とんぼ釣り今日はどこまで行ったやら

 【斜面】トンボの楽園 1円玉の直径は20ミリ。体長はほぼ同じだ。日本一、いや世界で最も小さなトンボの一種だろう。ハッチョウトンボである。雄は鮮やかな橙(だいだい)色。「赤い妖精」と呼ばれている。伊那市新山(にいやま)地区の湿地で、その姿が見られる季節になった◆この湿地で初めて見つかったのは18年前の6月のこと。住民の情報を基に専門家が確認した。翌年春から当時の日本蜻蛉(とんぼ)学会会長だった枝重夫さん(松本市)が調査を進めたところ、2年目には0・7ヘクタールの湿地に約5千匹が生息していることを確認した◆「全国有数の生息地」とのお墨付きを受け、住民は木道の設置や草刈りなどの保護活動に取り組んできた。一昨年10月からは新たに発足した「新山トンボの楽園を育てる会」が活動を引き継いだ。住民や専門家ら約80人の会員がトンボの生息に適した環境の維持に力を注いでいる◆会長の北原幸人(さちと)さん(71)によれば、一帯はかつて山砂の採取地だった。業者が山を崩し平たんになった土地に周りの山から水が染み出し、湿地ができた。水位は浅く、少しずつ水が入れ替わり、生えている草の丈も短い。ハッチョウトンボが好む条件だ◆各地の湿地は開発によって失われ、トンボはすみかを奪われてきた。新山地区では開発が偶然生息地を生んだ。環境は時がたてば変わる。今は乾燥化を防ぐため水を行き渡らせる対策が課題という。人と自然が折り合いをつけ共生する。その道を探る「トンボの楽園」の活動を応援したい。(信濃毎日新聞・2022/05/17)(下の写真も信毎新聞・2022/06/16)

●ハッチョウトンボ(はっちょうとんぼ / 八丁蜻蛉)[学] Nannophya pygmaea昆虫トンボ目トンボ科の昆虫。体長約15ミリメートル、後(こうし)長約13ミリメートルで、不均翅亜目のトンボとしては世界最小のものに入る。は成熟によって全体紅色となるが、は黄色と褐色斑紋(はんもん)を示す。ともにはねの基半部は橙赤(とうせき)色、日本列島では青森県から鹿児島県まで全土に点々と分布するが、幼虫の育つ、浸出水による浅いミズゴケ湿原破壊されることによって著しく減少した。平地では5~6月、山地では7~8月にみられる。さらに本種の分布は、中国大陸を含み、東南アジア各地から広く記録され、ニューギニア島に至る。一般にこれら南方産のものは小形で黒斑が退化する傾向がみられる。(ニッポニカ)                                       

●はっちょう‐とんぼ〔ハツチヤウ‐〕【八丁蜻蛉】 の解説トンボ科の昆虫。体長約1.5センチで、世界的に最小の種。成熟すると雌の体は黄色、雄では紅色になる。湿地にすみ、飛翔 (ひしょう) 力は弱い。名は愛知県名古屋の八丁畷 (なわて) に多産したことによる。(デジタル大辞泉)

 今となれば貴重なものとなった「八丁蜻蛉」を、ぼくは見た頃があるかどうか、その記憶はまったくないのです。京都に来るまで住んでいた石川県の能登中島では、川に入り山に分け入り、湖(あるいは用水の溜池だったか、幼児の記憶でしたから、相当に大きな池・湖のようでしたから)で泳ぎと、ひとあたり周りの環境で思いのたけ丈を遊んだ。もちろんトンボとりも盛んにしたし、蛍狩りもした。自然や環境に密着した生活を懐かしいものと思うのは、この能登中島の生まれ故郷時代、それも十歳未満でしたが、そこで存分に培われたものでした。だからというわけでもありませんが、この加賀の千代女さんの名前はもちろん「とんぼ釣り」の句もずいぶんと早い段階から知っていた。「とんぼ釣り」は、文字通りに「釣る」のですが、生きたトンボを見せかけ(誘い水)にして、やってくる蜻蛉を取ったのです。いつのころからか、ぼくはこの句を「とんぼ取り今日はどこまで行ったやら」と唱えるようになっていました。どうしてですかね。(この句は彼女のものかどうか異説があるそうです)

 略歴にあるように、彼女は早熟の俳人で、早くから加賀に千代女ありと知られていた人でした。結婚したが一年ほどで夫と死別。五十二歳で出家(剃髪)僧名は素因。七十三歳で死去(安永四年・一七七七五年)

 その名句とされるものをいくつか。それぞれが鑑賞されますように。いかにも、加賀の女性の「柔らかさ」が感じられてきます。堂々たる、しかもゆったりとした「風格」をも感じさせてくれるような句の佇まいではないでしょうか。

世の花を 丸うつつむや 朧月  

ふみわけた 情(なさけ)の道や 山さくら                

蛍火や よしなき道も そこらほど  

朝がほや 釣瓶とられて もらひ水  

とんぼつり 今日はどこまで 行ったやら                                (一茶が亡き子のために引いたので有名になったとされる)

 月も見て 我はこの世を かしく哉                                  (辞世句とされます。「かしく」は「かしく【恐/可祝/】《「かしこ」の音変化》女性の手紙の末尾に用いるあいさつの語。かしこ」(デジタル大辞泉)この句には、いろいろな説があるようですね。「これで失礼します。かしく」という具合だったか。だとすれば、千代女さんは、悠揚迫らぬ大往生となります)

● 加賀千代 没年:安永4.9.8(1775.10.2) 生年:元禄16(1703)=江戸中期の俳人。加賀松任(石川県松任市)の表具屋,福増屋六左衛門(一説に六兵衛)の娘。出家して素園とも号した。11,12歳のころ,本吉の北潟屋に奉公。主人,岸弥左衛門(俳号半睡のち大睡)に,俳諧を学ぶ。10歳代でその名は諸国に喧伝され,ことに各務支考,中川乙由との交流を契機に全国の俳人が知るところとなった。「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」は,その作として有名。植物の生命にまで愛情をそそぐような,女性らしい着眼点を示す。生前に,『千代尼句集』なども刊行された。<参考文献>中本恕堂編『加賀の千代全集』(朝日日本歴史人物事典)

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