He that will lie will steal.(嘘つきは泥棒の始まり)

 【雷鳴抄】「教育と愛国」に思う 後世に語り継がれる政治家の演説がある。故ワイツゼッカー元ドイツ大統領が第2次世界大戦後40年の1985年に連邦議会で行った「荒れ野の40年」はその代表格だろう▼「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」。ナチスによる犯罪などの歴史を直視するよう国民に呼びかけ、日本を含め世界に深い感銘を与えた。この一節が脳裏に浮かんだドキュメンタリー映画を見た。小山市の小山シネマロブレで公開中の「教育と愛国」である▼歴史教科書の記述や採否を巡る政治介入の実態などにさまざまな角度から淡々と迫る。「歴史から学ぶ必要はない」と語る教科書執筆の歴史学者の一方で、戦争加害を教える教師へのバッシング。ある大手教科書出版社は歴史記述を契機に倒産へと追い込まれる▼スクリーンでは生前の安倍晋三(あべしんぞう)元首相がシンポジウムで「教育の現場を変えていく」と訴える。実際に「政府の統一見解」に基づく記述をするよう教科書検定基準の改定などが行われた▼「教科書や教育は一体誰のものか。多くの人が語り合ってほしい」。監督を務めた毎日放送(大阪)の報道情報局ディレクター斉加尚代(さいかひさよ)さん(57)は望む▼現代に盲目ならば未来を見通すこともできないだろう。映画は近年の政治と教育の距離感を学ぶ最適な「教科書」のように思えてならない。(下野新聞・2022/07/24)

「教育と愛国」(予告編)https://www.youtube.com/watch?v=HlCTKXvRm-o (ヘッダーの写真も)     (下の新聞記事は「赤旗」:2022/05/17)

 昨日もこの問題(「愛国教育」)に触れました。「政治勢力と教育問題」あるいは「国家主義と学校教育」というテーマは、明治以降、つねに大きな社会問題になってきました。一言で言えば、「愛国教育」ということでしょうが、この言葉(表現)が示す内容は、さまざまに広がりや深まりを持っているものであり、「これこそが愛国教育だ」というものはないと、まず断言しておきます。国家権力者の持つ教育観にしても、すべてが同じだということはありません。極めてリベラルな考え方を持つ人もいれば、ガリガリの保守主義の立場に閉じこもっている政治家だっています。それが当然なのですが、ときには、勢いを得て、とつぜん「国家主義」「全体主義」の嵐が吹きまくることがあります。「戦時下」は言うまでもありませんが、平時においてもそのような危難が生まれる(生み出される)ときがあります。その時、多くの人民は「異を唱えない」のはどうしてだろうかと、いつでもぼくには疑問が消えないのです。何、ほとんどの人は自分のことでなければ、学校や教育に興味なんか持たないんだと言うことでしょうか。その間隙を縫って、一大勢力が地歩を固めるのです。

 これを、ぼくは「時宜を得る」といってきました。あまりなじまない表現ですが、この二十年ほど、この島の政治状況はたしかにそのような事態を経てきたと思う。だれとはいいませんが、敗戦後から半世紀以上が経過し、「先進国」「経済大国」と持て囃された時期が過ぎ、いやが上にも「国力」(それを表す指標はいくつもありますが、まずは「経済力」、ついで「軍事力」。それに比較はできませんが、一つの国の姿を示す大きな視点として「文化」というものを、ぼくは出しておきたいのです。「文明」ではなく、「文化」。この「文化」は、他国との優劣を競うことはできないし、数字で評価することもできないもの。人間で言うなら、人柄、性質、優しさなどといったところか)、その「国力」が著しく落ちてきた時期にあたっています。この場合の「国力」は単純化して言えば「経済力(GDPなどと称されるもの)」です。自由主義圏にあって、世界の二位とか三位と言われた「経済力」が「釣瓶(つるべ)落とし」のように劣化してきた時期にあたります。その反対に「中国」が経済力も軍事力もアメリカを追いかけ、今や追いつこう、追い越そうという段階にある。あの中国が、そんなやっかみ気分が、この島のある部分に横溢しているんですね。冗談じゃない、あんなくににの恋人を廃するとは、認めがたいことという、根拠の怪しい「悲憤慷慨」なんでしょうか。

 あろうことか、その中国と、これまで「植民地化した」という前歴・前科を責められ続けている韓国、北朝鮮を「仮想敵国」ならぬ、「現実敵国」として標的にし、この島の地盤沈下はそれらの国々の「野放図な覇権国化」「日本敵国視」にあると、まことにお門違いの「藪睨(やぶに)み」にあったのです。そこで登場してきたのが「愛国教育」でした。何度も言いますが、「愛国」にはいろいろな表現の仕方があり、人それぞれです。しかし、権力政党派の歴々の「愛国」は、どういうわけだか、アジアの盟主にこの島がなる(あるいは「脱亜入欧」の再現か)という事大主義で、そのためには「目障りな」「目に余る」いくつかの国を敵視し、いつかは打ち負かす、その前触れが「愛国教育」という号砲一発の処断でした。まずは「教科書検定」で、意向に沿わない教科書や、そんな教科書を編集する会社は潰すに限るという、乱暴極まる悪行・悪政が続いてきました。この学校教育への「土足の侵略」は「教育基本法改正」(2016年12月)を奇貨として遂行されたのでした。

 「経済大国」「軍事大国」「文化・伝統大国」という、尺度も方向も定かでない目標を大声で叫びつつ、議会で圧倒的多数を占める一大勢力が集結する事態になったのです。官民合体の「右旋回」への一大集結を果たしたのが、この十数年のことでした。この事態に大きな力を果たしたのは「強い男待望」「マッチョ志向」の国民の一群であり、そのような国民をそそのかす悪知恵を持った「政治家まがい」がのさばりだしてきたのでした。詳細は省く。日教組を潰し、国歌国旗法に反旗を翻す教員を現場から追放し、挙句の果てに、教育行政の中立化を完膚なきまでに破壊して、文教政策の国家管理の一元化を成し遂げたということです。この段階にあたっていた時期に生み出されたのが、関西のテレビ局製作の「愛国と教育」でした。2017年だったか。ぼくはその放映を見ることができた。そして、この映像は何十年も前にあったものが、装いを新たに、今日に登場したという感想を持った。「昔の名前で出ています」という趣向でしたな。

 「日本を取り戻す」「戦後政治(レジーム)の総決算」というお題目は、いまに変わらず唱えられていたのでした。何も目新しいものはない。教科書検定に際しては、検定する側の理不尽・不当な要求に直面しても、いまでは社会的な問題にすらしないし、ならない。歯向かう異分子を撲滅していった結果、あらゆる段階で「学校正常化」「教育正常化」「教育行政正常化」が成就したということかもしれない。その裏側で、学校から奪われ、失われたものは「教育」という、「子ども成長を促す」という何の変哲もない、当たり前にすぎる「機能」だったといえば、あまりにも「おそ松くん」というほかないことになります。

 「歴史に学ぶ必要はない」という歴史学者がいるというのは、まるで「コーヒーにコーヒー豆を入れなくていい」という珈琲会社の経営者のようで、これぞ「アンチ・ブラック」と、少しも笑えない、怒れない、泣くこともできないという点では、あらゆる思考や感情を凍らせる装置のような存在です。幸いにして、教科書で学んだことで、役に立ったなと思われるものは何一つなかった。ぼくは劣等生でしたから、不勉強は許されたのかもしれない。でも、優等生足らんとするものだって、学ぶというのは記憶(暗記)すること、試験が終われば忘却の彼方に捨てていいのですから、捏造歴史教科書や「贋造道徳」の教科書を使った授業などで、なにか致命的な障害・悪弊が残されるとは思わない。ただ、けしからんのは、好き放題に、都合よく改竄・偽装された教科書が学校で使わるということです。それだけでも断じて止めなければならないと、若い頃は、「家永裁判」などに首を突っ込んだことを、今更のように思い出しています。

 学校は「政治教育の場」です。政治にはさまざまな要素や色彩がありますから、たった一色だけ(単色)の政治色は「不毛」だなと、つくづく思うのです。(どうでもいいことですが、昨日の夕刻、拙宅前の雑木林から、驚くほど大きな虹が出ました(それだけ近間だったというだけ)。ある詩人の「虹の足」を諳んじていました)

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● 家永教科書裁判=東京教育大学、のちに中央大学教授(出訴当時)であった家永三郎が、自著の高等学校日本史教科書『新日本史』の検定不合格処分や条件付き合格処分を不服として、教科書検定制度憲法の保障する表現の自由、検閲の禁止、学問の自由などに反すると主張し、国などを相手どって提訴し30余年にわたって行われた裁判。/『新日本史』はすでに1950年代から執筆・編纂(へんさん)され使用されていたが、1960年(昭和35)の高等学校学習指導要領改訂に伴う検定申請(1962年度および1963年度)に対して検定不合格処分および条件付き合格処分(その後不本意ながら再修正して合格し、5訂版として発行)が下された。これに対する国家賠償請求事件が第一次訴訟(1965年6月提訴)である。/ 第二次訴訟(1967年6月提訴)は、1966年(昭和41)の部分改訂申請が、5訂版検定の際に助言的性格のB意見(当時)に沿って修正した箇所をもとの記述に戻したことを理由に不合格とされたのを不当として、その取消しを求めた行政訴訟である。/ 第三次訴訟(1984年1月提訴)は、いわゆる「侵略」「進出」問題、「日本を守る国民会議」による教科書『新編日本史』発行など社会科教科書検定を巡る新たな状況のなかで、1978年の高等学校学習指導要領改訂に伴い全面的に書き改めた『新日本史』の検定申請(1980年度新規、1983年度部分改訂など)に対する条件付き合格処分等について提起した国家賠償請求事件である。(以下略)(ニッポニカ)

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 教育、あるいは学校教育は誰のために存在しているのか。言わなくても答えは明らかであると、多くの人は考えている。教育は「国民を作る」ためにあると。ほんとうにそうでしょうか。そのとき、「国民とは何か」、それが問われなければならない。果たして、それは問われてきたのか。そんなことは自明の理だという多くの人がいる。ぼくは「国民」という言葉は知っているし、使っているが、その内容は自明でも明白でもない。ぼく自身、この島社会に住んでいるが、日本国の「国民」だという意識は曖昧であります。日本の領土内で生まれ、日本国籍者であるという、それだけの理由で、ぼくは「日本人」「日本国民」であるのであり、それを否定する理由はありません。また、そのことを積極的に主張はしないし、絶叫もしたくありません。

 国家・国民というものをできるだけ意識しないで生きていたいという、ささやかな願い持って生存しています。もし、国家権力の横暴に反対するのも「国民」だと言うなら、たしかにぼくは「一人の国民」だ。「国民の一人」ではなく、「一人の国民」です。同じことになるのか、「日本人の一人」ではあるが、正確に言うと「一人の日本人」だと言うつもりです。「国民」とか「日本人」という塊(かたまり)、集合体の一部などではなく、一人の日本人であり、一人の国民であるという意味では、他の人々と同じように、まず「塊」に閉じ込められていない存在として自らを規定しておきたいな。いつでも「塊」から、足を抜いておきたい。

 「国民」を作る、日本人というアイデンティティを持った「国民」を作るという、その中身はどんなものですか。政治家によって、権力を有するするものによって「千差万別」だとするなら、そんな曖昧模糊としたものに作り上げられてたまりますか、という「人間の抵抗」というものをぼくは失いたくないね。ときには「赤」になれ、時には「黒」になれと、色鉛筆ではあるまいに。

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。