「情報満杯社会」の漂流民に?
原理的にいえば、資本主義というのは資本をもたない労働者の労働力を(商品として)雇った資本家が利潤獲得を目的に経済活動する体制をさします。さまざまな定義や解釈が可能ですが、ここでは深入りはしません。ようするに商品の売買による利潤の追求を最大の目的とした競争的な経済体制ととらえておきます。

経済は商品を生産するのと同じような意味で人間(人材という)をも生産します。学校は新しい世代を教育して経済社会に送りこむことを機能としてきましたし、今日もその事情は、いささかも変わりません(教育の統合化機能といわれるもの)。子どもたちを教育するというのは「商品」として労働市場に供給するということで、まぎれもなく学校教育は「経済活動」をしているといえるでしょう。子どもたちを経済社会向きに「生産」する一連のプロセスは純粋に教育的な見地でなされるのではなくて、利潤の追求や生産の管理という経済原理によっているのは明らかです。むろん、教育活動が経済活動と同じであるというのは、いささか言い過ぎの嫌いがありますし、経済と教育がまったく同じ原理で機能しているというつもりもない。だが、少なくとも両者は密接に関連していることは否定できないのではないですか。
表面的にみても、学校教育における成績や偏差値(数字)重視は、まぎれもなく経済における数字(生産数・売上高など)信仰に対応しているとまではいえるでしょう。さらにいえば、学校教育が自立性を確保しているとはとても思えないのも事実に近いのではないか。したがって、経済の拡大・拡張が右肩上がりで進行していく時期に、学校教育もそれに歩調を合わせるように進学率や競争率が上昇し、政治によって学校規模の拡大状況が作りだされました。(少子高齢化社会が、これまで通りの経済社会の価値に基づかないのは言うまでもありませんし、それは諸々の経済指標の「右肩下がり」に厳然と現れています)

このような現象がこの国で、過去半世紀以上にわたって持続したことはいくつかのデータや数字の示すところです。学校教育のかかる軌跡はなにをあらわしているのか。端的にいえば、制度のすべてをもって経済大国・経済立国を標榜した国策に奉仕させられたという意味です。学校こそが人材生産の工場となったと指摘する人は少なくありませんでした。それがいけないかと、間違っているといえないのは当然で、国家社会の形成者を生み出すという学校教育の目標からすれば、資本主義経済の社会・国家であるからには、当然のことでもありました。
商品市場をめぐる経済活動が活溌になり、科学・技術の飛躍的な「進展」によって各分野の産業規模が大量生産・大量消費(大量廃棄)のシステムを作りだして拡大してきました。それに連動するようにマスコミ(マスメディア)が成立し、学校教育もこれまでに見られないような普及を遂げた、その結果として出現したのが「大衆社会」というものでした。大衆社会というのはどんな社会(集団)をいうのでしょうか。それが生みだすいくつかの共通点が考えられます。第一に、大量生産とそれを支える大量消費のサイクルが完結されているということです。そこでマスコミがはたした役割は絶大でした。単純化して言うなら、大規模で執拗にくりかえされる広告宣伝が消費者に対する共通の購買欲を喚起し、そこから消費生活の画一化・規格化が促進されました。

一面で、大衆社会は一人ひとりが平均化され、それぞれの個性を失っていく状況を生みだしたといえます。また、現在の生活水準を維持することが最優先される結果、現状維持の意識や態度が蔓延します。それが都市への人口集中をともなって加速された。あるいは生活に対する、現状に対する保守性をもたらしたともいえるでしょう。その反面で、従来型の共同体、ゲマインシャフト(血縁・地縁的つながり)的な社会集団は解体されたのです。感情の交わりを根拠とした一体化が阻害され、都市に集住する人びとの間には孤独・孤立意識が深められることにもなりました。
第二次大戦後のアメリカ社会の状況を「孤独なる群衆」というキーワードで活写したリースマンは、大衆社会というのは「他人指向型」社会であり、そこには「内部指向」が見られなくなったといいました。産業化の進展が都市化をうながし、そのために伝統や歴史が日常生活の基盤になっている地域社会が崩壊したのですが、孤独で不安な一人ひとりをやすらがせるような、新たな社会集団の成立は見られませんでした。
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● リースマン・David Riesman(1909―2002)=アメリカの社会学者。フィラデルフィア生まれ。ハーバード大学卒業後、会社員、教師、地方検事補、弁護士の職を経てシカゴ大学社会科学部教授(1949~1958)、ハーバード大学教授(1958~1981)に就任した。その後同大学ヘンリー・フォード2世社会科学講座名誉教授。アメリカ社会学会理事(1956~1957)、アメリカ研究協会理事(1953~1960)を歴任。アメリカン・アカデミー賞受賞(1954)。彼の名を一躍有名にしたのは、代表作『孤独な群衆』(1950)であり、そのなかで「伝統指向型」「内部指向型」「他人指向型」という三つの人間類型を設定し、第二次世界大戦後の受動化したアメリカ中間層の社会的性格を「他人指向型」と類型化した。また人間類型の設定を深化させるため、『群衆の顔』(1952)で実証的に調査研究をも行った。さらに、アメリカの資本主義に関するT・B・ベブレンの制度的研究を批判し、新しい個人主義を主張した(『ソースタイン・ベブレン』1953)。彼の個人主義論、パーソナリティ論、現代社会論、教育論、余暇論、大衆文化論に関する洞察は、独創性に満ちている。ほかに『個人主義の再検討』(1954)、『何のための豊かさ』(1964)、『ハーバードの教育と政治』(1975、S・M・リプセットとの共著)、『高等教育論』(1980)、『二十世紀と私』(1982)などの著書がある。2002年5月10日ニューヨーク州ビンガムトンで死去した。(ニッポニカ)
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ぼくたちが生きている時代はこの大衆化をいっそう加速させて来ているのではないでしょうか。今日は「情報化」社会だといわれます。はたしてその実体はなんなのか、ぼくには定かではありませんけれども、大量で多様な「情報とかいうもの」が満ちている大海には一人・一人は寄る辺なくも浮游しているような感覚をもちます。情報の荒んだ海に漂流している「孤独な群衆」の悲しそうな、頼りなさそうな姿が浮かんできます。もちろん、ぼくもこの「情報の荒んだ大海」の漂流民であることを否定しませんが、できるだけ波打ち際から離れない「ヤドカリ」のような生き方を求めています。大量に生産される商品を選ぶのは消費者の判断ですが、多彩な商品群のまえで選択の自由は確保しているという錯覚に陥っています。フレイレは大衆社会とは「エリートによって操作され、ものを考えない、管理されやすい群衆に変えられてしまう社会」だと断じています。それが情報化の急速な展開によって促進させられているのが現状でしょう。

すでに七〇年代に、アメリカの社会学者であるダニエル・ベルは工業化の社会のあとに到来するのは情報化社会であると予測していました。いまその詳細には立ちいりませんが、いわゆる情報革命がもたらした種々の技術革新によって、わたしたちは否応なしに情報化の波に洗われているというのが現状です。情報化というあたらしい社会状況が出現したから、工業化のシステムがなくなるわけではありません。従来の産業システムが情報化の進展によってその装いを改めるという意味です。いつでもそれ以前の気分の上に、新たな地層が形成されてきたのです。脱工業化というのは、工業から離れるということではなく、それをさらに期bンのインフラにして新しい技術を開発してゆくということを意味します。
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● ダニエル ベル Daniel Bell(1919.5.10 -2011.1.25)米国の社会学者,ジャーナリスト。元・コロンビア大学教授,ハーバード大学教授。ニューヨーク生まれ。青年期において、社会主義運動に参加。「コモンセンス」「フォーチュン」などの雑誌編集に携わり、1958〜69年コロンビア大学教授、’69年ハーバード大学教授を経て、’80年から、ハーバード大学ヘンリー・フォード二世記念講座・社会科学教授。アメリカ芸術科学アカデミー・西暦2000年委員会議長等各種委員を歴任。著書に「イデオロギーの終焉」(’60年)、「脱工業社会の到来」(’73年)などがあり、新保守主義の代表的イデオローグとしての地位を確立し、未来学的な脱工業社会論を展開している。(20世紀西洋人名辞典)
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第一産業も第二次産業も第三次産業の勃興によって生産の仕組みを変えることはあっても、産業自体は残りつづけます。それは人間の生存にとって不可欠の産業だからです。この産業の分類はイギリスの経済学者であるコリン・G・クラークのものですが、産業構造の移行 ― その内実は第二次産業の興隆は第一次産業の縮小をもたらす、同様に、第三次産業の勃興は第二次産業の縮小を招来するとします ― は国民所得の増大をもたらすと彼はいいました。もちろんここには経済活動が大きな利潤を獲得することを目指すという資本主義の原理が働いた結果でもあるでしょう。(しかし、事態はそんなに単純に推移してきたとは思われません。いろいろな企業の大規模・機械・自動化が実現された半面、それ以前に従事していた人員は、現場では余剰となり、新たな職種に吸収されてきたのです)
いずれにしても、ぼくたちの社会が情報化社会に到っているのは事実です。しかし「情報化」と言われている割には、それがどんなもので、いかなる影響を個々人の生活や思考に与えているか、十分には把握されているとは言えない状況のままで「情報化」らしき状況が蔓延しているともいえるでしょう。ここで問題となるのは、大衆社会の内部で生じている「情報化」現象は、そこに生存する人びとにどのような意識の変化・変貌をもたらすかということです。またそのことと切りはなせない問題として、学校教育においてどのような事態が進展しているのかが問われるのです。なぜならば、かかる状況を生みだすのに学校教育は大きな役割をはたしたし、ひるがえってそのような状況から深刻な影響を学校教育は受けざるをえないからです。

工業化社会は高度な技術革新を不可欠な要素として拡大してきました。科学技術による新たなテクノロジーがつねに要求されたからです。順次に作りだされる技術の変化は産業現場に、それまで見られなかったあらたな職種を創出し、それに適応した技術者(傭員)を要求しました。具体的には職業における分業化と専門化を導いたわけで、そのような新規の労働力を供給しつづけたのが学校教育であったのです。
いつの時代にあっても、学校教育は、社会的生産関係を再生産するはたらきを課されるものですが、工業化や情報化はさらにその傾向を強めたといえるでしょう。情報量が増大し、増大の速度が迅速になるにしたがって学校教育は致命的な打撃を受けてしまっているとぼくは考えるのです。情報化、デジタル化などと聞こえはいいのですが、旧態依然の学校環境で、果たして十分な効果や機能を期待できるかどうか、ぼくは疑問に思うところです。教科「情報」の現状を見ればお寒い限りですから。
以前には想像もできなかった情報量の増大は、どのような変化を社会全体にもたらした、もたらしているのでしょうか。教育の質的な変化という視点を通して、この状況を把握したいものです。情報過多社会は、その情報を分け持つ(共有するともいう)ことに汲々として、知識を自分で生み出す(knowingからknowledgeは生み出されるのです)ものとは考えられなくなる、そんなお粗末な社会でもあります。考えることが苦手な人々で満たされる社会であり、やがては情報氾濫の渦に沈んでしまう、難民を産出する社会でもあるのです。(左上図は経団連提供のもの)
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以上のようなことを漠然と、しかし長いスパンを取ってみていたさなかに、「通信障害」という今日の「情報化社会」の基礎インフラの大きな事故がこの数年の間に立て続けに生じてきました。その都度、何とか「障害を克服」して、一応は事なきを得ている状況に至っている見られますが、それは表面上でのことであって、「情報の海」の深部には深刻な危機がいつでも潜在していることが、いろいろな障害(情報漏洩や通信障害など、あるいハッカー集団の出現など)によって、徐々にその大きさと深さが知られつつあるのです。この「情報化」の災厄に関してはさまざまな領域で多くの人が証言をしていますから、ここでは、素人は深入りをしません。


リースマン、ベルと名前をあげたら、もう一人忘れてはいけない人がいます。アルヴィン・トフラーです(左写真)。ぼくは彼のいくつかの代表的な著作を若いころに熱心に読みましたが、中でもよく分かった気になったのは「第三の波」でした。つまりは農業・工業と続いて、さらに今日、大きな文明の波が襲来していると訴えたのでした。その第三の波こそ「情報化」というものでした。
こうしてみてくると、情報化とか、デジタル化、あるいは「知識社会」の到来をいち早く予測・待望し、それに備えるべき知的状況を整備してきたのがアメリカの知識人であり、それを支えるアメリカの産業界だったことがわかります。情報化とはアメリカ化だというのは過激に過ぎますが、それはかなり実態を表しているのではないでしょうか。この先も、少なくとも「情報化」「デジタル化」はさらに促進されるでしょうが、それはまた、民衆の意識レベルでは、リースマンの言う「孤独な群衆」をさらに深刻なものにする時代でもあるということです。あるいは「孤立する群衆」の時代の坂道を、ぼくたちはブレーキのない車で、ひたすら降り下りていると言ったらどうでしょう。
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● アルビン トフラー(Alvin Toffler)1928.10.4 -2016.6.27)=米国の未来学者。ロックフェラー財団顧問。ニューヨーク生まれ。溶接工時代に労働組合関係の雑誌に投稿した事から、ジャーナリストとなる。ホワイトハウス担当の政治労働問題記者として活躍後、1959〜61年「フォーチュン」誌の副編集長となる。コーネル大学客員教授やロックフェラー財団顧問としても知られる。ニューヨーク大学やマイアミ大学などから名誉博士号の学位を贈られている。著書に「文化の消費者」(’64年)、「第三の波」(’80年)などがある。(20世紀西洋人名辞典)
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「人工知能」ではなく、「人間の知能」が再生し甦生しなければ、おそらく「情報の荒海」で揺蕩(たゆた)うことは終わらないし、さらに漂流する難民が続出するに違いありません。情報化問題の素人の悲観論だと取られるかもしれませんが、果たしてそれで終わるのでしょうか。情報化がどんなに進んだところで、「工業」は言うまでもなく、「狩猟」や「農業」労働は消えてなくなることはないのです。いつの場合でも技術革命や革新(イノベーション)は、それ以前の「技術」「技能」の上に作り出されてくるものであり、その基盤がなくなれば、根拠地、あるいは基盤を失うことになるのは必定です。今現在、「狩猟」「農業」を笑いはしないけれど、時代おくれと揶揄する向きがあるとするなら、自らの頭上に降ってくるためにこそ「天に唾する」、そんな愚か者というべきでしょう。人間の歴史や文化は、あたかも地層のような具合に形成され蓄積されてきました。その際上層部に咲いたのは「最新の文明」といわれる、ぼくに言わせれば、ある種の「徒花(あだばな)」です。「咲いても実を結ばずに散る花。転じて、実 (じつ) を伴わない物事。むだ花」(デジタル大辞泉」ということです。「新しがり」創出は即座に「時代おくれ」の大量生産になる、そうしなければ経済活動が機能しなくなるからです。

ぼくは「未来学者」ではないし、ましてや「予言者」でもありません。しかし、現に誰もが(かどうかは疑わしい)浮かれているような「情報化文明」という「徒花」には、それほど気をひかれないことは告白しておきます。世を挙げて「徒花」に狂喜乱舞しているさまを見ると、ぼく自身は、大いに遠慮しながら、それを遠見する、あるいは傍観するほかないのです。しかし、現実に生きているかぎり、その「徒花」に歩調を合わせることを強いられるのも事実です。でも、どこまで行って、もぼくは「狩猟・漁撈」や「農業」文化の上に自らの人生を据えていますから、「科学技術」や「情報文明」の余得には可能な限りで接近しないようにするのを専(もっぱ)らにしています。

今回の「通信障害は、たんに携帯やスマホの接続不具合などではなく、もっと深いところで、深刻な危機が温存されていることが露呈されつつあるのです。「孤独な群衆」「孤立する群衆」の寄る辺なさを、はしなくも露呈させたような気がします。インフラの基盤に据えられた感のある「IT化」「デジタル化」の掛け声は、ぼくたちの想定しえない広い領域で、もはや交代できないような事態にまで突き進んできたのです。今回は、そのごく表面にとどまったかのように見える「障害」だったかもしれませんが、極端に脆弱な「万物の捕捉(ネット化)」のための網羅作業は、いつどこで亀裂を大きくするか誰にも予測できないのではないでしょうか。大変に興味もあり、生活に密接にかかわる問題であるだけに、等閑視することはできません。それらに関しては、いずれ近いうちに。(ヘッダー写真はJAXAによる)
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