いつの日か、人は死ぬものですが。

 八月五日のニュースをネットで見ていましたら、なにかと世話になっていた友人が亡くなったという記事が目に飛び込んできました。僅か二行の記事でしたから、詳しい事情を知るべくもなかったし、亡くなったのが一日だったとありました。長く付き合ってきたにも関わらず、ぼくは彼の年齢を知って驚愕しました。六十歳だった。憲法学の学徒で、素晴らしい仕事を重ねられていました。ぼくは、四十年近く担当していた「人権問題」の授業で、いろいろな方に助けていただいてきましたが、彼もその一人で、ぼくが辞職するまで十年以上は、ぼくの無理なお願いを聞いてくれました。憲法の観点から、あるいは、裁判の判例に基づいて、さまざまな人権問題を明らかにしてくれた。その意味では、Kさんの授業では,ぼくは一人の学生としていつでも授業に出席していたのでした。たくさんのことを教えられた。

 このニュースを知って以来、なにかと思い(想い)が、彼のところに戻っていくのが如何ともし難く、気がついてみると、よく付き合ってくださったなあと、感謝の念(言葉)しか、出てこないのです。ぼくは、筆無精で、年賀状も、頂いた人に返事を書くのがせいぜいでした。K君から、いつも丁寧は年賀状が届いた。いかにも真面目な(大阪人なんです)性格がにじみ出るような文面でした。ところが、今年は届かなかったので、あるいは忙しいのか、などと気にはしながら、電話をかけるという習慣がないものですから、そのままにしていたのです。そこへ、いきなりの死亡記事でした。(この山中に越して以来、以前にもましてぼくは人との付き合いをしなくなりました。まったくの没交渉。電話も、かける要件もないので、しないまま。そのために、今回のような、無作法な知り方になることもしょっちゅうです)

 事情はどうだったか、友人や知人に問い合わせることもできるのですが、ぼくの心情はそうならないままで、本日のお葬式がやってきました。山の中から都心にまで出向く勇気というか、それが今のぼくには欠けていますので、一人静かに、これまでのご厚情に御礼を言い、安らかな休息を願い、深く追悼しているのです。(奇遇ですが、もう何年になるか、やはり憲法学の研究者で、同じ大学の教員だったNさん。休暇を利用して山梨だったか長野だったかに出かけた帰路、深夜、中央高速で「自損事故」を起こし、警察に連絡した後に、高速道路を歩行していて、後続の車にはねられ亡くなったという事故がありました。彼にも、十年ほどは授業を助けていただいた。研究は言うまでもなく、加えて、なかなかの実践派で、人権問題の裁判にも関わって、これからという段階の事故でした。まだ、五十台半ばだった)

 いつになく、しんみりとして過ごしています。今朝は三時半前に起床、猫の食事を整え、五時から庭仕事(枝落とし、草刈りその他)に二時間ほど。シャワーを浴びて朝食、また庭仕事の続きをしているところに、電話。長野の病院に入院しているOさん。入院以来、約三週間余。声に張りが出てきて、元気に回復途上であることが電話でもわかります。健康を回復し、新しい仕事にゆっくりと挑戦されるといいというような話をして、電話を切りました。人の世の常です、一方に、若く亡くなる人あり、もう一方に病から生命力を回復する人あり、です。それにしても、六十と言うのは、若すぎますね、Kさん。残念だったことでしょう。思い切り生きられたと言っても、やはりもう少しは、という望みも持っておられたはずです。

 改めて、これまでのご友誼に対して、深甚の感謝を捧げます。(本日は、ここまでにします)

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。