「差別」は人間(社会)の固有の病巣か

 「差別問題とは何か」「われわれが今日の現況から想像するように、古代でも朝鮮その他からの渡来、『帰化人』たちを蔑視したり、差別したと思うのは誤解である。いわゆる『蕃別』の貴族がかなり多数であったことは、『新撰姓氏録』が伝えている通りで、なかにはきわめて有力な豪族が出ていた。かれらは統率していた朝鮮人部民もあったにちがいないが、むしろ支配していた日本人部民の方が多かっだたろう。すなわち大阪の猪飼野を、必ずしも朝鮮人を賤民とした古代居住地であるとは即断はできない。むしろわれわれ日本人が古代から移住、渡来してきた異国人たちを賤民視し、差別していたと考える、その思想であろう。いわんやあやふやな想像から、デーモンがまねき寄せたなどというのは、こっけいというほかあるまい」(赤松啓介『差別の民俗学』ちくま学芸文庫)

● 蕃別(ばんべつ)=日本古代の帰化系氏族総称。江戸時代以後の学者が誤って使いはじめた語で,正しくは諸蕃という。平安時代初期の『新撰姓氏録』には,すべての皇別神別,諸蕃の3つに大別し,うち諸蕃を,百済,高麗 (こま) ,新羅任那 (みまな) の5つに分ける。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 赤松啓介さん(1909~2000)は民俗学・考古学者でした。独自の視点から庶民(いわゆる非常民)の「民俗文化」を調査研究されました。いわば、民間学の系統に属する人でもあった。柳田國男に代表される「常民研究」に対する精力的な批判者としても知られています。『赤松啓介民俗学選集』(全6巻・別巻1、明石書店刊)など。上に引用した文章が書かれたのは82年のことでした。今日からみるといくらかは状況に変化が見られますが、根本のところで「偏見」や「差別」の気質や心象風景はそれほど変わっているとは思われません。この文章のきっかけになったとみられるのは『差別の精神史序説』(77年、三省堂刊)だったようです。

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 三省堂選書25「シンポジウム 差別の精神史序説」井上ひさし・野元菊雄・広末保・別役実・松田修・三橋修・山口昌男・由良君美・横井清。「論議をよんでいる差別語の問題を、文化の構造と関連させながら精神史の問題につなげようとする初めての試み。長時間の討議の中で多面的に問題を追求した書。」(1977.8.25)(出版社による自画自賛の記述)

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 「たとえば、戸籍はいくらでも移せるでしょう。今日なんの抵抗もなく移せるわけです。なぜ、原理的にデメリットのあるとわかっている所に、戸籍を置いておくのか。自意識的に、差別への抵抗として置いておくのならわかりますよ。なぜそれをしないのか本当に理解できない」という発言に対して、赤松さんは「この程度の認識で差別の構造を解析したり、被差別部落の置かれた状況を説明しようというのは、いささか無知というほかあるまい」と、切って捨てています。いまから四十年前です。知識人と自認している人の心根がいかにも薄っぺらでした。今でも変わらないんじゃないですか。この発言は誰のものかは、今は問いません(言いません)が、「差別」の歴史とその深さを知らないからこそ言える、無知からの軽率な発言であったといえるでしょう。情けないことではありました。さらに、以下に続きます。

 「なぜ沖縄の人たちが大阪の大正区に、また朝鮮の人たちが猪飼野周辺に移住群居するのか、― 猪飼野はまさに古代の賤民居住地でしょう。だから猪を飼うという字をあてるわけです。その当初から、養猪、養豚をやっていたのですね。それが近代百年になってから、かならずしも権力の強制ではなく朝鮮人がそこに住みつくっていうことは、なにか因縁というか、一種の恐ろしさをさえ感ずるわけですけれども、土地のデーモン、地霊がまねきよせたのでしょうかね。―」(同上)

  この部分で赤松さんは「まともに論評する気もないけれども」といわれます。これを堂々と文章にするのですから、無知ほど怖いものはないというべきですね。参加者たちも出版社も、同罪ですな。「猪飼野が『猪甘部』の居住地であったことは、おそらく事実だろう。しかし部民が、朝鮮人であったという証拠はない。首領である『猪甘部首』は、天足彦国押人命の後裔というから、『皇族』つまり天皇家出身の貴族ということになる。部民は朝鮮人であったかもしれぬが、日本人であった可能性も多い。あるいは朝鮮人は飼養の技術者として待遇され、一般の日本人の部民を指揮していたとも考えられるだろう」(同上)(ヘッダー写真:猪飼野・「Holiday」https://haveagood.holiday/spots/281102)

 島根県浜田市下府町に伊甘()(いかん)神社があります。伊甘()は猪飼、鷹甘は鷹飼というように、職業を表した部民(べのたみ)()。通称は下府明神。神社縁起によれば、創祀年代は、貞観三年(861)。祭神は伊甘郷開拓の猪甘首の祖である天足彦國押人命あまたらしひこくにおしひとのみこと)。三代実録によると貞観十一年従五位上、貞観十七年正五位下、元慶三年正五位上の神階を授けられたとされる。部民の制は大化以前の「大和王権」の支配方式でした。記紀によれば天足彦国押人命は孝昭天皇の皇子となります。また、猪飼(伊甘)の猪は豚だとされます。

 (【部】大化前代、大和政権に服属する官人・人民の集団に付せられた呼称。五世紀末の渡来系技術者の品部(しなべ)への組織化に始まり、旧来の官人組織である伴(とも)を品部の組織に改編し、また王権の発展に伴って服属した地方首長の領有民や技術者集団、中央豪族の領有民(部曲(かきべ))にも部を設定し、王権に服属した民であることを示した。部による支配方式を一般に部民制と呼び、六世紀を通じて大和政権の基本的な支配構造となった。部(とも)。)(大辞林)

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 これ以上すすむと本題から離れるので、ここで詮索をやめますが、これだけみても「猪飼野はまさに古代の賤民居住地でしょう」というのはいかにもあてずっぽう、でたらめ。これが「知識人か」と、恥ずかしくなります。だから、赤松さんは「むしろわれわれ日本人が古代から移住、渡来してきた異国人たちを賤民視し、差別していたと考える、その思想であろう。いわんやあやふやな創造から、デーモンがまねき寄せたなどというのは、こっけいというほかあるまい。こうした思想ではマレビトなどの正確な理解もし難いと思うが、被差別部落についても、もう少し実態調査をやっておいての発言をするべきであろう」というのです。「思想」というよりはぬきがたい偏見、差別意識だとぼくには思われます。さて、その意識の由来は?

  「人間における『差別』という精神構造(「共同幻想」といわれるもの)が、いつ頃から発生したのか、まだ明らかでないが、われわれが想像するより、はるかに古いものであろう。『男』と『女』との存在、すなわち性的相違が、すでに差別の本源(「対幻想」といわれるらしい)であったということであれば、『差別』とは人間、あるいは人間社会の固有の病巣(共同幻想)ということになる。(「基層にある差別観念」同上)

 排除や差別というものもまた、一つの社会機能をもっており、それを再生産する構造があるかぎりけっしてなくならないだろうというのが赤松さんの立場です。だから「被差別の社会構造」を変えようとするのは無駄な努力、つまり徒労なんだということになるのかどうか。「私は、そうは考えていない」とも、赤松さんは言われる。

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 若いころからぼくは柳田国を自己流ではありましたが、熱心に(ぼくとしては)読んだと思います。その間、つねに頭の片隅にはアカマツケイスケが蠢(うごめ)いていました。彼の本も、何冊かは手に取って読んだこともあります。赤松さんは柳田さんの生まれ故郷の近くの出身で、柳田さんが、ことさらに避けていた「性」と「非常民民俗」研究に大きな足跡を残された。「柳」に果敢に挑戦する「松」という印象をぼくは常に感じていました。しかし、とにかく明治以降の近代社会史の「勉強」をするつもりで柳田研究(というのもおこがましいが)の真似事を続けていった(小さな本も書いた)。いつかじっくりと赤松民俗学を学んでみようとして、ついに果たさないままで、現在に至っているのです。

 赤松さんは、いわば在野の研究家であり、実地調査の実践家でもありました。「行商をしながら10代から独学で民俗学的調査に取り組む。戦前非合法であった日本共産党に入党し、治安維持法で検挙され収監された経験を持つ」(wikipedia)。死後に残されたたくさんの書籍は今でも読めますので、ぼくは、これからはていねいに赤松さんの「非常民の歴史と民俗」を学んでいこうと考えているところです。柳田さんよりも前にアカマツケイスケを熟読していたら、ぼくの生き方はずいぶんと変わっていただろうと思います。

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● 赤松 啓介(アカマツ ケイスケ)=昭和・平成期の郷土史家 生年明治42(1909)年3月4日 没年平成12(2000)年3月26日 出身地兵庫県加西郡下里村(現・加西市) 本名栗山 一夫(クリヤマ カズオ) 経歴昭和5年頃から社会運動に従事しつつ、民俗学考古学著書論考を発表。在野の民俗学者として関西を中心に活動。性民俗の調査に取り組み、夜這いの風習など庶民の性生活を研究・体系化したことで知られる。14年唯物論研究会事件で検挙。24年民主主義科学者協会神戸支部局長、32年神戸市史編集委員、43年神戸市埋蔵文化財調査嘱託。五色山古墳整備工事現場監督。著書に「東洋古代史講話」「民俗学」「村落共同体農耕儀礼解体」「非常民の民俗文化―生活民俗と差別昔話」「非常民の性民俗」「戦国乱世の民俗誌」、「赤松啓介民俗学選集」(全6巻)などがある。(20世紀日本人名辞典)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。