
【有明抄】「貧幸」に戻れるか かなり刺激的な提言である。脚本家の倉本聰さんが「老人よ、電気を消して『貧幸』に戻ろう!」(文藝春秋6月号)と呼びかけた。地球環境の危機を前にして、しびれを切らしたように、貧しい時代を経験した高齢者に行動を促している◆貧幸とは「貧しいけれど幸せ」。現役世代はきょうの経済、あすの景気ばかりを考え、一向に眠りから覚めない。ならば壮年は放っておき、地球環境の改善を老後の、最後の仕事にしようと、87歳の倉本さんは賛同者を募る◆少し歩けばテレビのボタンは押せるのに、歩くエネルギーを節約しようとリモコンを発明した。そうしたサボりを「便利」と呼び、代替エネルギーを使ってきたと指摘する。中には現実的には難しいと感じる内容もあるが、承知の上での提言だろう◆早くも梅雨明け、猛暑日のニュースが届く。冷房利用の増加などが見込まれ、東京電力管内では全国初の「電力需給逼迫(ひっぱく)注意報」が出された。テレビは「スタジオの照明を少し落として放送しています」とお断りのコメント。夏本番はこれからで、熱中症に気をつけながらの節電生活になりそうだ◆倉本さんは右往左往する社会をしかめっ面で見ているかもしれない。持て余すほどの「便利」を根本から見つめ直せ、と。貧幸の時代に戻れるかは分からないが、重い問いかけである。(知)(佐賀新聞・2022/06/30)
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目の前に一冊の本がある。「清貧の思想」(草思社刊)。今から三十年前に出ています。著者は作家の中野孝次さん。年齢的には倉本さんほどではありませんが、七十四歳の時の出版でした。何度か読みましたが、内容はさまざまな生き方を求めた西行や兼好、光悦や芭蕉、あるいは池大雅や良寛などの、その「清貧に生きた人生」をたどりながら、自らの生き方を改めて問い直そうではないかという、そんなことが書かれています。感銘を受けたとか、独特の視点だというのではなく、取り上げられた時代社会に生きるというのは、当たり前に「清貧の思想」を実践することであったし、それで何の不思議もなかったというばかりです。(ヘッダーは、・ヘンリー=ソロー自作の家があったウォールデン湖の風景)

「いま地球の環境保護とかエコロジーとか、シンプル・ライフということがしきりに言われだしているが、そんなことはわれわれの文化の伝統から言えば当り前の、あまりにも当然すぎて言うまでもない自明の理であった、という思いがわたしにはあった。かれらはだれに言われるよりも先に自然との共存の中に生きて来たのである。大量生産=大量消費社会の出現や、資源の浪費は、別の文明の原理がもたらした結果だ。その文明によって現在の地球破壊が起ったのなら、それに対する新しいあるべき文明社会の原理は、われわれの先祖の作り上げたこの文化ーー清貧の思想ーーの中から生まれるだろう、という思いさえわたしにはあった」(同書)
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● 中野孝次 なかの-こうじ 1925-2004=昭和後期-平成時代のドイツ文学者,小説家。大正14年1月1日生まれ。昭和39年から56年まで国学院大教授。51年「ブリューゲルへの旅」で日本エッセイスト・クラブ賞,54年小説「麦熟るる日に」で平林たい子文学賞,63年エッセイ「ハラスのいた日々」で新田次郎文学賞。平成4年簡素な生活を説いた「清貧の思想」が世の共感をよびベストセラーとなる。12年小説「暗殺者」で芸術選奨,16年「風の良寛」「ローマの哲人セネカの言葉」などで芸術院恩賜賞。現代ドイツ文学の翻訳や現代文学評論もある。平成16年7月16日死去。79歳。千葉県出身。東大卒。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)
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以上の部分を書いたところで、所用があって出かけました。ホントは、本日の駄文を書き終えたかったのですが、かみさんの調子も悪く(熱中症まがい)、そちらにも気を取られてしまって書ききれなかった。野暮用とは、どこかで触れましたが、「免許更新」のための「認知機能検査」と高齢者講習などのためで、約三時間かかって、今しがた戻ったところです(午後一時過ぎ)。認知機能検査についても、いろいろといいたいことはありますが、詰まらないのでやめておきます。また視力や視野の検査など、それに実車による検査がくわわって、それで約三時間。今回が二度目の「認知機能検査」「高齢者講習」でした。経験者からすると、日本社会(その正体は警察か、公安委員会か)は、老人から免許証を取り上げるためのさまざまな「嫌がらせ」をしてきましたが、さらにそれがエスカレートして、いよいよ、「老人は車に乗るな(運転するな)!社会」の到来ですね。どこに住むか、それがまったく問われないで(問うたところで処置なしですが)、とにかく一定の年齢以上は車社会から「脱落」か「脱却」しろといわぬばかりの、実に嫌な風潮の蔓延を感じます。細かいことは省きますが、老人には何かと国家財政上の負担が過大であるから「あまり長生きするな」ということでしょう。「少子高齢化社会」と言い出されたのは、もう三十年も四十年も前のこと、その時は、いいこと半分(高齢化)、よくないのが半分(少子化)で、両方を勘定すると長生きは世のため後代(後世)のためにならぬということがはっきりとしてきたのです。

ここまでは序論ですが、あまりにも暑さがひどすぎるので、端折ります。そして今は故人の中野さんと、健在高齢者の倉本さんの「一家言」です。何事にも、いっぱしの論を持っている、あるいは批判的言辞を隠さない面々を「一家言ある御仁」というのでしょ。「その人独特の意見や主張。また、ひとかどの見識のある意見」(デジタル大辞泉)というらしい。お二人に共通しているのが、社会の現実や実相に対していかにも賢そうな批判であり、提言ですが、果たしてどうか。文明社会のメリットを謳歌しつつ、今なら、さしずめ「便利(コンビニエンス)」をもとにして成り立っている社会の表面に、昔の名前で顔を出すような雰囲気で「清貧」だとか「貧幸」などということをおっしゃるのです。それに異論などはないが、賛成するからではなく、そんなことははじめから分かっている人は実践済みだし、そんなことを意に介さない連中には「糠に釘」という始末であるということ。
「清貧の思想」がベストセラーになるという現象を、ぼくは実際にその中で見ていましたが、それは「清貧の生き方」をしたい、しようという人が想定外に多かったからではありません。「西行や兼好、光悦や芭蕉、あるいは池大雅や良寛」たちを、今の文明化(便利な)社会に持ってきて、どうだこんな風に生きた人がいたんだぞという、我が邦の歴史の一面を評価しただけだったのですが、それがあまりにも自然に密着し、環境の恩恵によって生きていることに、そこからあまりにも離れすぎた現代風の人間たちが驚いただけではなかったか。
「少し歩けばテレビのボタンは押せるのに、歩くエネルギーを節約しようとリモコンを発明した。そうしたサボりを『便利』と呼び、代替エネルギーを使ってきたと指摘する」倉本さんは、その「サボリ」に乗っかって大流行・大拡大してきたテレビで仕事をされた人でしょう。都会文明のあまりにも土から遊離した虚しさに反旗を翻して「北の国から」を生み出し、それが受けたのは、都会の視聴者に、ではなかったでしょうか。それをいいとか悪いといっているのではなく、「便利」という桎梏、あるいは「鎖」につながれて生きるのが都市での生活だという、もっとも根っこの部分には「批判の矢」は届いていないのです。それは批判はできるけれど、そこからの離脱は、生きるという現実からの「敗北」を意味するからでしょう。

ぼくは携帯もスマホも持ったことがない。それがなければ成り立たない現代社会生活で、それを持たないことは、その「現実生活」からの離脱・追放を意味するでしょう。だから、ぼくは、半分以上も「離脱」「脱落」「追放」を余儀なくされて生きているのです。携帯なんかなくても生きていけるという時もあったでしょうが、身分証明のために「携帯番号」がなければ何かと不便、という以上に、生活に支障をきたすのです。ぼくはそれを見越して生きている。車は便利だ、しかしそれ以上にそれがなければ日常生活に障害が生まれているのです。それにもかかわらず、(老人にとってだけは)脱車社会だとかなんとか言って、年寄りから「足」を奪っておいて、社会は正常に機能するんでしょうかな。今は節電節電と、誰だか知らないが大合唱している、その半面でエアコンは控えめにといっていた矢先、何ともえげつない酷暑に見舞われ、熱中症に恐れをなしてか、「適度に冷房を」と言い出す始末。ばかばかしいので開いた口が塞がらない。「節電」を言うのなら、終日営業のコンビニや、自販機などをどうして問題にしないのか。省エネ、節電といっておいて、「電力不足に見舞われたから、やっぱり原発の稼働」という話で、これも馬鹿に付ける薬はないというばかりです。
江戸時代に戻るのでもなく、鎌倉や室町に帰れるのではなく、今を生きるしかないではないか。つまり、「今に(を)生きる」というのは「便利の連鎖」につながれるほかないということであり、それを拒否すれば、埒外の存在とされるということです。ここにも「同調圧力」「過同調」なるものが認められるし、そこから外れることは「外れサル」よろしく、孤独に苛(さいな)まれて死んでいくほかないのです。

「老人よ、電気を消して『貧幸』に戻ろう!」と倉本さんは言う。よろしい、まずご当人から実践されているのでしょうね。「清貧の思想」というのは、この島の「誇りうる文化」と中野さんは言われた。その通り、しかし室町や江戸にとどまらない選択をこの島の住民たち(先祖たち)はせざるを得なかったのだし、それを「生活の進歩」と理解したからこそ、焚火から蝋燭、蝋燭からランプ、ランプから電気へとエネルギーの源を求め続けてきたのでしょう。なぜ「老人よ、電気を消して」というのか。若者や壮年はいいのかと、減らず口を叩きたくなります。
大いに「酷熱」で脳細胞を犯されていますので、言いたい放題となるのです。それは昨日の広河氏の「三百代言」に怒りが収まらない余波かもしれない、彼はぼくと同年代です。あるいは同じ大学だった(かもしれぬ)。社会に対しては可能な限りで「崇高な理念」を掲げて、さっそうと報道・戦争カメラマン・ジャーナリストを誇示していた。大言なる壮挙だったともいえます。それでは、告発された行為そのものもまた、「崇高な理念」と、なぜ公言しなかったのか。実に不思議とするところ。実態が暴露(告発)された途端に、「空言・虚言」を繰り出したのでした。潔くないし、第一恥ずかしいこと限りないではないか。「やったことを認める」ことが、そんなに沽券にかかわるのか、と惰弱で怠け者のぼくは言いたい気もします。

輝かしい仕事の陰に「疚しい秘め事」があったとするなら、それが公然となるや「謹慎」「社会的抹殺を受けた存在」と、ぼくに言わせれば「開き直り」ですね。その高名なジャーナリストを持ち上げ、提灯を持つ面々(男女を問わず)が五万といます。中にはぼくの知り合いもいます。それはともかく、「清貧」「貧幸」の勧めは結構ですが、もっと大事なのは、「誠意」や「誠実」という人間の付き合いの「調味料」みたいなものが、今の時代の「便利の連鎖」(これにつながれることは、ある種の苦悩を経験することでもある)から消え去っていることです。「人情砂漠」という言葉があるかどうか、ともかく「人所」を持つだけ野暮だし損だといわぬばかりの非人情の社会です。そのことをこそ、ぼくたちは心し・恥じなければならないのではないでしょうか。
ぼくの家にもエアコンはあるが、夏場にはつけたことはない。「節電」のためではなく、要らないからです。当たり前に三十度は越えています。暑いのは、いやになるほど暑い、猫もくたばっています。しかし幸いにして、日が陰ると風が出て、涼しくなる。夜は布団をかけないと寒いくらいです。ここだけは、兼好や西行の時代さながらですね。しかし、人情紙風船という言葉は、彼らの時代にはなかったでしょうね。吹けば飛ぶような「紙風船」で人間の世界は成り立っている、実に弱弱しいこと限りなし、です。

コンビニとか便利というのは、今では、受け身生活の連鎖の要(かなめ)(環)になっています。「便利だ」「好都合」といっているうちに、それがなければ、たちまちに生活に支障をきたす。まるで都市ガスや水道水や電気のようなもので、それがなければ、そもそも都市生活は成り立ちませんし、地方だって事情は変わらないでしょう。とするなら「電気を消して、幸せになろう!」といって、果たしてどこで暮らせばいいのですか。あるいは、まずは「北の国」からと、倉本さんは言いますかな。電気もない、ガスもない、水道だってありゃしない、おらーこんな村いやだ、と言って否かを飛び出した、東北の「おっさん」がいましたね。あるのがいいのか、ないのがいいのか、さて。
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