存在する限り使いたがるのは、何だろうか?

 核の脅威「核兵器を一切持たないことが唯一の解決策」 被爆77年の広島で国連事務総長  原爆の日の6日、広島市の平和記念公園(中区)での平和記念式典に、国連トップとして12年ぶりにグテレス事務総長が出席した。あいさつに立ち、「広島の恐怖を常に心に留め、核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないことだ」と訴えた。/ 事務総長は、原爆の惨禍を振り返った上で、被爆77年となる今、軍拡競争が加速していると指摘。「核兵器保有国が核戦争の可能性を認めることは断じて許容できない」と強調した。/ 核兵器を全面的に違法化した核兵器禁止条約を巡る動きや、米ニューヨークで再検討会議を開催中の核拡散防止条約(NPT)を「希望の光」と位置付け。保有国による核兵器の「先制不使用」や非保有国に核兵器を使わない「消極的安全保障」を求めた。(中国新聞・2022/08/06)

 【正平調】次にあげる国名と数字を見てピンとくる人もいるだろう。ロシア5975、米国5425、中国350、フランス290、英国225、パキスタン165、インド160、イスラエル90、北朝鮮40◆核兵器を持つ世界の国を、保有する核弾頭が多い順に並べた。昨年より410発減っているが、推計した長崎大は「ロシアのウクライナ侵攻で自衛のための核依存度は高まっている」と分析する◆日本でも、自民党の一部や日本維新の会から「核共有」の議論が出始めた。米国の核を日本に配備して共同運用しよう、という発想である。当然、仮想敵とみなされた国の緊張は高まる。そっちがやるならこっちも-と歯止めのたがは外れる。先日、米国の下院議長が台湾を訪問すると中国は弾道ミサイル11発でお返しした◆核抑止論は英国首相のチャーチルが述べた「恐怖の均衡」という考えに基づく。だが相手を恐怖で支配するには圧倒的な核の力がいる。その結果が、先にあげた計1万2720発の核弾頭である◆核の脅威をちらつかせ、恐怖をあおるのは誰か。いつの時代も、地べたで汗を流す人々でないことははっきりしている◆今日は広島原爆忌。地元選出の首相の言葉も気になるが、被爆地の底から届く声にこそ耳を澄ませたい。(神戸新聞・2022/08/06)(左上の図は東京新聞・2022/01/22)(ヘッダー写真はHUFFPOST/ROMOLOTAVANI VIA GETTY IMAGES)

 八月六日、広島「原爆の日」です。「投下」以来、七十七年が経過しました。国連総長が広島で「挨拶」。核保有国の管理する国連の(雇われ)番頭さんです。何ができるのかという痛ましさを痛感しつつ、そのあるべき姿からあまりにも乖離した現実に臍を噛む思いがします。「核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないことだ」という発言は爽快、いや悲壮ですらあります、国連の現実を見ないことにすれば。しかし、核保有大国が国連を牛耳って、「冷たい戦争」「熱い戦争」を繰り広げてきたのも事実で、それが広島の日の数えて、「七十七年目」に重なるという不幸を、ぼくたちは噛み締めている。

 現に長期戦の様相を見せているウクライナにおける戦争に対しても、為すところがないのが国連という機関であって、事務総長個人の問題ではないことを忘れたくありません。「喉元すぎれば、熱さを忘れる(Danger past,God forgotten.)」という俚諺があります。ぼくは、広島や長崎の原爆投下という人類史上の最悪の愚行を考えるたびに、この俚諺を服膺(ふくよう)しているのです。原爆投下(された)日を迎えるたびに、ぼくたちは「喉元の熱さ」を痛感する。そして、その日が一日すぎれば、より深く熱さも忘れるのです。七十七年という日月は、すっかり忘却するには十分すぎる時間であると感じる向きが、政治家に圧倒的に多いと言えるかもしれません。いや、「喉元」をすぎる前から、そもそも、その「熱さ」を感じない面々がいたということでもあります。「非核三原則」は考え直すべきだ、と政治家が言う。その理由はなんだろうかと、ぼくは訝(いぶか)るほかない。男も女も、政治家として「非核三原則」は改めるべし、「核保有(シェア)」を探究すべきだと、相変わらず、「核の相合い傘」を所望するが、果たして相手は、それを認めたがっているか。ならば、独自で、最新鋭の軍事力を持とうではないかといって、振り上げた拳をどこに下ろすのかな。ぼくは、「羹(あつもの)に懲りて、膾(なます)を吹く」という俚諺も好む人間です。(他国でも、Once bitten, twice shy.などと言うそうです。何かを学ぶということが欠けているのではないですか)

 半世紀前、元総理大臣が「非核三原則」を打ち出して、その功績で「ノーベル平和賞」をもぎ取りました。「核兵器はつくらず、持たず、持ちこませず」という。ところがどっこい、「沖縄返還」に際して、ときの米国大統領ニクソンとの会談で「核持ち込みを黙認する」という「密約」をしていたことが後に判明します。沖縄返還から、本年は半世紀でした。「偽り」の「非核三原則」だったわけですが、政治家の勲章意欲の飽くなき追求は、嘘でも偽りでも、吐(つ)き通せばいいのであって、平和の使者が、実は「悪魔の使い(手先)」だったということになります。この「悪魔の使い」の「甥っ子」が、銃弾で倒れた元総理でした。彼も偽りを政治信条にしてきた人間だった。「宿題はやった」と親に嘘をつくのは可愛いもの。しかし、世界に対して「偽りの政治信条」をさらけ出すのは、許し難い行為であり、それには「売国奴(a traitor)」という名がふさわしいと、ぼくは以前から考えてきました。それにしても、ある種の政治家は天性の「偽善者」であると断言できるのではないでしょうか。世界を股にかけて「偽善を振りまく」のが大政治家か。日米首脳が、歴史上に記憶されるべき虚偽人であったというのは、けっして偶然ではないし、この傾向は日米に限らず、いたるところで認められるもので、どこにおいても「(偽善の)万世一系」だと言っても過言ではなさそうだ。(右上の図は東京新聞・2022/01/22)

非核三原則【ひかくさんげんそく】=1968年の佐藤栄作首相の発言,〈核兵器はつくらず,持たず,持ちこまず〉から,従来歴代内閣によって堅持されてきたとされる核兵器に対する日本の基本政策で,国是ともいわれた。しかし,日本に寄港する米国艦隊には核巡航ミサイルトマホークが配備されているため,この原則は守られていたとは言えないうえ,2009年政権交代して発足した鳩山由紀夫内閣の指示による,外務省の調査は,日米密約の存在を認め,〈持ち込まず〉の原則が虚偽であったことが判明した。(マイペディア)

  • 非核三原則と核密約 核兵器を「作らず、持たず、持ち込ませず」という非核三原則は67年12月、当時の佐藤栄作首相が衆院予算委で表明し、翌年1月の施政方針演説に盛り込んだ。その後、唯一の被爆国日本の「国是」として扱われるようになった。しかし、佐藤政権の64〜72年は、「核密約」が成立し、核の寄港・通過を認めた時期と重なる。「持ち込ませず」は、最初から本土への核配備にしか適用されていなかったことになる。佐藤氏は74年、三原則などが評価され、ノーベル平和賞を受賞した。(朝日新聞・2009年09月21日 朝刊)

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 どこをどうひっくり返しても、ぼくにはわからないことがあまりにも多すぎます。中でも「権力志向」、あるいは「名誉欲」、「他者支配」等々、これらは、ほとんどぼくには無縁のもの(情念・passions)でしたし、今もそうです。自分でも、この点に関しては、一貫していたと思う。いいことか良くないことかは、ぼくは言わない。人それぞれの生き方の問題ですから。権力を一手に握って、どうしたいのですか。自分は戦地に赴かなくても、兵士を意のままに動かせ、「核のボタン」を押そうと思えば押せる。仮に押したとして、どうなるかを考えないのでしょうか。アメリカの大統領がいましたね、ヒロシマ・ナガサキに「原爆投下」の指令を下した当人。何十万人の人民の命を奪って、さらにその後遺症が何代にもわたり何十年の後も続く、そのような「蛮行」の主になることが、それほど「願わしい生き方」「名誉」に叶うのでしょうか。支配者というものの心中はわかりませんね。ぼくのような「愚人で結構」という人間には、この情念が湧き出る理由というものが皆目理解できない。

II

 「我が国は唯一の戦争被爆国」という言い方は、これまでどれくらい言い古されたでしょうか。要路にある人間がこの表現を使うと、ぼくは「言いようのない不愉快さ」に襲われます。広島や長崎が「唯一の被爆国」と言った直後に、舌の根も乾かないうちに、アメリカの「核の傘」を擁護するのです。「唯一の」は、どんな意味で使われているのでしょうか。永遠の「唯一」を願うのか、早く「唯一を脱したい」と望んでいるのか。ぼくは、敢えて言いませんが、この島の政治家の多くは「唯一」は売り物にはならぬと信じていると見る。情けない話だと、我ながら思うが、この島は「過ち」を認めない国だと言われても仕方がないし、決定的な過ちを起こすことを念じているとさえ思われるのです。「ヒロシマ」「ナガサキ」は、我々にとって、どういう意味を持っているのか、あるいは、それは他国にどのように写っているのか、その現実を、それこそ誤りなく見通すために何が必要なのか。「原爆の日」は、ぼくにとっては「喉元過ぎても、熱さを忘れず」と、こころすべき「日」でもあるのです。同時に、「羹に凝りて、膾を吹く」日でもあります。 

 あれば使いたがるものの、なければ使う気が起こりようがない。いや、なくても使いたがるものも、人によってはあるのでしょうよ。それにはいろいろなものがありえる。勇ましいことをほざいている政治家(政治家でなくても)にとって、それはなんでしょうか。あいつをやっつけたい、あの国を懲らしめたいと、武力(暴力)を振るう口実を作るのは、ロシアのP大統領ばかりではないのです。ぼくには理解不能の「人種」たちです。

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