今時、こんな「古手形」だか「印籠」などを持ち出せば、おそらく笑止千万でしょうね。しかし、たしかに「西洋社会」にはあったし(ひょっとして今でも、あるのかしら)この小さな島社会でもそれに擬した「華族制度」をでっちあげ、明治維新の論功行賞よろしく、偽物の「家」に偽物の「文化」をくっつけた塩梅でした。幸いに、敗戦後に「偽装華族制度」はご破算になりましたが、染みついた心持は、一気には消えてなくならなかったかもしれません。残されたのは「家門」「家柄」「血統」などという忌まわしくもある「血脈」「血族」などという遺産でした。今でもあらゆる機会につかわれるのが「名門」、ついにはラーメン屋にも「名門」が現れる時代ですから、「名門」変じて「通用門」となった感があり、それはそれでいい世の中だともいえそうです。

この「noblesse obligette(ノーブレス‐オブリージュ)」、辞書の説明には「身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」とあります。(デジタル大辞泉)「欧米社会の基本的道徳観」という理解には違和感を覚えますが、なに、「身分の高い人間は気位も高いので、ほっておくと、人を人とは思わない傍若無人の働きもあるから、キリスト教の戒めを現代風にアレンジして、身分が高い分、それに見合った道徳観を大事にせよ・身につけよ」」とでも言ったところだったでしょう。社会奉仕やライオンズクラブなどの社会(貢献)活動もこの流れにあるようです。

もう一つ、似たような「古手形」というべきか、やはり古い「印籠」を思い出します。これは中国伝来で、欧米流の「高貴なものは義務を持つ」という人間観の上下を示したものではなく、むしろ「超人間」たる存在はかくあるべしという「noblesse obligette」でした。貴人と庶人ではなく、人民を統治するほどの政治家たるべきものの政治姿勢を示したとも理解されます。この「先憂後楽」というモットーを残した范仲淹(はんちゅうえん)(989―1052)は、文字通り八面六臂の活躍をした政治家でしたが、思うに任せずに挫折したようなところが伺えます。まあ、ある種の政治家の「政治姿勢」を示したともいえそうです。長い歴史を誇ろ中国の「現代政治家」ははたして、いまなお「先憂後楽」を実践しようとしているのかどうか。そこには人民は眼中にないという恐ろしい事態が生じているのではないかと、大いに危惧しているのですが。「先楽後楽」という、許すべからざる惨状は、いたるところの政治の場面で認められるのです。
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● せい‐じん【聖人】〘名〙① 知識や徳望がすぐれ、世の模範と仰がれるような人。神のように万事に通暁している人。特に儒教では古代の堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)・湯(とう)・文王・武王・周公・孔子などをあげていう。ひじり。② 天子をうやまっていう語。中国では、唐以後にみられる。〔新唐書‐李沁伝〕(精選版日本国大辞典)
● せんゆう‐こうらく〔センイウ‐〕【先憂後楽】=《范仲淹「岳陽楼記」の「天下の憂えに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」から》国家の安危については人より先に心配し、楽しむのは人より遅れて楽しむこと。志士や仁者など、りっぱな人の国家に対する心がけを述べた語。(デジタル大辞泉)
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いきなりかかる「古手形」を持ち出したのも、ほかでもなく昨日の山形新聞「談話室」を読んだからでした。そこには緒方貞子さんの「国連難民高等弁務官」時代の広く、疲れを知らない「五フィートの巨人」の活動が記されていました。彼女が早い段階から国連などで活動されていたのは知っていました。遠くから見るに、「偉い人がいるものだ」という実感でした。ぼくがこんな感想を抱いた人はほんの数人でしたが、それはすべて女性。

氏より育ちといいます。あるいは「栴檀は双葉より芳し」などとも言います。どちらも似たような受け止め方ができそうですね。家柄や出自が問題にされない時代が来ているにもかかわらず、逆にそれにこだわる向きがあるのはどうしてか。時に聞こえてくる「名門」とか「一流」という残滓は、おそらく人間個人の中にも残されているのかもしれません。その表れの一片が「noblesse obligette」であったりするのかもしれません。しかし、あくまでも「水平」への飽くなき願いとあこがれを抱いて生きてきた緒方さんしたかえら、やはり「牛より育ち」だったのでしょう。人より優れていたいという希望や欲望は理解しますが、社会制度として「身分制」などのようなものがない時代や社会がさらに続くことを希求しています。
「私たちは同じ地球に住んでいて困っている人がいたら助けたいと思う。人として当たり前のこと」という緒方さんの精神に満腔の賛意を表しながら、彼女の高等弁務官時代の活躍を、陰ながら応援していました。高等弁務官名で何度か彼女のお葉書をいただいたりしましたが、「困っている人がいたら」「自分より恵まれない人がいたら」「自分にできる範囲で」という、ささやかな「思いやり」、そうです「矜持」や「プライド」などではなく、困っている人がいたら助けられる、そんな人間になりたいという、じつにささやかな「思いやり」なんですね、それが、これからいっそう求められると思う。優越感などではなく、「相身互い身」ですね。(もう少し書こうとしているのですが、体調が許してくれませんようで、今回はここまで)
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【談話室】▼▽緒方貞子さんは1991年から10年間、国連難民高等弁務官を務めた。紛争が頻発し、難民の救援が世界的課題となった時代である。イラクのクルド難民危機では、国内避難民も保護の対象にするという決断を下した。▼▽第2次チェチェン紛争が勃発した99年11月にはロシアに飛び、プーチン首相(当時)との会談に臨む。市民への攻撃抑制を求め、国内避難民の帰還を支援する用意があると伝えた。難民キャンプを訪ねるとチェチェンの人々は口々に「自分の家に帰りたい」と訴えたという。▼▽天上の緒方さんもさぞ悲しんでいることだろう。世界各地で難民が増え続けている。昨年末の時点で国内外に避難を強いられた人々は過去最多の8930万人に上り、10年連続で増加した。さらにロシアによるウクライナ侵攻によって難民が急増し、総数は1億人を超えた。▼▽人道支援の根幹について緒方さんはこう論じた。「私たちは同じ地球に住んでいて困っている人がいたら助けたいと思う。人として当たり前のこと」。地球の仲間が故郷に戻るために、どんな手助けが必要か。それを考え続けていくことが温かい支援につながるはずである。(山形新聞・2022/06/20)
● 緒方貞子(おがたさだこ)[生]1927.9.16. 東京,東京 [没]2019.10.22. 東京=国際政治学者。1951年聖心女子大学を卒業後,アメリカ合衆国のジョージタウン大学で国際関係論の修士号,カリフォルニア大学バークリー校で政治学博士号を取得する。1974年国際基督教大学準教授に就任。1976年女性として日本初となる国際連合日本政府代表部の公使となり,国連総会の日本代表である国連日本代表部特命全権公使を歴任。1980~88年上智大学教授,1989~91同大学外国語学部部長。この間,国連児童基金 UNICEF執行理事会議長を務め,また日本政府派遣のカンボジア難民救済実情視察団団長として現地入りしたり,国連人権委員会(→人権理事会)の日本政府代表としてミャンマーの人権状況の実施調査を行なったりするなど,人道的活動に情熱を傾ける。1991~2000年第8代国連難民高等弁務官(→国連難民高等弁務官事務所),2001~04年アフガニスタン復興支援総理特別代表に就任,アフガニスタン復興支援国際会議では共同議長を務める。2003~12年国際協力機構 JICA理事長,2012~14年同特別顧問。1994年読売国際協力賞,1996年ユネスコ平和賞,1997年マグサイサイ賞など内外の受賞・受章多数。2001年文化功労者に選定,2003年文化勲章受章。著書に『満州事変と政策の形成過程』(1966),『戦後日中・米中関係』(1992),『難民つくらぬ世界へ』(1996),『紛争と難民 緒方貞子の回想』(2006)などがある。(ブリタニカ国際大百科事典)

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・隠れ蓑夏至の雨だれ伝ひけり (高澤良一)(終日曇天の「夏至」の日ではありました。この後の大雨が予感されます。左写真は「隠れ蓑」)
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