和して同ぜず、同じて和せず(一)

 このところの駄文が、あまりにも偏狭で、自分でもウンザリしています。元来が政治向きの話は好きではなく、むしろ苦手に類するものでした。しかし、年齢のせいでもなく、世上、あまりにも埒外のことがありすぎるので、我ながら、身の不勉強を顧みないで、なにかと悪態をついているという仕儀に、自分でさえも醜悪であり、大いに戸惑っています。八十年近く生きていて、いつの時代でも(物心がついて以来、という意味)、ぼくには生きることが楽しいと思ったことはない。辛いとか苦しいからと、逃げ出したいと思ったことは一度だってないのも事実で、要するに「人生は斯くの如し」という、いわばいつでも「受け身」で生きてきたというのでしょう。「あるがままに(live as it is)」と言えば、聞こえはいいが、つまりは流されて来ただけでした。

 川の流れに身を任せて、溺れないように、沈まないように、藁なんか掴まないように、それだけを心して、流されてきた、それがぼくには生きることだった。右を見ても左を見ても、前にも後ろにも、多くの人々が同じように流れに身を晒しているから、それが当たり前に思って、取り立てて、自分は変なことをしているとは考えられなかった。もちろん、流されるのは「自己流」であって、他人のマネをしたり、他人を押しのけてまで先を急ごうとしてきたわけではない。敢えていうなら、お先にどうぞ、そんな流され方だった。追い越しもしなければ、追い越されることに異を唱えることもなかった。それがどういう「流儀」「流派」かはわからないが、あくまでも自己流であり、我流であることだけは間違いがありませんでした。

 この駄文を書き出して、二年半以上が経過しました。きっかけはどこかに触れています。要するに、記憶力の低下をこれ以上悪化させないこと、それに加えて、曲がりなりにも長年の仕事に関わりのあった学校や教育について、何かしらを材料に愚考するということ、そんな程度の思いからはじめました。自分がよく使ってきた表現をするなら「考える練習」のためでした。その趣旨は今も変わりません。材料には事欠かないから、ひたすら「練習に励む」というより、「練習(ウォーミングアップ)」を楽しむという風情でした。

 あくまでも練習ですから、誰かに見て(読んで)もらいたい、「いいね!」をもらいたいなどという嫌な根性は微塵もありませんでした。そんな「愚見」「愚考」ばかりを並べてきたにも関わらず、読んでくださる方がおり、感謝しつつも、我ながら恥ずかしい思いをしています。野球やサッカー、あるいはテニスやゴルフの練習で、一人黙々と時間を費やしているばかりで、他人様にみせるのものではないことをは重々承知しています。だから、ブログという公開の場所(機会)を使うこともないのですが、それなりの理屈は、ごく初期に、何処かで書いたとおりです。他者が見る、他者に見られているという「想定」があればこそ、それなりの「化粧(文章)」というか、よりマシな「素顔(スッピン)(内容)」を見せようとするかもしれない、そんな程度の気持ちで、ネットにあげている次第(それは、はっきり言って、ぼくの錯覚。文章の体裁もひどいし、内容もないんですよ、実際は)。それで、何かをしようというのではなく、あくまでも「考える練習」(シャドースウィング・shadow swing=素振り)の域を出ない事柄です。

 ところが、その練習の場が、勢いよくどこかの「球場」で試合をしているような具合になることが多くなりだしてきました。ぼくの最も嫌うところですが、まるで本番の試合さながらに、ヒットを打とうなどという邪念に唆(そそのか)されてスウィングしているような、醜悪な仕儀になってきたことに驚いているのです。そうなったについては、それなりの理由がありますが、手短に言えば、現実の政治や経済問題から生じた「火の粉」が、こんな辺鄙な山中にも飛んできた、それを傍観していては火傷をするぞ、そんな気配が漂ってきたからでした。かといって、街中に飛び出して、抗議活動をするという気もないのです。もうぼくの出番は、そこにはないと感づいているからです。

 こんなことを考えるのも、先年亡くなられた金子兜太さん(2018年2月死去)が、作家の澤地久枝さんの依頼によって、旧十歳を遥かに過ぎて「揮毫」した、あのビラを思い出しているからです。ぼくの尊敬する友人や先輩は、今なお、街頭に立ち「悪政治反対」の活動を続けておられる。ぼくの居場所は街中にはないと、ずっと考えてきました。理由はいたって単純。「世代交代」「バトンタッチ」ということです。ぼくの居場所はそこにはないのです。ひたすら「素振り」をすることが、今のぼくのやるべきことだと思っている。バットやクラブを、庭先で、実際に振ることも、もちろんある、でも時間を使ってやるべき「素振り」は「駄文綴リ」だと言いたいのですね。これは自分勝手な理屈(にもなりませんが)、素振りから何かが得られたら、それは駄文のごく一部に表現されるかもしれない、されないかもしれない、そんないい加減な思いをもって綴ってきたかったのです。

 ところが、あまりにも世情騒然、「山中に暦日なし」などと呑気に惚(ほう)けてはいられなくなったと、ぼくのなけなしの「元気」が反応したのかもしれませんでした。ぼくは瀬戸内寂聴さんや金子兜太さんではないということを、ここで再度、胸に刻んでおきたいと、本日の、この駄文を書いた次第です。「年寄りの冷や水」というのは、大切な教え(経験からの)でしたね。コロナ感染症が発生したと騒がれだした時、ぼくは「収束・終息には五年」と綴りました。根拠があると言えばあるのですが、まあ、「咄嗟の判断」でした。だからその五年は(元気であれば)、閑居・蟄居するのだと、自らに言い聞かせてきたのです。今の状況からすると、五年では片付かないのかもしれません。けれども、自らのいのちは自ら守る、これがもっとも有効な「処方箋」であると固く思っているのです。

 怠け者で小心者でもあるぼくには、他者をしのいで生きてやろうという気分は、微塵もない。存在を見せびらかすという、その振る舞いの因って来たる原因・理由がわからないのです。「水の流れに身を任せ」て(だれでしたか「時の流れに身をまかせ」と歌っていました、⇚)、流れるまま、流されるままに、どこに行き着くか、途中で水没するか、暗礁に乗り上げるか、あるいは岸壁に打ち上げられるか、港があるのかないのか、流れる着いたところが港なのか。いずれ明らかになるのでしょうが、本人には、幸か不幸か、その顛末(終幕)はわからないんだな。

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