葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国

 【南風録】先週の本紙ひろば欄にため息が聞こえてきそうな投稿が掲載された。「朝、田畑を見ると本当にやる気を失ってしまいます」。薩摩川内市の山あいに暮らす吉川(きちかわ)幸子さんは野生動物による被害を嘆いた。▼最近までコメを作っていたが、被害がひどくてやめたという。「イノシシやシカが田んぼで寝転んで稲を倒して…」。暑さの中、手塩にかけて育ててきたのに、一晩で価値を失ってしまう。▼鹿児島県内の農家が抱える共通の悩みである。イノシシやシカ、サル、鳥たちが実ってきた野菜や稲、果樹を荒らして回る。県全体の農作物被害は年間約4億円に上るという。植え付けから日ごろの手入れまで流した汗が無駄になると思うと気の毒でならない。▼被害を抑えようと農家が行政や猟友会と手を取り合い、田畑に電気柵や防護柵を張り巡らせ、捕獲にも取り組んできた。その成果だろう。最近の被害額は横ばいからやや減少してきたと聞く。▼きょうは二十四節気の一つ処暑。立秋と白露の中間で、暑さが収まる頃とされる。収穫に向かって農作物が実っていく時季は、動物たちにも“おいしい季節”である。できるだけ被害なく収穫を迎えてほしい。▼期待される対策の一つに、残り物の野菜や果樹などを片付け、「餌場」をつくらないことが挙げられる。効果は担い手がいてこそ。豊かな農村風景を取り戻すために、何とかしなければ。(南日本新聞・2022/08/23)

 すでに房総半島地域では、稲刈りが始まっています。小生が住んでいる地区でも、もう十日もしないうちに稲刈りが始まりそうです。ついこの間、田植えを済ませたばかりという気がするのです。いかにも季節は巡るというのか、歳を取ると、時間は早く経過すると感じるのか。それにしても稲の成長は確実であり、連作に適しているとさえいえますね。先祖の労苦がわかろうというものです。いずれにしても、近所の田畑は獣害予防のための警備に怠りなしで、なんとも「殺風景」な黄金の波の打ち寄せる「瑞穂の国」です。田も畑も「電気柵」を張り巡らしてあり、見栄えは言うまでもなく、危険この上ない収穫時期の装いではあります。

 もっとも多く目にするのはイノシシでしょう。加えてシカ、まだサルはこの近辺には来ておりませんが、それも時間の問題で、房総半島は適当な森林があり、標高も高くないところから、気軽に半島を半周したり、一周したりするのはお手の物。鹿の仲間なのか、キョンという動物も、最近は夜泣きしているのが、すぐ家の側で聞かれます。顔つきに似合わない「悪声」、いや凄まじい鳴き声といったほうがいいようです。それを聞くと、身震いがします。ゾッとするほどの、凄みがある。これも住宅地は言うまでもなく、田畑を荒らし回っています。

 稲にとって害獣になるのかどうか知りませんが、その他、いくらも野生の動物が棲息しています。これらの動物が運び屋になって、人にも動物にも共通した、厄介な感染症を引き起こすウイルスも豊富です。以前も、どこかで触れましたが、年間のイノシシの「駆除数」は数千頭に達します。この「駆除」という表現はどうですか。人間からすれば、害獣なのかもしれませんが、あるいは、それは人間の生活環境(侵略行為)が生み出したものかもしれない。今では、害獣の「有効利用」などと悪ふざけがすぎるような気もしますが、「ジビエ」料理が持て囃されています。

 拙宅では畑は作っていませんが、時々、イノシシが訪れます。時期にもよりけりですが、庭の土をほじくり返しては、食い物を物色していきます。つい二ヶ月ほど前は、自宅前でばったり「ウリ坊」に出会いました。生まれたばかりと言う小ささでしたが、立派に本能を発揮して、土を掘り起こしていました。やがて、このウリ坊も成長して「美味しいジビエ」になるのでしょうか。

 野生動物が媒介して、人にも感染する多くのウイルスが認められています。今、猖獗を極めている「新型コロナ」も、特定はされていませんが、動物(鳥類)がもたらしたとされています。その他、ダニなどもじつに厄介な媒介手で、近年は「マダニ」からのウイルス感染で、各地で、何人もの死亡例が報告されています。拙宅の猫にも「マダニ」が寄生しないための予防薬として、ある医薬品を毎月使用している。じつに高価なもので、それだけの「効果」があるかどうか疑わしいと思いながら、人への感染も恐れるために投与しています。(「フロントライン」というもので、主成分を含め、毒性が強い物質が含まれており、あまり使いたくないのですが、今のところは、これに頼っています)

● ジビエ(じびえ)(gibier フランス語)=狩猟によって捕獲された野生鳥獣やその食肉。狩猟肉ともいう。ジビエを材料とするジビエ料理は、古くから狩猟の盛んだったヨーロッパでは浸透しており、狩猟が解禁となる秋から冬の季節には一般の市場にも出回る。ヨーロッパでは野禽(やきん)のキジ、ヤマウズラ、マガモをはじめ、野生の野ウサギ、シカイノシシなどの肉をさまざまな調理法で食している。/ 日本にも東北地方の山間部に居住した狩人(かりゅうど)の「またぎ」をはじめ、狩猟肉の食文化が古くからあり、シカやイノシシ、クマ、カモシカ、タヌキ、ウサギ、キジ、シギなどの肉が食べられていた。近年は狩猟肉を食べる慣習は薄れていたが、農作物被害や生活環境の保護の観点から、おもにシカとイノシシを捕獲するケースが増え、これに応じて狩猟肉を食べる場所や機会が増えた。

 2010年(平成22)の狩猟による捕獲数は、イノシシ約23万頭、シカ約17万頭で、年々増加している。とくに長野県や近畿地方の一部では、高タンパクで低脂肪であるシカ肉やイノシシ肉のよさを生かし、地域振興につなげようとする動きが活発である。2013年には関東地方で店舗展開するハンバーガーチェーンが、長野県産のシカ肉バーガーを発売して話題となった。/ 厚生労働省では野生鳥獣の肉を食用する際には、人獣共通感染症を防止するために生食を避け、十分加熱処理をするように呼びかけている。兵庫県森林動物研究センターが2007年に全国16地域で捕獲されたニホンジカ(976頭)について行った調査では、E型肝炎ウイルス抗体の保有率は2.6%であった。また、2006年の別の調査では、イノシシの抗体保有率は27.5%と高かった。シカ肉による感染の可能性は低いものの、食肉の加工処理過程でウイルスが付着する可能性もある。また、E型肝炎ばかりでなく、腸管出血性大腸菌感染症(O157)、寄生虫ウェステルマン肺吸虫に対する注意も必要であり、食べるときは十分な加熱処理が求められる。(ニッポニカ)

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 日本紅斑熱 千葉県内で増加 マダニから感染、昨年最多17人 野山や畑に入り病原体を保有したマダニにかまれると感染する「日本紅斑熱」患者が増えている。千葉県内の感染者は2012年から増加傾向にあり、昨年は17人で感染症法に基づく調査を始めた1999年以降、最多だった。今年の感染報告は1人だが、軽装になる6月ごろから増えるため、県衛生研究所は注意を呼びかけている。/ 同研究所によると、主な症状は頭痛、発熱、倦怠感で、体幹部から四肢末端部にかけての発疹や刺し口があるのが特徴。かまれてから発症するまでの潜伏期間は2~8日で、早期に治療をしないと命に関わる場合もある。/ 2012~21年の10年間の感染者は85人で、うち83人が6~11月に感染が判明した。年代別では60代以上が9割以上を占めた。20年8月には君津市の無職女性=当時(85)=が、右足首をマダニに刺されて感染し亡くなった。感染者が増加している理由は不明という。/ マダニは成虫で体長3~6ミリほど。山林や裏庭、あぜ道などの草の上に生息し、県内では南部の山間地域で多く発見される。農作業やレジャーで山林、草むらに入る時は軽装を避け、防虫スプレーやレジャーシートを使い、帰宅後は着替えて入浴することが重要という。/ 同研究所の担当者は「県内だけでなく全国的に増えている。ワクチンはなく、マダニに刺されない対策が必要。刺された場合は無理に引き抜くとマダニの一部が皮膚に残ってしまうことがあるため、医療機関を受診して」と促した。(千葉日報・2022年5月22日)

 長閑(のどか)な田園風景、日本の原風景、羨ましいスローライフなどと、いかにも都会生活者から見れば、農山漁村という、人畜共存地帯に対する精一杯の「お上手」なのかもしれませんが、住んでいる人間には、いろいろと気を使うことばかりが続くのです。我が家の猫は、すでに三回も「蛇に噛まれ」、急いで動物病院に駆け込みました。スズメバチも、いつも家の周りを見張っています。巣作りに適した場所探しのためです。大小取り混ぜて、色々な生き物が住んでいる、その隣にぼくたちも住んでいるというわけです。先住民はどちらかと言うなら、文句なしに「害獣」と蔑まれている者たちだったでしょう。この先、熾烈な(一方的)殺戮合戦が続けられるのでしょうが、どちらかが撲滅されてしまえば、戦いは終わるかもしれません。でも、どちらかが住めない環境に、一体何者が住むというのでしょうか。

 「生態系」というものを、もう一度考え直したいですね。その昔、鴇(とき)が群がって住んでいたとされる地域が近くにあります。鴇谷(とうや)という町です。今では地名のみになってしまいましたが、稲を荒らす「害鳥」ということで、大勢で撲殺して退治したと、記録には出ています。荒れ放題の庭に、時々「雉(キジ)」が立ち寄って、何かをしています。これらも、やがては「駆除」されてしまう運命にありそう。「雉も鳴かずば撃たれまい」と言うそうですが、鳴かないにも関わらず、銃殺されるのでしょうか。ある辞書には「無用のことを言わなければ、禍いを 招かないですむことのたとえ」(広辞苑)とある。雉の鳴き声は「無用」ではなく、必要があるからのものなのに。人も鳥も、いらぬ「言挙げ」はするなということらしい。それを敢えて「言挙げする」歌人が、その昔、この劣島にいました。「葦原の瑞穂」の歌人でしたね。

 「葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国は 神(かむ)ながら 言挙げせぬ国 言挙げぞ我(わ)がする 言幸(さき)く ま幸くいませと 障(つつ)みなく 幸くいまさば 荒磯波(ありそなみ) ありても見むと 百重波(ももへなみ) 千重波(ちへなみ)にしき 言挙げす我(わ)れは 言挙げす我は」(柿本人麻呂)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)