【くろしお】総動員での説得 「お前は何も知らないから、そんな風に悪く言えるんだ。実際に話を聞いたらよさが分かる」。「よし分かった。じゃあ俺も一緒に行って話を聞くよ」。大学時代、友人との間で交わされたやりとりである。◆純朴を絵に描いたような友だった。福岡の繁華街を一人で歩いているときに声をかけられ、立ち止まったところ、あれよあれよという間に相手のペースにはまり、近くのビルの一室に連れて行かれたらしい。そこでビデオを見せられ、何人もから話を聞かされ…。◆「○○が宗教にのめり込んでる」―。その情報は友人間で瞬く間に広がった。やめさせるべく”総動員”での説得が始まった。冒頭の会話は、そのときのものだ。かくして、彼に連れられて、その教団のところへ行くことになった。ビデオを見せられ、入会を勧められ―。◆その帰り道に「やっぱやめとけって」と再び説得。多くの友人も根気強く説得し、時間はかかったが彼は教団から離れた。その教団による霊感商法などが社会問題となったのは、その数年後のことだった。それから30年余り。元首相銃撃という大事件によって今、再びこの教団が注目を浴びている。◆1990年代の初頭に世間を騒がせて以降は長い間、あまり教団名を耳にしてこなかったが、今回の一件で名前が変わっていたことや、政界にも食い込み続けていたことなどを知り、驚いた。最も驚いているのは、その”入り込み具合”の広さと深さである。(宮崎日日新聞・2022/08/18)

大学に入ったのが東京五輪が開催された(1964)年でした。この時期以降、欧米でも、時を同じくして「既成価値」の打破、あるいは旧体制打破といった「政治の季節」に入っていきました。サルトルその他の実存主義哲学者が持て囃(もてはや)され、ある種の興奮の坩堝化していたのが「大学」だったように思います。コラム氏が書かれているように、ぼくの同級生(クラスメート)も、しばらく顔を見せない間に、驚くような「思想的展開」(でもなんでもない、自分の頭で思考することを放棄しただけだった)を成し遂げて、周囲を煙に巻いていた。共産党の組織に入ったもの、学生運動の党派のそれぞれに入ったものなど、まるで当時の大学は「教条主義の百貨店」といった趣を呈していました。
その百貨店の「飾り窓」には、目下大騒ぎをしている「宗教団体」という名の政治組織もあり、あるいはその後に政党を作って政界に進出した新興宗教団体(日蓮派)もありました。ぼくの友人のそれぞれが、自らの「党派・団体」の正当性を主張し、論争ならぬ闘争を繰り広げる始末でした。ぼくは「党派」大嫌い、「宗教」虫酸が走る、そんなアカンタレでしたが、それでも、寄らば「大樹」だか「権威」だかに縋(すが)らなかったのは、ぼくにはまるで「オウム返し」のような、単純頭脳を認めることができなかったからです。一つの党派・宗教団体に加入すると、まるで判で押したように「紋切り型」の応答しかできなくなるのが、どうしても肯定できなかった。自分の頭で考えろよ、それだけで、ぼくは卒業後も通してきた。ぼくの駄文には、頻繁に「教条主義」という言葉が出てきます。大体の説明は下の辞書にあるようなものですが、肝心なのは、ほとんどの主義・主張は「ドグマ(独断と偏見)」から成り立っているところです。現実や状況は無視する、そうしなければ、教条の一貫性がつかないからでした。今日も変わりませんな。

世界は「2+2=4」と説くものいがれば、いや違う「2×2=4」だというものもある。どこが違うのか、部外者にはわからない。わからないから、入信・入党するのかもしれませんが、かくも世界の定義が異なれば、論じても無駄で、結局は暴力沙汰で決めることになるのです。このように、一種の暴力で物事を決めるのを「政治」というと語弊があるが、それでも一抹の正しさ(らしさ)はあるのかもしれない。学生時代の友人の中には、どこに身を隠したのか、行方不明になるものが出たり、大きな怪我をして体に包帯を巻いたような姿を見せるものもいました。それなりの「理論・論理」を身につけて、一人前の構えを取るのでしょうが、ぼくからすれば、それはまるで赤鉛筆を手にして本を読むようなもの。つまりは大事なところは「赤線」だというわけです。書かれている内容の真偽を問わず、それが「赤線」で記されているから重要なのだということだったらしい。「ぼくはこう思う」が決定的に欠如しているのです。
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● きょうじょうしゅぎ【教条主義】=ドグマティズムdogmatismの訳語で,元来,科学的証明なしに,ドグマ(宗教上の教義や教条)にもとづいて〈世界の事象〉を説明することをいう。歴史的には一般に中世のスコラ学が代表的なものといわれる。無批判的な独断にもとづくという意味で独断主義,定説主義ともいわれ,今日ではマルクス主義において否定的な意味で用いられている。ヘーゲルは教条主義を形而上学的思考として弁証法に対置して批判し,マルクス主義では,特定の理論,命題を,事物の変化,条件や環境の変化を考慮せずに機械的に現実に適用する態度をさして批判した。(世界大百科事典第2版)
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思想信奉といえば聞こえはいいが、要は「人の頭を使って、自分が考えたことにする」だけのことでした。これは、洋の東西を問わない現象で、政治も宗教も、すべて(とはいわないが)、「ドグマ・教条」の看板だけが目立つ、一種の詐欺商法のようなものと、ぼくには思われました。学問研究といいますが、多くはこの手の「お手本同調」志向が骨子となっているのです。「『お前は何も知らないから、そんな風に悪く言えるんだ。実際に話を聞いたらよさが分かる』。『よし分かった。じゃあ俺も一緒に行って話を聞くよ』」というのは、どこか「オレオレ詐欺」や「ネズミ講」の悪徳商売にそっくりな、説得だか、言い任せるのだか、ある宗派はさかんに「折伏」といっていましたが、自分で判断する能力がないから、「参りました、入門させてください」ということになるのでしょう。聞くと見るでは大違いということではないし、百聞は一見にしかずでもない、もう無理やり説き伏せるだけで、これは宗教ではなく、拷問じゃないですか。とするなら、拷問が好きな人もいるのだ、ということに落ち着くのか。
「宗教は阿片(アヘン)のようなものだ」といろいろな人が言っていますが、最も有名になったのはマルクス。「宗教は民衆の阿片(のようなもの)」だから、いいとか悪いとかいうのではなく、病み苦しんでいる人には「阿片」は緩和剤や痛み止めになる、そのようなものだというのがマルクスの言いたかったことです。いわば激痛を緩和するための「モルヒネ」のようなもの。人生の痛苦を緩和するためには必要な処方だということだったでしょう。今問題の「✖✖教会」は、その伝で言うと「劇薬」になるでしょうか。一服服用すると、たちどころに人生の「痛苦」は癒えて(消えて)、自分自身すらも喪失して(消えて)しまうほどの「劇薬」ぶりではないでしょうか。「良薬は口に苦し」というのではなく、「劇薬は身をも滅ぼす」のです。教祖は、滅ぼされた「身の山」の上に御殿を建てている。

その「劇薬」の図抜けた効能に飛びついたのが政治家でした。彼らが求めたのは、票にかかわる万般であって、信仰とは一切無関係だ。宗教性も信仰心も論外・埒外のこと、金になり票になるなら「たとえ火の中水の中」という具合で、理非曲直や正邪善悪はまったく問わない連中なんでしょう。信仰を求めている「迷える子羊」を食い物にし、その血肉で肥大した「教会」を食い物にしたのか、反対に(某党が)「食い物にされたのか。どうもそうらしい証拠がいくつかあります。亡き総理も相当に食い込まれていたと言う。その一番弟子だったH議員、おニャン子の一人(一匹)を担ぎ出し、教会本山(あるいは別山)に票頼み(選挙加担のお願い)に参籠しました。権力の階段を上り詰めるには、四の五の言っていられない、背に腹は変えられないと、悪魔に身売りまでしてでもほしい票と金、その亡者が「位人臣を極める」のだとしたら、その社会は、どんな卦体(けたい)の悪い社会だろうか。この劣島はそういう社会になりきっているのではありませんか。
ぼくは、ある人にとっては「宗教は薬物である」と思っている。良薬にもなれば、同じものが悪薬・毒薬にもなる。また、ある人にとっては「依存症」に罹患してしまう、そんな危険性も伴う。という意味は、人々の悩みを減じ、その生きる支えになるなら、宗教は、ある状況の人には不可欠な良薬なのでしょう。しかし、その「良薬」を食い物にし、政治的に悪用しようとするなら、たとえ、政治家自身が信者であれ、信者たちが政治家の支持者であれ、宗教の誤用の最たるものというほかありません。「信教の自由」を言っているのではない。「宗教を騙る」政治の悪質さを指摘したいのです。

誰であれ、「私は神である」といってもかまわないし、そういった人はこれまでにも腐るほどいました。その「現人神」を信じ込む、信じ切るというのは、ぼくに言わせれば、じつに勇気ある行為、そして愚かしい選択・判断であると思う。(後で考えると)それは「真っ赤な嘘」であることは、最初からわかっているのにもかかわらず、「神を求める」人が多すぎるから、「神になりたい人」が騙る宗派が蔓延(はびこ)るのでしょう。かかる詐欺商法の通用は、それを政治的に利用し、その余得に与ろうという政治家がゴマンといるからです(宗教の話ではなく、政治の話になるのは、「宗教という政治」が目下の問題だからです。純粋に宗教と言われるものがあるとは思われません。宗教・教派もまた、政治の一党派だということは、世界各地の「宗教政治」の有様を見れば、イヤでも納得するでしょう)。
日本のお寺も、西洋の教会も、競って威容を誇る建物を誇りたがるのは、内容がないからです。心に触れる宗教(信仰)は「教会」も「お寺」もいらない。無教会、無寺門こそ、神・仏と人とのつながりを示すものです。近世期、「教会の外に救いなし」とある教団が宣告したことがあります。自惚れもいいところ。唾棄すべきです。女人禁制、男色歓迎は、日本のある宗派の看板となっていました。ここはまた、世間以上の「世間」でしたね。「聖地)ではなく、「性地」だったか。
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「1990年代の初頭に世間を騒がせて以降は長い間、あまり教団名を耳にしてこなかったが、今回の一件で名前が変わっていたことや、政界にも食い込み続けていたことなどを知り、驚いた。最も驚いているのは、その”入り込み具合”の広さと深さである」ぼくはこの部分を読み、新聞記者というのは呑気なもんだなと、いつも通りに、その鈍感さに驚愕するばかりです。この「くろしお」さんばかりではなく、多くの新聞は、時の権力の一挙手一投足には、必要以上に関心を示すが、巷でどれだけの人間が、日々苦悩に苛まれているか、それを等閑視するとは、あまりにも冷酷ではないですかと、「政治」に向ける悪罵と同じような痛罵を浴びせたくなるのです。(右写真は西日本新聞・2022/08/18)(https://www.nishinippon.co.jp/image/543146/)
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