愁ひつつ岡にのぼれば花いばら(蕪村)

 温暖化のししおどし 過去にないような猛暑や干ばつなどの背景にあるのが、人為的な地球温暖化だ。気候変動の研究者が懸念する概念に「ティッピングポイント」というものがある▼少しずつの変化が積もり積もって一定のレベルを超えると、それまでとは大きく異なる急激な変化になってしまう。そんな点のことで「臨界点」とも訳される▼竹筒に流れ込んでいる水の重さが全体のバランスを崩すまでになると、一挙にこぼれて筒が石を打ち、大きな音を立てる。日本庭園の「ししおどし」に例えられることもある▼最近になって、地球環境にもティッピングポイントが存在することを示す研究成果が示されるようになってきた。気温上昇が一定のレベルを超えると、地球環境に取り返しがつかない不可逆的な変化をもたらすことへの懸念が高まっている▼西南極の氷床や北極域の永久凍土の融解、南米・アマゾンの乾燥化などにティッピングポイントが存在するという。「幸いなことにまだ現在の温暖化はティッピングポイントを超えるまでには至っていない」というのが最新の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の評価だ▼だが、もしかしたら明日にでも、ししおどしの水がこぼれて、周囲を驚かす音が響き渡るかもしれない。そんな危機感を持って、一刻も早く脱化石燃料を実現するべきだ。(下野新聞・2022/08/14)

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 残りの日を数え、焦り始めている頃だろうか。<算術の少年しのび泣けり夏 西東三鬼>。ためてしまった夏休みの宿題。真っ黒に日焼けした丸刈り頭の男の子の姿が浮かぶ。数十年前のわが身を重ねる人も多いだろう▼年内で芸能活動の一線から退くという吉田拓郎さんの『夏休み』の歌詞も浮かぶ。「絵日記つけてた」「花火を買ってた」「西瓜を食べてた」「水まきしたっけ」夏休み。「ひまわり 夕立 せみの声」。絵日記は最後にまとめて書いたけれど▼振り返ると、今年は乱調子の夏だった。<蓋あけし如く極暑の来りけり 星野立子>。東北の南部は6月29日、所によっては猛暑日で、わずか14日間の梅雨が明けた。初めて6月から突入した夏は、その後も異変が続く▼7月中旬の宮城をはじめ、東北の各県を記録的な大雨が重ねて襲った。仙台では、カッと照りつける日差しは少ないのに、もあっと気温が上がった印象が強い。36・2度の猛暑日となった8月2日と9日は、いずれも曇りベースの日だった▼収まらぬコロナの第7波、豪雨の被害を思うとき、心は晴れにくい。<かなかなや少年の日は神のごとし 角川源義>。夕の訪れ。井上陽水さんの『少年時代』のメロディーが、スーッと浮かぶような夏の終わりであってほしい。(河北新報・2022/08/20)

*吉田拓郎「夏休み」:https://www.youtube.com/watch?v=_sU29AA_HYQ                   *井上陽水「幼年時代」:https://www.youtube.com/watch?v=ZWBs3oBw4qk

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 この数年の酷暑度を、いくつかの資料をもとに調べていました。そこから言えるのは、今年がとくに暑いのではなく、この「酷暑」はもう数年前からの当たり前の現象だということ、それが今更のようにわかりました。「今夏が最も暑い」と言いたいところですが、そうではなく、いずれも優劣つけ難く「酷暑」が連年のものだったということです。今年はヨーロッパがやたらに暑いという報道が飛び交いました。スペインやフランス、イタリアでは史上最高と。しかし昨年の夏には、カナダでは五十度近くも気温が上がり、数百人が死亡しているとニュースにありました。それぞれの地域ごとにデータを出していけば、確実に地球全体が激しい勢いで高温化していることが判明します。いうまでもなく、「地球温暖化」は決して単一の理由で生じているのではなく、複雑な原因が絡まって起こっていることです。暑さ対策を講じることによって、さらに温暖化の速度を高めるという逆の結果にもなります。化石燃料の膨大な消費が最大の理由であることは分かっているにもかかわらず、いっかなその排出量を減少化するための抜本的対策が講じられていない。暗黙の了解のもと、地球全体が確実に滅びの方向に進んでいることを示しています。

 もとより、日本劣島の酷暑ぶりだけを云々しても始まらないことです。とは言え、暑いことには変わりはなく、それを凌ぐための方策は今のところはなさそうだという、八方塞がりの状況を嘆いたり恨んだりする、それでまた温度(血圧)が上がるというもの。加えて、コロナ感染の拡大が進行し、それに伴い死亡者や重症者が増大化を辿っているにも関わらず、根本的な対策や、明確な方向性を出さ(せ)ない政治行政の「怠慢・罷業」が、さらに気温を何度か上げている。

 物価は上がり、気温が上がり、感染症の危険度が上がり、政治や行政への不信感が天井知らずに高まるのかと思いきや、政治家や政党が好き放題の人民見殺しに齷齪しているにも関わらず、「寄らしむべし、知らしむべからず」よろしく、人民の中には、現状維持派が圧倒的に多い(とは、ぼくには思えないのだが)のは、馬鹿にされ、愚弄されることに快感を感じる国民性のなせることだからなのか。

 さらに、「特殊団体」との親交・友情・腐れ縁を深めている政治家が国にも地方にも蔓延しているという事実にも、多くの人々が、まず驚かないという現実に、ぼくは驚嘆するばかりです。殆どの政治家は、「家庭連合」を利用しているつもりだったと思う。しかし相手は役者が違う、軽く政治家をあしらいつつ、持ち上げつつ、骨までしゃぶろうとしていたし、もうすでにしゃぶられた連中もゴマンといるのです。いずれ明らかになるはず。某教会は、自らの躍進(前進)のために、政治家を「駒」か「馬の脚」程度にしか見做していなかったんですね。「家庭連合」は、確実に地方政治(議会)や政治家に食い込んでいます。その入り込み方はじつに周到で、何十年もかけて準備してきた効果が、そこに根付いている。もう二十年以上前に、ひょんなことから、その実態をぼくは知ることになった。きっかけは「拉致問題」です。その問題の非人道性を訴え、北朝鮮の非道を避難する決議を上程し、「北朝鮮」と対峙するための狼煙を地方議会から挙げさせていたのが「統一教会」だった。地方議会を唆(そそのか)し、国会を動かし、いろんな画策を講じていた、その経過を、ぼくは直に経験していたのです。安保法制、秘密保護法性、反同性婚、憲法改正、その他。まるで政権等の親藩のように振る舞っていたのだ。

 政権党や権力集団は、「某宗教団体」に、政治そのものの「根底」「真価」を汚染されているのに、それを見ないことにして、というより、その汚染源に手も足もつっこみながら、気がついたら「国を奪われていた」ということになるのでしょう。「美しい国」は「✖✖教会」からのパクリかもしれない、いやそれをそっくり、故総理は恵んでもらっていたのではないか。「傀儡」という言葉が、このところずっとぼくの中でうごめいているのです。

ふるさとや寄るもさはるもばらの花(一茶)

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