ひたすら上に向かってタチアオイは伸びる

 「連日、太陽がぎらぎらと照りつける日が続く高知県地方。2日も県内各地で青空が広がり、夏のような陽気に包まれた。気温もぐんぐん上昇し、四万十市の江川崎では最高気温が30・3度の真夏日に。高知市でも27・1度の夏日となった。▼同市桜井町の江ノ口川沿いの歩道には、すらりと天に向かって伸びるタチアオイの群生。白やピンクの花の回廊が長さ150メートルにわたって続いている。▼タチアオイは地元の男性(81)が5、6年前から歩道両脇の花壇に植え始めた。「荒れていた花壇に毎年少しずつ増やしていったら、あんなんなった」と笑う。今年は3500本のタチアオイが風に揺れている。▼鮮やかな日傘のような花がにぎやかにゆーらゆら。多くの人が散歩に、写真撮影にと訪れており、遠くは宿毛市から観賞に来た人も。タチアオイは6月中旬までは楽しめそうという。」(佐藤邦昭)(高知新聞・2022/06/03)

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●タチアオイ(たちあおい / 立葵 蜀葵)hollyhock [学] Alcea rosea L. Althaea rosea Cav.=アオイ科(APG分類:アオイ科)の多年草。園芸的には英名ホリホックの名でよぶことが多い。全体に硬毛で覆われ、葉は心臓形。穂は高さ2~3メートルに及び、花序は1メートルを超す。径約10センチメートルの花を腋生(えきせい)する。一重咲きと八重咲きがあり、花色は赤、藤桃、桃、淡黄、白色などがある。性質はじょうぶで、農家の庭先などに普通にみられ、花壇植えにもする。一年生の新種マジョレット、シルバーパフなどは早春に播種(はしゅ)すると、高さ1~1.5メートルになり、その年の夏に開花する。[佐藤和規 2020年4月17日]

● 文化史 人類が利用したもっとも古い花の一つ。イラク北部のシャニダールの洞窟(どうくつ)でみいだされた5万年前のネアンデルタール人の埋葬骨といっしょに、タチアオイ属やヤグルマギク属(セントウレア)などの花粉が発見されている。中国でも最古の花卉(かき)で、紀元前2世紀に編纂(へんさん)された『爾雅(じが)』に名をみる。中国では戎(じゅうき)、蜀葵(しょくき)、胡葵(こき)とよばれ、唐代にボタンが台頭するまで、タチアオイは主要な花卉であった。段成式(だんせいしき)は『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』(860ころ)で、「ボタンは元和(806~820)の初めにはまだ少なかったが、今は戎葵と数をくらべるほどになった」(今村与志雄訳)と記述した。日本には平安時代までに渡来したようで、『新撰字鏡(しんせんじきょう)』(901ころ)の「加良保比(からほひ)」や『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918ころ)の「加良阿布比(からあふひ)」はタチアオイであろう。江戸時代には品種が増え、『花壇地錦抄(かだんちきんしょう)』(1695)には、くれない、むらさき、うすずみ、雪白、そこ白、うすい色にて花のへり白し、などの花色があがり、八重咲きも記録されている。(ニッポニカ)

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 家の近くには、いたるところに「タチアオイ」がまっすぐに伸びて、鮮やかな花を咲かせています。一番上まで咲き切れば、そこは夏というそうです。近年の気候変動では、あまりあてにはなりません。しかし、どこを歩いても伸びやかに上に向かって咲いている花は凛々しくもあり、みるからに屈託がありません。この辺りでは、田植えが終わると、やがて梅雨入りですが、その時期に重なるように「タチアオイ」が咲きだします。それが盛夏になってもなお焼けつくような暑さの中に原色鮮やかな花々を突き出しています。

 この手の植物にはいろいろな品種があり、なかなかに面倒です。「アオイ」「フヨウ」「ムクゲ」などなど、ほぼ同種と思われるものが、それぞれに覇を競っている様子は気持ちのいいものです。夏の陽光に似合うというのは言いすぎですが、この時期にはもっともふさわしい元気印ではありますね。(下はハイビスカス)

 先程(お昼前)、久しぶりに長野県飯田市の友人から電話がありました。何年たっても声紋は変わらないんですね、なにかと話しましたが、あまり元気ではなさそうなので、少し気になりました。そこで、語呂合わせよろしく、小畑実さん謡う「勘太郎月夜歌」を思い出しました。伊那の勘太郎さん。そこに「菊は栄える 葵は枯れる」という歌詞がありました。菊は天皇家、葵は徳川家、まさしく戦時中(昭和十八年)の歌でもあったのです。先輩に菊山栄さんという生物学者がおられて、いつもこの歌をまるで「主題歌」のように口ずさんでいたのを思い出したりしています。お元気でいられるだろうか。

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dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。