その場かぎりの熱心さ、そんなものは嘘だ

 〔これもまた、一つの教師論〕たいていの先生は、熱心にわかりやすく教えれば子供たちも授業に熱中するはずだとおもって、悩んだりしている。でも、そうはおもわない。

 先生がうまい口調で教えていると、その場はいかにもわかったように見えるし、はたからもすごくいい授業のように見えるかもしれない。でも、それは嘘だとおもう。上手に教えて子供も熱心に聞いているように見えるのは、先生の側も生徒の側もうまく上辺をとりつくろっているその場のことだ。その場かぎりの熱心さにすぎない。そんな授業が効果を上げたとしても、まあ、いい高校へ行くのがせいぜいで、こころの底から生徒が「いい教師だ」と感じることはないはずだ。

 熱心な先生、そしてそれを熱心に聞く生徒、というのはいつも「見せかけ」だけだ。(吉本隆明「『遊び』が生活のすべてである」『家族のゆくえ』所収。光文社、2006年)(ヘッダー写真:『林竹二の授業 ビーバー』 グループ現代資料)

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● 吉本隆明【よしもとたかあき】(1924-2012)=詩人,評論家。東京生れ。東京工業大学卒。1952年詩集《固有時との対話》を私家版で刊行。以後,詩集《転位のための十篇》,評論《高村光太郎》や《文学者の戦争責任》(共著)などで既成左翼を超える文学・政治思想を確立する。1960年安保闘争への関与(その発言は《擬制の終焉》(1962年)など収録)以降,その思想は1960年代末の全共闘運動など左翼学生・労働者闘争に広汎な影響を与えている。また1961年同人誌《試行》を創刊(11号以降単独編集),言語を〈表現〉とみる言語論を導入した《言語にとって美とは何か》(1965年),国家の共同性の問題を扱った《共同幻想論》(1968年),《心的現象論序説》(1971年)など数々の評論を発表。古典文学論に《源実朝》《初期歌謡論》,宗教論に《最後の親鸞》などがある。他に《〈反核〉異論》《マス・イメージ論》など,多数の著作があり,著作集がある。(マイペディア)

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 後期高齢者になってから、もう何年も経過しましたから、そのせいかもしれません。「去る者日々に疎し」という言い伝えが、やたらに身に応えるというか、身に染みてきます。吉本さんが亡くなられて、十年も経ったのだ。いまさらののように「もうそんなに経ったのか」「早いものだなあ」と実感している。「徒然草(三十段)」に、「年月ても、つゆ忘るるにはあらねど、『去る者は日々にし』と言へる事なれば、然(さ)は言へど、その際(きは)ばかりは覚えぬにや、由無し事言ひて、打ちも笑ひぬ。(から)は(け)疎(うと)き山の中に納めて、然るべき日ばかり、詣(もう)でつつ見れば、程無く、卒都婆生(む)し、木の葉、降り(うづ)みて、べの、夜の月のみぞ、こととふ縁(よすが)なりける」(第三十段)

 「亡くなった直後は悲しくはあるが、日々それもなくなってくる」と、後に残されたものの「薄情」をいさめるような書きぶりではありますが、親兄弟の死に際してもそうなのだから、ましていくら親しくあっても、縁者でもない限りは、日々気持ちも薄れてくるのは、決して薄情ばかりではなく、それは「人情の機微」というものかもしれません。「この世の無常」の深さをいささかでも思わないではいられません。さすれば、今生の「毀誉褒貶」など、何ほどのことがあろうかという気にもなります。

 ぼくは吉本さんとはいささかのかかわりもありません。単なる読者として、彼の書いたものから、なにがしかの教えを受けたといえばいえる、その程度のことではありますが、それにしても「光陰矢の如し」ともいうように、死者は、脱兎のごとくにこの世を去ってどこに行ってしまうのだろうと、情けないことを愚考するばかりです。その吉本さんの「教師論」「教育論」に類するもので、このことについては、どこかでも触れていますが、やはり「刺激的」というか、べったりとした、馴れ馴れしい「(子どもと教師の)仲良し教職論」は唾棄すべきものという雰囲気が、ここにも濃厚に表明されています。

 「上手に教えて子供も熱心に聞いているように見えるのは、先生の側も生徒の側もうまく上辺をとりつくろっているその場のことだ」というのは、彼の実感であり、実体験からの言ではないでしょうか。ものを教えるというのも、ものを学ぶというのも、もっと「野性的」というか、いかにも上品で、取り澄ました雰囲気などからは、まず生まれないというのです。確かにそうだと、ぼくも経験から実感してきました。覚えて、試験に間に合うような「勉強」「学習」なら、それでもいいでしょうが、実際には、そんなものは何でもないというところに吉本流が活写されているのではありませんか。

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日日し=《「古詩十九首」其一四の「去る(ひび)に以て疎く、来たる者は(ひび)に以て親しむ」から》死んだ者は、月日がたつにつれて忘れられていく。転じて、親しかった者も、遠く離れてしまうと、しだいに親しみが薄くなる。(デジタル大辞泉)

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 学童期(およそ12、3歳頃まで)というのは夢中で遊ぶ時期です。遊びが生活のすべてだというのはそのとおりで、これは経験しないとわからないことです。早い段階から「遊びと勉強」のけじめつさけさせられたものには理解できないかもしれませんが、子どもの生活は遊びだというのです。だから、そのような子どもに、日々長時間接する教師があまりまじめならば、かならずそこにすれちがいというか、いきちがいが生じるにきまっているんです。だから、吉本さんはつぎのようにいうのでしょう。

 「この時期の子供たちの遊びは全身的なものだ。先生も全身でぶつかって授業をしようと考えるのは勘違いだとおもう。先生のほうは年齢をとっているわけだから、自分は遊ぶ代わりに好きな勉強でもして、その合間にちょっといっしょに遊んだり教えたり、というぐらいの気分でいればちょうどいいに決まっている。そういう接し方が、生活全体が遊びだという時期にふさわしいやり方だとおもう。そうでなければつくりものだ。タテマエだけの嘘になってしまう。…この時期に仮面のかぶり方などを教えられた生徒は生涯を台なしにするに決まっている」(同上)

 でも、なかなかそうはいかないようです。学校というところは教師を自然体にさせてはくれないのです。子どもからも親からも、さらには同僚からも上司からも「いい先生」にみられたい。みせたいと思わせる雰囲気が濃厚にあるからです。自分を正直につかんでおれば、たいていの教師は「いい教師」面でいることには我慢できないのですが。

 まるで八方美人のようなふるまいをして自分を追いこむから、どこかに無理がくるのでしょう。さらにそのような教師たちに対して、かさにかかって「指導力不足」教員追放の狼煙をあげているのが教育委員会をはじめとする行政の姿勢です。自分たちのことはうんと高い棚にあげておいて、教師いじめをしているのですから、いい教育・授業ができるきづかいはないといいたいですね。ここまでくると、学校とはなんのためで、だれのためにあるのかと大きな疑問・不信感をぶつけたくなります。

 まるで、それは政治や経済、あるいは行政のために存在しているのであって、子どもたちのためになっていないということだけは断言できるのではないですか。もうそん「新学年」も五月半ばを過ぎました。新卒の教師の方々も、一息つきたい時期でしょうか。普段には見られない「コロナ禍」はまだ続いていますから、なおさら、気が張る事ばかりでしょうが、深呼吸くらいはゆっくりとできる、そんな姿勢を持ち続けたいですね。今日日(きょうび)、教師になろうかという若い人々が極めて限られてきました。その理由はどこにあるのか。子どもは言うまでもなく、教師だって、取り繕う必要のない、普段着のままの「自分」を隠さないで、子どもや教師仲間と交わってほしいですね。

 「熱心な先生、そしてそれを熱心に聞く生徒、というのはいつも『見せかけ』だけだ」という隆明さんの直言は、図星をついているんじゃないですか。「熱心」を装うことはむなしいことさ、といういい加減さ、ゆるさも必要じゃないですか。隆明さんが学生のころの経験を語って、「教師は何も教えなかった、だから私は学んだ」という率直な言がありました。「教師は教えた、だから…」と続きます。

 いろいろな角度から、学校とはなんだろう(?)と、これからも問いかけてみたいですね。

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