「私」のままで生きていけない、仲間が要る

 「学校教育」私論(同じようなことをこれまでも言ってきたし、ここでも述べ、これからも述べるでしょう)

 根っ子にある経験

 ぼくにとって、「教育は私事」であって、断じて国事ではない。このことは何度でもいいたい。(まるで道交法よろしく、「おい、右へ行け」「止まれ」「反対に向かって歩け」と命令される言われなないのです)もちろん、そういったからといって国家は学校教育の管理権や支配権を個々人に返しますと言うほどしおらしいわけでもなく、だから、そこにおのずからなる「公と私の闘い(みたいなもの)」が生まれてくることになります。それは当然の成り行きであります。でも、この「公私の戦い」というところに、この社会の未熟さが表れているという意味では、十分に考えなければならなところなんですね。

 ぼくは、「私」として生まれ、「私」として育つ、法令によって、満六歳になったら学校に入る。しかし「私」として入学するのです。学校は公的機関、公的制度と言えそうですが、もう少していねいに考えると、ぼくが入学した学校は「公立」であって、「国立」ではなかったから、むしろ完全に国家の機関であるともいえないのです。これは「私立」学校についてもいえることです。急いで言うと、「私(プライベート)」という個が複数人集まってつくられるのが「公」です。つまりは「パブリック」ということ。それを「ステート」とは言わない。学校の教師は「(全体)公共の奉仕者」であって、国家の番人(番犬)なんかではないんです。

 自分がどのような教育を「受けて(受けさせられて)きたか」という、その体験は貴重な意味をもっているとおもうのです。ぼくはおおくのひととある点では同じような、ほかの点では異なる「学校教育」を経験してきました。これはぼくだけの体験です。そう、オンリーワンというやつです。学校教育というものに対する姿勢は私流のものであって、だれの体験とも似ていないということができます。したがって、それを敷衍するというか、一般化することはかたく禁じたいとかんがえてきました。まあ、そんなに立派なものではかったからでもありますが。私的領域と公的領域は、「私的存在」が共有するというか、共同で生み出すもので、その外側、その横か上に「国家」(という機関)があることになります。

 問題は、学校教育は「公人」を作るのか「国民」を作るのかという根本問題に触れなければならないことです。パブリックの集合体によってはじめて、公的社会(空間)が成立します。そこには「国民」が要求されることはないのです。もっと言えば、人種・性別・信条・国籍などによって選別されない、人間集団という「水平社会」を指すことになります。しかし、この「公人(パブリック)」を誤解してか、あるいは無視してか、「日本人」や「日本国民」を作ることが「学校教育の目的」になっているのです。今なお、この誤解というか狭量な「国家主義」から解放されていないというのは、何とも情けない状況にあるというばかり。

 ぼく自身は、どんなことがらにせよ、自分がしてきた体験をくりかえしかんがえ、その体験とむきあうところから生まれてきた感情(?)を根拠にして、教育に対する態度・姿勢(ひとつの見方であって、思想などといえないかもしれない)を作ろうとしてきたといっていいでしょう。だから、教育に対する考え方の根底に自分流(自分だけ)の体験があるという意味では、「私」一個に足をおいたかんがえであり、意見です。この足場からはずれて、カントの思想に立脚してとか、デューイの教育論がぼくの教育の原点なんだというスタイルはとりたくないし、とらないし、とれそうにありません。そのかぎりではまったくアカデミックではありません、幸いにして。

 いまでは滅私奉公という言葉は表だって使われなくなりましたが、しっかりと生きています。装いをあらため、あるいは厚化粧をほどこして大通りを闊歩しているのがすけて見えます「新しいこーきょー」などは、まさしくそれに当たるのではないですか。そして声高に「メッシホーコー」を叫んでいるひとたちは、どうみても「私欲」をすて、「私情」をまじえず「公」に身をゆだねようとしている風にはわたしの目に映らないのはどうしたことでしょう。そうとうにわたしの目が悪くなったのかもしれません。

 公的部分(パブリックの集合体)が成熟しなければ、そこは「官(行政官)」の独壇場になるでしょう。今も各地にある町内会(あるいは自治会)を想像してみます。地域に住んでいる住民は、個々人の遺志で「町内会(パブリック)」に入会します。ここでの仕事はさまざまですが、地域生活の改善や向上を図るために、住民の意思を聞き出して、それを行政に届けたり、申し出たりする。ここで初めて「官」というか「国家機構」が顔を出すのです。肝心なところは、自分たちの生活環境を自らの判断で改良していくことです。しかし、その役割を十分に受け止めなければ、たんなんる「行政の末端機関」「官の下請け機関」になり下がるのです。おそらくこのような状況に置かれているのがほとんどでしょう。それにもいくつか理由がありますが、「町内会」に入らない人が増えてきたことが一因しているでしょう。(あくまでも「私」に閉じこもって、「公」に加わりたくないというのです。その隙を狙って、「行政」が「公」の顔をして、這い出して来るのですが、それはまぎれもなく「官」そのものでしかないのです。どこまで行っても「私」を捨てきれない状況が、どんなに深刻な「社会危機」「生存危機」を生み出しているか、いやになるほど、ぼくたちは知らされています)

 この社会には「民主主義」は未熟、いや腐熟だとされるかなりの部分はここにあります。もっというなら「私」はあってもそれが、外にでて「公の一翼を担う」べき「個」というものがじゅうぶんに成立していないことではないでしょうか。「我」のままに生きて、公にならない、なれない「私」の瀰漫・横溢こそ、もっとも大きな時代社会の危難を生み出しているのです。学校教育よ、何と答えるか?

 根っ子の「私」から

 学校教育のもっともよくないところは、教育を「受ければ受ける」ほど自分(私)を失ってゆくところです。もちろんそれがねらいなんだというだれかの声が聞こえてきそうです。それも「自分を失え」などとは言わないで「素直であれ」とか「従順であれ」と口うるさくだれかがいうのです。素直=「おだやかで人にさからわないこと。従順。柔和。」このようにいうのは広辞苑です。(おだやかと、さからわないとは同じじゃないとおもいますが。素直ではないか)

 もちろん、これだけが「素直」の説明でないことはとうぜんですが、学校が子どもに求める第一の態度はこの意味で言われる「素直」でした。さからわない、従順、これを貫徹すると「順序が狂わず、正しく従うこと」(同上)になり、長幼の序といううるわしい秩序が保守されることになります。一時はこの国でも「長幼の序」は盛んでしたが、だからこそ往時をなつかしがるむきが勢いをましてきたのでしょう。はたして、いいことなのかどうか。  滅私も奉公も姿形は同じで、もちろん中身も変わらず、装いだけを一新させて生き延びていたのです。「公共の精神の涵養」などという言葉を中教審はさかんにこねまわしています。「国家は公」というのは本当のようで、実は虚構なんだ。

 「私」だけで存在することはできますが、それ(「私」)が社会性を持つとなると、「私」からの脱皮が必要です。寝間着姿で、街中を歩くのはどうか。だっぴというのは「私」を脱ぐことであり、孵化するように「個」になることを意味します。その「個」と「「個」がであって、初めて「社会」ができるのであり、「私」だけでは社会は生まれず、ひたすら「私」だけの境涯に縛られるのです。今日の社会に粗油字ている現象の一端が、ここに発しているようにぼくには思われる。

 (この部分は続く予定)(今は、各地で「レンゲつつじ」が咲き誇っているでしょう。昔、美ヶ原や霧ケ峰高原で群生地に迷い込んで、すっぽりと囲い込まれたことを懐かしく思い出しています)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。