名は体を表すという、そんなの嘘でしょう

 【水や空】読み仮名の向こう「お寺の名前にしてもその他の物にしても、昔はさらりと分かりやすく名前を付けたものよ。最近はいろいろ凝ってて面倒だね」▲鎌倉時代も令和の今も…ということだろうか。徒然草の116段には吉田兼好が“キラキラネーム”の流行に渋い顔をしているくだりがある。〈人の名も目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり〉となかなか手厳しい▲吉田さんの嘆きはともかく、子どもの名付けには親の願いや価値観が色濃く投影される。自分にその役目が来た時には、誰にでも正しく読んでもらえるように、と考えた気がするが、世界のどこにもない名前を、と意気込む気持ちももちろん分かる▲昨日の紙面にあったのは“キラキラの是非”とは少し角度の違う話だ。戸籍の「読み仮名」に、漢字本来の読みと違う読み方をどこまで認めるか、が法制審議会で議論されている▲戸籍には読み仮名がないから、例えば「一郎」と書いて「ももたろう」と読ませることもできるのだ、と教わったのは国語の時間だったか、社会科だったか。そこが変わる。読み仮名が付くと、データの管理や検索が容易になるというのだが▲待てよ、と思う。管理や検索のその先にはどんな社会がイメージされているのだろう。読みの許容範囲よりも、そちらの方がずっと気になる。(智)(長崎新聞・2022/05/19)

 キラキラネーム許容で3案 読み仮名の戸籍記載 法制審 2005/5/17(火) 
 法制審議会(法相の諮問機関)の戸籍法部会は17日、戸籍に氏名とともにその読み仮名を記載する戸籍法や関係省令の改正に関し、中間試案をまとめた。
 漢字本来と異なる「キラキラネーム」などの読み方をどの範囲で認めるかについて3案を併記した。法務省は5月下旬に意見公募(パブリックコメント)を始め、答申に反映させる。
 氏名の読み仮名は法律上の規定がなく、戸籍に記載されていない。政府は行政のデジタル化を進めるため、読み仮名に法的根拠を持たせて人物の特定やデータ管理をしやすくする方針で、昨年9月に法制審に諮問した。答申を経て、来年の通常国会への法案提出を目指す。/ 試案はキラキラネームなど独特な読み仮名の許容範囲として、狭い順に(1)漢字の慣用的な読み方であるか、字義との関連性があれば認める(2)正当な理由があったり、パスポートに記載済みなど既に社会的に通用していたりすれば認める(3)規定を設けず、公序良俗に反しない限り認める―を示した。
 ◇「ピカチュウ」OK? 
 法務省の担当者によると、いずれの案でも「海」を「マリン」、「光宙」を「ピカチュウ」と読むことは認められる可能性が高い。一方、(1)案の場合、「太郎」を「ジロウ」と読むなど明らかに本来の読み方や意味と異なるケースは認められない可能性が出てくるという。/ 読み仮名の表記については、試案は平仮名とカタカナのどちらかに統一するとした。どちらにするかについてもパブリックコメントに付す。/ 試案はまた、読み仮名の戸籍記載が決まれば、戸籍のある地方自治体の首長に一定期間内に読み仮名を届け出ることを義務付けると明記した。改正法施行後の出生や帰化などのケースでは、その届け出を受けて読み仮名を記載する。(時事通信) 

 「名(な)は体(たい)を表(あらわ)す」といいますが、その真意は「名はそのものの実体を表している。名と実は相応ずる」(デジタル大辞泉)というものです。名とか名前などといえば、いかにも面倒な話になります。ぼくは面倒は好きではありませんから、それには触れないことにして、現行の命名に関しては、「戸籍法」によって戸籍として使用できる漢字などは決められており、いかがわしい名前が届けられると、「命名権の濫用」として出生届を拒否されることもあります。奇抜であったり、社会不安を招くような「命名」などはめったにあるものではないが、その昔「悪魔」と届けて、役所から拒否されたケース(裁判になった)がありました。このようなとき、「名は体を表す」となると、どういうことになるのか。コモンセンスが欠けているのは、誰かれに限らない時代でありますから、実に奇妙で奇天烈な「名前」が頻出しています。も、珍しいね、それで終わりです。「いい時代」なのかなあ。「どうでもいい時」代かもしれん。(ヘッダー:https://digjapan.travel/blog/id=11733)

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(https://www.j-cast.com/trend/2021/11/08424277.html?p=all)

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 ぼくは、基本的には届けたものをそのまま役所は受け入れるのがよいという考えです。「悪魔」だっていいでしょう。どんな名前であろうと、それを他人(役所)が受け入れたり拒否したりすることは問題だという感覚があります。日本人が外国人のような名前を付けたってかまわないし、いずれ、世界では、各国でよく似た名前が付けられる時代が来るかもしれません、もう来ているのかも。ただ、一言したいのは、名前は一生一名前が原則だとするなら、後々困るようなことになるのは避けたらいいでしょう。「ピカチュウ」というのは男の子の名前でしょうが、これがおじいさんになってもそのままだったら、どうですか。年齢とともに、文字通りに「ピカチュウ」ということになるのかもしれません。若いころに「整形」をして、それは生涯にわたり型崩れしないものだったら、老齢になって困らないかどうか。それと似たような、違うような。

 犬や猫も人並みなのか。いや人間が犬猫並みになったのかもしれません。命(いのち)あるものは、根っこはいっしょだといえますから、名前もなにも同じようなものがあっても一向構わないどころか、むしろ願わしいともいえそうです。拙宅にはたくさんの猫がいます。名づけるのは大変で、基本は色ですね。黒・白・茶・その他。そのうち、「番号」になるような予感がしています)

 歴史的に見れば、誰にも個人の名前が付けられるようになって、まだまだ時間がたっていませんから、何かと不都合が生じるのもやむを得ないでしょう。同姓同名あり、男女混合名あり、旧時代の「らしく」はとっくの昔に廃れた風俗になりました。名前などは簡単な方がいいし、わかりやすいものが何よりです。いずれ名前ではなく、その人自身(人柄)が評価されることになるのですから、あまり早い段階で目立ったり、奇をてらうのは、ご本人のためにもならないのではないです。江戸以前だって、実にいい加減な、困惑するような名前が溢れていました。諸外国でも何かと論議の対象になっているようですが、名実ともに揃うように、育つのが何よりだとするなら、成長とともに、名前は本人の「顔」や「姿」にもなるのでしょう。

 これは「芸名」ですが、噺家の名前では「名代」「名跡」といって、大名跡とされる名前を受け継ぐ風がありました。今は落語がどいうなっているのかぼくは知りませんから、あるいは、その風儀も変化しているのかどうか。この名前で思い出すのは、古今亭志ん生さんでした。

 本名は美濃部孝蔵、生家は旗本の槍の指南だったそうで、親父さんは警察官。彼ほどに名前を変えた噺家はまれでした。なんとその変名回数は十六度に及び、昭和十四年に五代目古今亭志ん生でようやく落ち着き、やがて、彼の芸風は爆発的に売れ出したのでした。参考までに名称遍歴を挙げると「三遊亭 朝太,三遊亭 円菊,金原亭 馬太郎,吉原 朝馬,金原亭 武生,金原亭 馬きん,古今亭 志ん馬,小金井 芦風,古今亭 馬生,古今亭 ぎん馬,柳家 東三楼,柳家 甚語楼,隅田川 馬石,金原亭 馬生(7代目)」となる。芸が売れるまで名前を変えるのも一つの流儀でしょうが、これが一般的な名前だったら、付き合うのも大変だし、届を出すのも面倒この上ない話ですね。芸能界には「芸名」に験(げん)を担いで何度も改名する人がいました。それも一つの「文化」ですから、別に悪いことではないでしょう。「五木ひろし」という歌手などはその典型例でした。これはあくまでも「芸能の世界」です、堅気の世界ではなにかとさしさわりがあるのでしょうから、その風儀は世間の相場にはならないでしょうね。

 

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 勝手にせいや、というか。あるいはいい加減にせんと、後で泣くで(親も子も)、というか。子どもも名前も、どちらも、親をはじめ、まわりが弄んでいる風潮が漲(みなぎ)っているというのでしょうか。これで九十や百まで生きるとしたら、大変なんじゃないですか、他人事ですが。

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 寺院の、然らぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、ただ、有りのままに、安く付けけるなり。この頃は、深くあんじ、才覚を顕(あらは)さんとしたる様(やう)に聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目慣めなれぬ文字を付かんとする、益なき事なり。

 何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才せんざいの人の必ずある事なり、とぞ。(「徒然草 百十六段)」既出)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。