世界は一冊の本、あらゆるものが本なのだ

どこへ行っても、みなおなじ。今はどこへ行こうと、日本のどこもおなじ表情をもつようになりました。新幹線の駅は、どこもそっくりおなじです。空港もそうです。どこもほとんど変わりません。街の光景もそうです。おなじチェーン・ストアがあり、おなじブランドがならび、おなじファーストフードがあり、おなじ食べ物があります。(長田弘「言葉を結ぶもの」『読書からはじまる』所収。NHK出版。01年)

 「教える・教えられる」教育が蔓延した結果、失われたのは「育つ・育てる」という 別の一面でした。「教えるー学ぶ」というけれども、じっさいは「話すー聞く」にほかならない。教師は話し、生徒は聞く。「子ども時代」というのは、大人たちの対話の周辺部におかれます。さらに言えば、対話から除外された存在でした。子どもは黙って、話を聞いていなさい、と。

 このような教育(授業)スタイルにおいて、「知識(まがい)」は一方的に教師から生徒に流されます。このスタイルをある人は「銀行型教育」と呼びました。(今日なら、さしづめ、「暗号通貨型教育」といえるかもしれません。どこにでも通用するものではなく、極めて限られた範囲でしか価値を持たないという点でも、「学校で得られる知識」にそっくりですね)教師は「預金者」で、生徒は「金庫」だというわけです。またそれは一種の「文化的侵略」だともいいました。Aの発言はBやCやDの言葉になり、またそうなるように求められるのです。教師の複製やコピーを大量に生産するような教育がいたるところでみられるのです。日本全国に約( )軒のコンビニがあります。全国の小学校・中学校・高等学校数は(小・)(中・)(高・)校であり、(郵便局数・)局です。飛行場はいったどれくらいあるでしょうか。( )箇所。

 みんないっしょ。それは法律が支配するからです。教育も法によって規定されれば、地域のちがいは無視されてしまいます。このように法による支配が制度を支えるのです。その意味では、まちがいなく教育は制度なのです。制度を維持しようとすると、そこには規則(規範)が作られます。教師は、生徒は「かくあるべし」というように。どこからも「みんないっしょ」と攻められるようにです。法律は紙一枚ですが、それが生きた人間や集団を縛ります。「みんなおなじであれ」というように、法の下の「平等」を強いるのです。「同調圧力」のもとで、生きながらえれるのはやさしいことではありません。

 それが普通である。だれもがそう思うのが普通で、そう思うこともみなおなじです。しかし、みなおなじ風景を生きているという暮らし方は、わたしたちの以前の暮らし方とは違っています。今までとはまったくといっていいほど違うしかたで、わたしたちは今を暮らしているのですが、当事者であるわたしたちは、そのことをそれほどつよく意識していないように見えます。(長田・前掲書)

 わたしたちがどのような時代や社会に生きているのか。当事者にはよくわからないのがあたりまえになってしまったようです。近年、各地で発生する地震や大豪雨。被災者は避難所にいて、どのくらいの被害状況だったのかを知らされるのはテレビの画面を通してです。実際に遭遇した災害の全体を当事者が知ることは不可能に近い。それと似たような現実が「みなおなじ」と思っている現代のわたしたちかもしれないと長田さんはいう。自分が今襲われている事態は、眼前の「テレビのモニター」にあるというのです。モニターを通し、製作者の意図や解説を介してしか、自らの実態を知りえないというのは、不便を通り越しているように、ぼくには思われます。誰か(何か)が作り出す姿が、「本当の自分なのだ」という具合ですね

 何百万部ものミリオンセラーがでているにもかかわらず、本が売れない時代、活字離れがはなはだしい時代と嘆かれています。映画や音楽にも同様の事態が生じています。本は読むものではなく買うもの、映画や音楽を観るもの聴くものでがなく、一瞥し一聴するに過ぎないもので、観るとか聴くが大切で、どう観たかいかに聴いたかが問われないとしたら、「読書」や「鑑賞」とは何をもらすものでしょうか。スマホが隆盛を極めているのかどうか、それに無知なぼくには分かりませんが、そのちいさな「暗号器」がなければ、おそらく戦争すら戦えない時代になっているのです。人間の置かれた状況は、次第に人間存在を踏み越えて先に進んでゆくのでしょう。半導体などというチップスが、世界を作り変えていく、そんな仰天すべき事態は加速がついて回転していきます。

「みなおなじになり、みなおなじ歌を聴いているはずですが、逆に、分かちあえるものが何もなくなっているように感じられるのは、みなおなじ社会のあり方、文化のあり方が、そのなかにいるわたしたちには見えないためです」(同上)

 たとえば、といって長田さんはマフラーの例をあげています。かりにだれもがおなじマフラーをしているとして、その結び方や使い方によって他人とはちがう印象を生みだす。「おなじマフラーでも、おたがいの印象をまったく違えるのは、その使い方、結び方」だというのです。そして、わたしたちの日常生活において、このマフラーの使い方・結び方とおなじようなもの、たがいのちがいを表すものがなにかあるかといえば、それが「ことば」だと思いあたるのです。日本で生まれて日本語を使うなら、みんなおなじになるかというと、そうではありません。それぞれがことなる日本語の経験のなかで育ってきたからです。おなじような土壌から、ちがいのあるキュウリやなすび、トマトやカボチャが育つのといっしょでしょう。このマフラーの例を長田さんはよい意味で使われたのでしょうが、一枚のマフラーでできる使い方など、あるいは、たかが知れているというべきで、言葉は、それとは比較できない歴史や個性を、それを用いる人間に与えることもあるのです。いや、むしろ、言葉は歴史を知る手掛かりとして使われてきたのでないでしょうか。

  

 それが今になって、みなおなじということばかり意識されて、そこからおたがいのちがいが出てくるということのほうが、そして違うということ、違ってゆくということが、本当はどんなに大切なことかということのほうが、あまり考えられなくなってきているとすれば、それだけ、言葉のちからというものが、今は大切なものとして省みられていない、ということです。(同上)  

 長田さんのこの指摘は図星です。同じ暗号コインを使い、同じマックのポテトを食べ、同じスマホでやり取りする日常が続けば、それだけ、他者との違いが消えてゆく、人によっては幸せだとも思いたいのですが、そうではないんですね。たった一ミリ、二ミリの違いが決定的に尊重されるのです。まるで伸長や体重の「違い」のように。日本の学校教育史を考えると、ちがいのあるものをみなおなじものにしようとする無理無体を強制するちからの働いてきたことがはっきりと指摘できます。

 おなじ教科書を使うから、みなおなじになるのではありません。無理にしようとしなければ、おなじ場所から、それぞれちがうものが育ってきます。おなじことばを使うけれども、そこからちがいが生まれるのは、ことばに対する感覚、感受性、あるいは経験といったものがそれぞれにちがうからです。おなじ家庭の兄弟姉妹だって、よほどあくどいことをしないかぎり、ひとりひとりちがうように育つはずです。ここで最も大切なのは、「ことばへの感受性」でしょう。言葉の中に「なにを発見するか」という問題です。

 現実は「よほどあくどいことをしている」ともいえそうです。日本全国にコンビニは四万数千軒あります。会社ごとに品ぞろえからレイアウトまで、もちろん味もかおりもいっしょです。値段も。みんないっしょ。それが安心になり、豊さを味わわせてくれるという「安直な錯覚」が大いに働いていると、ぼくは痛感しています。

 それとおなじように、小学校は二万数千校あります。品ぞろえからレイアウトまでいっしょ。いっしょの社員?教育(研修)を受けた店員さん(失礼、教員のこと)ですから、サービス(無愛想もふくむ)までおなじです。(いっしょに耐えられない店員、いや教員が出没して、あちこちで悪さをし、罪を犯しています、あるいはその世界に住めなくなって消えてゆくのです)

 つまりマニュアルが幅を利かせているのです。それは法律であったり通達であったりしますが、それ以上に強制力をもって迫ってくるのが「平等・横並び」という集団の意識(同質性への願い)です。似たようなものを作る時代、それは複製の時代であり、コピーの時代でもあります。複製やコピーは大量生産と大量消費をがっちりあてこんで作りだされたのです。規格からはずれるのは不良品。(ぼくなどはその典型のようなものでした)自由とか、精神のはたらき・思考力などはとても大事なんだといってもほとんどの場合は「馬耳東風」であり、「柳に風」でしよう。おなじでないものをおなじものにするには、なかからではなく、外部から型にはめるしかなさそうです。それがいつしか、中身にまで「いっしょ」がおよぶようになります。なかなか容易ならざる時代を歩いたり走ったりしているんですよ、諸君!

「みんないっしょ」の大波が打ち寄せてくる、まるで津波のように。その「波打ち際にあって、『私でなければいけないものは何か』ということが、一人一人にとっての重要な問題に、というか、難問になってくるだろうと思うのです」(同上)

____________________________

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。