教育に関心を持つ政治家はどれだけいるか

 【雷鳴抄」政治家の基本 文教行政に明るい元政治家が渋い顔で語り始めた。「今や教育に関心を持つ政治家は激減している」。教育関係者を集めた講演会での発言に、会場は静まり返った。「教育を充実させる施策を掲げても、もはや政権にはプラスになりませんから」▼教育予算の軽視は今に始まった話ではない。国内総生産に占める公的支出の割合は、経済協力開発機構の加盟国で常に最低水準。だが、政治家は金は出さなくても、国力に直結する教育行政には関心を持ってきたのではなかったか▼「激減」の種明かしは簡単だ。1986年に46%だった18歳未満の子どもがいる世帯は、2019年には22%に減少。約8割の世帯は教育施策への関心を失い、政治家にとって票田としての魅力が薄れた▼高等教育予算を増やせば、歓迎されるどころか恩恵を受けない有権者に疎まれ、逆に支持率を落とすとさえも。若年層が軽視されるこうした「シルバー民主主義」の問題に加え、「22%」の内側でも深刻な変化が生じている▼近年の教育機関などの調査では、「親の収入によって子どもに教育格差が生じても仕方がない」と考える人の割合が増え、経済弱者の声が政治に届かなくなりつつある▼教育格差にこれ以上目をつぶるのか否か。そこには明確な争点が存在する。政治家は今こそ基本に立ち返る時だ。(下野新聞・2022/07/13)

 その昔、「文教族」という種族が永田町に棲息(跳梁跋扈とも)していました。今も探せばいるのでしょうが、いっときほどの存在感がなくなったのは、コラム氏が書かれているような状況や現実があるからだと思われます。(永田町というところは、驚くほど「族」の多いところで、文字通りに「多族議員」社会であります)しかし、それ以上に、学校教育にかかわる政策や行政が、ときの政権与党の軍門に降ってしまったことのほうが、より大き理由のようにも考えられます。「教育は票にならない」とはよく言われてきましたが、いまでは集票努力をしゃかりきにしなくても、多くの選挙民は「政権与党」「保守党」の応援団になっているのですから、おのずから、よほどの失政でもない限りは「票田」は確保されているとも言えるでしょう。「教育に関心」といいますが、一体その「教育」はどんなものなのか、それが問われなければならないのは言うまでもありません。でも、多くの場合は、ぼくの拙い経験から言えば、「訊くだけ野暮」ということのようでした。一例です、あの「日の丸・君が代」問題に関して、政府の方針に反する行為は、一網打尽で処分し、反対するものがなくなった段階で「教育正常化」と称するような、驚くほどの偏向教育観・教師観でしたね。

 その反面では「教員組合派(日教組)」の牙城だった「学校・教育関係票田」が、戦後一貫して保守層の敵視・敵対政策に遭遇し、ついにある時期には雪崩を打って右旋回をしてしまい、本体は瓦解に近い損壊を被ったことが響いています。ある時期には、組合選出の議員が何人にもいたというのですから、その凋落ぶりには目を覆いたくなるものがあります。「組合派教員」の激減を称しても「教育正常化推進」といったものでした。この「教育正常化」は、一体どこまで行けば、完成成就となるのか、「教育の国家管理」の証明のような事態が進みましたね。いったい、組合派の勢力が、どうしてそんなに右肩下がりになったのか。いま「(公立学校)教師集団の組合」はいくつあるのでしょうか。組合離れも、一方では相当に進んでいます。日教組に限ってみても、かつては「管理職まで組合員」だった時期は論外であったとしても、概ね七~八割程度の組織率を誇っていました。現在では二割がやっと、非組合員教師の激増です。かくして、個々の教師は、職場においても孤独・孤立を託(かこ)っているのです。さらに、民間企業と同様、正規採用教員の激減は非正規教員(非常勤教員・時間講師など)雇用の激増で穴埋めされており、一層、教員の支援組織が求められる時代に反して、弱化、弱体化の進行が押し留められないという惨状を呈しています。教員の長時間勤務も、ほとんど改善される兆候が見られません。各地で教員になりたいという大卒資格者の数が大きく減少しているのも、一面ではうなずけるし、多面では教育危機の現れと、明るい展望がいだけそうにないのです。

 教員組合(日教組)と文教族の「熾烈な戦い」は、戦後教育史の、重要な一章をなしており、その激烈ぶりは、往時の語り草になりましたが、いまは「右へ右へと草木も靡く」時代で、学校教育は難問山積の上に、少子化に伴い、教育予算は低い水準で抑えられたまま。いわば、針のむしろ状態に、子どもも親も教師も置かれている始末です。しばしば比較される防衛予算は、少なくともこの数年以内に倍増が計画されています(GDPの2%といいますから、約十兆円余)。文教族変じて(取って代わってか)、やおら防衛族(国防族)の台頭というべきでしょうか。おそらく学校教育は「銃後の守り」部隊よろしく、防衛費と足並みを揃えていましたが、いまや、著しい時代錯誤をものともせずに「しこ‐の‐みたて【醜の御楯】」と位置づけられた感があります。ここでは触れませんが、2006年12月に教育基本法が改正され、「愛国教育」が学校教育の眼目に据えられたともいえます。「夢よもう一度」というのは誰ですか、「悪夢はもう嫌だ」という空気が湧いてこないのはどうした風の吹き回しのせいでしょうか。義務教育は無償という憲法の規定を、いまでは高校や大学にまで適応すべきときにあると思われますが、それすら、日の目を見ていないのに、世界第三位の「防衛費」です、いったい、どこと「戦争する」のか、「戦争したい」のか、それが聞きたいですね。

 上述したように、紆余曲折を経ながら2006年12月に教育基本法は「改正」されました。詳細は省きますが、教育の国家管理の強化だと言ってもいいでしょう。この「改正」を遂げたのが、先般、「凶弾」に倒れられた方の第一次内閣時代でした。言ってみれば、教育の国家統制は、「戦争のできる国」の橋頭堡の地ならしだったのです。だから、「基本法改正」は積年の宿願達成だったと言ってもいいでしょう。「教育」や「学校教育」の充実などにはおよそ関心を持っていなかった人々が、政権与党の「文教族」をなしていたのですから、いまや「政治の季節」が終わった学校教育に、熱意や情熱を示す必要がなくなったのです。「旧文部省対日教組」の戦いの跡をたどることに意味がそれほどあるとは思われませんが、戦後の教育行政が、どのような方向を目指していたかがわかろうというものです。個人の尊厳・個人の自由の「過大な尊重」「自由の履き違え」が、この国の行く末・将来を危うくするという「憂国の情」があまりにも強すぎたし、「戦い」が終わってみれば、その「憂国の情」が、どれほどのものだったかが手にとるようにわかります。

 「戦争ができる国」「自衛隊のままでは不十分」「当たり前の攻撃能力を備えた軍事国家」などなど、実に勇ましく、教育の国防への繰り入れこそが、「憂国の士」の「憂国の情」だったと、その結果を知ってみれば、「国防」「防衛」は言うまでもなく、学校・教育さえも食い物にしていたといえます。「教育は国事」以外の何物でもないと言いたいんでしょうね。かくも、個人が押し潰されている。「個より公」と言われますが、その「公」は古い表現を使うなら「公地公民」の「公」であって、けっして「パブリック」という意味での「公」ではなかった。公共というものの捉え方がこれを鮮明にしています。「国家・公(おおやけ)」に奉仕するのが、「新しい公」に求められている像だとする。公と私に関しては、いろいろなところで述べました。個人よりも国民を、それが「人間像」として突き出されたのでした。

 「今や教育に関心を持つ政治家は激減している」「教育を充実させる施策を掲げても、もはや政権にはプラスになりませんから」と元政治家の発言を、コラム氏は紹介しています。ぼくは、霞が関や永田町に「教育関連の要請」などでしばしばでかけたこともあり、官僚や大臣に向かって、その要請の趣旨を訴えたこともありました。もちろん、無駄骨を折っている(糠に釘)のは重々承知をしていました。政治家や官僚というものの実態・実像を観察する格好の機会だったといえます。現役時代に、担当していたゼミの卒業生で文部省(当時)にはいった人がいた。文部行政の本山がどういうところかを自分の目で確かめたいというのでした。そしてその実態を見極めたのでしょう、一年経って、きっぱりと辞めた。いまは千葉のある地域で「学習塾」を開いていると聞きました。更に他の省庁に入った卒業生も何人かいました。さて、彼や彼女の現実はどのようなことになっているのか、ぼくは付き合いが良くないから詳しくはわかり兼ねますが、辞めた方あり、継続して働いている人あり、人それぞれの生活を営んでおられるようです。

 極めて単純な言い方をするなら、国家機構(政府や官庁)は「税の公平な使用・は配分係」です。取税と国防、これは「国家機関」の基本の役割で、その他は民間を含めた諸々の司に任せるべきだというのが、ぼくの愚感です。国家機構・国家機関が、異様に力を振り回すと碌なことがありません。その典型は「戦争」でしょうか。戦前に「天皇機関説」を唱えた法学者が国家から処罰されました。まったく当たり前の法理を述べただけであっても、時の勢いは、ところかまわず暴力を振り回して、この国を破滅にまで追い込んだにも関わらず、「悪夢よ、もう一度」と近隣諸国のいくつかと「一戦を交える」腹積もりで力んできたのでした。それに付き従うように、この二十年、あからさまに、この社会の風儀も経済状態も、個人の尊厳もないがしろにされてしまったと、ぼくはいまさらに痛感しています。失われた三十年と、誰がいい、何を失ったのか、誰も明らかにしないままで、また新たな「失われた二十年」をやり過ごしてきました。前例を見ない「借金経営」で国家破綻が寸前と言われるところに来ています。国家破綻によって人心惑乱の度は、一層深められることになるのは目に見えています。

 「教育」というものは学校や家庭だけに限らないのであって、いつでもどこでも、社会の至るところに「教育の機会」があるのですが、残念ながら「教育は学校で」という押しつけが改まらないままで、学校教育も閉塞状況が行き着くところ、極まるところに来ています。「国家の再生」を、第一に言うのではなく、自らの人生を誰彼の指図を受けないで、自分の足で歩きながら生きていく、そのために最低限度の「教育力」を我が身に育てることが、いまもなお、強く求められているといいたい。「国家のための個人」ではなく、個人のための「国家という機関・制度」、この視点を取り逃がしたくないものです。なぜいまさら、こんなことを言わなければならないのか、書きながら、おかしな時代、憂鬱そのものの社会に生きているなあ、と実感しつつ、呆れ返ってもいるのです。

 この駄文を書き始める前に、役場などにでかけて「税金」を収めて(ぼくの言い方では、「取られて」です)来ました。大枚、五万円余(一期分です)。なけなしの有り金から、この先何期分もの「納税」が待機している。金の話はしたくないけれど、少しは「真面目に、税の執行を」と切願しているばかりです。払いたくない税金を取られた後だけに、いつにもまして「駄文の『駄』が色濃く出ている」と、我ながらに思う)

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。