ファスト映画の教えているところは?

 【筆洗】「答えのある問題なら悩む必要はありません。答えのない悩みなら悩んでもむだです」▼何の引用かといえば映画である。米映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」(一九九七年)。もはや筋もおぼろげだが、劇中に登場する若き日のダライ・ラマのこのせりふはよく覚えており、困ったときに頭をよぎる▼こういうことはどなたにでもあるのではないか。映画のあのせりふ、あの場面、あの音楽。人生に大きな影響といえば、いささか大げさだが、人を励まし、生きていく上での助言となるような場面との出会いは映画の良いところだろう▼映画を権利者に無断で短く編集し、動画サイトに投稿するファスト映画の問題である。東宝など映像大手十三社はファスト映画を投稿した男女三人に五億円の損害賠償を求める訴訟を起こした▼五億円という額は映画文化を台なしにしかねない違法行為を断じて許さぬという作り手の決意だろう。戸惑うのは筋だけ分かればいいとファスト映画を求める風潮か。映画館でのひとときが現実を忘れさせてくれるというのに「時短」の時代にあってはその大切な時間さえ短縮したがるのか。それでは味わい深いせりふとの出会いはあるまい▼時間と愛情をたっぷりそそいだ料理ではなく、材料だけが無造作に並んだ皿をファスト映画に想像する。うまいわけがない。それこそ時間の無駄である。(東京新聞・2022/05/23)

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(右は朝日新聞記事より:2021年7月29日 5時00分)

 便利な時代になったといえば、昨日の茨木のり子さんの言を思い出します。時代に受け入れられているスマホやパソコンを持っていなくて、取り立てて支障なんかないと仰られた。そんな「向き」は五万といるし、そんな人々にも「スマホ」やパソコン」を使えといってもあまり勧められたことではないでしょう。今から何十年前になるのか、ぼくが住んでいた「団地(マンションというらしい)」のそばに「セブンイレブン」の第何号店ができた(全国で二番目か三番目だったそうだ)。そのお店は、もとは酒屋であり、コメも扱っていたので、重宝していた。オーナーは、アメリカまで出かけて学んでこられ、この業態がこれからの時代にどんな影響をもたらすか、ぼくに教えてくれました。以来、ぼくは、ほとんど「コンビニ」は利用しなくなったのです。「コンビニ」は便利でお手軽という評判が立ち、あっという間に、劣島を席巻しました。(「便利」というのは、人間を賢くはしませんね)

 ワットとビットに支配された時代の「開始」であり、人間の想像力の退化も同時に始まったのではなかったか。街中に住んでいた時代には、ぼくはまずコンビニを利用しませんでした。やがて、山中に越してきて、最寄りコンビニまで約五キロ、牛乳や食パンは、どうしてもお気楽にコンビニで購入という「堕落」です。この時代相にいちゃもんをつければ、ぼくも「男版・茨木のり子」になれるでしょう。でもいちゃもんはつけません。必要ならば使う、不要なら行かないまでです。

 ここに登場してきたのが「ファスト映画」だというのです。数か月前に後輩の教師から、この現象のあれこれについて興味ある話を聞きました。我慢できない2時間を「10分」に短縮し、それで用が足りるのなら、何とも好都合ですね。ファスト映画隆盛の背景には、巨額の資金が動いているようです。その「金とのかかわり」にぼくは興味がないし、それで儲けようとする人間が出てくるのは避けられませんね。判明しているだけの「被害額」はかなりのものになります。

 どうしてこんな安直なことがはやるのか。一つは、再生回数が一定数以上であれば、お金が稼げること。もう一つは、「早く分かりたい」という人間がやたらに多いということ。早分かりで何かを得るのではなく、「ネタバレ」とかいうような、毒にも薬にもなる「利害」が絡むからでしょう。youtuber なる人々が爆発的に増加してますが、また爆発的に減退もしています。再生回数の多いがぞkにはそぽんさーが付き、番組の中で「せんでん」もする。まるでテレビがあらゆる場面に入り込んだ状態ですね。これが長く続くとは、ぼくには考えられないですね。(多くは私生活を暴露して異様なもので、それに興味を持ち続けられる人は、かなり「マニヤック」ですね)

 時代は、全員が早分かりの「クイズ」参加者の様相を呈してきました。コンビニに陰りが見えてきた今、新たな「ファスト」と「早分かり便利な業態」がのしています。それが時代の反映で、とにかく結論を知りたいということか。早く分かるということは、わかるための手間暇を省くということ、これがさらに進めば、まるで「ルンバ」ですね。ごみを取った気にさせるところが大事なんだ。(複製技術とその開発の促進、加えて、拡散するための道具類の開発が脅威的に進行。はたして「著作権」などの法的課題をいかにして克服することができるか、それが目下の急務)

 昨日から、珍しく頭痛と悪寒がしてきました。数日前にかみさんが「ゴホン」「ゴホン」とやらかしていたから、「マスクをして寝なさいよ」といったら、「息苦しいのに、何でそんなものをつけるの」と宣うのだ。この女性は、まず自分のことを考えて、周りに他人がいることは眼中にない。困った御仁ですよ。ウイルスが飛散して、あるいは「大事な人?」が感染するかもしれぬとは、つゆ思いもしないのだ。これはすごいと今さらにあきれて、感心する。

 仕方なしに、布団を抱えて別の部屋に行こうとしたが、家じゅう猫だらけで、ぼくの寝る場所がない。「危ないなあ」と布団をかぶって寝たのですが、案の定、朝起きたら、節々が痛いし、頭も重い。CRNかと一瞬疑ったが、それはあり得ない。まず外に出ないのだから。というわけで、かなり古い風邪薬(期限切れ)を飲んでい「偽薬(オプシーボ)」効果を期待しているのですよ。ファスト映画どころではないという気もします。(この続きは明日にでも。「ファスト映画の教えているところ」は、かなりの、文化的歴史的な傾向を持っているようでもあり、取り立てて言うほどでもないじゃないかとも思います)

 (しんどいさなかに、かみさんの友人が一家三人で「猫を引き取り」に来られた。二つ(白と黒=碁石猫)を持っていかれました。たくさんいるから、一つや二つ減ったくらいでは気分の変化などはありません。でも、朝の食事やりは、少しは楽になるか)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。