個人として責任がない。でも、それですまない

 以下の文章は、書かれたのが一九七四年ですから、すでに半世紀が経過しようとしています。しかし、ぼくがこの鶴見さんの文章を、ある雑誌で読んで、「彼の想いは、ぼくの想いそのもの」「彼の姿勢はぼくの姿勢に」と実感したまま、いわば半世紀が過ぎてしまった。日韓(朝)問題とか、日本の朝鮮植民地化問題といわれる「歴史事実」を、ぼくたちは、すでに「歴史の彼方」にやり過ごしたつもりでいるようです。果たして、そうなのでしょうか。秀吉の「朝鮮出兵」から数えれば、四百数十年前、もはや遥か彼方の時代の出来事に属します。だから、それはこの島国や島社会の、現代に生きている住人である「自分」には一切責任がないと言い切れるなら、問題は起こらないのです。

 ぼくは事あるごとに、この、鶴見さんの文章を読んできました。読んでどうなるものではありませんし、問題が消えるきずかいもないのですが、この「植民地」問題には、ことのほか思いが募るのです。今現在、東欧で、ロシアが「ウクライナ侵略」を強行し、あらゆる殺戮・強奪を含む「戦争犯罪」のオンパレードをなしています。独立主権国であるウクライナに土足どころか、ミサイルをはじめとしてあらゆる殺戮破壊武器を打ち込んで土地を略奪し、あろうことか、それを自国の領土と化そうとしているのです。二月下旬に「戦争勃発」が認められて以来、今に至るまで、それは許しがたい暴挙であり、あるいはロシア国を世界の中から抹殺したいという衝動にかられるているのも事実です。それは、日本が朝鮮半島や満州(中国旧東北部)で強行した植民地政策と、それに伴う「戦争犯罪」行為を、今のウクライナの戦争状態においてみる、いや見せつけられるからです。

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● 文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)=文禄1 (1592) 年と慶長2 (1597) 年の2度にわたる豊臣秀吉の朝鮮,明の連合軍との戦い。高麗の陣ともいう。朝鮮では干支により壬辰倭乱・丁酉再乱,明では万暦朝鮮役と呼んだ。出兵の準備は天正 14 (1586) 年九州征伐の頃からすでにでき,文禄1年3月肥前名護屋に本営をおいた。総勢 15万 8000の兵を9軍に編成し,同年4月第1陣が釜山に達し戦端を開いた。朝鮮,明の両軍と対戦し,平壌の戦い,碧蹄館の戦い,晋州城攻めなどを経て広範な地域を占拠し,さらに明への侵入を企図したが,同2年4月竜山停戦協定の成立に伴い撤退。秀吉は同年6月に明帝の娘を后妃に迎えること,勘合船を復活すること,朝鮮を割譲することなどの7ヵ条を講和条件として決定させたが遵守されなかった。秀吉は,協定の不履行,条件の不備,さらに交渉の内情を不満として,慶長2年 14万の軍兵をもって再征したが,蔚山の戦い泗川の戦いでは明軍に包囲され,戦局は必ずしも好転しなかった。同3年8月秀吉の死によって停戦協定が結ばれ,戦いは終結した。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 年齢的には、ぼくは鶴見さんとは二十数年の違いがありますから、その心情はまったく変わらないとは言えません。しかしいささかの時代おくれの人間として、あらゆる「戦争行為」が、ぼくは歴史にかかわる時代を生きてきたのですから、その歴史に参与・参画しているという意識は消えません。半世紀近くを、ぼくは変わらない思いで、この文章を読み続けてきた、最も大きな理由はいくつかあります。それを以下の引用において紹介したいと愚考したからです。この文章委は、問題への回答があるというのではありません。歴史に正対するのは、ここのにんげんのもんだいであり、その姿勢や態度に、ぼくは彼から教えられたといいたいのです。明確な答えがない問題を、しかし、そこから逃げないで、しっかりと受け止めるということです。

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

 日韓併合は、明治四三年におこったことで、私がうまれる十二年前のことだ。関東大震災での日本人による朝鮮人虐殺は、大正十二年におこったことで、私が満一歳の時におこったことだ。

 そのどれに対しても、私は個人として責任がない。同時に、それですむものではない。私は自分が日本民族と同じ大きさの巨人ゴーレムみたいな存在になって民族の責任を自分の肩にせおうというような大それたことを考えない。そう考えることをとおして、自分の裏口から入ってくる傲慢な態度を排したい。私は、自分個人の責任と、自分の属する民族の責任とのあいだに立ち往生している。自分の責任ではないと思いながらも自分の責任を考えるだけではすまないものがあるということから眼をそらすことができない。

 「在日朝鮮人の人がそんなに差別されていることがおきらいなら、国におかえりになっていただきたいと思います」

 という趣旨の投書が、主婦の名で、戦後に新聞に出たことがある。日本人の高校生が朝鮮高校の学生に集団攻撃をくわえたという記事などは、やはり、おなじような考え方を代表しているのだろう。なぜ朝鮮人が日本にいるのか。在日朝鮮人はなぜわれわれ日本人に批判の眼をむけるのか、なまいきだということになってゆくらしい。

 個人の責任ということだけを考えてゆくと、そういう主婦の投書、高校生の見方につらなる。在日朝鮮人六十万人が日本にいることになった背景には、日本が朝鮮の国をとったこと、そのあとかれらは土地をだましてうばったこと、そのためにかれらが日本に来て、日本人よりも安い賃金でここで働くようになったことなどがある。戦争中に朝鮮から若者を強制連行して来て日本で働かせたことも、これにくわわる。

 そういうわれわれの前代の日本人が朝鮮人に対してしてきたことを、われわれは、そのまま今日にひきついでいる。

 そういう事情をぬきにして、私たちは、日本を理解することはできないはずなのだが、戦後になってさえ、朝鮮への日本の仕打ちをきりはなして日本のことを説明する流儀が、小学校からはじまってマスコミの世界をつらぬいている。われわれは、自分たち個人の責任だけを考えるならば、朝鮮人に対する差別と偏見をひきつぐことになる。

 われわれの先代によってここに服従することを余儀なくされた朝鮮人がすでにここにいて、われわれの間で、就職に際して、下宿を求めるに際して、結婚に際して、日本への出入国に際して、日本人にとっておこり得ないような冷たいあつかいをうけている。それをそのままにしておくことは、やはり許されることではないだろう。

 しかし、それを考えることは、日本人としての自分を、もっともいやな姿において見ることで、さけたいと思うのも当然だろう。

 朝鮮のことを考えたくないという気持ちは早くから自分の中にはたらきはじめた。たとえば、映画の中で「パカニスルナ」というせりふが出てくると、思わずわらいそうになるということがあって、それが私にはいやなのだ。

 私が朝鮮人だったら、こういう時に、わらいそうになるはずがない。私の中に、朝鮮人とおなじように怒りがすぐにあらわれることがないということを、一瞬おくれて自分の中に感じていやになる。ここでは私は、日韓併合以来、長いあいだかかってつくられた日本民族の惰性の中に依然として身をひたしている自分に気がつく。自分の皮を幾度もむいてゆけば、何がでてくるのか、自分にもよくわからない。(鶴見俊輔「わが欠落Ⅱ」「私の地平線の上に」所収。『鶴見俊輔集8』、筑摩書房刊、初出は1974年)

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 既述したように、この文章(「わが欠落」)が書かれて半世紀以上が経過しています。この極東の小社会も変わったし、当然のようにこの島にいる「在日朝鮮人」の人々の意識や感覚もい大いに変わったとも言えそうです。だから、いまどきこんな素朴な、対朝鮮(半島・民族・人間)問題への感情を抱く人がそんなにいるものじゃないといえるかどうか。ぼくにはよくわかりません。時代は動くというのは、人間や人間集団の意識や意識の総体ともいえるものが変わるから言えることであって、それはいつだってそうなんですね。

 日本と朝鮮、そして日本人と朝鮮人。その狭間におかれたような「在日朝鮮人」。

 鶴見さんの語るところはいまなお多くの点で、多数の日本人には思いあたる節があるのではないでしょうか。自分は日本(人)のことも朝鮮(人)のこともよく理解しているから、そこには大きな問題はないのだと断言できる人は幸いです。韓国に新しい大統領が誕生しました。日韓(韓日)新時代の探求という方向が求められています。その一面は確かに大切ですが、ぼくやぼくたちにとって欠かせないのは「歴史の再学習」です。「韓国併合」にも、「朝鮮の植民地化」にも、個人である自分は無関係であり、それゆえに責任を感じる必要は毛頭ないといっている限り、「日韓新時代」はまず望めないでしょう。個人の責任問題にしている限り、自分は無関係で、「そんなに日本を悪く言うなら、国に帰れ」と、これまでと同じような愚かしい歴史の無知を繰り返すことになります。ぼくは教職まがいを演じていた時代、およそ五十年近くを「日本と朝鮮」の問題に関心を持ち続け、あらゆる視点を取り入れようとしながら、若い学生諸君と学んできました。その間も、何度となく、鶴見さんの文書中にある、ある主婦の発言とそっくりの言辞が届きました。「日本の悪口ばかりを言うな」「そんなにいやなら、国に帰れ」と。

 「在日朝鮮人の人がそんなに差別されていることがおきらいなら、国におかえりになっていただきたいと思います」

 歴史意識を失えば、どんな問題も「個人の責任の有無」で片づけられます。しかし、この島で生まれた人間として、島の歴史の一端を知ったなら、ぼくには責任はないと、断言することが憚られるのではないでしょうか。ぼくが鶴見さんから学んできた眼目になるのは次の部分でした。

 「私は、自分個人の責任と、自分の属する民族の責任とのあいだに立ち往生している。自分の責任ではないと思いながらも自分の責任を考えるだけではすまないものがあるということから眼をそらすことができない」「われわれは、自分たち個人の責任だけを考えるならば、朝鮮人に対する差別と偏見をひきつぐことになる

 さらに、「ここでは私は、日韓併合以来、長いあいだかかってつくられた日本民族の惰性の中に依然として身をひたしている自分に気がつく。自分の皮を幾度もむいてゆけば、何がでてくるのか、自分にもよくわからない」というところが核心となってきました。ぼくは政府権力を忌み嫌うし、国家権力を抑えたいという衝動を隠さない人間です。しかし、どんなにこの島国が嫌いであっても、この地で生まれたことを「否定」はできないのです。ぼくは、日本人として誇りを持っているかと問われれば、申し訳ありませんが、誇りなどはありません(「埃」は、たたけば出るほどに、たくさんあります)。生まれ故郷や住んだ土地土地に対する愛着は誰にも負けない(とは言いませんが)ものがあります。しかし、それをさらに突き出して、誇りをもって高らかに、この島を他と比較しようという気はないのです。好き嫌いにかかわらず、ぼくは「日本人(日本国籍保持者)」であり、言ってよければ、「日本民族」の一部(一片)であることは事実でしょう。それは、しかし、社会通念や学問的慣行としてそういうのであって、ぼくの個人意識としては、「長いあいだかかってつくられた日本民族の惰性の中に依然として身をひたしている自分に気がつく」というのは、どこまでいっても消せない自覚でもあるのです。「日本民族の惰性」のなかに、自分がいることは事実であるという自覚・意識ですね。

 国家の境界を楽々と越える時代が来ることを願っていますが、それまでは狭い土地の中で、否応なく「日本人」「日本民族」「日本歴史」「日本国語」という枠組みから完全に自由になることはありそうもないのです。それが時代を生き、社会に住むということかもしれない。「自分の責任ではないと思いながらも自分の責任を考えるだけではすまないものがあるということから眼をそらすことができない」という歴史認識(意識)は、日本と朝鮮半島に限った問題ではなさそうで、その曖昧であることが避けられない問題を見失わないためにもに、老骨を労わりながら、時代を撃ち社会を切っていきたいですね、砲丸(空気銃)と鈍刀で。(こんなあいまいな態度で、日韓(朝)問題が超えられるかよ、そんな非難は十分に想定しています。ぼくは政治家では二から、あいまいなままで、そこから逃げない姿勢を貫きたいと願うのです)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。