文月も残り2日。葉月は目前です。 葉月空海は千筋の紺に澄み (中村草田男)
本日も「由無(よしな)し言」を綴ります。昨夜十一時すぎだったか、玄関で大きな音がして、しばらく無音、嫌な予感がして急いで駆け寄ると、かみさんが玄関の框(かまち)を踏み誤って倒れていた。いかにも痛そうにしていた。骨折でもしていなければいいのだがと、手を貸して起こしました。大丈夫かと心配していたら、彼女はそそくさと寝室にいき、床に入ったようでした。宵っ張りの朝寝坊人間の彼女にしては、十一時すぎに寝るというのだから、かなり痛かったのだろう。ぼくは「骨折」のことばかりが気になっていたが、まあなんとか、それだけは大丈夫そうでした。

どうして玄関にか、というと、毎晩のことで、猫たちの門限(あるようでない、ないようである)が過ぎたので、呼ぶために外に出ようとしたのです。これは以前からしていおり、「手を叩いて」家に入ることを促していた。これまでは割合に素直に帰ってきていましたが、数が増えたのと、今夏は特に、日中が猫にはたまらない暑さ、だから、せめて夜にでも涼むというか遊ぶということなんでしょう。猫は、夜行性動物だと思う。中には「門限(十一時頃)」を過ぎてから外に出て、朝まで帰ってこないのもいる。猫の上手を行く、いろいろな夜行性動物が徘徊している環境だからと気にはなりますが、出ていくのを閉じ込めるわけにもいかない。というわけで、かみさんは「門限だ」と知らせようとして、しっかり足元を見ないで(電気をつけないで)、框を踏み外して転んだのでした。(朝になってみると、なんとか、医者にもかからないで済みそうなので、一安心です。悪くすれば「寝たきり」、あるいは「車椅子」と一瞬考えてしまうくらいに、二人は老齢なんですね。瞬時に「老老介護」)ですからな)
人間同様に、猫でも夜遊びが好きなのもいれば、外泊はしないで、いい子になっているのもいます。最近では、近所の猫たちも様子がわかってきたのか、以前ほど「喧嘩」しなくなったのは助かりますね。噛まれたりして、何度も医者通いをしたことを思い出すたびに、「やれやれ」という気になるものです。たくさんいるものですから、動物病院も「かかりつけ」は二軒です。猫の話になると夢中になるのが多いという、ぼくにはそんな趣味がありません。このところの狂気じみた暑さが、毛皮を着ている猫には危険だという思いが強いので、夜間も少しばかりは仕方がないかと、夜遊びの容認になりがちなんですね。猫たちに「スマホ」をもたせるわけにもいかないし、事故も怪我もないことを願っています。

ただ、このところ多くの猫が競って「セミ」「バッタ」「チョウチョウ」、その他の昆虫類を咥(くわ)えては、家に入ってくることです。家の中が昆虫館のようになっています。セミは何年も土中で過ごし、ようやく地上に出て、たった一夏のいのちです、それを咥えて、まるで「口笛」のように鳴らして(鳴かせて)、成果を知らせてくるのですから、困ったもの。今のところは見なくなりましたが、蛇をくわえてきたのもいました。ムカデやゴキブリ、その他、大小の虫類をよくも見つけてくると思うほどに、毎日掃除するだけでも大変です。これが「猫と住む」生活の一部です。雨降りだと、あまり外にはいかないが、家の中でいたずらの限りです。「話し出すと夢中に」は、ぼくの趣味ではないので、これくらいに。
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長崎新聞の【水や空】の昨日版に、以下の記事が出ていました。瞬時に「キャッツ・デイズ」はないのかしらと、調べたのですが、なさそうでした。あまり感心しないのが一つ、「2月22日」がニャン・ニャン・ニャンで「猫の日」だとか。つまらんね。「11月22日」が、イイフーフだとさ。アホくさ。

【水や空】ドッグ・デイズ 夏の盛りを英語でドッグ・デーズ(犬の日々)という。この「犬」は、おおいぬ座の主星シリウス(別名ドッグ・スター)を指し、7~8月の暑い時期、この星が日の出とともに現れて、日の入りとともに沈むことに由来する▲冬空にひときわ輝いて見える星だが、真夏のうちは太陽とともに昼間の空を渡っていく。地上では犬もグッタリするこの季節、夏空の「犬」は炎天を駆ける▲シリウスの名はギリシャ語の「焼き焦がす」からきており、この星が太陽に加勢して暑さが増すと伝わるらしい。灼熱(しゃくねつ)の太陽と地上を焦がす星が“並走”する-。言うなれば、きのうはそんな日だったろう。県内の7地点で気温35度以上の猛暑日になった▲きょうもまた、熱中症の危険を伴う。週末からも気温はずっと高いらしい。なるだけ外出を避けて、なるだけ部屋を涼しくする。気を緩められない日々が続く▲ここ何年か、男女を問わず「日傘の勧め」をよく見聞きする。暑さに耐えかねて、少し前から通勤に日傘を持ち歩く人が身近にいるが、聞けばその遮熱効果に目を丸くするという▲「盛夏」と並んで、ドッグ・デーズには「沈滞期」の意味もあるらしい。新型コロナや熱中症の恐れに沈みがちだが、こまめに暑さ対策を重ね、「犬の日々」にささやかな抵抗を試みたい。(徹)(長崎新聞・20022/07/29)
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● おおいぬざ【おおいぬ座(大犬座) Canis Major】=略号CMa。α星のシリウスは全天第1の輝星で,光度-1.5等,A1型の主系列星である。この星は冬の宵空に見えるが,明け方太陽に先立って東の地平線に昇るのは夏の初めであり,古代エジプトではエチオピア高地の雨季に続くナイル川のはんらんを告げる星として信仰された。シリウスの名はギリシア語のセイリオス(焼きこがすものの意)から由来したもので,夏の土用を英語でドッグデイズdog daysと呼ぶのもこのことによる。(世界大百科事典第2版)

● ど‐よう【土用】〘名〙① 陰暦で、立春・立夏・立秋・立冬の前各一八日間の称。陰陽五行説で四季を五行にあてはめる場合、春・夏・秋・冬を木・火・金・水に配すると土があまるので、四季それぞれ九〇日あるうちの終わりの五分の一ずつを土にあてたもの。春は清明、夏は小暑、秋は寒露、冬は小寒の後、各一三日目に土用入りとなり、一八日で土用が明けて新しい季節が始まる。土用中に土を犯すことは忌むべきこととされ、葬送などはこの期間は延期された。② 一般には、小暑から立秋までの夏の最も暑いさかり。夏の土用。暑気あたりを避けるため、また、元気をつけるため、蒜(にんにく)・あんころ餠・鰻(うなぎ)などを食べる風習がある。《季・夏》(精選版日本語大辞典)
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星座はともかく、陰陽説はいかがでしょうか。当たるも八卦当たらぬも八卦といって、なんとでも言えるものでしょうが、さて、暦と天然自然の運行は、今では行き違いが大きくなるばかりで、当たらない八卦のようなものです。その代わりになるのか、天気予報がやたらに開けてきて、今では「気象予報士」なる職業が大いに賑わっています。ぼくは割に天気予報と言うか、天候が大いに気になる方で、暇があれば、天気図を眺めています。今夏の予報は専門家に任せるとして、新型コロナ禍の蔓延は、一体どこまで進行するのか、こちらは「天気予報」並に当たることがなさそうだし、専門家と言われる面々が、今になってしゃかりきに「予防」だの「感染防止策」だのと、発生初期のおのれの発言を忘れたふりをして「感染防止に」と叫んでいます。
彼らの多くは「感染研究所」の関係者で、自らの権益を守るために、むしろ、その視点でしかコロナ問題を論じてこなかったのです。今だってそう、いや、今になって「医者にかかれ、いやかかるな(どっちやね)」「いのちは自分で守れ」などと、コロナ発生初期の「自分で治せ」に逆戻りしています。ぼくには今でも、日々報道される数値が正確であるとは信じられないし、彼らの多くは、本当に見通しを持って判断しているとは思えません。なんとでも言えるというのは気楽だし、間違っても命は取られないから、真剣じゃないんだ。「マスクと手洗いと換気」、こんなのなら、ぼくだって言えるよ。(日本は「これこれだから」感染数が少ないのだ。それに比べて他国は」などと言っていましたが、今日ただいまは世界一の感染者数だとか。どういうことや?)

政府と関係者(専門家)が一体となって、国民の命に脅威を与えていると言う他ありまん。年に何度「ワクチン」接種すればいいのか、それすら基本方針ができていません。また、検査キッドの品不足は、いっときの「マスク不足」を想起させます。そう言われても、あるところにはあるんだというわけで、政府は無料で配布すると言い出しています。最近は猫も杓子も「経済を回す」とか「経済が回らない」とか、なんとかの一つ覚えのごとくに、「嫌な言い回し」を絶叫しています。これについても言いたいことがありますが、止めておきます。「経済は独楽(こま)なんかではない、回すものでも回るものでもないんです」と、一言のみ。
更にいうなら、「緊急事態宣言」に始まる「行動規制」「行動制限」は、「出す予定は、現段階ではない」という。それは政府の発言であって、地方自治体は躍起になって「宣言」を、との合唱です。いつも通りに、追い込まれて「宣言」という最悪のパターンが今から想像されます。国民の健康と命、この両者を、現政府は守る気がない、いや守る予定もないのです。昨日の報道では、「平均寿命」が下がったという。東北大震災以来の現象で、「コロナで死亡」が響いているとされています。さすれば、さらに平均寿命は短くなりそうです。「各方(おのおのがた)、自分の命は、自分で守る」、それが鉄則です。
これまた、昨日の一つのニュースで、持病を抱えている男性(八十三歳)が、コロナ陽性と判定、自宅訪問の医師の判断で、患者は危機的状況にあるというので、救急車を要請。なんとその救急車は、患者を乗せて病院探し、百軒をこえる病院から入院を断られたという。こんなことが、この時代に各地で起こっているんだ。助かる命を助けるために、とかなんとか言いますが、病院が、急患や重篤な患者を受け付けられないんですから、話になりません。こんな事態にありながら、「国民の命を守る」という悪い冗談がまかり通っているのが政治の世界。
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亡き元総理の「国葬」を取り仕切るのは、あの会社だそうです。「DEN✗✗」とか。元専務で五輪組織委員会理事が、捜査の対象になっているさなかの国葬問題。ぼくは、この会社の草創期からの経緯を調べたことがあります。設立資金に「麻薬で得た金」が入っていたとも言われた。なんと防衛庁にも食い込んで「武器購入」にも大きな役割を果たしています。この企業は、まるで国家機関の手足のごとく、しかし時には頭脳のごとく、実に微に入り細にわたって、国家機能・機関を動かしてきたのです。この妖怪企業が取り仕切った「五輪」がどんなものだったか、解明はいまだしという感がありますが、この「闇」「謎」を明かさない限り、この島は立ち上がれないかもしれない。いや、立ち直れないでしょう。
ある特定の宗教団体との癒着は「政権与党」に限りません。ということは、ぼくがいつも言うように、この社会では一つの政党を除いて、他はすべて「与党」だということの証明でもあるでしょう。この「宗教」団体と権力サイドとの結びつき(癒着)には、韓国政府筋も、アメリカ政府筋(CIA)も、深く関与しています。ことの始まりは朝鮮半島侵略に行き着くのです。「反日本帝国主義」→「半植民地侵略」→「反共産主義」というベクトルが、入れ子のように絡み合いながら、日本人信者を資金源として、植民地化された復讐(日本人信者からの収奪)と、それを踏まえた(超えた)「恩讐の彼方」での、「反共)という一致点による交流交際が、今日の政治問題に直結しているのです。ぼくがいつもいう、この島社会の「えにぐま・ENIGMA」です。

はるかな昔の記憶の彼方の出来事です。ぼくが現役(教師まがい)の頃、学生が何人も「原理講論」とか言った書物を持って、研究室にやってきました。これを読んでくれ、教主(文鮮明)はとてつもなく優れた宗教家で、とかなんとか、実に熱心に「ぼくを信者にしよう」としたのだったか。今でも、ある一人の学生の顔を鮮明に記憶しています。名前も忘れていません。やがて、ある駅頭で、「霊感商法」なるものをしているのを見かけたこともあります。まったく話が通じなかったことが、今も感触として残っています。大学は、格好の「信者狩り場」だったのでしょう。その後には、ある狂信的教団への勧誘が盛んに行われていました。「オウム真理教」といっていた。たくさんの学生が巻き込まれたのでした。
この大学では、さまざまな学生の活動が認められていましたが、ぼくのところにやってきた学生の何人もが、その後行方不明になったままです。宗教という語は religion です。それには religio という原義があります。「切り離す」ということを意味するようで、この信仰団(圏)内に入ると、他とは「会話」ができなく(通じなく)なるということでしょうか。よく信仰を勧めるのに「折伏(しゃくぶく)」という言葉が使われました。とくに、日蓮宗の一派の新興宗教団体ではそうでした。それは「勧誘」などという生易しいものではなく、強引に「拉致」せんばかりの、激しさがあった。これも、住む世界が異なる、異邦人になるというということを示しているのでしょう。
●折伏=「仏語。悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせること。摂受 (しょうじゅ) と共に衆生を仏法に導く手段」 「転じて、執拗に説得して相手を自分の意見・方針に従わせること」(デジタル大辞泉)
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・朝々に供華とりかふる文月かな (吉武月二郎)
・文月や野に瓜食めば火は流(くだ)れり (金子兜太)
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