信仰は空模様、信心・信念・崇拝と変幻自在だ

 【北斗星】「A君を帰せー」。学生時代、住宅街の一角で仲間と共に大きな声を上げたことがある。学生運動が既に下火の1980年代初め。それでもアジ演説をするヘルメット姿の学生はまだ残っており、その言い方をまねて叫んだ▼A君は同じ下宿の学生。約1カ月も学校に行かず、下宿に帰らず、統一教会の建物で合宿生活していた。息子の異変を知って駆け付けた両親に「何とか連れ戻して」と懇願され、冒頭の行動に及んだ▼当時、学生が入信の勧誘を受ける機会はそれほど珍しくはなかった。教団関連のサークルから辛うじて抜け出した体験を語る同級生もいた▼安倍晋三元首相を銃撃し、命を奪った山上徹也容疑者の犯行の背景には世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への強い恨みがあったという。霊感商法で社会問題となった旧教団名を耳にしないと思っていたら、いつの間にか名称変更していた。何事もなかったかのように存続していたことに驚く▼国会議員らが教団の「広告塔」を務めてきたことが問題視されている。政治と教団の関係を見直すのが当然だろう。ところが自民党幹部からは「何が問題か分からない」との発言が飛び出した。何とも理解に苦しむ▼40年前は教団側と押し問答した末、どうにかA君を取り戻すことができた。ただ彼の手には教団関係の本が大切そうに抱えられていた。退学して実家に帰ることになった彼がその後どうしたのかは分からない。いまだに忘れられない鮮烈な体験だ。(秋田魁新報・2022年7月31日 )

 昨日も触れました。教師まがいの仕事をしていて、授業以外でも、学生と付き合うことは多かったと思う。ぼくは教職課程の授業をずっと担当していたので、自分の所属学部以外の、全学の学生(担当授業の履修者)との交流がありました。それなりの相談や悩み事を打ち明けられたことも多かった。中でも、楽しい思い出ではないものとして、第一に、学生と新興宗教(と言っていいのか、あるいはカルト集団と断定すべきだったか)の関わりに関して、当人からも親からも相談を受けたことがあった。今問題になっている「世界平和統一家庭連合」(旧名は「統一教会」、この名称変更には卒業生で、元文部大臣を務めた政治家が関与していると報道されています)は、おそらくぼくが、この種の問題で関わりを持った初めてのことでした。詳細については、話す気もしません。大学は「人拐(さら)い場」であり「安寿と厨子王」の世界でした。

 当たり前に考えれば、「雨が降れば天気が悪いのだ」と納得しますが、「信仰」と一言で言っても、そこにはいろいろな要素が含まれます。「教祖は偉大だから、雨を止めることができる」、あるいは「金輪際、雨を降らさないのだ」ということがあるのかどうか、その昔は「雨乞(あめごい)」と称して、村びとが挙(こぞ)って、祈ったという。何度か祈れば、一回ぐらいは祈りが通じたかもしれない。それが「信仰」の根拠になったとは思えませんが、そんな素朴なものから、この壺を買えば、このネックレスを買えば、たちまち金運がついて回る、そんな商売が後をたたないのです。この世には「霊感商法」まがいが溢れています。「美人になれる」というものから「気持ちよく痩せられる」「いつまでも年を取らない」などなど、当たり前に生きていれば、騙されようがないにも関わらず、人間には「騙されたい願望」があるのです。それが信心、信仰ということになると、なかなか面倒でもあります。大学に入りたての頃、急性の病気で入院したことがありました。その病室の隣のベッドの患者のところに、今は政治も兼業しているある教団の信者がやってきて、「こんな病気になるのは信仰信心が足りないからだ)とか、悪口の限りを尽くしていのを聞いたことがあります。これが「折伏か」と、ゾッとしたことがあります。その後、まもなく、ぼくはその教団の開祖だった牧口常三郎氏のものを読む機会がありました。「創価」という主張でした。彼は教師であり、また民間伝承研究の徒でもあり、柳田國男さんの研究会の常連でした。(話が逸れました)

 「どうせわたしを騙(だま)すなら、騙し続けてほしかった」(バーブ佐竹「女心の唄」?)「結婚」を詐欺の手段にする手合が消えてなくならないのも、その証拠の一つです。「騙されやすい」から「騙されたい」に、そして「信じたい」から「信じるものは救われる」というところまで、一直線に行き着いてしまうのでしょう。人間の「心理」、あるいはそれは「弱さ」でもあります。「自分の足で歩くぞ」という人は、驚くほど少ない。「正直者に神が宿る」とばかり、正直に信心するから、「騙されている」とは微塵も思わないのです。信仰、と一口に言うのは危険でもあるでしょう。信仰を出汁やネタにして、いろいろな奸計(策略)が張り巡らされている、それが世の中です。こんな事を言うと信仰者に怒られれそうですが、依存心の現れでもあるのが信仰、それは酒や薬に頼るのとは決定的に異なるのでしょうが、でも、「頼る」「依存」という一点では、五十歩百歩か。自由であるとは、別の表現を使うと「不安」です、その不安から逃れたいために飛び込むのが「信心」で、それは自由の放棄でもあることはほとんどですね。

 ここで、それを簡単に分類するのは誤解を生みやすいのですが、辞書を借りて言っておきます。信仰とは①〔神信心〕faith;②〔一般に信念,信心〕belief;③〔崇拝〕a cult などを表していると見られます。問題の「家庭連合」は、はっきりと言うなら③の「カルト」に該当するのでしょう。

  カルトとは、以下のように概説できるでしょう。カルトかカルトでないか、その区別は明確ではありません。キリスト教とみられるものでも、ときには武器を持って「反社会的行為」に及ぶ場合があるからです。少し視点が変わりますが、同じキリスト教徒でも、「中絶」は死んでも反対という強烈な過激派もいる。信仰自体は変幻自在・融通無碍でもあるでしょう。何でもあり、それが実態です。「イワシの頭も信心から」という習慣がこの社会では、隅々まで生きていました。ある人は宗教は麻薬だといった。目がさめるときもあるし、そのまま無自覚で頼り切る、依存状態に落ち込む人もいる。したがって、信仰の一種である「カルト」はどこまで言っても「カルト」であるのではなく、人により、ときにより、それは「依存と自立」の葛藤であるとも言えるでしょう。「統一教会」(現「家庭連合」)などは、外部から見れば、どうしようもない「反社会的な疑似宗教」です。しかしそれに取り憑かれると「至福」の状態をもたらす「絶対宗教・絶対信仰」となる。両者の距離は親子兄弟でも埋まらないほどに深く決定的でもあるのです。

  1. 1Cカルト(◇反社会的な擬似宗教),狂信的教団;狂信的カルトの信者たち
  2. 1aC異教,にせ宗教;〔集合的に〕異教徒
  3. 1bCU((形式))(ある特定の)祭儀,礼拝形式
  4. 2C(…の)礼賛,極端な崇拝;(一時的)熱中,流行,…熱≪of≫;崇拝[礼賛,熱中]の対象(デジタル大辞泉)

 ぼくは、何人もの学生が、この「カルト」に率先して入信してゆくのを傍観していたわけではありません。しかし、結果的には「為すすべがなかった」というほかありません。暴力に訴えてでも、「入信」を止めるべきであったともいえますが、ぼくが止めることができたとして、その「カルト」が存在する限り、同じ轍(てつ)を何百回も踏ふまなければならないのですから、最後は、当事者の判断する力に頼ることしかできないのです。公称(というのか)、現在の信者数は三十万人とも言われています。日本におけるカトリック信者の数十倍、いや数百倍です。誰が見てもとはいえませんが、ごく普通の感覚を持っていれば「怪しい」「危ない」というような「集団」から、多くの政治家が献金や選挙応援やその他の供与を受けていたと言われています。それを、堂々と公表し、「そのどこが問題かわからない」と嘯く政治家も一人や二人ではない。ここまで、腐りきった政治社会になっているともいえます。家庭不和、一家離散、自殺などなど、多くの悲劇が生じているにも関わらず、この有様です。挙げ句に「銃撃」事件の勃発です。

 並べるのは悪い(どちらにか)ようですが、この集団と暴力団、名前を変えれば、ただの社会集団だと言い募ることもできるのです。それをいいことにして、さまざまな供与を受けていたかもしれない、その見返りは何か、それを(関係する人たちの)誰も知らない、誰も考えないはずはありません。この教団の発端に深く関わっていたのが、銃弾に倒れた元総理の祖父であり、元右翼の「大物」とされた「日本船舶振興会」代表だった人物です。その関係が断ち切られないまま、戦後も続いていて、はしなくも今回の「銃撃事件」発生という不幸を招いて、初めて多くの民衆が知ったというのも、ぼくには驚きです。じつは、政治家などの殆どは事情を知っていて、権力とタッグを組んでいるから、やばい橋も平気で渡れるのだ、その程度の認識で付き合っていたのでしょう。「ネズミ講」などの悪徳商法で、被害者が続出しているにも関わらず、その「悪徳団体」から有形無形の援助を受けて、恬として恥じないのが、多くの政治家です。

 信仰の自由は、当然認められるべきです。しかし、その「信仰」にはいくつものグラデーション(gradation)があり、それを明確に分離することはできないと、ぼくには思えるのです。辞書的には既述したように、「①〔神信心〕faith;②〔一般に信念,信心〕belief;③〔崇拝〕a cult )となりますが、自らの信念が神の信仰に重なる場合が当然あるし、絶対的な崇拝の対象が「(啓示宗教や仏教の)神や仏」、あるいは教団を創設し教派を開いた人物などということも当たり前に見られることです。ぼく個人で言うなら、道元や親鸞は大好きです。しかし、彼らが開いた教団(曹洞宗や浄土真宗)の信徒ではありません。信徒になる必要性を感じないでも、彼らの教えから学ぶことができるのです。 

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 このような問題を考える時、ぼくはいつでも「イエスの方舟」に呼び戻されます。詳細は以下の記事を参照。「『イエスの方舟』の娘たちは今 中洲のクラブ、38年の苦楽乗り越え幕」西日本新聞・2019/12/25)(*https://www.youtube.com/watch?v=UfdH2HhoUE8

この「イエスの方舟」報道も、実に下品なものでした。詳しくは書きませんが、宗教や信仰が絡むと、人間(すべてとは言いませんが)は平気でいられなくなるのかもしれません。おもしろおかしく報じ、しかし当の本人たちは「真剣そのもの」だということは痛いほどわかるのです。だから、この種の問題は、人間存在のエアーポケットのようで、なかなか超えがたい課題でもあるのです、信仰と狂信の誤差は。当人にとっては「紙一重」であるのでしょう。「尊敬」と「崇拝」も同様で、興味がない者には分かり難いのです。しかし、ことは「反社会的な行動」を取る集団(教団)だったらどうか。「イエスの方舟」事件当時も、問題の発生から社会問題の様相を呈してくると、社会全体が「勧善懲悪」の権化のようにバッシングに走るのでした。ぼくにはよくわからないところです。おそらく、この島の往時、「キリシタン禁制」に際して取られた政策・制度にも、今に変わらない「邪宗」「邪教」「異宗」「異門」叩きがあったのです。あるいは鎌倉時代の「新興宗教・仏教」弾圧もそうです。これを「正統と異端」といいます。「正統」を巡る争いでもあります。負ければ「異端」です。でも「正統」は、いつでも「正当」であるとは限らないのです。まるで「勝てば官軍、負ければ賊軍」のような扱いでもあります。

 もう二十年以上の昔、ある要件で福岡に出向いた時、当地の校長たちに誘われて、その当時、中洲にあった「シオンの娘」という店に誘われた。なんだかとても懐かしい気がしたことを覚えています。店の従業員は、すべてが「イエスの方舟』の信者でした。店の経営者は千石イエス氏の奥方。(この中州の店は2019年に閉店。現在は別の場所で開業中とのこと)ぼくの知り合いの校長たちは、夜な夜な、この店に通っていたんですね。「イエスの方舟」の元信者さんたち「シオンの娘」たちの狂信的な信者だったか。ぼくは、このお店で、ゆったりと「シオンの娘」さんたちのご商売を堪能していました。

 この他、「オウム事件」に関しても、ぼくなりのささやかな実体験があります。学生で、麻原教祖の側近だったものから、一度彼と面会してほしいと頼まれたことがありました。おそらく学内で講演会をしたい(選挙活動)ので、力を貸してほしいということだった。ぼくはその話は断ったが、学生の何人かが、千葉の拙宅まできて、信仰などについて話していったこともありました。ぼくは、信仰心が薄い人間であり、自分の頭でしか考えたくない人間ですから、「何教に入信する」ということはまずありえないとずっと思っていました。実際、その通りの生き方・行き方を、まずいながらも通しました。コラム氏が書かれているような「取り戻し」に加わったこともありました。「そっちの水は甘いぞ」という声あり、「こっちの水は、もっと甘いぞ」と叫ぶ声あり、現下、劣島でも「ほーたる来い」とばかりに、甘言を弄して呼びかけや囁きが耐えない。そんな折から、まるでゾンビのごとくに「金や票」になるならと、目もくれずに陣地獲得に狂奔しているのが、現下の政治家の無様です。

 「権力と宗教」問題は、奈良時代以来、連綿と続いてきたのです。その歴史は凄まじい、権力を有する側の「弾圧の歴史」でもあったでしょう。明治以降でも大本教や天理教に代表される「大弾圧」は、身の毛もよだつと言わぬばかりの凄惨さがありました。逆に、権力との距離を縮めておくと、弾圧どころか、便宜供与は天からの貰い物のごとくにあるのです。弓削道鏡はその典型。要するに「取引」「物々交換」、これが成り立ってきたところに「統一協会」(現「世界平和統一家庭連合」)の得意・特異な戦略があったし、その戦略の一角に、この島の権力中枢が食い込んでいた(利用されていた)のです。亡くなった政治家は「国葬」に値する政治家だったか。ぼくは「国葬」を云々するのではありせん。「葬儀」の序列・順位をとやかくいうのではなく、生きているときに何をし、何をしなかったか、これが大事であり、もちろん、人それぞれの評価がありますから、「毀誉褒貶」は雨の降るよう、風の吹くように、それを阻止することはできません。アコギ(*「しつこく、ずうずうしいこと。義理人情に欠けあくどいこと。特に、無慈悲に金品をむさぼること。また、そのさま」デジタル大辞泉)でなければ、アコギなことをするなら、ぼくの判断は、この一点にあります。

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 文月や京に逢ひたきひと一人 (島谷征良)

 文月も残り2日。葉月は目前です。 葉月空海は千筋の紺に澄み (中村草田男)

 本日も「由無(よしな)し言」を綴ります。昨夜十一時すぎだったか、玄関で大きな音がして、しばらく無音、嫌な予感がして急いで駆け寄ると、かみさんが玄関の框(かまち)を踏み誤って倒れていた。いかにも痛そうにしていた。骨折でもしていなければいいのだがと、手を貸して起こしました。大丈夫かと心配していたら、彼女はそそくさと寝室にいき、床に入ったようでした。宵っ張りの朝寝坊人間の彼女にしては、十一時すぎに寝るというのだから、かなり痛かったのだろう。ぼくは「骨折」のことばかりが気になっていたが、まあなんとか、それだけは大丈夫そうでした。

 どうして玄関にか、というと、毎晩のことで、猫たちの門限(あるようでない、ないようである)が過ぎたので、呼ぶために外に出ようとしたのです。これは以前からしていおり、「手を叩いて」家に入ることを促していた。これまでは割合に素直に帰ってきていましたが、数が増えたのと、今夏は特に、日中が猫にはたまらない暑さ、だから、せめて夜にでも涼むというか遊ぶということなんでしょう。猫は、夜行性動物だと思う。中には「門限(十一時頃)」を過ぎてから外に出て、朝まで帰ってこないのもいる。猫の上手を行く、いろいろな夜行性動物が徘徊している環境だからと気にはなりますが、出ていくのを閉じ込めるわけにもいかない。というわけで、かみさんは「門限だ」と知らせようとして、しっかり足元を見ないで(電気をつけないで)、框を踏み外して転んだのでした。(朝になってみると、なんとか、医者にもかからないで済みそうなので、一安心です。悪くすれば「寝たきり」、あるいは「車椅子」と一瞬考えてしまうくらいに、二人は老齢なんですね。瞬時に「老老介護」)ですからな)

 人間同様に、猫でも夜遊びが好きなのもいれば、外泊はしないで、いい子になっているのもいます。最近では、近所の猫たちも様子がわかってきたのか、以前ほど「喧嘩」しなくなったのは助かりますね。噛まれたりして、何度も医者通いをしたことを思い出すたびに、「やれやれ」という気になるものです。たくさんいるものですから、動物病院も「かかりつけ」は二軒です。猫の話になると夢中になるのが多いという、ぼくにはそんな趣味がありません。このところの狂気じみた暑さが、毛皮を着ている猫には危険だという思いが強いので、夜間も少しばかりは仕方がないかと、夜遊びの容認になりがちなんですね。猫たちに「スマホ」をもたせるわけにもいかないし、事故も怪我もないことを願っています。

 ただ、このところ多くの猫が競って「セミ」「バッタ」「チョウチョウ」、その他の昆虫類を咥(くわ)えては、家に入ってくることです。家の中が昆虫館のようになっています。セミは何年も土中で過ごし、ようやく地上に出て、たった一夏のいのちです、それを咥えて、まるで「口笛」のように鳴らして(鳴かせて)、成果を知らせてくるのですから、困ったもの。今のところは見なくなりましたが、蛇をくわえてきたのもいました。ムカデやゴキブリ、その他、大小の虫類をよくも見つけてくると思うほどに、毎日掃除するだけでも大変です。これが「猫と住む」生活の一部です。雨降りだと、あまり外にはいかないが、家の中でいたずらの限りです。「話し出すと夢中に」は、ぼくの趣味ではないので、これくらいに。

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 長崎新聞の【水や空】の昨日版に、以下の記事が出ていました。瞬時に「キャッツ・デイズ」はないのかしらと、調べたのですが、なさそうでした。あまり感心しないのが一つ、「2月22日」がニャン・ニャン・ニャンで「猫の日」だとか。つまらんね。「11月22日」が、イイフーフだとさ。アホくさ。

 【水や空】ドッグ・デイズ 夏の盛りを英語でドッグ・デーズ(犬の日々)という。この「犬」は、おおいぬ座の主星シリウス(別名ドッグ・スター)を指し、7~8月の暑い時期、この星が日の出とともに現れて、日の入りとともに沈むことに由来する▲冬空にひときわ輝いて見える星だが、真夏のうちは太陽とともに昼間の空を渡っていく。地上では犬もグッタリするこの季節、夏空の「犬」は炎天を駆ける▲シリウスの名はギリシャ語の「焼き焦がす」からきており、この星が太陽に加勢して暑さが増すと伝わるらしい。灼熱(しゃくねつ)の太陽と地上を焦がす星が“並走”する-。言うなれば、きのうはそんな日だったろう。県内の7地点で気温35度以上の猛暑日になった▲きょうもまた、熱中症の危険を伴う。週末からも気温はずっと高いらしい。なるだけ外出を避けて、なるだけ部屋を涼しくする。気を緩められない日々が続く▲ここ何年か、男女を問わず「日傘の勧め」をよく見聞きする。暑さに耐えかねて、少し前から通勤に日傘を持ち歩く人が身近にいるが、聞けばその遮熱効果に目を丸くするという▲「盛夏」と並んで、ドッグ・デーズには「沈滞期」の意味もあるらしい。新型コロナや熱中症の恐れに沈みがちだが、こまめに暑さ対策を重ね、「犬の日々」にささやかな抵抗を試みたい。(徹)(長崎新聞・20022/07/29)

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● おおいぬざ【おおいぬ座(大犬座) Canis Major】=略号CMa。α星のシリウスは全天第1の輝星で,光度-1.5等,A1型の主系列星である。この星は冬の宵空に見えるが,明け方太陽に先立って東の地平線に昇るのは夏の初めであり,古代エジプトではエチオピア高地雨季に続くナイル川はんらんを告げる星として信仰された。シリウスの名はギリシア語のセイリオス(焼きこがすものの)から由来したもので,夏の土用を英語でドッグデイズdog daysと呼ぶのもこのことによる。(世界大百科事典第2版)

● ど‐よう【土用】〘名〙① 陰暦で、立春・立夏・立秋・立冬の前各一八日間の称。陰陽五行説で四季を五行にあてはめる場合、春・夏・秋・冬を木・火・金・水に配すると土があまるので、四季それぞれ九〇日あるうちの終わりの五分の一ずつを土にあてたもの。春は清明、夏は小暑、秋は寒露、冬は小寒の後、各一三日目に土用入りとなり、一八日で土用が明けて新しい季節が始まる。土用中に土を犯すことは忌むべきこととされ、葬送などはこの期間は延期された。② 一般には、小暑から立秋までの夏の最も暑いさかり。夏の土用。暑気あたりを避けるため、また、元気をつけるため、蒜(にんにく)・あんころ(うなぎ)などを食べる風習がある。《季・夏》(精選版日本語大辞典)

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 星座はともかく、陰陽説はいかがでしょうか。当たるも八卦当たらぬも八卦といって、なんとでも言えるものでしょうが、さて、暦と天然自然の運行は、今では行き違いが大きくなるばかりで、当たらない八卦のようなものです。その代わりになるのか、天気予報がやたらに開けてきて、今では「気象予報士」なる職業が大いに賑わっています。ぼくは割に天気予報と言うか、天候が大いに気になる方で、暇があれば、天気図を眺めています。今夏の予報は専門家に任せるとして、新型コロナ禍の蔓延は、一体どこまで進行するのか、こちらは「天気予報」並に当たることがなさそうだし、専門家と言われる面々が、今になってしゃかりきに「予防」だの「感染防止策」だのと、発生初期のおのれの発言を忘れたふりをして「感染防止に」と叫んでいます。

 彼らの多くは「感染研究所」の関係者で、自らの権益を守るために、むしろ、その視点でしかコロナ問題を論じてこなかったのです。今だってそう、いや、今になって「医者にかかれ、いやかかるな(どっちやね)」「いのちは自分で守れ」などと、コロナ発生初期の「自分で治せ」に逆戻りしています。ぼくには今でも、日々報道される数値が正確であるとは信じられないし、彼らの多くは、本当に見通しを持って判断しているとは思えません。なんとでも言えるというのは気楽だし、間違っても命は取られないから、真剣じゃないんだ。「マスクと手洗いと換気」、こんなのなら、ぼくだって言えるよ。(日本は「これこれだから」感染数が少ないのだ。それに比べて他国は」などと言っていましたが、今日ただいまは世界一の感染者数だとか。どういうことや?)

 政府と関係者(専門家)が一体となって、国民の命に脅威を与えていると言う他ありまん。年に何度「ワクチン」接種すればいいのか、それすら基本方針ができていません。また、検査キッドの品不足は、いっときの「マスク不足」を想起させます。そう言われても、あるところにはあるんだというわけで、政府は無料で配布すると言い出しています。最近は猫も杓子も「経済を回す」とか「経済が回らない」とか、なんとかの一つ覚えのごとくに、「嫌な言い回し」を絶叫しています。これについても言いたいことがありますが、止めておきます。「経済は独楽(こま)なんかではない、回すものでも回るものでもないんです」と、一言のみ。

 更にいうなら、「緊急事態宣言」に始まる「行動規制」「行動制限」は、「出す予定は、現段階ではない」という。それは政府の発言であって、地方自治体は躍起になって「宣言」を、との合唱です。いつも通りに、追い込まれて「宣言」という最悪のパターンが今から想像されます。国民の健康と命、この両者を、現政府は守る気がない、いや守る予定もないのです。昨日の報道では、「平均寿命」が下がったという。東北大震災以来の現象で、「コロナで死亡」が響いているとされています。さすれば、さらに平均寿命は短くなりそうです。「各方(おのおのがた)、自分の命は、自分で守る」、それが鉄則です。

 これまた、昨日の一つのニュースで、持病を抱えている男性(八十三歳)が、コロナ陽性と判定、自宅訪問の医師の判断で、患者は危機的状況にあるというので、救急車を要請。なんとその救急車は、患者を乗せて病院探し、百軒をこえる病院から入院を断られたという。こんなことが、この時代に各地で起こっているんだ。助かる命を助けるために、とかなんとか言いますが、病院が、急患や重篤な患者を受け付けられないんですから、話になりません。こんな事態にありながら、「国民の命を守る」という悪い冗談がまかり通っているのが政治の世界。

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 亡き元総理の「国葬」を取り仕切るのは、あの会社だそうです。「DEN✗✗」とか。元専務で五輪組織委員会理事が、捜査の対象になっているさなかの国葬問題。ぼくは、この会社の草創期からの経緯を調べたことがあります。設立資金に「麻薬で得た金」が入っていたとも言われた。なんと防衛庁にも食い込んで「武器購入」にも大きな役割を果たしています。この企業は、まるで国家機関の手足のごとく、しかし時には頭脳のごとく、実に微に入り細にわたって、国家機能・機関を動かしてきたのです。この妖怪企業が取り仕切った「五輪」がどんなものだったか、解明はいまだしという感がありますが、この「闇」「謎」を明かさない限り、この島は立ち上がれないかもしれない。いや、立ち直れないでしょう。

 ある特定の宗教団体との癒着は「政権与党」に限りません。ということは、ぼくがいつも言うように、この社会では一つの政党を除いて、他はすべて「与党」だということの証明でもあるでしょう。この「宗教」団体と権力サイドとの結びつき(癒着)には、韓国政府筋も、アメリカ政府筋(CIA)も、深く関与しています。ことの始まりは朝鮮半島侵略に行き着くのです。「反日本帝国主義」→「半植民地侵略」→「反共産主義」というベクトルが、入れ子のように絡み合いながら、日本人信者を資金源として、植民地化された復讐(日本人信者からの収奪)と、それを踏まえた(超えた)「恩讐の彼方」での、「反共)という一致点による交流交際が、今日の政治問題に直結しているのです。ぼくがいつもいう、この島社会の「えにぐま・ENIGMA」です。

 はるかな昔の記憶の彼方の出来事です。ぼくが現役(教師まがい)の頃、学生が何人も「原理講論」とか言った書物を持って、研究室にやってきました。これを読んでくれ、教主(文鮮明)はとてつもなく優れた宗教家で、とかなんとか、実に熱心に「ぼくを信者にしよう」としたのだったか。今でも、ある一人の学生の顔を鮮明に記憶しています。名前も忘れていません。やがて、ある駅頭で、「霊感商法」なるものをしているのを見かけたこともあります。まったく話が通じなかったことが、今も感触として残っています。大学は、格好の「信者狩り場」だったのでしょう。その後には、ある狂信的教団への勧誘が盛んに行われていました。「オウム真理教」といっていた。たくさんの学生が巻き込まれたのでした。

 この大学では、さまざまな学生の活動が認められていましたが、ぼくのところにやってきた学生の何人もが、その後行方不明になったままです。宗教という語は religion です。それには religio という原義があります。「切り離す」ということを意味するようで、この信仰団(圏)内に入ると、他とは「会話」ができなく(通じなく)なるということでしょうか。よく信仰を勧めるのに「折伏(しゃくぶく)」という言葉が使われました。とくに、日蓮宗の一派の新興宗教団体ではそうでした。それは「勧誘」などという生易しいものではなく、強引に「拉致」せんばかりの、激しさがあった。これも、住む世界が異なる、異邦人になるというということを示しているのでしょう。

 ●折伏=「仏語。悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせること。摂受 (しょうじゅ) と共に衆生を仏法に導く手段」   「転じて、執拗に説得して相手を自分の意見・方針に従わせること」(デジタル大辞泉)

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朝々に供華とりかふる文月かな (吉武月二郎)

文月や野に瓜食めば火は流(くだ)れり (金子兜太)

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 九死一生、それが生きている者の実情では?

 いつにもまして取止めのない話をいくつか。ヘッダー部分に出ている写真は「チングルマ」という花です。前にもどこかで紹介しましたが、名前は「稚児車(チゴグルマ)」、橡だったかの葉で作る、玩具の風車に似ているところから、と言われていますが、その真偽は定かではありません。いずれにしても高山植物の一つです。この花を始めて見た(名と実が結びついた)のは、たしか尾瀬だったと思う。相当前になります、おそらく三十年、あるいは、もっと昔のこと。鳩待峠から入って一泊し、檜枝岐村まで行って「蕎麦」を食べたことだけを鮮明に記憶しています。いまは亡き一人の先輩女性に誘われていったものです。その人は福島出身だったと思います。若い頃から車に凝り、十八歳(もちろん戦前です)から乗り回していたし、一時期は車とオートバイでレースにも出たほどの車好きな人でした。本業は「薬剤師」だった。女性の一典型のような人、じつに懐かしく思い出されます。彼女から、ぼくは自動車入門を進められた。たしかぼくよりも二十歳くらい年上でした。その当時の尾瀬と今とは同じか変わったか、それ以降、ぼくは登っていないのでわかりません。これもいつのことでしたか、尾瀬ヶ原の大部分が東京電力の所有であることを聞いて、尾瀬に対する興味が失われました。(二度目に、この花を見たのは石川県の白山だったと思う)(「花言葉」は「華麗」だそうです)

 大学時代の同級生に群馬出身の友人がおり、その実家が、ある時期まで尾瀬で「山小屋」を営んでいたと聞かされていたので、尾瀬に対する関心は早くからありましたが、その頃は山にはあまり興味がなく、もっぱら「室内」オンリーだったのは、今から考えると惜しい気がします。尾瀬には二回しか出かけなかったが、雄大な景色の中で「チングルマ」にお目もじがかなったのは幸いでした。よく言われる「ミズバショウ」には目もくれなかったのは、すでに尾瀬沼が富栄養化で、この花が異様に成長しているのが見るに忍びなかったからでした。その同級生とは、卒業後何十年も過ぎて、偶然に、あるところで出会いました。知り合いから頼まれて、埼玉県の教師集団に向けて「雑談を」となった。その会場の一番前の席に座っていたのが彼でした。卒業後に埼玉の教員になり、小学校の教師を続けてきたということでした。彼は、昔の彼でしたね。まったく変わりがなかった、風貌などにおいて。学生時代は、ある運動体の闘士でもあった。尾瀬といえば、Uくん、そんな連想が働くような人でした。偶然の再会以降、ぼくの人付き合いの悪さで、一度もあっていません。

 尾瀬が一大観光地になったのは、やはり「夏の思い出」でしたでしょうか。(1949年、NHKで始めて歌われた。歌手は石井好子さん)ぼくはあまり好みませんが、ひところはよく歌われたものでした。観光地のバスターミナルなどで、このような歌がレコードから聞こえてくると、ぼくは逃げ出したくなります。例えば、京都の大原三千院、ここにも(ご当地ソング)、「恋に疲れた女が一人」などと、境内から聞こえてきたらどうでしょう。ぼくは京都が嫌いになった理由の一つに、あまりにも「観光で儲けるぞ」という商売っ気がありすぎることでした。食べ物は高い、駐車場もばかに高い。観光地(神社仏閣)の「入館料」「入山料」「入場料」も並外れている。「歴史(遺産)を喰いものにしている」、そんなアコギな姿勢に嫌気がさして、高卒と同時に逃げ出したのでした。尾瀬も、いまでは入場制限をしていると聞きます。年間に数百人程度にすれば、環境は保存されるし、山に入る喜びもひとしおだと思うのです。ハイヒールやサンダル履きで、ノコノコ出かけるというその根性が嫌ですね。富士山や乗鞍山なんかもそうです。まるで「繁華街」「下界」のよう。いっそのこと一合目から頂上まで「ケーブルカー」を設けるといいな。

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 よしなしごとが続きます。二週間ほど前に、ある人から「暑中見舞」をいただきました。年下の友人で、女性です。彼女は学生時代もいまも(多分続けておられると思う)、バスケットの名選手で、なかなかの活躍ぶりだったといいます。ぼくにはそんな根性がないので、外から見て羨望するばかりです。いつだったか、なにかの折に「猫が好きですか」と聞かれたように思います。「好きではなく、誰もしないから、面倒を見ている」と答えたら、彼女も「私もです」と言われた。今夏の暑中見舞いのハガキには「ただいま、11匹です。そちらは?」と書かれていました。知らされるたびに数が増えています。前回は「7つ」だったと記憶しています。早速に電話をして、事情を聞きました。市の斡旋で、「保護猫」を引き取っているのですということでした。もちろん避妊や去勢の手術に要する費用は自己負担です。なかなかできないこと、ぼくはそれを聞きながら、負けてはいられないと(思ったわけではありません)言うことではなく、かんたんにできないことを、黙って(だと思う)当たり前にされている、めずらしい(有り難い)と感心するばかりでした。ひょっとして「猫歳」の生まれだろうか。

 拙宅には「ただいま十一人」の野生児たちが出入りしています。縛られる(束縛される)のが大嫌いなんですな。ぼくのよう、でもある。数の上では、暑中見舞いの彼女と同数。でも、ぼくやかみさんは後期高齢者、この先どうするということも大いに気になります。「(たくさんの)猫という遺産」を欲しがる(相続する)人はいないでしょう。この件で、娘の家では夫婦喧嘩をしたそうだ。「面倒見る、見ない」で。他人に迷惑はかけたくないし。今いる猫たちだけでもなんとか、面倒を見て、彼や彼女に励まされて健康で暮らしたいと、そればかりを願っているのです。「猫が好きですか」とか「猫を飼っているのですか」「よくやりますね」と訊かれたり、言われたりすると、ぼくは腹が立つ。好きでやっているのではない。誰も面倒を見ないから、当方で、それだけです。これまでにどれくらいの猫たちと付き合ってきたことか。おそらく数十という単位です。「捨てる」者がいるから、「拾う」人間が必要なんでしょうか。「動物の処分を止めさせて」という署名がよく回ってきます。署名はするようにはしていますが、目前の猫たちに気を取られてしまうのも、当然でしょうね。

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 つい先程(午前十時頃)に電話がかかってきました。もちろん拙宅は「固定電話」です。長野県の駒ヶ根市の公立病院に入院中の人からでした。この電話の主も女性の後輩で、「私、会社にいけなくなった」と二ヶ月ほど前に連絡があった御仁です。その間いろいろとありましたが、早い話が先々週の木曜日(十四日)に、駒ヶ根の病院に入院したのです。「(本人は)鬱(うつ)病」だと思い、医者もそれを補強(診断と治療)していましたが、ぼくの素人判断では、実は「アルコール中毒」(「アルコール依存症」)だと断言して、このままではこの先も面倒になるから、ここらあたりで「酒と縁切りを」(ついでにタバコとも)と、入院を勧めたのでした。歳は三十六だといっていました。幸いに入院がかなったのです。この人とも、もう二十年の付き合いです。彼女のことについても、どこかで触れました。「自尊感情が低い」人間だから云々と言っていたが、ぼくのミタテはその反対。高い高い自尊心が痛く、かつ深く傷つけられたから、思い切り落ち込んでいったのでした。その自尊心のはけ口(仕事、あるいは職業)が見つからないままで、「酒と煙草」に溺れたといえばいいか。いや溺れかけていたというべきでしょう。そういうぼくだって、酒もタバコも長年続けていた人間ですから、それへの「依存」の状況がよくわかりますね。止めたいと思うけれども止められない人がほとんどです。

 頭の片隅で「止めよう」「止めたい」と思っても、脳細胞や感覚器官が「それ」を欲求するのです。もちろん「判断力(理性ですか)」は、そのような身体からの圧力には無力です。Oさんは、ときどき電話をかけては、状況を報告してくれる。彼女とも因縁のようなものがありますけれども、とにかく、まだまだこれからの「人生」、途中で挫折しては困るし、挫折されてはたまらないものがあります。とにかく、ゆっくりと心身の回復に励んでくれるといいね。もちろん、楽観的な気になるのではない、けっして「予断は許さない」と思っています。どんな人にも「格闘」とか「葛藤」というべきもの(対象)があります、きっと。戦う相手は、人それぞれですが、相手との戦い(闘い)は、実は自分自身との戦い(闘い)であることがほとんどです。

 一例です、酒が止められない、だから「酒と戦(闘)っている」と言いたいでしょうが、酒とどうして戦えるんですか?酒は武器かなんかを持って飲みたがっている人(止めたがっている人)を襲うのでしょうか。じっさいは、自分との戦い(闘い)、「飲みたい自分」 vs「止めたい自分」なんですね。これが、「意識」「自己意識」と言われるものの正体です。その反対を考えるといい。「無意識」とは「習慣化された行為」を引き受けるものです。飲酒や喫煙、これが習慣化されると、意識に関わりなく、飲酒や喫煙をする。努力なんか微塵も要らない。しかし、一旦、これを止めようとすると、自己との戦い(闘い)、つまり「意識(もう一人の自分)」が生じるのです。これが「葛藤」であり「格闘」です。酒や煙草に限らず、人は何かしらを意識して、「格闘」し、「葛藤」しているし、それこそが「意識がある」ということの実相です。生きている証拠になるものですよ。彼女の「格闘」「葛藤」はこれから始まります。薬物療法が終わった段階で、素手で、スッピンで、そして肝心なことですが、素面(シラフ)で、本当に生き始めるための「格闘」が生じるのでしょう。行けるところまで、ゆっくりと伴走・伴奏していきたいな。 

LLL

 今日も暑い。朝方、日が照らないうちに雑草を少しでも刈り取ろうと思っていましたが、とてもそんな悠長なことが言っておれないほどの高温状態です。新型コロナ感染が爆発的に猛威を振るっています。全国で二十万を超える陽性(感染)者だといいます。ぼくはその何倍もの感染者が、じつは発生していると見ています。「断末魔」という不吉な言葉が出てきます。すべてが政治の責任とはいえません。しかし「身を守る」「命を守る」ための用意や準備に事欠くというのは、人為的なミスの要素でもありそうです。発症しても医者や病院にかかれないし、その医療従事者が感染の波に洗われている、嘘偽りようのない緊急事態です。酷暑と感染と物みな値上げの「秋」を迎える寸前、豪雨や台風も列をなして待ち構えています。(「雑草」といえば、最近、ぼくは次の動画に引かれています。ところはアメリカ、人物は AL Bladez。こんな人がアメリカ(に限らず)に、何人も存在するんですね。まるで「保護猫」担当スタッフのようだし、介護施設の職員のよう)(https://www.youtube.com/channel/UCVfcVnPae2JerM0iRT82aVQ

 「九死一生」「十死一生」「万死一生」という。どんなに元気で暮らしていても、命あるものの置かれた状況は「九死一生」であり「十死一生」「万死一生」という「天恵」を蒙(こうむ)るということかもしれません。生きながらえるのは「幸運」であり「天命」でもあるし、まったくの偶然でもあるという気もしています。無理をせず、十分な睡眠を確保して、「一日一事」に気を配りたいですね。何もすることがないというなかれ、息をするという仕事があるではないか。

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 いたるところに「橋のない川」が存在する

 現代社会にはいくつかのタブーがあります。大っぴらには触れにくい問題、いわば、言わず語らず(暗黙)のエニグマ、あるいは「公然の秘密」とみなされている問題群です。「天皇制」と「部落問題」も、以前ほどではないにしても、軽々には論じられにくい問題として今なお、ぼくたちの社会に「床の間の掛け軸」(まずい例えです)のように、見ようとする人には見えますが、それに関わらなければ、等閑に付すこともできる、そんな雰囲気の中に存在しています。それでは、重要な課題となっていないのかというと、けっしてそうではない。歴史の深い部分に覆われている、いくつかの問題があるのです。そんな課題について、率直無比な「対談」を。昨日の続きのようになりましたが、この「天皇制」というものもまた、藤村の書いた小説のテーマである「破戒(breaking)」を惹起しかねないものの一つではないでしょうか。

 ずいぶん昔の「親子の対話」(増田さんは、住井さんの次女)です。そして、この部分はこれまでの駄文録の何処かで、すでに紹介しているような気もしますが、積もり積もって雑文の山をなす、小文が千数百にもなりましたので探す気もしません。(索引も目次も、一切放擲して、ひたすら「日々の汗と恥のかき捨て」のように、だらだらと連ねてしまいました)だからという言い訳ではなく、どれ程考えたところでキリがない問題を扱っていますので、乱暴な扱いはご寛恕いただいて、お二人の語る「問題のサワリ」の部分を読んでいただけたら幸いです。できれば、一冊そのものをお読みになることを勧めます。

 奇しくも(というのか)、本年三月は「全国水平社」設立百周年でした。奈良の御所市に集った青年たちが、「差別からの解放」を求めて呱々の声を上げたときから一世紀が経過しました。京都岡崎の公会堂で開かれた際の呼びかけの「ビラ」が、右上に掲げた写真です。住井さんは奈良の出身。「橋のない川」は全国水平社立ち上げに中心的な役割を果たした奈良の青少年たちの運動と弾圧に始まる、解放運動の軌跡を描いたものです。「天皇制と部落差別」という主題を展開していったとも受け取れるものでした。古代天皇制発祥の地、奈良に芽を吹き出した解放運動。無関係ではないものとして、奈良には「天皇」にかかわるたくさんの「遺物」「縁のもの」があります。御所(ごせ)市には「神武天皇社」までもがいまに語り伝えられています。

 「御所市「柏原」に鎮座するこの神社の祭神は「神倭伊波礼毘古命」。初代神武天皇の即位した場所であると言われています。享保21年(1736年)の大和誌には「橿原宮。柏原村に在り」と記し、本居宣長も明和9年(1772年)の「菅笠日記」に、畝傍山の近くに橿原という地名はなく、一里あまり西南にあることを里人から聞いたと記しています。/ 一説にはこの神社が宮跡に指定されると住民が他に移住しなければならなくなるので、明治のはじめに証拠書類を全て焼いてしまったと言われています」(https://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001433.html)

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 いささか時代がかった問題だと受け取られそうですが、いかがでしょうか。明治以降に限定しても、「天皇制」は古くて新しい問題だともいえますから、いまこのような問題を考えるのも決して無駄ではないと、ぼくには思われます。また、今日の課題としても「現行天皇制」の継続をいかにして担保するかが政治日程に上ってもいるのです。それゆえに、この問題を自らの視点を持って考える一助にもなると考え、住井さんの著書を紹介するための一助として、「対談」の一部を引用する次第です。

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 増田 天皇制と被差別部落は政治、支配という人為の最たるものよね。

 住井 そうそう、だから人為的になにかをつくったら、それの反動、シワ寄せはどこかにかならず生まれるわけね。天皇制をつくったら、被差別部落ができるのは当然だ。だから天皇制も人為だし、被差別部落ももちろん人為的につくられたものだから、人為だから、これは偽り。偽りからは解放されなければならない。

 だから何度も言うけど、「偽り」という字は人為と書いて「偽り」。そのウソごと、いつわりごとにいつまでひっかかっているのかね。法則からいえば、人間にひとつも変わりないんですから。

 重さとか面積とか長さとか量とか、そういうものは全部測り分けて、数字でだせるのに、貴賤だけは数字では出せないからウソだということになる。

 増田 これはつくりごとだからね、架空のもの。 

 住井 だから宇宙の法則にかなったものはみな宇宙の法則どおりに数字で出せる。  

 増田 実際に賤の方に分けられた人たちというのは、もう徹底的に人間性を否定され、生きて暮らすことを否定されたのね。

 住井 賤なんてとんでもない迷信。ウソ、科学でも何でもないのよ。

 増田 その迷信によって痛められて、一方のほうは、迷信によってのうのうと生活できると。しかし、そういう構造がいったんでき上がってしまうと、人間社会というのは、それを困ったもんだ、おかしいおかしいと思いつつ、いっこうにこわそうとしない。差別する側は痛くもかゆくもないからね。

 住井 しかし、こんなことがいつまで続くかね。そんなことが、偽りのからくりいというか、ウソごとがね。

 増田 それはね、もうすでに崩壊しつつある。戦後の憲法でもって、半分は崩壊したと思う。(住井すゑ『わが生涯 生きて 愛して 闘って』聞き手 増田れい子。岩波書店、1995年刊)

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 代表作の『橋のない川』が刊行(1959年)以来、何十年にもわたって読みつがれてきた理由を問われて。

 「人間の愚かさを遠慮なしに書いているからです。ばかな人間の話はおもしろいものです。人間社会の中で、日本の部落差別ほど、ばかげたことはない。深刻でこっけいで、考えようによっては、これは笑い話ですよね」 「私の肩書は作家ではなくて、人間です」「人類の母親は人以上のものも、人以下 のものも産まない」(同上)

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● 住井すゑ(すみいすえ)(1902―1997)=小説家。奈良県生まれ。1919年(大正8)農民作家犬田卯(しげる)と結婚。夫婦で「土の芸術」を目ざして24年農民文芸研究会(27年、農民文芸会に改組)をつくる。以後、アナキズムや重農主義の立場から「農民自治」と「女性解放」運動の旗手となるが、戦争下の圧迫に抗しきれず35年(昭和10)茨城県牛久(うしく)沼のほとりに退く。第二次世界大戦後、『夜あけ朝あけ』(1954。毎日出版文化賞受賞)や『向い風』(1958)で再登場し、新しい農民作家として高い世評を受けるようになった。57年(昭和32)夫が病没しているが、その直後にまとめた夫婦共同の回想記『愛といのちと』も深い感動をよんだ。大作の『のない』は、61年に第1部を出し、73年の第6部でいったん完結した。被差別者の人間的解放を願った大河小説であり、執筆には16年間を要した5000枚の大作であるが、20年後に第7部を刊行。ほかに『野づらは星あかり』(1978)、児童文学の作品に『みかん』(1952。小学館文学賞受賞)その他がある。(ニッポニカ)

● 増田 れい子(ますだ れいこ、1929年1月5日 – 2012年12月12日)は、日本のジャーナリストエッセイスト毎日新聞東京本社論説委員、学芸部編集委員、サンデー毎日記者を歴任。(weblio辞書)

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  <社説>水平社宣言100年 反差別の志受け継いで   「人の世に熱あれ、人間に光あれ」。百年前に創設された全国水平社の宣言文だ。部落差別の解消のみならず、水平社の理念は人権運動総体をけん引した。その志を受け継ぎたい。   全国水平社の創設は一九二二年三月三日。京都市での創設大会には被差別部落出身者ら三千人が参加した。明治政府は一八七一年の解放令で「穢多(えた)」「非人(ひにん)」などの身分制度を廃止したが、その後も厳しい差別が続いた。その解消を目指し、水平社は日本で初の当事者団体として結成された。   その歩みは戦後、部落解放全国委員会(現在の部落解放同盟)に継承され、運動により部落差別の解消を「国の責務」とした同和対策審議会答申が勝ち取られた。   一方で水平社時代の戦争協力や戦後も同対審事業を巡る不祥事など、運動には曲折があった。   ただ、日本初の人権宣言として百年前に放たれた水平社宣言の光彩はいまも色あせていない。宣言は当時、米誌でも紹介され、その後は障害者、アイヌ民族など他の人権運動に影響を与えた。   宣言の画期性は差別された当事者が同情を乞うのではなく、自尊の精神を抱いて社会変革を訴えた点にある。さらにその訴えを自分たちだけに閉ざさず、「人間を冒涜(ぼうとく)してはならぬ」と社会全般に普遍化したことにあるだろう。   言うまでもなく、差別をなくす闘いは容易ではない。現在も被差別部落を巡っては結婚などの差別が残り、地名の一覧がネット上に掲載される事件も起きている。   在日コリアンやアジア人らへのヘイトスピーチ、技能実習生らに対する暴行や搾取の横行、入管施設での長期収容や死亡事件にも人権感覚の欠如が表れている。     日本だけではない。社会格差の拡大は排外主義の台頭を促し、ネット社会は偏見や憎悪を助長しがちだ。特に非常時には人権意識が損なわれやすい。コロナ禍での感染者への差別は記憶に新しい。   現代社会を見つめれば、水平社宣言が過去の遺物ではないことが分かる。次の百年に向け、私たちにはその理念を共有し、反差別のバトンを受け継ぐ義務がある。(東京新聞・2022/03/03)

● 水平社(すいへいしゃ)=1922年に被差別部落自主解放を目指して創立された団体。正確には全国水平社という。西光万吉,阪本清一郎らを中心とした奈良,三重,大阪などにある被差別部落の青年グループが呼びかけ,京都で開かれた創立大会には全国から 2000人あまりの代表者が参加した。大会では自主的解放,職業と経済の自由の要求,人間性の覚醒など3ヵ条の綱領と宣言を採択し,明治末年以来,政府によって遂行された恩恵的な部落改善,融和政策を排撃した。組織は中央に全国水平社連盟本部を置き,府県水平社,部落水平社が置かれた。創立大会以後,運動は全国に広がり,部落民に対する差別と偏見を打ち破る力となった。 1926年には共産主義の影響下で,左派が部落解放を無産者階級の解放に直接に従属すべきものとしたり,1931年には水平社という身分組織は部落労農大衆の階級的自覚を妨げるとして水平社を解消しようとしたため,運動は一時低迷したが,のちに左派は自己批判した。それ以降,身分闘争と階級闘争を結合した部落委員会活動が行なわれることによって再び組織も発展したが,1937年日中戦争勃発後,政府の圧迫のもとで,1940年8月第 16回大会を最後に運動は自然消滅した。第2次世界大戦後部落解放全国委員会として再建され,1955年に部落解放同盟と改称した。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 部落解放運動はようやく百年、それ以前の数多の人々の「差別への闘争」を知るなら、おそらくこの島社会にあって、何らかの根拠のない根拠(でっち上げられた神話・作り話)による「差別」の歴史は悠久の昔からというべきかもしれません。明治以降の「西洋文物到来」の一環として、「人権尊重」「天賦人権思想」が流入して以来、ジグザグの道行を辿ってきた感が強い「差別解放運動」でした。(断る必要もありませんが、差別拒否、差別からの解放は、明治以降に始まったものではなく、いつだって、どこにだって人間集団内では「反対闘争」はあったのです。縄文時代にあっても、それ以前にも、集団ができているなら、どこでだって)一方の天皇制も、現下の皇室事情から、早晩「後継天皇問題」が不可避の課題となってくるでしょう。この両者が踵(きびす)を接して「問題」となり続けてきたとは言い難いとしても、「聖と賤」の問題は、歴史の途上にいつでも「立ちふさがって」いたともいえます。

 「人権尊重」という、効き目の薄そうな、「水戸黄門の印籠」じみた表現を使うと、多くの歴史的課題が後景に消えてゆく気配があります。しかし、いまもなお、人間の集団には「差別事象」は、絶えることなく湧出しているのです。「天皇制の保持」如何を含めて、「人間であること(人間存在)」の譲れない「自由の問題」として、ぼくたちは、「差別からの解放」の問題にま向かうことが求められている。差別する、差別されるという事象(事柄)は、日常生活における小さな出来事から、歴史的な背景を持った、国家規模の大掛かりな人為的差別(例えば、身分制など)に至るまで、さまざまな階梯がありますが、そのどれをとっても、根底には「他者に対する優越感」の裏返しであったり、「劣等感からの逃走」が、そこに潜んでいることが見て取れます。人間は、他者に負けたくない、劣っているとみられたくないという「優越性の差別感情」に突き動かされるのです。その「差別感情」を政治的に塩梅して偽造されたのが「身分制」だったと思う。偽りは、人間が為すものだとする住井さんの指摘は、人間の弱さを見せなくする(隠す)ための作為・装置として、いつの時代でも用いられてきたものです。その「嘘」「虚偽」「虚構」を射抜くだけの、「作為への・に対する膂力」を育てたいものだと、長い間、ぼくは念じてきました。

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 差別感情は「偏見」に基づくという発見を

 【日報録】「アウティング」という言葉がある。本人が打ち明ける前にプライバシーを暴き立てる行為を指す。性的少数者の性自認などを暴露したり、被差別部落の住所をインターネット上で公開したりといった行為が問題視されてい▼最近知られるようになった言葉だが、こうした行為は以前からあった。1世紀以上前に、この問題に真正面から向き合った小説が島崎藤村の「破戒」である。小説を原作にした映画が県内でも公開中▼被差別部落出身であることを伏せ、教師として働いている主人公は、その出自を打ち明けようか悩む。ところが決心を固める前に主人公が被差別部落出身だといううわさが流れる。同僚教員の間で心ない言葉が飛び交う場面では、映画だとは分かりながらも胸が痛む▼差別は今もなくならない。プロデューサーの中鉢裕幸さんは本紙に載ったインタビューで、映画が描いた差別の問題は今のネット空間にも存在すると指摘していた。「人は誰かを下に下げることで自分の心の安定を保とうとすることがある」▼差別はなくなるどころか、匿名性の高いネットによって深刻化した面もある。ネット上でのアウティングは無限に広がる恐れがある。その情報を消そうとしても難しい▼プライベートな事項をいつ誰に語るかは、当人が決めるべきなのは言うまでもない。しかし、そんな当然のことが、ないがしろにされている現実がある。100年かけてもなかなか変わらない問題だが、今を生きる私たちが向き合わねば。(新潟日報・2022/07/27)

 「カミングアウト」は自らが「公表すること。人に知られたくないことを告白すること」(デジタル大辞泉)と理解されています。それに対して、〈outing〉(アウティング)は「秘密を暴露すること。特に、その人が性的マイノリティーであることを、本人の了解を得ずに言い広めること」(同上)とされ、使われ方や、その表す対象(内容)には差があることがわかります。ぼくは英語を使う人間ではないので、その微妙な差異はわかりかねます。どちらにしても、自分で隠していたいものを、自分から「晒(さら)」す、あるいは他人によって「晒される」のですから、そこには言いしれぬ「不安」や「恐怖」が伴うものなのでしょう。秘密を明かした時、あるいは明かされた時、周りはどんな反応を示すか、当人にとっては気の休まらない思いが続き、まるで針の筵(むしろ)に座らされるような状態におかれるといってもいいでしょう。「差別」はなくならないといえば、身も蓋もなくなります。実際には、人間集団には、古今東西、いつでも「差別」は存在していたし、その前提になる「偏見」も根強く残存してきたのです。偏見とは「差別感情(さべつかんじょう)」でもありますし、これを我が身から追放・排除することは、ぼく個人にとってはインポッシブルです。その感情が、ぼくの中に根を張っているということを忘れないで、この問題を捉え続けてきたし、これからも、そう強く願っているのです。

 「偏見と差別」は人間集団の「必要悪」とは断じて言わないが、それを梃子にして政治や集団管理がなされてきたのも事実でしょう。本日のコラムの「部落差別」はどうでしょう。いろいろな見解がある中で、少なくとも近世の権力側の人民統治(支配)の手法としてとりいれられた「身分制」がその淵源になっており、それを固定強化してきたことは否定できない。その歴史的「残滓」というと語弊がありますが、それが遺物・遺産となり、人間のもつ差別感情が自己抑制されないまま、野放図に、その「残り物」に寄りかかってきたのであり、日常的な「差別主義」を強固に示す(具体化する)大きな理由になっているのです。

 「差別」問題は、いつの時代にも、どこの社会(集団)にもあるといえますが、単純化すれば、ある特定の人間や集団を、特定の理由などで「仲間はずれ」「社会(集団)から追放」(アムネストス)する事象であるといえます。しかし、藤村の書いた「破戒」の主題は「部落差別」であり、それはむしろ政治的・歴史的背景(根拠)をもった「差別文化」の柵(しがらみ)を問題視したということでもあるでしょう。「差別文化」という表現は穏当ではありませんが、歴史的経緯の中で生み出され、固定化されてきた「厳然とした差別」を容認する社会の日常性を言いたいのです。それを「身分制社会の桎梏」といってもいいように、ぼくには思えます。「破戒」については小説を読むほかありませんが、藤村はこれを、人から聞いた話(伝聞)として書いたとされています。当時からいくつかの問題を指摘されながら、【部落差別」の小説化という「作家としての態度」が評価されてきたきらいがあります。「破戒」について述べたいこともありますが、ここでは省きます。

 この小説をもとにした映画化も繰り返しなされており、今回で三度目です。以前のものは、ぼくは何度か鑑賞してきました。小説が土台になっていますが、映画はそれとは別物であると、明確に捉えることが重要だと、ぼくは考えてきました。この「破戒」と同じテーマで書かれた小説に「橋のない川」(住井すゑ著)があります。大変な長編(文庫分で全7巻)ですが、時間をかけて読む必要があると思います。大学に入った年の夏休みに、内外の長編小説ばかりを読もうとしたことがあり、そのうちの一点が「橋のない川」でした。この小説もこれまでに二回でしたか、映画化されました。いずれもぼくは観ていますが、小説と映画は異なるジャンルであり、小説の映画化だと言っても、そこにまったく違う世界が現れてくる(描かれている)、そのことをいつでも肝に銘じて観ることにしていました。何よりも「原作」が第一ですね。住井さんの小説を読めばよく理解されますが、「部落差別」は「天皇制」政治と密接不離の関係があるのだということ。このことはまた、明治の中江兆民が、夙に主張したことでも知られています。「貴」あれば「賤」あり、と。

*映画「破戒」(予告編):https://hakai-movie.com/

【解説】「1948年に木下恵介監督、1962年に市川崑監督も映画化した島崎藤村の名作「破戒」を、「東京リベンジャーズ」の間宮祥太朗主演で60年ぶりに映画化。亡くなった父から自身が被差別部落出身である出自を隠し通すよう強い戒めを受けていた瀬川丑松は、地元を離れてある小学校の教員として奉職する。教師としては生徒に慕われる丑松だったが、出自を隠していることに悩みを抱いている。下宿先の士族出身の女性・志保との恋に心を焦がす丑松だったが、やがて出自について周囲に疑念を抱かれるようになり、学校内での丑松の立場は危ういものになっていく。苦しみの中、丑松は被差別部落出身の思想家・猪子蓮太郎に傾倒していくが……。間宮が主人公の丑松役を演じるほか、志保役を石井杏奈、友人で同僚教師の銀之助役を矢本悠馬、猪子蓮太郎役を眞島秀和がそれぞれ演じる。監督は「発熱天使」の前田和男。2022年製作/119分/G/日 配給:東映ビデオ「映画.com」:https://eiga.com/movie/96647/)

● 破戒(島崎藤村の小説)(はかい)=島崎藤村長編小説。1906年(明治39)『緑蔭叢書第壱篇(りょくいんそうしょだいいっぺん)』として自費出版。被差別部落出身で信州の小学校教師、瀬川丑松(せがわうしまつ)が、「社会(よのなか)」で生きるためには身分を明かしてはならぬという父の戒めと、「社会」の不当な差別と闘う先輩猪子蓮太郎(いのこれんたろう)が示す正義との間で悩み、父の死、下宿先の蓮華寺(れんげじ)の養女、お志保に対する恋などによって動揺しつつ、蓮太郎の死を契機についに教室で素性を告白し、新生活を求めて町を去って行くまでの物語。差別問題に関して誤解や不徹底な点はあるが、丑松をじわじわと告白に追い込む過程や蓮華寺住職の破戒の処置を通じて「社会」の陰湿な体質が描き出されており、家族制度の抑圧からの解放を願う藤村の内的欲求と、差別に対する抗議という社会正義の問題とが結び付いたリアリズム小説として、大きな反響をよび、藤村の作家的地位を確立するとともに、わが国の自然主義文学の出発点となった。(ニッポニカ)

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● 被差別部落【ひさべつぶらく】=1871年8月の〈太政官布告(解放令)〉によって平民に編入されたにもかかわらず,その後も賤視され,職業,婚姻などに関わる様々な社会的差別を受け続けてきた地域。 歴史的には古代身分制の解体過程,中世的な被差別民の成立の中に被差別部落の源流があるとする考えが有力である。中世には,河原者えた非人,清目など,様々な職能や芸能によって賤視される被差別民とその集団が存在したが,中世の社会体制はなお流動的で被差別民が身分的に固定されていたと断定することはできない。こうした被差別民は,織豊政権から幕体制成立期の近世領主制の中で,被差別的身分として再編され,以後幕府や藩は,近世期を通じて様々な差別政策によって賤視と身分差別を強化し,身分内には弾左衛門などによる頭(かしら)支配を設置し身分統制を固定した。現代につながる被差別部落民と部落は近世身分制のなかで成立したのである。近世中期から幕末にかけて,藩の差別法令に被差別部落民からは反対の訴願が多く出され,渋染一揆(しぶぞめいっき)のように法令を無力化することに成功した事例もあったが,厳しい法的・制度的身分差別は明治政府の〈太政官布告(解放令)〉まで存続した。 部落差別からの解放を目指す部落解放運動は1922年の全国水平社の創立を画期に,差別に反対する,近代日本最大の社会運動,基本的人権擁護運動となり,法的整備や差別・人権・不平等についての日本社会の意識を徐々にではあるが変革するための大きな役割を果たした。しかし,差別の完全撤廃は依然として課題である。(マイペディア)

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 まだ現役の「教師まがい」時代、担当していた「人権問題」の授業で、作家の塩見鮮一郎さんに来ていただいたことがありました。これまでに塩見さんは、数々の「差別にかかわる問題」作を出版され、当代随一の「問題作家」だと、ぼくは遠くから敬意を持って、書かれる作品を読んでいたのでした。いま、思いつくままに書かれたもののいくつかを写真で出しましたが、実に丁寧に史実に即して問題を深く探るという手法を続けられています。もう何年になりますか、「これからはもう、長いものは書けませんよ」と言っておられたのが印象的でした。にもかかわらず、いまも精力的に作品を書き続けておられます。どこかで触れました赤松啓介さんとは趣が違うのは当たり前ですが、お二人とも、関西圏の出身であり、果敢に「部落差別問題」に取り組んでこられたし、ぼくはいつも大いなる尊敬心を持って、大先輩の書かれた作品を読んできました。(塩見さんは、岡山県出身、昭和十三年生まれ)

 「人は誰かを下に下げることで自分の心の安定を保とうとすることがある」という。たしかにその要素は強いものがあります。しかし、この島社会に続けられてきた(いまもなお、それは厳として、ありつづけている)「部落差別」は「身分制」という政治的制度のしからしむるところが強く作用してきたのです。個人の側の問題であるという以上に、政治制度の仕業であった。差別は日常生活に、ふんだんに認められる現象(それは決して容認できません)です。しかし政治的に、あるいは人為的に作られたものが、いつしか歴史の幾星霜を経て、あたかも先天的に「被差別者」が存在するかの如き、誤ち以外の何ものでもない、大いなる「差別意識」を培ってきたのです。いろいろな機会に、問題の所在を探り、差別の諸相をえぐり出す作業が求められているのではないでしょうか。小説の映画化と、その鑑賞は第一歩かもしれません。

 (昨日に続いて、連日の熱波襲来の中で「政治と差別」の問題を取り上げました。小学生の頃の京都時代、あるいは大学に入って初めての夏休み、それぞれに、ぼくは「部落差別」問題の洗礼を受け、その問題の真相を探るための第一歩を記したことが、昨日のように思い出されます。時間が過ぎれば「偏見と差別」はなくなるのではなく、いつでも新たな装いで「旧態・旧悪」「歴史の遺物(かもしれない)」が出現し続けるんですね。「差別」はなくならないと、愉快ではない気持ちで、ぼくは言います、それは人間の「差別感情」という感覚・感受性に深く結びつけられているからです。しかし、それでもなお、その「差別」に立ち向かう心組は持ち続けたいですね。平等を激しく求めるのもまた、ぼくの感情です、いうならば「水平への憧れ」だな。(左上の書籍表紙は、出版に際して、ほんの少しばかり手伝いをしたものです。岡部さんは亡くなられたが、彼女が希求した「水平への憧れ」は、多くの人の胸中に燃え滾(たぎ)っていると確信しています。おそらく、書名も、ぼくが提案したような、かすかな記憶があります)

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