言うこととやることが違う時、どっちを見るか

 「女性としてつらい」 “性暴力”判明のフォトジャーナリスト 沖縄の写真展に抗議相次ぐ

 性暴力加害が判明しているフォトジャーナリストの広河隆一氏(78)が7月5日から写真展を開くことが明らかになり、会場の那覇市民ギャラリーに抗議の電話が相次いでいる。ギャラリー側は広河氏と対応を協議したい考えを示している。/ 写真展に関する電話は6月29日午後6時までに9件あった。「女性としてつらい」「開催は絶対に許さない」「反省が見られないのに活動再開を認めるのはどうか」などの批判や、開催の事実確認があった。/美底清順館長は取材に対し、展示作品自体が公序良俗に反しない限り通常は利用を許可しており「特別扱いしたわけではない」と説明。抗議の動きを受けて「広河氏に連絡し、協議することも含めて対応したい」と述べた。/抗議の電話をした「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代共同代表は「写真撮影と同時並行で性暴力を重ねてきたことが分かっている人物。写真展の開催は、全ての被害者を傷つける」と批判した。(編集委員・阿部岳)(沖縄タイムス・2022年6月30日 )(ヘッダーは:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96260?page=6)

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 本日は何か涼しくなるようなテーマがないかと、昨日からいろいろと探りを入れていました。沖縄ならさぞかし、と沖縄タイムスをみて、「私のウクライナ」写真展開催に対する抗議の記事に遭遇しました。非難の的である広河隆一氏に関してはささやかな因縁もあり、早い段階から注目していたし、彼の作品も、それなりに観てきたのでした。ある時期から、いろいろと「噂話」も耳にし、それはホントかと疑念を持ったことは事実でした。ちょうどそのころ、高名なジャーナリスト(ルポライター)とかかわる一女性と知遇を得た。というか、「この女性をどうにかしてくれ、付きまとわれて困っている」という先輩ジャーナリストの言い分もあってのことで、ばかな役回りを買って出たという塩梅でした。以後、彼女とは何度かあった(話を聞きました)。ぼくの話がうまくいったかどうかわかりませんが、それ以降、彼女のつきまといはなくなったと聞いています。激しい時は、どこで講演会(集会)をやろうが、かならず先に待ち伏せしていたとも聞いた。実際に、二人の間に何があったか、ぼくには関心がなかったから、話はそれで済んだと思っていたところ、昨年、広河氏(から見れば)の「醜聞」が大々的に報道された。こういうことをやりながら仕事をしていたのか、仕事をしながら、こういうことを繰り返してきたのか。いったい、どっちが仕事なんだ、と訊きたいね。

 よく知っていた報道(戦場)カメラマンだったが、その「醜聞」は確かだろうとぼくは直感したのでした。詳しいことは省きますが、当初訴えられた「内容」を彼は全否定したし、あろうことか、「相手も喜んでいた」などというたぐいの言辞も漏らしていたとされます。伊藤詩織さんのケースでも、訴えられた側の男は「全否定」「合意」などと言っていたが、裁判では伊藤さんの訴えが認められています。ぼくはきれいごとを言う人間ではないし、他人の問題を、これ見よがしに非難や批判をしようとは思わない。しかし、「言っていること」と「やっていること」が背反していれば、それは悔しいけれど、やっていることは認められないこともないけれど、人間として「信が置けない」と、ぼくは考えているのです。「男と女の関係」「男女の情交」などといいますが、どんな関係であれ、嘘を言い募り、相手をさらに辱めることになるなら、それは何をおいても、まず人間として認められないのではないか。人間である以上、いろいろと間違いや過ちを犯します。ぼくなども、その繰り返しだったと白状しておきます。しかし、自分がやってしまったことを「なかったこと」にはしたことはないといえる。つまりそのことに関しては「嘘はつかない」ということを「掟」のようにして生きてきたといえるからです。

 自分の間違いや過誤を棚に上げて、広河氏を糾弾するのではないのです。彼が、報道された段階で話したことが「弁解」ではなく「虚言」であったということに関して、まことに残念としか言えないし、自分がしたことを「反省し」「謝罪し」たから、活動を再開しますという、その厚顔さに、ぼくは「人間を舐めている」「不真面目そのもの」男の顔つきを見るのです。謝罪したふりをして、二、三年謹慎した格好を取れば、あとは好き放題(無罪放免)と考えているなら、度し難い悪漢だと思います。優れたカメラマンだったとしても、それは別の問題であり、誠意とか誠実というものが無ければ、人として欠けていると、はっきりというべきでしょう。仕事がよければ、すべて免罪という、そんな「世界」にぼくは住みたくないな。

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 以下に、この問題に関して、同じ写真家でもある長倉洋海氏の記事が出ていました。アフガンその他のすぐれた作品に大いに啓発された人間として、ぼくはこの問題に関してまっとうな、いや当たり前の発言をされているのに大いに首肯したのです。広河氏は、侮辱した女性ばかりでなく、取材の対象になった人々まで裏切ったのではないかという長倉氏の指摘は正鵠を得たものと、ぼくな真正面から受け止めています。

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 広河隆一氏“性暴力”に写真家が直言 「カメラの前に立った人々の思いを踏みにじった」 ~フォトジャーナリストを目指す人へ~ (長倉洋海)

 今回、広河隆一氏が引き起こした一連の問題について、写真で伝えることを仕事としている者として感じたことを記したい。/ 昨年末に週刊誌「週刊文春」で7人の女性が広河氏を告発した。その記事内容に「そんなひどいことをしていたのか」と驚愕した。ただ、そのことについてコメントを求められることもなかったし、自分からしようとも思わなかった。その、ほぼ1カ月後の1月末、同じ週刊誌で別の女性からの告発記事が発表された。広河氏が海外取材に女性を連れていき2週間にわたる性的虐待を加えていたという内容だった。そのあまりのおぞましい内容がにわかには信じがたかったが、広河氏と彼の弁護士からいまだに反論がないということは、内容がほぼ真実だと判断していいだろう。

自らのゆがんだ欲望に負けたのか 当初は氏の資質の問題と考えていたが、事件は広がりを見せ、ジャーナリストとは何なのか、雑誌編集部や編集長はどうあるべきなのかということも含めて、私たちも問いを突きつけられている。世間では、フォトジャーナリスト、あるいはジャーナリストは表では正義を叫びながら、その裏で何をやっているかわからないという目も向けられているように感じる。/ ただ、この事件によって、「フォトジャーナリストを目指したい、そのような仕事をしたい」と願っている人たちがフォトジャーナリズムの世界に不信感を持ったり、将来への不安を覚え、道を閉ざしてしまうことのないように念じている。/ 最初に言いたいのは、氏の行為は多くの人を傷つけたが、そればかりか、パレスチナやチェルノブイリ、福島などの地で、「この地の問題に光を当ててほしい」と願い、彼のカメラの前に立った人々の思いを踏みにじってもいる。さらには、「大手メディアが伝えない真実を伝える」という姿勢に共鳴し「DAYS JAPAN」の購読・寄付を続けた人々、そして、実際にフォトジャーナリズムに触れてみたいと集ってきた人々の思いをも裏切った。(以下略)(アエラ・2019/02/12)(https://dot.asahi.com/dot/2019020800082.html?page=1)

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 どんないいことを言ったり書いたりしても、やっていることがその反対だったら、その人をぼくは信じられない。世間(他人)を騙せるなら(他人に知られなければ)、それでいいじゃないかという人もいるかもしれない。ぼくたちは、ほとんどの場合、他人を知るのは書かれた本を読んだり、話された内容を知ってからでしょう。だから本や話に「真実味」があれば、この人は「いい人」だと簡単に判断してしまうかもしれない。でももし、その当人が何かのきっかけで、やっていることが、それとは正反対だったとしたら、その段階で「これはアカン」となるのではないか。ぼくはいつでも、他人を騙すのは難しくはないけれど、自分を騙すのはかなり難しいと考えてきた人間です。でも、それはぼくだけであって、他者は、いとも簡単に自己を偽れるのかもしれない。なんだか淋しいというか悲しいことですが。

 広河氏が「謝罪」して、直後に(間を置かず)活動開始というのはどうでしょう。彼は自分のしたことをその程度の「つまずき」ぐらいにしか認めていないからかもしれない。つまりは「人の噂も七十五日」とね。あるいは「謝罪してほしい」「謹慎しろ」「反省しなさい」と、あちこちから言われたから、自分なりにそうした(ふりをした)だけで、心底、自身の犯した行為を受け止めていない、たぶんにその懼(おそ)れが強いと、ぼくは勝手に判断している。だから、広河氏は許せないとか、何にしても彼にも生活があるとかいうのではなく、人生の途次で、大きく傷つけられた「被害者」の痛みや苦しみを知れば、もっと違った「再生の道」があったのではないでしょうか。自分がしたことを「矮小化」というんですか、まちがって肘が当たったという程度の捉え方だったかもしれません。「痛かったとしたら、御免なさい」ねと、済ましてしまう。生まれ変わる覚悟など、そんなことを期待しているから、君はダメなんだと、誰かに言われているような気がしています。「ダメ」で結構、でも自分を偽らず、もちろん他者にも気を配りながら、ささやかな生活を送っていきたいと願うばかりです。

 一人を殺せば、殺人犯として断罪される。 しかし何千、何万の殺戮を敢行すると、その人は「英雄」「名宰相」となるという。ホントかね、ぼくはそんなものは断じて認められないですね。一人や二人の女性を犯せば、「性的加害者」、あるいは「性犯罪者」となるだろうが、たくさんの「凌辱された女性」を生みだすなら、その人は「名カメラマン」となるんですか。繰り返します。「アホか」と言いたい。人間は間違いを犯す、しかもなん度でも。でもそのたびに、自らを生まれ変わらせるという「覚悟」「態度」がなければ、それは失敗や過ちではなく、それ自体が、当人の生活になっているんですね。女性を「凌辱」しておきながら、いい作品を生むというのは、何なんですか。この問題については、さらにていねいに言わなければならないことがありすぎますので、稿を改めて。(本日も「酷暑」に見舞われています。ネコも人間も、生きとし生きるものは)

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 信州信濃の蕎麦よりもわたしゃあんたの側がいい

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 長野市戸隠といえば…ソバ 一面に白い花満開 「今年はいいよ」と太鼓判

 長野市戸隠地区で特産のソバの花が見頃を迎えている。戸隠連峰を望む同市戸隠豊岡の農業木村輝松(てるまつ)さん(87)の畑では28日、白い小さな花が満開に。戸隠観光協会によると、地区全体で例年より少し早く見頃を迎えており、あと1週間ほどは楽しめそうだという。/ 木村さんは約1・4ヘクタールの畑で30年以上前からソバを栽培。5月上旬に種をまき、10日ほど前に花が咲き始めた。霜が降りず、生育は順調といい、「例年より大きく育っていて、おいしいそばができると思う。今年はいいよ」と表情をほころばせた。/ 7月下旬ごろに収穫する予定。8月にもう一度、ソバの種をまく計画という。(上の写真は戸隠連峰を望む畑でソバの様子を確かめる木村さん=28日)(信濃毎日新聞・2022/06/29)

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 近所にも蕎麦畑があり、季節ごとに「白い花」を咲かせています。近年では、同じ町内の、よく繁盛する店の蕎麦畑もつくられ、何とも爽快な眺めであります。どうでもいいことです、どいうわけだか、ぼくは蕎麦が大好きで、若いころから盛んに食べてきました。そのほとんどは「ざる蕎麦」か「盛り蕎麦」で、もちろん「小半(こなから)」(半分の半分。1升の4分の1。2合5勺)が付いていました。今ではこんな言葉は使いませんが、「こなから」(「小半」)とは、さらに、少量のお酒という意味もありますから、ぼくはたいてい一合の酒を「蕎麦の友」としていた。店によっては「菊正」だったり、「白雪」だったりしましたが、そのお酒は美味しいものでしたね。蕎麦が主なのか、酒が主なのかわからない「昼飯」でした。やがて、どの店も昼食時はこみだしたので、その後はあっさり「昼飯(昼蕎麦)」はすっかりやめてしまいました。もう半世紀も前のことになりました。

 昼の「小半つき蕎麦」に代わって(以来、ぼくは昼食を食べない人間になった)、夕方五時ころからの「飲み屋」通い。およそ三十年ほど、ほとんど同じ店でした。飲みだしたら時間を気にしないという出鱈目ぶりで、最終電車はしょっちゅうだったし、時には乗り遅れて困ったこともしばしばでした。それはともかく、蕎麦は、その素朴な味(なかなか一筋縄ではいかない)がよろしいいですね。近年、日本産蕎麦粉は希少価値があり、なかなか手に入りません。蕎麦店でも、大半は外国産だとされています。美味しければ、どこだっていいのですが、ぼくはやはり信州の「更科もの」をよく食していました。今はもうなくなったかもしれませんが、銀座の交差点わきの「更科(さらしな)本店」にもよく行きました。当然のように「小半」付きでしたね。当時は、あちこちの店でも、少量の梅酒が付いていたように記憶しています。

 信濃産の一茶の「蕎麦句」をいくつか。

・そば所とひとはいふ也赤蜻蛉                                                                                                       ・瘦山にぱっと咲けりそばの花                                                                                                      ・更しなの蕎麦の主や小夜砧                                                                                                       ・そば花は山に隠れて後の月                                                                                                       ・そばの花咲くや仏と二人前(いずれも一茶作)

 コロナ禍騒動以来、ぼくはほとんど外でものを食べることをしなくなりました。マスクや消毒もうるさいことでしたが、テーブルにアクリル板を立てて、無言で食べるという「苦行」には耐えられなかったからです。今でも、同じことをしているのかどうか。かみさんと行っても、「衝立」を隔て、黙って食べるという、そんな馬鹿なことがもう長い間続いているのです。家でも衝立(アクリル板)を立てて食事をしている人がいるのかどうか。当たり前の日常・風景、それが失われることに、ぼくはいたく抵抗を覚えるのです。

 外食をやめたので、蕎麦はもっぱら市販品(出来合いで、茹でるのみの)です。何国産と言われるのも嫌ですから、あまり気にしないで、国産と書かれた品物を「そうだよ」とみなして買うのです。家で「ざる」や「盛り」にして、「アクリル板」もなく、ゆっくりとかみさんと食べています。「これは旨い!」というものには、まだ行き当たりませんが、そのうちにきっと、と思いながら、今を盛りの蕎麦の花を見ている。

 若いころ、学生さんの中には家ではだれも、一滴も酒を飲まないという話を聞いて驚いたことがあります。酒もなくて、どうして飯が食えるのかなどと、不埒なことを言ったりしたことでしたが、さて、自分が酒を止めてしまうと、やはり美味しいい「蕎麦」を探しますね、酒の有無には無関係でした。

 (つい二時間ほど前)十時半ころ、長野の飯田に住んでいる後輩(女性)から電話がありました。「会社に行けなくなった」という。ご当人は「うつ病」だと自認しているし、それを補強する心療内科の医者もいる。一か月ほど前にあった電話で、久しぶりで「うつの声」を聴いた。ぼくは専門家ではありませんから、何も言いませんが、ちょっと気になったのは「自分は自己肯定感が低い人間だから」とかなんとかいったのです。「えっ、それホント」という気がしました。プライドというか自尊心というか、世にいう「自己肯定感」(あるいは「自己正当化」かも)が、必要以上に強すぎるから、何かあると「落ち込むんじゃないですか」と、ぼくは答えました。ほとんどはそうであって、そのうえで、「この自分をどうして認めてくれないの?」という「世間」の冷たさ・低評価に、孤独感や孤立感が、ご当人の中に住みかを見つけてしまったんですね。(いのちあるものは、人間を含めて、まず「自己肯定感」は強いと、ぼくは考えている。自分を守り、自分を突き出すことは、いのちを賭けてのことではないでしょうか。もう少し書きたいのですが、猛暑のせいで、本日は中止。植木に水をやり、と殊勝なことを考えている)

 「会社に行く、行かない」は個人の問題であっても、会社には仕事をする同僚がいますから、少しでもその「仲間」への配慮があれば、少しは違った反応があるのかもしれぬと、結論にならない物言いをして電話を切りました。電話なら何時でもどうぞ、ぼくは暇だから「出られるときは出る」と、今後の電話の受け取り了解の信号を出しながら、この瞬間・状況を乗り越えてくれるといいなあ、とつくづく思っている次第です。安っぽい化学アルコールやタバコなどにひっかかっていないで、本場の「蕎麦」を粉から作って、ゆっくりと食べるといいのに。

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 災害はいつでもどこでも間を置かず、です

 【水や空】夏へのリハーサルを 昨年夏の本紙「ジュニア俳壇」に中学3年生の爽やかな一句が載った。〈梅雨晴れ間洗濯物が笑ってる〉。部屋干しが続いた洗濯物が、久しぶりの晴天の下でひらひらと、まるで笑ってるみたい。そんな一句だろう▲梅雨晴れ間の空は格別に明るいが、季節にまつわる事典によれば、梅雨の中休みには2通りある。「アンコール型」は大陸からの高気圧が列島を覆い、5月の青空が舞い戻る▲もう一つは、南からの亜熱帯高気圧がいっとき強まり、炎天となる「リハーサル型」。夏の“予行練習”のあと、また梅雨空に戻る-はずだが、今年はリハーサル抜きのまま、夏のぶっつけ本番が相次いでいる。きのう、九州南部などで梅雨明けしたとみられる▲中でも関東甲信は、少なくともここ70年のうちで最も早い。梅雨の晴れ間ならば人も洗濯物も笑顔になるが、これではしかめっ面ばかりだろう▲連日、全国で6月としては異例の暑さとなり、熱中症で搬送される人も後を絶たない。この欄の右の週間天気も、お日さまのマークが目立つ▲今時分、熱中症になりやすいのは、体が暑さに十分慣れていないからだという。軽い運動で汗をかく。水分をしっかり取る。必要なければマスクを外す…。天はリハーサル抜きでも、人の体を慣らす“リハーサル”はどうぞ抜かりなく。(徹)(長崎新聞・2022/06/28)(ヘッダー写真は「ウクライナ中部クレメンチュクの商業施設で、作業に当たる救急隊。同国非常事態庁提供」(2022年6月27日撮影、公開)。(c)AFP PHOTO / (Ukraine’s State Emergency Service / str)

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 ぼくは昔から「天候・天気」には神経を使っていました。関心を持って眺めていた。遊び場が、木浦あら屋外に限られていたという事情もあった。明日は晴れるかどうか、台風の進路はどうなってゆくのか。あるいは大雨というけれど、どの程度の雨量になるのかなどなど、それこそ、履物を遠くに飛ばしては「占い」をさかんにやっていたようでした。要するに、その日の天気に、実に素直に従っていたということでしょう。これは誰から聞いたことなのか、まったく忘れてしまったが、「天気に文句(不平)を言わないこと」という教えが、ぼくには小さいころから意識の中に残り続けていたというわけで、それだけ、先人たちの知恵として、時には自然現象に対して「謀反(むほん)」は起こせないという表現でもあったでしょう。

 初めて「台風」の強烈な洗礼を受けたのは、昭和三十四年九月の「伊勢湾台風」でした。建てたばかりの家が吹き飛ばされるのではないかと、心底から肝をつぶした。幸いに京都は、それほど大きな被害はなかったが、三重や愛知は筆舌に尽くしがたい被害を被った。「地震・雷・火事・親父」と、怖いもの「ベスト(ワーストか)フォー」が語られてきましたが、今も生き残っているのは何でしょうか。親父なんて、とっくに自然消滅というか、絶滅種になったようです。この段階、この「四傑(嫌われ者?)」がもてはやされた時期では、「台風」が入っていなかったのは、何十年とか百年単位の事象であり、現象だったからでしょうか。それにしても「伊勢湾台風」の規模はものすごいものがありました。凄さ・怖さという点では、地震の比ではなかったと、今でもぼくは考えています。(下の写真は毎日新聞から)

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 さて、「梅雨明け」ということです。ぼくは毎日のように気圧配置(天気)図を眺めているのですが(これもかなり長い習慣になりました)、群馬の伊勢崎で四十度を超えたというニュースを見る前に、もう「真夏」であると勝手に判断していました。その通りでしたね。別にどうということはないのですが、こうなると、電力使用量や飲料・農業用水のことが心配になります。数年前から、拙宅でも「太陽光パネル」を設置するかどうか、少しは考えているのですが、そこまでするほどのことか、停電なら、それも仕方がないなどと暢気に構えています。電気製品頼りの生活に「警鐘乱打」ということですが、いっかなそれを気にも留めない風潮が、福島の原発事故以降も改まっていないのは、度し難い「習慣病」「国民病」(もちろん、自分も含めて)というほかありません。

 気象庁に「宣言」などされる筋のものではないのですから、明けようが明けなかろうが何でもないといえばいえますが、不思議なもので、まるで「真夏の使者」よろしく、「梅雨が来られました」「梅雨が出て行かれました」と、言う方も聞く方も、これまた習慣病ではないでしょうか。その習慣病の見立てによれば、「梅雨明け」はしたが、やがて「戻り梅雨」が来るというのです。どうしても「梅雨」にこだわりたいのも理解はできますが、それどころか、異常高温と、海水温度の高まりによる「台風」の連発が気になるところです。「集中豪雨」と強風暴風の連続パンチで、劣島は、これまでに何度痛めつけられてきたか。それでもなお、その生活の姿勢や態度を改め(られ)ないのは、こんな「生き方」しかできないからということなのでしょう。あるいは、この生き方が「ベスト?」というのかしら。

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 庭の草刈りや植木の剪定をやる予定でいるのですが、家の外には五分と出ていられないような「猛暑」です(昨日は、隣町は36.8度だったそうです)。また、水やりも欠かせない、これは夕方、日が落ちてからということになりそうです。それにしても、今年もすごい「熱すぎる夏(酷暑)」になっていますね。昨日は都内で二百人ほどの方が「熱中症」で搬送されたとか。一方で「節電」をやかましく言いながら、他方では「適度に冷房(エアコン)を」と、理解しずらい方針を、政府は出しています。家の内外にかかわらず、「熱中症」になる時代に、ぼくたちは生活しなければならないのです。日傘はおろか、今では「小型扇風機」をかざして歩く人も多く見受けられます。やがて「エアコン」を背負っての歩行時代が、いやもう来ているのかも。 

 一方では「最高温度地域競争」なのかどうか。日本一だ、関東一だと騒いでいるのは、どこの誰でしょうか。インドでは五十度を記録し、異常な数の被害者が路上に横になっている報道がありました。アメリカでは「酷熱(死)の谷」だとか、何とも異常高温地滞が話題になっている。世界の各地では「山火事」が頻発し、ウクラナイではミサイルが飛び交う。なんとも疎ましい「2022の夏」です。こんなときに「マスクしなければだめ」とは、狂気の沙汰ですね。最近まで「コロナ」と言えば、この人だった、その方の姿が見えませんが、感染したのではないでしょうね。「熱中症にも、感染症にもかからない、そういう人にわたしはなりたい」と自らに言い聞かせつつ、命に恵まれた方々の「ご健勝を」、僻陬の山中から願っています。(下の写真は「2022年6月18日/スペイン、北西部カスティーリャ・イ・レオン州郊外」(Emilio Fraile/Europa Press)

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・草むらも酷暑の夜勤もみな苛立ち (金子兜太)                               ・蓋あけし如く極暑の来りけり( 星野立子)                                  ・怖いほどおほばこ伸びぬ極暑来 (森川暁水)

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 「同調強制」は新型コロナの政治力学ですか

 もう半世紀以上も前に勤め人をしだしたとき、勤め先の学校が「ロックアウト」という事態に陥りました。その前に学生たち(全部が在学生だったかどうかは疑わしいが)がバリケードを築いて、「検問」なるものをやりだした挙句の当局の処置(措置)でした。職員は出入りの際には「身分証明書」を提示しなければならなくなった。ぼくはその当時も「身分証明書」なるものを携帯していなかったので、いつでも「検問」に引っ掛かり、その都度、「面通し(顔認証)」を事務職員にしてもらい、仮入構証を発行してもらっていた。(ある時には、フェンスをよじ登って入ろうとして、ガードマンに捕まったこともあった)大変に煩わしかったが、しばらくはそれを通していた。(名刺を持つ習慣にはついになじまなかった)「それが当たり前」であることが通用しなくなるのが気に入らないし、ある時、一方的に、こうするんだと法律や当局の決定でなされることにも大いに含むところがありました。その思いは、今だって少しも変わっていません。

 新型コロナがこの島ではやりだしたころはまだでしたが、やがてそれが感染力の大変に強いウィルスによるとかなんとか言われだしてから、島全体が一気呵成に「規制劣島」「同調群島」になりました。まるで「驚天動地」という大騒ぎになった。まずは「アルコール消毒」の強制的実施、加えてマスクの着用の「義務化」でした。それ以前はもちろん、感染が起こりだしても、ぼくはかみさんと何時だって頻繁に食事などに出かけることにしていた。週一、二度の「蕎麦屋」や、あるいは「スパゲッティ屋」さん通いは楽しみの一つでした。酒はやめていましたが、近間の「寿司屋」にも頻繁に出かけていた。そこは房総の天津小湊出身のマスターが経営していて、何時だって新鮮なネタがうまかった。

 ところが、さらに時間が経つにつれて、「マスク着用」と、店頭に張り紙が出され、テーブルにはアクリル板が立てられだした。ほとんどはかみさんといっしょでしたから、まるで「孤食」を強いるような「姑息」な塩梅には抵抗感が強くなり、仕方なしにそれらの店に行くのを止めてしまった。「食事中以外はマスクをしてください」などと店員に言われ、食べたものを吐き出し、「なんでや」と言いたくなったのですが、ぼくのモットーの一つは、何業であれ「営業妨害」は断じてしないということでしたから、それでは行くのを止めればいいだけと、以来、もう二年以上は「寿司屋」も「イタリアン」も「蕎麦屋」などにもまったくいかなくなった。外食はしなくなったのです。店の問題というよりは「保健所の指導」がうるさいということでしたから、なおさら、行政や政治は何を考えているかという、ある種の怒りが蓄積されてきました。 

 さらに時を経て「ワクチン接種」の大号令です。役所からも「接種券」なるものが届いたが、ぼくたちは関心を示さないままに、今に至るまで「接種」はしていません。それなりの理由はあっての、ぼく個人の判断です。さすがに食料品を仕入れに行くにはマスクなしでは入店は不可能なので、否応なしに着けますが、それ以外は「当たり前の生活」を続けているのです。もちろん現下の状況がわからないわけではないが、あまりにも素っ頓狂な方策が強制されるような事態だけは拒否したいのです。マスク、ワクチン、検査などなど、それを一つでも欠かすと、日常生活に支障をきたすような、短兵急な「同調過多」「過同調」に、いまだに大いなる抵抗を覚えている。娘たちの接種しなままでいます。

 ①マスクをしたい人はどうぞ! ②ワクチン接種もやりたい方はぜひ! ③「抗体検査」「抗原検査」も自らのご判断で、どうぞ! ④アクリル板はいらないと思う人には強制しないでほしいなどなど

 「新型コロナ」は、当たり前の生活を中断するような「感染症」なのかどうか、ぼくはいまだに疑っているのです。例年「インフルエンザ」に罹患し、亡くなる方々が二~三千名を数えていました。すべてが「感染」で亡くなったかどうかは定かではありません。(今回もそうで、死亡と感染やワクチン接種の因果関係を明らかにしていないのが、関係当局です)ぼくの基本の立場は「死亡」は統計(数)ではないということです。だから死亡者の多寡が問題になることはあっても、それを材料に「検証なしの理屈」を垂れないでほしいと何時だって願っているのです。「ワクチン」を接種したから感染しなかったのか、「接種」したのに感染もしたが、亡くならなかったのは「ワクチン」のおかげかどうか。死亡したのは「接種」したkらだったか、そんなことは役所も誰も「口を拭っている」のだ。もっと初歩的に言うなら、連日の劣島の感染者数が報道されますが、それを一度として実証的に、検証した機関がないのも不思議というものでしょう。最近では「検査数」から推し量ると、感染率が五十パーセントなどと肝をつぶすようなデータが、さりげなく、当然の如くに流されています。ぼくは最初から、政府や官庁の、多くの「統計」「数値」には「まゆつば」でしたが、それをさも真実であるかのごとくに報道する「ゴミ報道」には涙も出ない。

(総務省:新型コロナウイルス感染症陽性者数(2021年5月23日時点))

 そのような恣意的なデータいじりから打ち出される「政策」や「対策」にどれほどの信ぴょう性があるのか、これもどこかの団体や組織が調べましたという報告がありません。官民挙げて、とにかく「新型コロナ」は千載一遇の好機と、まるで商売や儲け話のように、なりふり構わずにごり押し政策・方針を打ち出し続けてきました。この間、コロナ対策と称して、いったい何兆円の税金が予算化され、その何割が「闇に消えた」のか、これもまるで雲をつかむような話です。国家がやることは「国民の安心安全」を守ることなどではなかったことに、目が覚めないかな。そんな「人民愚弄政治」を支持するという、その愚弄されてきた「人民」はそもそも、政治や政治家に何を願っているのかしら。

 例によって、この「駄文」に結論はない。マスクをするべきだと思う人はすればいい。だからと言って、しない人・したくない人を「危険視」も「異物視」もしてほしくないし、してはいけないと思う。なぜしたくないか、理由があるはずです、問題はそこから始まるんだ。ワクチン接種も、その判断はご当人に委ねるべきで、それは例年のインフルエンザ(流行性感冒)に処するのとまったく変わりない。ワクチン接種の有無で、決定的に分断される何かが、この社会にあるんですか。「黒人VS白人」というのは、アメリカ全体ではないにもかかわらず、その社会の大きな歴史的・人権的問題になり続けています。あるいは、瞬間的ではあれ、ワクチン「接種派VS非接種派」という色分けを政府や行政がやりたがっているのでしょうか。これまでに費やされた特定企業への「ワクチン」資金は膨大なものになります。薬品記者は史上最高の売り上げを誇っている。特定の企業に、これだけの金額が動くというのは、まるで「軍需産業」への莫大な軍事費納入と似ていないかどうか。(ワクチン接種証明書」なるものが言い出され、図らずも半世紀前の「身分証明書」不携帯を思い出しました、詰まらん話やね)

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 「右に習え」と、いたるところで号令が掛けられています。おのれの一声で、全員が操作できたら「さぞ気持ちがよかろう」というのでしょうか。このなれの果てが、「独裁主義」ですね。でも、この「号令に」に背く人間は必ずいます。ぼくは小学校時代から「右へ!」と命じられたら、「左」に向きました。その都度こっぴどく叱られた。教師は「命令を聞かない子どもを懲らしめる人種」だと悟りました。「今日から、このように決まりました」と、自分も参加したところで決められるならまだしも、一片の紙切れで「ああしろ」「こうするな」と言われれば、一家言も一家行も持ち出したくなります。「なんでや」「その理由は?」と、ぼくはいつだって質問していた人間です。もちろん、自らの誤解や受け止めそこないによる間違いはある、だから、それに気が付けば直せばいいのです。問題は「有無を言わさず」「みんながそうだから」という、全体主義を騙(かた)る態度です。それは無条件では認められませんでした。付和雷同の強制、群集心理の悪用ですね。

 この二年半、世界全体が「大騒ぎ」しました。それだけの根拠があったからだと思う反面、事態を少し冷静に判断する余裕があれば、もっと違った社会の一面が見いだせたような気もします。まだまだ混乱は続くでしょうが、なにも「新型コロナ」だけではなく、いろいろな問題で、はしなくも、多くの人間たちの「無定見」「無思慮」が白日の下に晒(さら)されることになるのではないですか。用意できるだけの「データ」というか「材料」を持ち寄り、それを間に置いて、互いに話し合いができないことの不幸は、その問題を超えて生じつづけるのです。なんだって、眼前の問題を解くのは、次の課題への準備でもあり、不幸を防ぐための不可欠な作業です。どんな人も、一人で生きてはいないし、生きてはいけないということの理由や背景を、さらに深めて知る必要がありそうです。「マスクをしなさい」「ワクチンを接種しなさい」といわれたから、「はい、そうします」という「愚図」は嫌だな。これを「唯々諾々」というらしい。

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 外科医が食堂の同僚たちのところにやってきて、溜息をついた。「ちょうどいいときに手術をした!もう一時間おそかったら、患者は手術しなくても助かるところだった!」(多くの専門職業人は、この外科医と同類じゃないかな。何を考えて「医者」「専門家」をしているんだか。なんとも恐いねえ!)

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 今も昔も、大学は変わってなんかいないよ

<あのころ>広末涼子さん、早大初登校 ファンに囲まれ騒然 1999(平成11)年6月26日、早大入学を果たした人気タレントの広末涼子さん(18)が初登校すると、多数のファンや報道陣に取り囲まれ大騒動に。自己推薦入試で教育学部国語国文学科に合格したものの仕事が多忙で学校に姿を見せなかった。学業との両立は難しいと、4年後に退学届を出した。(共同通信・2022/06/26)

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 特別にこの記事や写真に関心があってのことではなく、世間では有名タレントの大学受験が、まだまだ興味の的になる時代に、都内のある私立大学で生じた「騒動」の一幕を図らずも、無関心派でありながらも、ぼくは思い出したようです、つまるところは、岡目八目ですね。タレントであれ、誰であれ、大学入学を希望し、入学を果たすことは、一部マスコミの好餌にはなるでしょうが、今や時代はとくと過ぎているのです。この「学生」の入学や登校が、ばかばかしいような「社会問題」になったのはなぜか。ぼくには、理由や背景がよくわかりせん。ぼく自身ははるか以前に大学に入ったのではありますが、入学した途端に、何よりも大学教師の水準というものの「低さ」に驚愕したことを覚えています。あまり偉そうには言えませんが、大学が教育機関であるというのは、何かの誤りか、宣伝のためのだけの「看板」だったというのでしょうか。それ以来、ぼくは大学というものの存在価値や教育機能をまったく認めなくなったのは事実です。組織や集団に何を求めるのか、それはほとんどが錯覚や過誤に基づいているといえます。つまりは「看板倒れ」ですな。

 ある特定の学校が素晴らしいというのは、好き嫌いの問題ですから、大いにありうるでしょうし、その素晴らしいという、同じ学校が、別の人からすれば「なんとも最低の空間」だったということもありうるのです。企業であれ学校であれ、何人にも「全体そのもの」が素晴らしいということは断じてないと、経験から知りました。ある人にとって素晴らしいのは、その人が素晴らしい「人間」に出会えたからであり、その反対もあるのです。「素晴らしさ」や「つまらなさ」は、極めて個人の感覚によって生み出されもするのです。また、同じ学校が百年続いたというのは、死なないで生きてきただけであって、百年の間、何時だって新鮮な空気が流れていたはずはないのです。戦時中はどうだったか、そんなことを持ち出すまでもなく、何時だって問題は存在しているのに、それに蓋(ふた)をするか、それを見ないことにしている人が多くいるから、影の部分が世間に知られないだけです。

 繰り返し述べてきたことですが、「学校の餌食」にだけはなりなさんなということを、ぼくは自らの肝に銘じて生徒や学生をやっていたし、勤め人になってからも同じことを、教師の側にいながら感じ続けていました。「学校に気を許す」、あるいは「近づきすぎる」とロクなことはないのです。ともすれば、「学校」に信を置くという、本来ありえないことに気が付かずに、この学校はダメだ、教師はひどいと言ったところで、変わるはずもないし、変わることがあるとすれば「朝令暮改」がせいぜいです。大事なのは、どんな「吹き溜まり」のような場所にも、付き合うだけの値打ちがしみじみと感じられる人間(友人)がいるということだし、それがたった一人であっても、出会いというものがかなうなら、その学校に行った理由は立派にあったんだといいたいね。(世に「名門」とか「一流」という、偽かどうか知らんが、看板を外せないところが、実に多いですね。看板に偽りがあろうがなかろうが、外せないというの死ぬほどにつらいことではないですか)看板で判断するな、着ている服で判断するな、誰もが言うが、いずれも正鵠を得ている。

 あるタレントさんの入学・登校騒動についてです。その一面で「学部当局」が張り出したとされる掲示文が、世間でも少々話題になりました。話題になったのは、文字通りの興味本位で、その内容によって、学部のお里も知られることになったかもしれません。この騒動記事の関連で、こんな記録(記述)に出会いました。かかる現象を「言葉の問題」として考察(?)されている方がおられることに感心もするのです。(以下を参照:https://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/k990630.htm)

 出来事は今から二十年余の昔になりますが、今よりはまだまだ、時代は華やいでいたのか、活気があったのか、いや、いつだって「社会の一部」ではなにがしかの問題が起こっているだけのことなのかもしれません。それを話題にしたり、批判の的にするのも仕事(商売)だという人々がいる限り、この手の「騒動」や「騒擾」はくりかえされるのでしょう。大学の教師の真似事をしていた時代も、遥かの昔という感覚に襲われてしまいます。大学にとって、ぼくは「去る者、日々に疎し」の典型であるのは事実ですが、ぼくにとっては、大学こそ「去る者、日々に疎し」という存在になっているのです。勤め人時代、よくお話を伺ったことのあった数学のM教授はいつも、大学や教育に対して軽妙でもあり、図星でもあった「苦言」を呈しておられたが、「大学に入って、もっとも意味があるとすれば、大学のくだらなさを知ったことだよ」「入って初めてわかるんだ」と盛んに言われていた。お説の通りと、賛同の首肯は強かったが、その時も、どうしてその「くだらなさ」を、大学に入らない段階(入る前に)で知らなかったのかと悔いたことがしばしばでした。あるいは、これは「人生」についても言えることかもしれません。

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(ぼくの見立てでは、今年の梅雨はすでに終わりました。もう「盛夏」「凶夏」です。だから、ちょっと気が早いのですが「オトギリソウ」。あちこちの山々に、静かに咲いて花びらを揺らしている姿が忘れられません)(ヘッダー写真はオトギリソウ:● おとぎり‐そう〔‐サウ〕【弟切草】オトギリソウ科の多年草。山野に生え、高さ30~60センチ。葉は披針ひしん形で対生し、基部は茎を抱く。夏から秋、黄色い5弁花をつける。花は1日の寿命で、日中だけ咲く。茎や葉を痛み止めや切り傷の薬にする。小連翹しょうれんぎょう。《 秋》(デジタル大辞泉)

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