政治は「誰のため、何のため」を問う

 是非を問わぬ政治の背信 元総理の「国葬」が閣議決定された。「顕著な業績を遺され」という痴遇礼賛報道が垂れ流され、「国会を愚弄した」政治姿勢(Politeness)に寸分も触れないのは、きわめて偏向した評価だ。「故人を悼む」方法は、理に適えば、御託は並べない。だが、「国葬」となると、胡散臭い上に、焼香や合掌しないのは「非国民」という空気を醸す。「国家」を突出させたい理由は何か。「建国記念の日」が制定された折、国民は「挙って祝え」となった。「国旗国歌法」の、学校現場に強制はせぬという「建前」は、瞬時に「君が代」の起立斉唱の強制・強行に一変し、異論は封殺された。「借りを返したい」現総理が、卓越した存在と、故意に誤認したかの「国葬」は筋違いで、過去の政治活動の是非を不問に(とぼくには映る)、「国葬」を騙るのは「政治の独善」というほかない。いったい何をしたか、人民のために。「凶弾に斃れる」不遇を好機と捉える、不埒な向きが多すぎる。(「愚見しかいわない」第一回:2022/07/16)

 (「痴愚神礼讃」岩波文庫版)

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。