心にあいた穴を埋めるのは自分自身だ

 宮沢賢治の作品に『ツェねずみ』という童話がある。古い家の真っ暗な天井裏に住み、<償(まど)うてください>を口癖にするねずみの話だ。いたちから金平(こんぺい)糖がこぼれている場所を教えてもらい、お礼も言わずに一目散に走っていく。ところが蟻(あり)の兵隊が先に到着していて追い返される▼ねずみは、<私のような弱いものをだますなんて、償うてください>といたちを責め立てるが、いたちはもちろん怒る。<ひとの親切をさかさまにうらむとは>と。こんなことの連続で、最後はねずみ捕りにかかってしまう▼東京都世田谷区で一家四人が殺害されて今日で丸七年になる。犯人は捕まっていない。隣家に住んでいた被害者の姉、入江杏(ペンネーム)さんが自著『この悲しみの意味を知ることができるなら』で、ツェねずみの話を取り上げている▼事件後、何度も「償ってください」と叫びたくなった。奪われたのは愛する妹一家であり、心にぽっかりと大きな穴があいた。だが、<誰に償ってもらえるはずもないのだから>と、ツェねずみにはならないと誓ったという▼悲しみが消えることはおそらくない。毎朝カーテンを開けるときが、一日のうちで一番寂しい。朝の光が、「もう妹たちがいないんだ」と告げてくるからだ。それでも喪失を学びとし、<敢(あ)えて人生を肯定的に捉(とら)えていきたい>のである▼どうしたら、ツェねずみにならなくてすむのだろう。<ささやかなことに目を瞠(みは)って、ただごとに感動し、一瞬一瞬をいとおしんでいきたい>。入江さんの言葉が心に染みる。(東京新聞「筆洗」・07/12/30)(記録された日付は、大いなる「旧聞」ですが、その内容はいつでも「新聞」なんです。これが「本当に「旧聞」になる時が来るのでしょうか)

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 入江杏(あん)さん著『この悲しみの意味を知ることができるなら 世田谷事件・喪失と再生の物語』春秋社刊。07年12月)《10年に近い海外生活ののち帰国した2000年12月31日未明、「世田谷一家殺人事件」に遭遇し、妹一家を失う。その後、犯罪被害からの回復・自助とグリーフケア(家族・友人など大切な人を亡くして大きな悲嘆に襲われている人に対するサポート)に取り組みながら、絵本創作と読み聞かせ活動に従事している〈ミシュカの森〉主宰。著書『ずっとつながってるよ こぐまのミシュカのおはなし』(絵本、くもん出版)。》(同書の著者紹介より)

 入江さんの語られる物語に『スーホの白い馬』がでてくる。お読みになった方もおれるでしょう。スーホという名の羊飼いの少年に一頭の白い馬がいた。その白馬は大きく成長し、国中でいちばん速く駆ける馬になった。しかし、殿様が主宰する大会で優勝したために、スーホは殿様に取り上げられてしまった。スーホのもとへ逃げ帰ってきた白い馬は身体中に矢を受け、傷ついていた。そして、とうとうスーホのもとで死んでしまった。

 悲しさにうちひしがれたスーホの夢のなかに現れた白い馬は、彼に語るのだった。

 「そんなに悲しまないで。わたしの骨や皮、筋や毛を使って、楽器をこしらえてほしい。

そうすれば、いつでもあなたのそばにいて、あなたをなぐさめてあげられるから」

 夢で告げられたとおりに、スーホは楽器を作りました。それが馬頭琴です。スーホが奏でる馬頭琴は広い広いモンゴルの草原に鳴りわたり、たくさんの人びとのこころをなぐさめたのでした。

  「なんのために生きているのだろう、なぜ生き残ったのだろうと自問していた。そんな私に、にいな(妹の長女)が遺してくれたもの。それが悲しくも美しい再生の物語だったことに、不思議な符号を感じざるを得ない。/ この再生の物語は道しるべなのだろうか? 私のグリーフケア(悲嘆の克服)の途上に与えられた道しるべ」(同上)

  亡くなる少し前に、にいなちゃんが遺したのが「スーホの白い馬」の詩画だったという。

 この『スーホの白い馬』の引用のあとに『ツェねずみ』の話がでてきます。

 「私も何度も『まどってください!』と叫びたくなることがあった」

 「夢や情熱、挑戦する勇気、自分を信じて進んでいこうとする誇り。まどってほしいものは、形のあるものではなく、形のないものだった」

 やがて、入江さんはもう一歩先に歩かれました。

 「誰にまどってもらわなくてもいい。それ以上に、自分の中にまどってほしいと願うツェねずみがいることがたまらなく嫌だった」「私はツェねずみにはならない、そう誓った。心にあいた穴を埋めるのは自分自身だ、自分で自分の人生の意味をもう一度見出さなければ。私の人生の創り手は私以外の誰でもないのだから」

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(「いたちさん。ずいぶんお前もひどい人だね。のような弱いものをだますなんて。」
「だましゃせん。たしかにあったのや。」
「あるにはあっても、もう蟻が来てましたよ。」
「蟻が、へい。そうかい。早いやつらだね。
「みんな蟻がとってしまいましたよ。私のような弱いものをだますなんて、うてください。償うてください。」
「それはしかたない。お前の行きようが少しおそかったのや。」
「知らん、知らん。私のような弱いものをだまして。償うてください。償うてください。」
「困ったやつだな。ひとの親切をさかさまにうらむとは。よしよし。そんならおれの金米糖をやろう。」
「償うてください。償うてください。」
「えい、それ。持って行け。てめえの持てるだけ持ってうせちまえ。てめえみたいな、ぐにゃぐにゃした男らしくもねえやつは、つらも見たくねえ。早く持てるだけ持ってどっかへうせろ。」いたちはプリプリして、金米糖を投げ出しました。ツェねずみはそれを持てるだけたくさんひろって、おじぎをしました。いたちはいよいよおこって叫びました。
「えい、早く行ってしまえ。てめえの取った、のこりなんかうじむしにでもくれてやらあ。」
 ツェねずみは、いちもくさんに走って、天井裏の巣へもどって、金米糖をコチコチ食べました。
 こんなぐあいですから、ツェねずみはだんだんきらわれて、たれもあんまり相手にしなくなりました。(以下略)(『ツエねずみ』(青空文庫版)

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  一瞬にして妹一家四人を奪われた姉の悲しみと嘆き。

 「この悲しみの意味を知ることができるなら」

 事件から七年が過ぎました。

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 上の文章を書いたのは、入江さんとお会いし、いろいろとお話を聞くなかで、この「事件」を、ぼくが担当している授業で扱い、多くの学生に関心をもってもらおうとしているときでした。もう十五年も前になります。「どうしてこんなに無慈悲な出来事が起こったのか、しかも、私の妹一家に」と、大きな嘆きを抱えておられる入江さんの心中を思えば、胸が張り裂けるばかりでした。その後にも何度かお会いし、彼女が各地でされている講演などの情報をもとにして、さらに、一歩先に入江さんは歩かれていると実感したのでした。

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事件20年を前に思いを語る被害者遺族の入江杏さん=東京都内で

 事件当時、現場の隣に暮らしていた入江さんは「私が逝ってしまえばよかったんじゃないか…」と、生き残った罪責感にさいなまれる日々だったという。集いを通じて出会い、支えとなった人たちや出来事、言葉や気付きがあまたある中で「生きていて申し訳ないなんて思う必要はない。誰に遠慮することなく、どこまでも、どこまでも、幸せになっていい」との若松さんの言葉は、本の帯にもなった。(左は、事件20年を前に思いを語る被害者遺族の入江杏さん=東京都内で)/ 入江さんは、事件で亡くなっためいのにいなさん=当時(8)=と、おいの礼ちゃん=当時(6)=が大切にしていたクマのぬいぐるみ「ミシュカ」を主人公にした絵本を06年に出版。集い「ミシュカの森」は絵本にちなんで名付けた。/ コロナ禍の今、入江さんは「誰かが悲しんでいる時に、そっと手を差し伸べられる社会になってほしい」と願ってやまない。(以下略)(東京新聞・2020/12/08)

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 どんな人であっても、外側からは近づくことができない、大きな悲しみや苦しみを身に背負って生きておられます。ずいぶんと昔のことになりましたが、ある男子学生から「母親ば死んだというのに、誰も悲しんでなんかいない。ぼくはこんな世の中を呪っている」と手紙をもらったことがあります。「葬式」の隣で「お祭り騒ぎ」というのは金子みすゞでした。「お祭り騒ぎ」をしている人だって、「耐えられない悲嘆」を心中深くに宿しているのです。喜びや幸せいっぱい、そんな人は一人もいないと、ぼくには思われます。

 「誰にまどってもらわなくてもいい。それ以上に、自分の中にまどってほしいと願うツェねずみがいることがたまらなく嫌だった」「私はツェねずみにはならない、そう誓った。心にあいた穴を埋めるのは自分自身だ、自分で自分の人生の意味をもう一度見出さなければ。私の人生の創り手は私以外の誰でもないのだから」

 入江杏さんのような方が前に向かって歩いておられる、それを知るだけでぼくは真摯に生きていきたいと念ずるようになるのです。彼女の悲しみや苦しみは、彼女一人のものではないでしょう。ある人がそれを受け止められる限り、人間の共通の「痛み」となるのです。その「痛み」の了解は、しかし、時に、他者の苦しみの質を変えるのかもしれないのです。このような、言わず語らず「教えられる」「導いてくれる」生き方の流儀、ぼくは多くの方々に出会うことで、この、決して派手ではないが、誠実な軌跡を描くような人生の「流儀」を学んできました。

 「誰かが悲しんでいる時に、そっと手を差し伸べられる社会になってほしい」

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。