進化は偶然と必然の混在である

 この駄文集録には何度か、S.J.グールドの本について触れてきました。いろいろと批判がありながら、サイエンスライターとしては実に刺激的な論陣を張ってきた人として、ぼくは昔から彼の愛読者でした。気候変動や地球環境の激変が深刻な影響を地球に与えるという騒然とした雰囲気の中で、彼が示した視点や論点が大いに参考にもなり、かつ今後の方向を探るためのきっかけ(てがかり)にもなるのではないかとぼくは愚考している。今回はいわゆる「進化論」に関して彼の独自の所説を概観してみた。いわゆる「進歩のモデル」への鋭い批判であり、それに代わる「進化の仮設」の提示です。直線的に進むものではなく、「旧」を克服して「新」に至るものではないということです。無知や迷妄が徐々に克服され、やがては「真理」に到達するという予定調和の「幸福論」を彼は唱えない。

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 われわれは迷信的な無知の状態から出発して、事実を次々に蓄積することによって窮極的な真理に向かって進む、とうのが、従来の科学の「進歩」のモデルである。このひとりよがりの視点からすれば、科学史は単なる発見物語でしかない。とうのは、それはただ過去のあやまちを記録し、煉瓦積みの職人に窮極の真理を垣間見た功績を帰することしかできないからである。それは古くさいメロドラマと同じくらい見えすいている。つまり、われわれが今日知覚するところの真理が唯一の裁決者であり、過去の科学者の世界は善玉と悪玉に二分されてしまう。

 科学史家たちはこうしたモデルを、過去十年の間に完全に捨ててしまった。科学とは客観的情報の冷酷無情な追求ではない。それは人間の創造的な活動であって、科学の天才は情報の処理装置などとしてではなく、むしろ芸術家として活動しているのである。理論が変更されるのは、新しい発見から生ずる単なる派生的な結果としてでなく、その時代の社会的・政治的な力に影響を受けた創造的な想像力の働きの結果としてである。われわれは過去を判断する場合に、われわれ自身のもつ確信という、時代を無視した先入観によるべきではない。つまり、過去の科学者たちを彼ら自身の関心とは無関係な基準によって正しいと判断して、英雄あつかいすることは避けるべきなのである。(S. J. Gould『ダーウィン以来 進化論への招待』ハヤカワ文庫版)

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 スティーヴン・ジェイ・グールド(1941~2002)。ニューヨーク生まれ。古生物学・進化生物学・科学史専攻。科学のエッセイストとしても大活躍しました。『ダーウィン以来』(1977)はグールド進化論の原点となった著作であり、そこには刺激的な考察や過激な指摘などが満ちあふれています。「自然淘汰説」「進化論」はすでに定説が幅を利かせているが、はたしてそれでいいのか。グールドはのっけから科学史の常識に果敢に挑戦します。

1生物には変異があり、すくなくとも部分的にその変異は子に受けつがれる。 
2生物は生き残れる以上にたくさんの子や卵を産(生)む。
3ある環境に好ましいとされる方向にもっとも強く変異している子孫が生き残る。好ましい変異は自然淘汰によって個体群に蓄積される。(同書・P12)

 自然淘汰説の基本原理とはなにか。

 たしかにこれが基本となるが、それだけでは足りないとグールドはいいます。「ダーウィン理論の本質は、自然淘汰は進化にとって創造的な力であって、単に不適者の死刑執行人にすぎないのではない、という主張にある。自然淘汰は適者を構築するものでなければならない」と。

そこからさきの基本原理に加えてつぎの観点が必要となるとする。

変異は無方向である。「進化は偶然と必然の混在である。偶然というのは変異のレベルにおいてのことであり、必然というのは淘汰の働きにおいてのことである」
2変異の規模は、一回の進化上の変化にくらべて、小さい。

 「進化」には目的はないというのがダーウィンの主張の確信です。だんだんに進化していって、ついに世界は調和するというのは幻想に他ならないということ。「進化」の方向は定まっていない(無方向)というのも彼の説の重要部分です。進化論は進歩論ではないというのです。したがって、もろもろの生物はみずからが棲息する局地環境に適応するだけだというのです。(機会を見つけて一読されることをすすめます) 

 ビーグル号の博物学者はだれだったか。ダーウィンではなかった

 どうしてダーウィンは’evolution’という語を使わなかったか。

 みずからの説を公表するのにどうして二十一年もかかったのか。

 このような謎かけからはじまって、問題はだんだんと「進化」していきます。

〇自然淘汰説(しぜんとうたせつ)=自然選択説とも。進化の要因論として,C. ダーウィンと A. R. ウォーレスが同時平行的に到達した説。生物は原則として多産性で,そのために起こる生存競争の結果,環境により適応した変異個体が生存し,その変異を子孫に伝える。このため生物は次第に環境に適応した方向に向かって進化するという考え。ダーウィンはこの説を《種の起原》において本格的に論じ,それによって進化論は広く認知された。その後20世紀に入り,遺伝学や分子生物学の裏づけを得て,現代の進化論の中でも中心的な位置を占めている。(マイペディア)

〇進化論(しんかろん)=生物の進化が事実として承認されるまでは,生物進化の説を進化論と呼んでいたが,現在では主として進化の要因論をいう。体系的な進化要因論を最初に提唱したのはラマルクで,彼は動物の器官および機能は用・不用によって発達の程度が決まり,この後天的な変異が遺伝し,累積して進化の原因となるという用不用説を唱えた。ラマルクの進化要因論はネオ・ラマルキズム,定向進化説などに受け継がれている。次いで C. ダーウィンは,変異個体間の競争に基づく自然淘汰説を提唱。ダーウィンの進化論は18世紀の社会進歩観を背景にして生まれたもので,社会進化論と密接なかかわりをもっていた。現在では,自然淘汰説に,突然変異,遺伝子の機会的浮動,隔離などの要因を加えた〈総合説〉が主流である。しかし,さまざまな異説もあり,キリスト教原理主義者の〈創造説〉のように,進化の事実そのものを否定する主張もある。(同上)

〇ハヤカワ文庫版として邦訳されているグールドの著書、何点かを。どのいっさつも、ぼくにはじつに刺激的でした。

● グールド(Gould, Stephen Jay)[生]1941.9.10. ニューヨーク,ニューヨーク []2002.5.20. ニューヨーク,ニューヨーク=アメリカ合衆国の古生物学者,進化生物学者,著述家。『ナチュラル・ヒストリー』誌に「生命についての考察」と題するエッセーを 1974年から 2001年まで連載した。1972年ナイルズ・エルドレジとともに断続平衡説を発表。の進化は長く安定した期間と急激な種分化と形態変化を断続的にもたらすと主張,チャールズ・R.ダーウィン以来の進化論に異を唱えた。1963年にアンティオーク大学で地質学学士号を,1967年にコロンビア大学で古生物学博士号を取得。1973年にハーバード大学教授となる。著書に『個体発生と系統発生』Ontogeny and Phylogeny(1977),『パンダ親指』The Panda’s Thumb(1980),『人間の測りまちがい』The Mismeasure of Man(1981),”The Structure of Evolutionary Theory”(2002)など多数。1983年全米芸術科学アカデミー会員,1989年全米科学アカデミー会員となった。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 数日前に鹿児島の新聞のコラムに以下のような記事が出ており、大変に興味を抱きました。畑からアブラムシがいなくなった、カメムシが消えたというのは、ぼくにとっても、このところ見られる、おおいに謎のような出来事だったのでした。もちろん、カメムシが一匹も出ないというのではなくても、その数は激減しているといえそうです。どうしてこのような事態が認められるのでしょうか。(小学校五年生の観察記録の一部ですが、全文を見たいと考えているところです)もちろん、その背景や理由にはいろいろなことが想定されますが、何よりもネオニコチノイド系の農薬(害虫駆除剤)の影響が考えられます。カメムシ退治には、今では全国的に田植え後の田に「ネオニコ農薬」が空中散布されています。稲の幹から入り込んで稲を枯らしてしまうカメムシ退治の決定打だともいわれる「農薬」です。アブラムシも同じような「駆除剤」散布がいきわたった結果であるかもしれません。各地の稲田や川岸で蛍が見られなくなったのはどうしてか。あるいはこれも世界的にみられる奇怪現象として「ミツバチ」の失踪現象などなど。

 いろいろな理由や影響を考えなければなりませんが、いたるところで見られる異常気象や温暖化の昂進など、その直接間接の原因は何なのか、まだまだ掘り下げられてはいませんが、そうしている間にも「ミステリー」や「怪異現象」が、あるいは手に負えない結果をもたらすことになるのではないか、そんなことを考えながら、背筋を凍らせています。

【南風録】事件は畑で起きた。追い払うのに苦労していたアブラムシが全くいなくなった。薬もまいていないし、葉から落としたわけでもない。カメムシも消えた。1日付本紙「若い目」に載ったミステリーである。▼南さつま市の小学校5年生が投稿してくれた。日頃からよく観察しているのだろう。生き生きと疑問をつづる文章を楽しみながら、ふと心配になった。もしかして本当に大事件なのではないかと。▼先月発表された世界気象機関(WMO)の報告が浮かんだからだ。気温の上昇傾向を受けて世界の海面が2013~21年に年平均で4.5ミリ上昇し、過去最高になったという。畑の謎も温暖化のせいと想像するのは飛躍しすぎか。▼きょうは国連の「世界環境デー」。1972年のこの日、スウェーデンのストックホルムで国連人間環境会議が開幕した。110カ国以上が参加し、地球規模で環境問題に取り組む契機となった。▼会議で採択されたのが、人間環境宣言である。「いまやわれわれは世界中で、環境への影響に一層の思慮深い注意を払いながら、行動をしなければならない」。残念ながらこの半世紀、状況は深刻さを増す一方だ。▼宣言は環境の保護と改善はすべての政府の義務とし、市民や企業にも責任と努力を求めた。いま一度、問題にしっかり向き合い解決を急ぎたい。自然の豊かな営みに目を輝かせる子どもたちのために。(南日本新聞・20022/06/05】

*参考 ネオニコチノイドとは? ネオニコチノイド系農薬とは、ニコチンに似た成分(ニコチノイド)をベースとする、現在世界でもっとも広く使われている殺虫剤で、1990年代から市場に出回り始めました。一般にネオニコチノイドと呼ばれる化合物は、アセタミプリド、イミダクロプリド、クロチアニジン、ジノテフラン、チアクロプリド、チアメトキサム、ニテンピラムの7種類あり、これらを主成分とする農薬・殺虫剤は様々な用途や製品名で販売されています。また、以下の説明で「ネオニコチノイド系農薬」という場合は同じ浸透性農薬であるフィプロニルを含みます。ネオニコチノイド系農薬は脊椎動物より昆虫 に対して選択的に強い神経毒性を持つため、ヒトには安全とされ、ヒトへの毒性の高い有機リン系の農薬に代わる効率的な殺虫剤として、2000年代から農業を始め家庭用の害虫駆除剤やペット用に幅広く商品展開が行われました。さらに、水に溶けて根から葉先まで植物の隅々に行きわたる浸透性殺虫剤として、作物全体を害虫から守れる効果的な農薬という宣伝のもと、現在では農地や公有地などで大規模に使われています。

 しかし、ネオニコチノイド系農薬の使用拡大と同時期に、世界各地でハチの大量死が相次いで報告され始めました。ハチは農業を行う上で重要な役割を担う花粉媒介者であるため、ヨーロッパではいち早く2000年代初頭からネオニコチノイド系農薬の使用を規制する動きが始まります。2013年半ばには、欧州委員会が3種類のネオニコチノイド系農薬と、同じ浸透性殺虫剤でネオニコチノイド系農薬と似た性質を持つフィプロニルの使用について、同年末から2年間の暫定規制を決定しました。この決定は、科学的証拠は十分ではないものの、環境と生命に多大な影響を及ぼす可能性が高いと想定される場合に適応される予防原則に基づいたものです。代わりとなる安全な農薬がなく、ハチの大量死とネオニコチノイド系農薬との直接的な因果関係の立証が科学的に未確定ななか、ネオニコチノイド系農薬の包括的な規制に向けて一歩踏み出す決定かもしれません。
 

 生態系へのリスクと欧米での規制 ハチを含む生態系への影響が懸念されるネオニコチノイド系農薬の特徴として、神経毒性浸透性残留性の3つがあげられます。昆虫に対する強い神経毒性は、ターゲットとなる害虫以外にも益虫を含む多くの昆虫を殺したり、生存が困難になるような障害を負わせたりしてしまいます。また水に溶けることで、水を介して周辺の草木や地下水に入り込み、殺虫剤を使用していない地域へも広がる危険があります。そして、一度使われると土壌や水の中に長く留まり蓄積していくため、低濃度のネオニコチノイド系農薬に長時間曝された昆虫類が異常行動を起こすなど、生態系に大きな悪影響をもたらす可能性が指摘されています。

 ネオニコチノイド系の農薬が市販され始めた当初、長期的な毒性やヒトを含む生態系への影響はほとんどわかっておらず、安全性が明確に示されないまま大量に使われてきました。しかし、鳥類や哺乳類への影響に関する報告をはじめ、ヒトへの影響も徐々に明らかにされつつあります。ネオニコチノイド系の農薬散布と同時期に体調不良を訴える患者が急増したり、胎児が発達障害を起こしたりする危険を指摘する報告もあり、ネオニコチノイド系農薬は私たちにとっても身近な問題となってきました。

 各国での規制が進むなか、日本ではネオニコチノイド系農薬問題への認識が低く、現時点でネオニコチノイドの使用そのものに対する規制がない上、使用量の規制緩和が行れるなど他の先進国とは逆の動きも見られます。また、ネオニコチノイド系農薬の残留基準もヨーロッパの数倍から数百倍に達する場合が多いため、日本の生態系に大きな影響を与えている可能性がありますし、同時にネオニコチノイド系農薬が使われた農作物を購入し、洗っても落ちないネオニコチノイドを大量摂取することで、人体への影響も懸念されます。まずは一人ひとりがこの問題に対する理解を深めることが大切です。(「ネオニコチノイド系農薬問題とは?~情報・資料集~」:https://www.actbeyondtrust.org/whats-neonico/

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)