ペットを飼うと介護リスクは半減?社会参加を促し、幸せホルモンが分泌 ・犬を飼っている高齢者は介護リスクが半減する ・ペットが安らぎや生きがいを与える ・高齢者がペットを飼うメリット・デメリット 犬を飼っていると介護リスクが半減するという調査結果が出たことで、介護業界でもペットを飼うことへの効果が再度注目されています。 今回は高齢者がペットを飼うことで得られる効果について考えます。 犬を飼っている高齢者は介護リスクが半減する ペットフード協会の「2020年(令和2年)全国犬猫飼育実態調査」によると、ペットを飼育している世帯の割合は、犬で11.85%、猫で9.6%となっています。また、2010年度の内閣府のアンケート調査では、約3分の1の家庭で何らかのペットを飼育していることが明らかになっています。 私の周囲をみてもペットがいる家庭は多いですし、介護サービスを利用する方の中にも犬や猫を飼っている人は多くいらっしゃいます。 国立環境研究所と東京都健康長寿医療センターは、日本の高齢者1万人以上を対象にした調査で、「犬を飼っている人は飼ったことがない人に比べ、介護が必要になったり、亡くなったりするリスクが約半減することがわかった」と報告しました。 また、犬を飼うことと定期的な運動の相互作用で障がいリスクを減らすことも明らかにしています。(以下略)(Excite News:2022年4月28日 15:00)

この報告書を一瞥して、とりたてて「やはり」とか、「そうだったんだ」などというほどのものでありません。ぼくもこれまでにたくさんの調査などをしてきましたが、一面では実施する前からおおよその傾向(回答)がわかっているものがほとんどで、だからいい加減にやりましたということはなかった。どんな事柄でも、何かを主張するには「エビデンスを出せ」という世の中です。言われたようにエビデンスを出したところで、事態が一向に改善されなかったのは、そこにも明らかな「エビデンス」がありますが、それはともかく、現状・現況を動かすことには著しく抵抗するのが人情のようでもあり、現状・現況に動かされることにはびっくりするぐらいに従順というか、無抵抗で従容として身を任せてしまうのも、まぎれもないこの島人の傾向でしょう。明治維新や日米戦争の敗戦時とその後の動きが、それを如実に示しています。いつだって「圧政」「強権」を受け入れる準備ができているんですね。(ヘッダー写真:エコノミストOnline:2022年2月4日)

本日は、そんな面倒なことを言うのではありません。実にお気楽なものです。二つの公的機関が実施した調査研究の結果が先ごろ発表され、いささか話題を呼んでいる、そのオコボレにあずかろうというわけです。高齢者に限らず誰だって、「ペットを飼う」と、そこにはいい面とよくない面があるのは当然で、それをメリット・デメリットで区分けすること自体、ぼくには理解できない話です。両面あって、初めて物事は意味をなすのですから。もっと端的に言うなら、「ペットを飼う」という、その「ものいい自体」が間違っているんですな。「男の子を飼う」などとは断じて言わないでしょうよ。じゃ、どういうか。「育てる」とか「一緒に住む」というのが普通だし、それはその通りなのに、「犬」「猫」などは飼う。冗談じゃありません。犬や猫にもプライドがあるんだが、そのプライドをまともに受け止められない人が腐るほどいるんですね。そんな「お高く留まる飼い主」に仕立て上げたのが「動物病院」の医師たちじゃないですか。ぼくはもう半世紀近く犬や猫と暮らしてきたから、その犬猫を病院につ入れていったからよくわかるんです。これをいうと、差しさわりがありそうですが、病院の医師たちは、実に「飼い主」を甘やかせていますよ。
この島にはどれくらいの「ブリーダー(breeder)」がいるのか、詳しくは調べていないのでわかりませんが、闇でやたらに乱暴なブリードをしている業者は数えきれないくらいいるでしょう。そこから「仕入れて」商売する「ペットショップ」も、実にたくさん存在しています。その消長は激しそうですが、そこから「購入し」、家で「飼育する」人も何百万といます。すべてを否定するものではないのですが、それにしても…と思います。こういう商売が成り立つこと自体、ぼくには不思議というか奇妙な錯覚にとらわれます。そんなに「動物愛好家」がいるのでしょうか。年間何万頭もの保護され切らない動物が悲しい終わりを迎えています。ぼくは、これまでの「罪滅ぼし」などという功利的な考えからではなく、見るに見かねて一緒に暮らしているのです。好き嫌いではありませんね。

かなり前から、ぼくはWWFという団体の一メンバーとして登録しています。特別の活動はしていませんので、まるで幽霊会員のようです。しかし、その「基金」の設立趣旨には満腔の賛同を寄せるものですから、やれる範囲で、「野良育ちの犬・猫との共同生活」を間断なく半世紀も続けてきました。動物愛護運動でもないし、環境保護活動でもありません。一人の平凡人かつ高齢者が、見るに見かねて「あれはぼくだ」という思いを持ちつつ暮らしてきました。この先の展望などある気遣いもない。生きているうちに、精一杯元気で、命をまっとうしてくれますようにという切実な願いを断ち切らないように、可能な限り丁寧に付き合ってゆくだけです。
IIII

●ダブリュー‐ダブリュー‐エフ【WWF】[World Wide Fund for Nature]=《World Wide Fund for Nature》世界自然保護基金。世界の野生生物とその生息地を保護するための基金。1961年設立の世界野生生物基金(WWF;World Wildlife Fund)を、1986年に現名称に改称。本部はスイスのグラン。(デジタル大辞泉)
OO

さいわいにして、住宅街の公園で毎夕決まった時刻に、アニマルショウが開かれる、そんな場に遭遇したことは一度もありません。何度か通りかかった程度ですが、まるで偏差値や学歴を見せびらかすかのように、きらびやかな衣装を着せて品評会よろしく、一同が揃うのです。これぞまさしく、「玩弄物」だというほかありません。「高齢者とペット」は一心同体か、親兄弟のように思われてきますから、この先を書くのは楽しくありません。「ペット」を飼うメリットといいますが、それだけの理由で「飼う」人がそれほどいるとは思いません。「飼いたいから」、それが一番ですね。その「飼いたい」が薄れてきたら、人間同士なら「協議離婚」でしょうが、犬猫の場合は「廃棄」するんだ。好きでくっつき、嫌いではなれる、それで何の問題がありますか、と開き直られるのですね、当節も。

【河北春秋】愛犬家にうれしい話。犬を飼っている人は飼ったことのない人に比べ、介護や死亡の発生リスクが0・54倍と半減する。国立環境研究所と東京都健康長寿医療センター研究所のチームが1万人以上の高齢者を追跡調査し、導き出したそうだ▼犬の飼育に加えて定期的な運動習慣がある人は0・44倍というから、散歩など日々の世話による身体活動が効くらしい。散歩中に出会う「犬友」の助け合い、交流も好影響を与えているのでは、とも▼改正動物愛護法がきょう施行され、飼い主情報をたどれるマイクロチップの犬猫への装着が、繁殖・販売業者に義務付けられた。チップは直径2ミリ、長さ1センチほどの円筒形。獣医師が首の後ろ辺りに埋め込む。以前から飼っている犬猫への装着は努力義務となる▼災害などで迷子になっても飼い主の元に戻りやすい。安易な遺棄の防止につながる。そんなメリットが挙げられている。課題や抵抗感などもあるだろう。肝心なのは命を預かる自覚と責任▼調査では猫を飼っている、いないで、介護や死亡のリスクに差はなかった。残念な結果だが、猫派は超越した幸福感を味わっているかのよう。とまれ、ペットと飼い主が安心して暮らせ、互いが心も体も健康に。チップはそんな環境づくりの一助であってほしい。(河北新報・2022/06/01)

「改正動物愛護法がきょう施行され、飼い主情報をたどれるマイクロチップの犬猫への装着が、繁殖・販売業者に義務付けられた」「とまれ、ペットと飼い主が安心して暮らせ、互いが心も体も健康に。チップはそんな環境づくりの一助であってほしい」と、その狙いは高そうですが、果たしてどうでしょうか。いずれ、これは人間全員にも「埋め込まれる」その第一歩だといえませんか。犬猫でうまくいったから、次は人間に、と。その効果はどこにあるのか?徘徊で路頭に迷い、しかも本人確認ができない。不慮の事故死で身元確認ができない。その他、もろもろ、おそらく犬猫以上の効果があるんでしょうね、国民を管理する行政からすれば。来年だったか、いよいよ「マイナンバー」の強制化が促進されそうだといわれています。要するに「国民皆マイクロチップ埋め込み」ですね。これでは、まるで犬猫並みなのか、犬猫の人間並みなのか。(これでまた、飼い主には出費が殖える、喜びの種か)

いまや「ペットショップ」禁止は世界的な現象になっています。これについてはどこかで触れておきましたが、百万も二百万もだして「犬」を飼う人がかみさんの友だちにいる。何を飼おうと勝手ですが、犬猫その他を「金であがなう」というところが、ぼくには受け入れられません。世界各地で問題になっている「人身売買」、そは人間の扱われ方には決してふさわしくないから、問題にされるのでし、それでも「金になる」から悪徳非道を強行する輩が後を絶たないのでしょう。

最近はとんといかなくなりましたが、その昔、ペットショップの前を、平気で通り過ぎることはできませんでした。何とかして檻の中の動物を解放したいという感情に襲われるからでした。その昔「犬公方」と言われた将軍がいた。徳川五代将軍綱吉です。おつきの坊主の言いつけで「生類憐みの令」を出し、極度に犬を溺愛し、反対に人間を犬以下に扱ったので、「犬公方」と揶揄されたという。ぼくは大きな見通しがあってのことではなく、単純に「いのちに値段」をつける発想というか商売っ気がいやなだけです。綱吉にまつわる話もないわけではありません。特に母親の桂昌院と「生類憐みの令」の関係などなど、しかし、気分もすぐれませんので割愛です。
この島から少しずつでもペットショップが消えていくことを鶴首しています。やがてそれが各地の「動物ショウ(見世物)」禁止へと進んでいくことも、希望をもって見通している。高額で取引するためにいったいどれだけの「ペット」たちが虐待され、虐殺されてきたか。なんとかして、人間の「遊行」「趣味」の犠牲になった動物の霊に報いたいものです。
__________________________