選びとった時代おくれ もっと遅れたい

 【水や空】ネット中傷、また 大正の終わりに生まれた詩人の茨木のり子さんは生前、ワープロにもインターネットにも縁がなかったらしい。〈けれど格別支障もない/そんなに情報集めてどうするの/そんなに急いで何をするの〉。「時代おくれ」という一編を残した▲詩は続く。〈電話ひとつだって/…盗聴も自由とか/便利なものはたいてい不快な副作用をともなう〉。振り込め詐欺のように、電話一つにも副作用が絶えることはない▲時代とともに、あらぬ作用をもたらす物も、その不快さも変わる。スマートフォンやパソコンという〈便利なもの〉の副作用、つまりネット上の中傷もまた、絶え間ない▲つい最近も、行政から多額の給付金が誤って振り込まれ、受け取った人物が逮捕された一件で、「間違って振り込んだのは…」と、ある町職員の氏名や顔写真がネットで広まった▲その情報は誤りだったが、そもそも内容が正しいかどうかを問わず、氏名や顔が公にさらされるいわれはない。あやふやな情報をかざし、「不正を暴く」と思い込みの“正義”をかざせば、言葉は「言刃(ことば)」に一変する▲姿を潜めた暗がりから、出し抜けに人を矢で射るような仕業を「正義」とは呼ばない。〈そんなに情報集めてどうするの/そんなに急いで何をするの〉。悲しいかな、問い掛けは今に通じる。(徹)(長崎新聞・2022/05/26)

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 茨木のり子さんは、ごく初期のころからの作品に親しんできました。年齢とともに、彼女の詩想(思想)は鋭敏になり、間延びのない緊張感を漂わせるものの如くになってきたのがわかります。しかし、それはけっして直情ではなく、一癖も二癖もありそうな佇まいを持ちながら、実は、茨木さんの本領は直球ではなく、いわゆる変化球(あるいは、それは彼女流のフォークボールだったかもしれないと、ぼくは見ています)、それも直球と見まがうばかりの速さも角度も鋭敏な「変化球」だといえるのではないでしょうか。

 ある種の作品に対して、それは、茨木さんの「反省文」というものだと、生意気にも言ったりしてきました。それは作品の値打ちを貶めて言うのではなく、詩の中に「反省」「自省」を深く読みこむことは至難の業だと知るからこそ、ぼくにはそう思われたのです。その典型は、人口に膾炙(しすぎた感のある)した「倚りかからず」「自分の感受性くらい」などを挙げてみたくなります。世の中にはやる「反省文」は、自己欺瞞や他人の同情を買うばかりの醜悪なものが見られるからこそ、茨木さんの、腹の底からの「反省」が「詩に昇華」したもの、それは、なんとも見事なものだともいえるでしょう。

 さて「時代おくれ」です。取り立ててどうだ、ということもないとぼくは思います。「時代おくれ」は、別名「時代の波に流されない」というのでしょうから、「頑迷固陋」「アナクロニズム」、そんな人はいつだっていましたし、やがて、それは「絶滅」していくのが運命でした。明治維新になって、「廃刀令」が出され、それを頭から否定はできなかったから、やがて「刀」を持ち歩く人間はいなくなりました。ところが「断髪令」は出なかったから(いや、出たかもしれないが、ぼくは調べていません。「ザンギリ頭を叩いてみtら文明開化の音がする」と謡われたから、あるいは出されたかも)、かなり遅くまで丁髷(ちょんまげ)をつける人が残りました。しかし、今では、(時代劇や大相撲の力士以外)まず絶えて見られなくなりました。それだけのことです。「はたから見れば嘲笑の時代おくれ」と詩人はいい、でも、それは「進んで選びとった時代おくれ」という。そうかもしれない。でも「それがどうした」ともいえます。ぼくだって、携帯は持たない、テレビも見ない、新聞も購読していない。しかしネットでニュースは知る。ラジオは聴く。茨木さんも「車がない」といってもタクシーは使ったかもしれない。ファックスはないけれども電話はあるでしょう。「情報を集めてどうする」ということなのかどうか。ことさらに言うほどもないでしょ、と思います。

 単に「時代の波」に乗るか乗らないか、です。乗らないままで消えてゆく。やがて車もなくなるし、パソコンも消えるでしょう。だからと言って、困りはしないし、「格別支障もない」のです。本物の「時代おくれ」というのは、そんなところにあるのではなさそうです。ワープロは使わないから、時代に遅れているというのなら、そんな時代遅れはいくらでもあるものですし、時の流行に合わせないままで生きられるなら、そうするでしょう。でも、筆で字を書く時代から、次には鉛筆やインク(ペン)の時代になりました。その時、詩人はやはり「時代おくれ」を自認していたか。そうではなく、「格別支障」があったから、時代に合わせることになったのではないでしょうか。蠟燭(ろうそく)はいいという人もいるし、燭台で明かりを取って本を読む人もいるかもしれない。しかし電灯時代が来たのです。これは明るい、便利なものだとなって、時代は「燭台派」を飲み込んで(撲滅されて)いったのです。

 ところで、いったい、なにが「詩」であり、なにがそうではないのか、そんな定義はないでしょうし、あってたまるかともいえそうです。短文で、行替えがしきりになされていれば、それを「詩」というのでしょうか。一編の小説が、そのままで「詩」だといわれるものもありますから、これぞ「詩」であるというものはなさそうだし、ない方がいい。自分で、あるいは他人(読者)が、「これが詩だ」と思えばいいんじゃないですか。「茨木のり子がこう書いたから、それが優れた詩だ」といことになるのかもしれない。同じことを評価の高い人が言うから、「詩」になるのでしょう。微妙というか、奇妙というか。

 要はそこに表現される「思想」というか、「体験の深さ」というものが問題にされるのでしょう。もちろん「時代おくれ」は詩ではないというのではありません。茨木さんであろうとも、取り立てて「詩」にしましたというほどのものでないでしょうと、ぼくは感じたまでです。「もっと遅れたい」、どうぞ。それは当たり前の水が自然に(高いところから低いところに向かって)流れるような風景の、日常の「歴史」でもあるのです。時代の波を被らないといい上に、時代にそぐわないという感情は理解できますが、それでも「その時代と社会」で生きているんですね。

 ここで考えてみたいのは、流行を追うということと、それ(「流行」)を所持しないでは仕事や生活に差し支えるから、否応なく「流行に乗る」という姿勢の違いを、ぼくたちはどうとらえるか、です。「時代おくれ」結構、「もっともっと遅れたい」という人がいるのは構わないし、それは人それぞれです。でも「流行」だか「波」だか知りませんが、それを避けては生活が成り立たないなら、どうするかという前に、「波」に乗るほかないでしょう。そのような人をして、いかにも「軽薄」視するような態度をぼくは取らない。「そんなに情報を集めてどうするの / そんなに急いで何をするの / 頭は空っぽのまま」というところに、茨木さんの「詩」で終わらない、詩に収まりきらない「教育的」な姿勢、余分・余計なものがあるのではないですか。それがたまらなく好きだというファンがいてもいい。ぼくは違うなあ、と思うばかりですが。

 

  

     

  

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 「賑々しきなかの」という詩はどうでしょうか。ぼくには、特別の文句がありません。「言葉」「言葉らしきもの」が多すぎるのを嘆き、じつはそれは「言葉といえるほどのもの」などではないのだというのは、日ごろのぼくの痛感しているところですから。「痛感」というのは、ぼく自身の駄文が「言葉らしきもの」でもなく、もちろん「言葉」ではなく、「言葉と言えるほどのものが無い」と自覚しているから、それをことさらに言い当てられていると思えばこその「痛感」です。こんなことを言える詩人はさすが、と言っておきます。「この不毛 この荒野 / 賑々しきなかの亡国のきざし」という指摘は、そのままに、この島社会の「現実の貧相」であり、「人間それ自身の腐熟」を言い当てていると思われるのです。でも、それもまた、何時の時代にも感じる人には感じられる「亡国のきざし」ではないでしょうか。しかし、どんなに「極貧の社会相」にあっても、いい例えではありませんが、「掃き溜めの鶴」「珠玉瓦礫るがし」よろしく、思いもかけないところで、思わぬ「ふかい喜悦を与えてくれる言葉」をぼくたちは、待望し念願しているのです。その願いを果たすのが「詩人」である(あってほしい)ということは大いにあり得ます。

 (蛇足 茨木のり子という人を想う時、いつでも(ではありませんが)、タバコをふかしている彼女の姿(写真)が浮かびます。タバコと詩人は密接不離でしたね、ぼくにとっては。実に強烈な印象を持ちました。もちろん、タバコは男が吸うものという偏見や愚見は持っていませんが、その見事な吸い方に圧倒されたのでした)茨木さんがいつタバコを吸いだして、いつお止めになったのか知りませんが、その「一服」は「流行の波」「時代の流れ」に合わせた結果だったでしょうか。禁煙されたのはどうしてだったか、それも「時代の波」だったのかどうか、そんな余計なことをぼくは愚考してしまいます。(禁煙されたかどうかも知らないままです)要するに、「流行を追う」「流行から外れる」、そのどちらであっても、何のことはない「個々人の趣味・趣向」の問題だとでもいったらどうでしょうか。仮に、それなしでは「生活」ができなくなるなら、それはもう「趣味」ではなく「必須・必需」ですからね。それにしても、「喫煙する」という一風景が、茨木さんの詩情の幾分かを示しているような気がしますね)

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● 茨木のり子(いばらぎのりこ)(1926―2006)=詩人。長野県出身の父宮崎洪(ひろし)(1897―1963、医師)と山形県出身の母勝(かつ)の長女として、父の勤務地である大阪市に生まれ、京都府、愛知県に転居後、1943年(昭和18)に県立西尾高女を卒業し、上京して帝国女子薬学専門学校(現、東邦大学薬学部)に入学。在学中空襲と勤労動員を体験。1945年敗戦(第二次世界大戦)は都内の薬品工場(海軍)で迎えた。1946年同校卒業。戯曲に関心をもち山本安英(やすえ)との出会いもあったが、1947年の結婚(本姓三浦)前後に詩を書き始め『詩学』に投稿して認められ、1953年に川崎洋(ひろし)(1930―2004)と『(かい)』を創刊。水尾比呂志(1930―2022)、谷川俊太郎、大岡信(まこと)、吉野弘らが参加した。詩篇(へん)の代表作としては「根府川(ねぶかわ)の海」「わたしが一番きれいだったとき」「りゅうりぇんれんの物語」「総督府へ行ってくる」「倚(よ)りかからず」などがあげられ、戦後、青春期に軍国主義から民主主義への移行期を通過した詩人としての、現実的あるいは社会的視野にたって、ヒューマニズムに支えられた批評性・記録性の鋭い詩風をもっていた。/ 詩集は『対話』(1955)、『見えない配達夫』(1958)、『鎮魂歌』(1965)、『人名詩集』(1971)、『自分の感受性くらい』(1977)、『寸志』(1982)、『食卓に珈琲(コーヒー)の匂い流れ』(1992)、『倚りかからず』(1999)があり、詩集成としては『茨木のり子詩集』(現代詩文庫20・1969)などがあり、編訳詩集としては『韓国現代詩選』(1990)があり、ほかに評伝、エッセイ集がある。(ニッポニカ)

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