「御の字」ということです。

 その米の消費量は年々減少続きです。米食文化が衰えたのではなく、米以外の食料がふんだんに口に入る時代になった、そういうことでしょう。今年の稲刈りはこの付近ではおおかた終了しています。どこかで触れましたが、いつも気になるのはこの地域の休耕田が徐々に増えていくという現実です。稲作や米の消費量の将来が心配だというのではなく、本日のコラム【明窓】の「ご飯ですよ」と、それに添えられていた写真の「卵かけご飯」に刺激されただけのことで、それについてまず駄弁(だべ)りたいのが、先年亡くなった柳家小三治さんの「雑談…卵かけご飯」について、です。

 故小三治さんは「人間国宝」でした。いつそうなったかについては、ぼくは何も知りません。落語家が「国宝」というのも、一種の洒落であって、それはそれで面白いのでしょうが、国家もつまらない、いや残酷なことをするという「バカ話」の種にはなるでしょう。ぼくの中では、もっとも若い落語家が小三治さんでした。それ以後、ぼくの記憶に残る落語家はいない。落語家ではなく「芸人」もしくは「タレント」が、たまに「落語のようなもの」を話すという程度のことだという気もします。小三治さんについても、どこかで触れています。落語ではなく、彼は「話し手」「語り手」としてもなかなかのものがありました。その大半は「雑談」でしたが、この「雑談」が曲者だと、ぼくは昔から考えて来ました。「雑」という漢字が入る物事は、重要視されないどころか、並よりも下に見られています。その「雑」は、ぼくのもっとも好みとする「概念」なんですね。小三治師匠の雑談「卵かけご飯」を聴かれると、ぼくの言いたいことがおわかりになるでしょう。じつにくだらない、あるいはつまらない話柄です。だからこそ、雑談であり、それがこの上なく「人畜無害」だから面白いんですね。

 現役の職業人だった頃、いつでもはっきりと言い続けていました。「ぼくの話すのは、すべて雑談です」と。雑談以外は話さなかった、いや話せなかったのだ。他の人は高邁な哲学や、高尚な学問の話をされていたのかもしれないが、ぼくは徹底して「雑談」で通してきました。教室だけではなく、「頼まれ講演」でもそうでした。雑談しか話せない人間でしたが、それがぼくにはとても楽しかった。ぼくの書く原稿は「雑文」であり、研究などとはいえた義理もない「雑学」が趣味でした。反対に、ぼくは「純粋」というのが嫌いだった。何よりも「雑種」が本来の姿、それがあらゆる生命体の自然本然だと悟れば、「純粋」というのは、単なる「観念」でしかないことに思いたるでしょう。

 思いつくままに「雑」を列記する。「雑然」「雑役」「雑音」「雑駁」「雑魚」「雑穀」「雑草」「雑多」等々。数限りなく「雑の部」は続く。それは何を示しているのか。純粋や純血、あるいは純白や純情というものが、現実にではなく「期待・希望」としてあってほしいということでしょう。なんといっても「雑」が本筋というか、もののあり方の基本型を明示しているということではないですか。ぼくが大学の教師のようなことをして身過ぎ世過ぎに明け暮れていた間、「雑魚の魚(とと)混じり」だという自覚が揺るがなかった。その雑魚(ぼく)に言わせれば、「網にかかるは雑魚ばかり」という精一杯の皮肉も忘れたことはなかった。ある友人(同僚)から「君がここ(この大学)にいるって、奇蹟だよ」と言われたが、彼はぼくをよく知っていたのです。その彼(高名な宗教学者)は「雑魚」か「魚(トト)」だったか、そんなことはどうでもいいことですね。

 で、小三治さんの「雑談」です。定型的な「古典落語」は大好きだし、この「雑談」も大好きでした。二つは比較衡量してはいけないんですね。まったく別種・別事で、それぞれに楽しめばいいのでしょう。小三治さんは「枕の名人」と称された。話の入り(まくら)がやたらに面白かったというのです。あるいはやたらに長かった。この「まくら」が、ぼくに言わせれば「雑談」そのものでした。その心は、「融通無碍」「雑然紛然」の面白さではなかったか。反対に「純一無雑」ではない、雑然とした中に筋らしいものが見える、そのおかしさでしたね。これが「話芸」であるのでしょうね。ぼくは落語をたくさん聞きましたが、煎じ詰めれば「話芸」の面白さを求めていたということに尽きるでしょう。

 柳家小三治「卵かけご飯」(https://www.youtube.com/watch?v=ULzB0mdZZaE

●やなぎや‐こさんじ〔‐こサンヂ〕【柳家小三治】[1939~2021]落語家。10世。東京の生まれ。本名、郡山剛蔵。5世柳家小さんに入門。真打ちに昇進すると、正統派古典落語の担い手として活躍。巧みなまくらも人気となり、「まくらの小三治」と称された。人間国宝。(デジタル大辞泉)

 小三治さんは何歳ぐらいまで「卵かけご飯」を好んで召し上がっていたのか。どこかで聞いたようにも思いますが、記憶にありません。なぜんそんなことをいうかというと、ぼくも高校生くらいまでは「卵かけご飯」が大好きだった。ところが、どういう理由からか、それ以降はまったく食べることができなくなったからです。二十歳すぎても「卵かけ…」が好きな人間がいるのかどうか。今でも卵はよく食べるが、それをご飯にかける気がしなくなった。卵の生産方法をよく知るようになったからだろうか。だったら、肉類だって同じようなもの。卵とご飯は相性もいいのに(例えば、オムライスやチャーハンなど)、生卵は駄目だという理由が、ぼくにはよくわかりません。今では、それ(卵かけご飯)を想像するだけでも気分がおかしくなるのですから、奇妙なことですね。

 小三治氏は(「雑談」の中でも)「卵かけご飯は、ぼくのステータス・シンボルだった」と語られていました。それだけ貧困時代の子どもだったということでもありますね、誰彼なくそうでした。彼は、ぼくより五歳ばかり年上でした。晩年は「病気の問屋」のように、痛々しく見えましたが、壮年の頃は、颯爽と「ナナハン」にまたがっていたのでした。その彼に、かみさんはあるとき、都内目白近くのガソリンスタンドで出会い、「見たよ、いい男だった」と、なんどもぼくにいうのでした。

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