トラやパンダも!「棚田アート」見頃 高知県本山町 今年のえとのトラを浮き上がらせた棚田アート(本山町吉延) 田んぼをキャンバスに稲で絵を描く棚田アートが長岡郡本山町吉延地区で見頃を迎えている。同地区を含む町南部の田は農林水産省の棚田遺産に選ばれており、生産者は「アートと一緒に棚田の美しさも感じてほしい」と呼び掛けている。/ ブランド米「土佐天空の郷(さと)」を生産する吉延営農組合が毎年実施。生産者ら約30人が5月下旬、赤や黄などに色づく苗を4カ所に植えた。/ 標高350~400メートルにある棚田には、今年のえとのトラのほかパンダやトンボなどが鮮やかに浮かび上がっている。近年は、交流サイト(SNS)で知った県外観光客の姿も目立つようになったという。/ 棚田アート目当てのリピーターも増えているといい、高井豊歳組合長(74)は「遠くから来てくれた人とのやりとりが楽しくて、励みになる。アートをきっかけに棚田のことをもっと知ってもらいたい」と話している。(谷沢丈流)(高知新聞・2022/07/12)(ヘッダーはベトナム・サパの棚田風景:https://www.pitt.jp/report/vn-sapa.php)
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かなり前になりますが、取材を兼ねて、この本山地区の隣町まで出かけました。大豊町です。とても苦心してたどり着いた記憶があります。その際には、本山の棚田には残念ながら足を延ばせませんでしたが、高知の農業がまさに「天空」の田畑でなされるのを目の当たりにして、吃驚したことが何度もあります。それにしても標高八百五十メートルもの高地から、どれだけの苦心の蓄積、あるいは技術の積み重ねで「棚田」が作られ維持されてきたのか。これは、それだけでじゅうぶんに驚嘆に値しますし、この島の誇るべ灌漑・治水・石垣積み技術の結晶といえますし、それを大切に保ち続けた継続のちからではないでしょうか。

房総半島にも、鴨川の大山千枚田があります。耕地面積の狭い国土ですから、上へ上へと田畑にするための土地を求めて、ついには「天空農業」に至ったのでしょう。詳しくは述べませんが、稲作づくりの歴史は、それこそ島の歴史そのものを語りつくす趣があるものです。こんなとことを書いていながら、この半月ほどはまったく「コメの飯」を口にしていないのですから、罰当たりだと自覚してます。減反政策はなお継続中で、年々、収穫量は減少しています。この先に、新しい展望が稲作に見えるのかどうか、大いに不安のあるところでしょう。

この「田んぼアート」、どこで、何時頃始まったのか、よくは知りませんが、以前に住んでいた近所でも、かなり知られた「田んぼアート」の主が、毎年精巧な「作品」づくりをしては、見物客を楽しませてくれていました。棚田だけでも一見の値打ちがあるのに加え、そこに「アート」を創造するという農家の心意気に動かされ、それじゃあ、「一日三合」のコメの飯を食べてみようと、いえないところがぼくのいけない部分ですね。どこかで触れましたが、このところ、毎日のように「ざるそば」を食しています。蕎麦を茹(ゆ)でて、薬味をふんだんに使い、ワサビもたっぷりと、それに天ぷらの付け合わせです。新型コロナ禍以降、ほとんど外食しなくなりましたので、もっぱら「家蕎麦」専門というところです。

蕎麦好きの理由は「食が進むから」という点もあります。蕎麦と同様に「コメの飯」がどうしたら口に入りやすくなりますか。ひと工夫すべきところですね。この駄文を書いたことをきっかけに、早速に「天空の郷」というお米(「ヒノヒカリ」)を注文してみよう。5kgで、なんと四千円ほど。常食しているコメ(千葉産米・フサオトメ?)の二倍はします。耕作地が「高い」から、値段も「高い」、生産地も「高い地(高知)」やからね。まるで「三高」ですね。もちろん、生産者の苦心や、その丹精込めたコメつくりを思い、標高八百メートルを超えたところで取れるコメ、そんな意味では「希少価値」があるということでしょうか。そんな貴重なコメ、どうして口に入れることができましょうと、思いかねない自分がいますな。
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本日も(四日続けて)「デモクラシーの所在」ということを書いてみようと用意をしていたのですが、ネットを漁っていて、「棚田アート」に遭遇したのを幸いに、一瞬で切り替えました。「デモクラシー」は、また後日に。さらに、いま少し足を延ばすと方々で「矢車草」が咲きだしていますので、それを材料にしたいとも考えていました。なんと本日(7月12日)は、ある説によると、「誕生日の花」がそれだそうでした。矢車草、「花言葉は優雅・幸福」だといいます。戻り梅雨のような曇天が続き、凶弾テロで「元総理」が倒されるという、けっして「優雅・幸福」といえるような日々ではなく、いかにも重苦しい、明るくない日が続いているので、思い切り「矢車草」に親しんでみたいとしみじみ思ったところでした。実に清楚で、しっとりとした木の姿、花の形がいいですね。ぼくは「浪人の身」として、すでに十年を生きていますから、毎日の「誕生日の花」とその「花言葉」に精通するようになりました。諸説が入り混じっているところがいかにも花好きな人間の多さを語っているのも好感が持てます。ささやかな人生を、ひたすら地に足つけて、つまりは地道に生きていきたいという積年の切願です。はたして「ささやかに」をまっとうできるかどうか、こればかりは自信をもって言い切ることはできませんが、こともなく、そんな「平々凡々」の日が過ごせることを願うばかりです。
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