ボクシングへの情熱で、生活費を稼ぎました

 闘う相手は貧困と性差別 ベトナム初の女子ボクシング世界チャンピオン(AFP2022年5月22日 11:00)

【5月22日 AFP】女子ボクサーのグエン・ティ・トゥ・ニ(Nguyen Thi Thu Nhi)選手(25)は、貧困と性別に基づく偏見を相手に闘い、ベトナム初の世界チャンピオンとなった。/ 昨年10月に行われたWBO女子世界ミニマム級タイトルマッチで、挑戦者のニ選手は王座防衛に臨んだ日本の多田悦子(Etsuko Tada)選手と対戦。予想を覆す勝利を収め、プロとしてわずか5試合目で世界王者の座に就いた。/ ベトナムでは女性のスポーツ、とりわけ格闘技への参加は嘲笑されがちだ。そんな保守的な社会で、恵まれない境遇から立ち上がったニ選手の勝利は、画期的な偉業だった。/ ボクシングを始めたのは、13歳の時だ。ホーチミン(Ho Chi Minh)の貧困地区の小さな家に家族9人で住んでいたニ選手は、コーチに素質を見いだされ、トレーニングにすべてをささげると決心した。「もっとお金を稼ぎたかったので、一生懸命練習しました」と話す。

偏見と闘う ニ選手は自分の求めているものが分かっていた。家族を養う足しにするため必死に働いて1日数セントしか稼げない生活から抜け出すことだ。/ 「路上で宝くじ券を売ったり、飲食店で働いたり。家計の足しになることは何でもやりました」/ 対戦した多田選手は自分より身長も高く、プロとして20勝4敗3分けの記録を持つ経験豊富な王者だ。だが、ジャッジの判定は全員一致でニ選手の勝利だった。多田選手はもとより、ニ選手本人にも衝撃だった。/ 「勝ったことが信じられませんでした。チャンピオンベルトをベッドで横に置いて、一晩中眠れませんでした」

■岐路 共産主義と儒教の伝統が混在するベトナムではスポーツをする女性に対する偏見が根強く、ボクサーとしての道を歩むニ選手はばかにされてきた。/ 「近所の人たちはいつも祖母に、なぜ私に男の子みたいなボクシングをさせるのかと質問していました」とニ選手は言う。/ 「私が選んだ道が自分に合っていることを彼らに示すために、精いっぱいやってきました。私はボクシングへの情熱で、生活費を稼ぎました」/ 王座獲得から半年がたった今、ニ選手は岐路に立たされている。プロとして試合に出るか、アマチュア大会に出場するかだ。/ ニ選手によると、WBOの王座は180日以内にタイトル防衛戦を行わないと剥奪されてしまう。だが、トルコで開催中の国際ボクシング協会(IBA)のアマチュア女子世界選手権に、すでにベトナム代表として出場を決めている。/ ニ選手はWBOのチャンピオンベルトを失うことに未練はないと言う。/ 「今の目標はトルコでメダルを獲得することです。そして、アマチュアとプロ、どちらでもやれるのをみんなに示すことです」とニ選手は語った。(c)AFP/Tran Thi Minh Ha(ヘッダー写真はサバの棚:「https://www.his-discover.com/vietnam/sapa/)

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 いつも言うことですが、ぼくには「偏見」があります。しかも、いくつもある、というか、偏見の根や源が、ぼくの内部にあって、そこからさまざまな事柄に対する偏見の「枝葉」が育つのかもしれません。勝手な言い分ですが、きっと偏見とは無縁な人はいないのではないかと、思い続けてきました。自分は「偏見」から解放されたいという願いがあるのは事実で、これまでには人知れず、偏見との戦い・闘いの生活(人生)であったと、ひそかに思ったりしています。ここで、本日の「女性ボクシング」に対する私見(=偏見)ですが、男対女という構図で見るとき、ある種の運動(スポーツ)では、いずれ女性が男性を凌駕する(記録的にも男性に遜色ない)ところまで行くのではないかとみています。(既にそうなっているものも、あるかもしれません)一例は「マラソン」です。細かいことは省略しますが、最高記録の出方が、男性のそれよりもはるかに短時日のうちに記録更新されています。これにはいろいろな理由や背景が考えられますが、一番の問題は、女性の運動能力の伸長でしょう。なんといっても「女性は強い」「底力がありますな」ということにつきます。「女・子ども」などとエラそうな言い方を男たちはしてきましたが、それはどんな状況に陥ろうと、そんな「奴ら(女子ども)」に負けるものかという「強がり」が言わせていた口ぶりでしたね。ところがどうでしょう、今や、いろいろな分野で「男、何するものぞ」という女性が続出しているのです。いいことですね。もっと「女性解放」が進むといいもとろん、。悪いことは、男と競争しなくてもいい、男に任せておくに限ります。

 こういう話をすると、きっと、そんな馬鹿なことがあるかという男が出てきます。ならば、何でもいいから女性の選手と試合(勝負)をしてみるといい。必ず負けるに決まっています。柔道・レスリング・短距離走、水泳などなど、大半の男性は女性選手に手もなく負けるでしょう。それは「練習」量が違うからだというなら、男も同じように練習してみるといい。世界的なアスリートの多くは、男性選手と合同で練習しています。それを見ていて、つくづく考えたりします。もっと早く、運動競技が女性に開放されていたなら、ぼくの「偏見」は霧消していたことだろうと思う。(そうなっていたら、今とはまったく「逆」のことを、ぼくは言っているでしょう)「男社会」「男尊女卑」「夫唱婦随」などなど、なんでもいいが、とにかく「男を立ててきた」歴史が、いずれの社会においても長く続きました。それはいいことではなかったのは、現実の諸相を見れば一目瞭然です。

 グエン・ティ・トゥ・ニさんの試合を見たことはありません。さぞかし懸命に試合に臨んでいるのでしょう。「私が選んだ道が自分に合っていることを彼らに示すために、精いっぱいやってきました。私はボクシングへの情熱で、生活費を稼ぎました」という彼女の一貫した態度に、ぼくは昔日のこの島社会の「青春」を見てしまいます。そんな殴り合い(殴られ合い)なんか、女性のするものではないのだという「社会通念」はベトナムに限らず、さまざまな地域に厳存しています。女性は「顔を覆え」とか、「人前で肌を見せてはいけない」という、まるで時代遅れの慣習や風俗をいまだに後生大事に厳守しているところを見て、ぼくたちは「なんと古い」と笑えるのでしょうか。そんなことは、この島においてだって、つい百年前かそこらあたりまでは歴然と主張されていたのです。(左写真:アフガニスタンのテレビでは女性司会者が顔を隠さないのが普通になっていた)(写真は2013年1月)。(BBC・タリバンは「顔を覆う」ように命令を出した:2022/05/20)

 これも「偏見」だといわれると、返す言葉がないのですが、「男対女」という構図そのものが、怪しいというか、生物学的にはそんなに単純に「色分け」されない現実が明らかになってきましたから、この傾向(「男と女」という「二分法」では間に合わないという状況)はますます促進されるでしょう。

 この先五輪が続くとして、五輪種目がことごとく男女いっしょになるということは現実的ではありません。しかし、その他のスポーツでは「男女合同」を実践していたり、その一歩手前まで来ているものもあります。あえて、こんなことを言う必要もないのですが、男と女だけというのは「いかにも不都合ではないですか」といいたのです。野球にしても男女が入り混じっているケースもありますね。「人間」が野球をする、ボクシングをするということであって、それをあえて「性」で分けることもないじゃないかという気もしている。今はまだでしょうが、いずれ(五百年千年後)はそうなるんでしょうね。「ベトナムでは女性のスポーツ、とりわけ格闘技への参加は嘲笑されがちだ」という現実は、決してベトナムだけのことではないでしょうし、今からどれくらい前になるか、人前で「殴り合いをするなんて」と軽侮された時代があったでしょう。男性ができて女性ができないことには、どんなものがあるのか。まずほとんどないでしょう。その反対は?

 (余計なことながら この記事で、一か所だけクレームをつけておきます。「ベトナム初の女子ボクシング世界チャンピオン」という部分で、「女子」というのですか。これに限りませんが、「女子バレー」だの「女子水泳」だのと、「女子」が好きなんですね。これは男の責任なのか。運動競技は、「女性」ではなく「女子」がするとでもいうのでしょうか。この記事は翻訳なのだろうと思われますから、もとの言葉(womenとか)がどうなっているか、よくわかりませんが)

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