『戸塚さんのスクールに行かなかったから、今、ここにいるんです』

 一週間ほど前(五月六日)に、戸塚ヨットスクールと「暴行死事件(と裁判)」に触れて、「体罰教育論」を駄弁ってみました。判決を受けて「服役」てからでも、すでに十五年以上が経過しています。何をいまさらといわれそうですが、ぼくにとっては、彼の提起した事件と、それがもたらした結果は大きな課題となり続けてきた。だから、何度でも、この「体罰と教育」(「体罰教育」と「教育体罰」については。繰り返し立ち戻って考えなければならないと思っているのです。

 「教育は体罰だ」とか「体罰教育論」というと、いかにも乱暴に思われ、暴力容認を連想・直観させる。実際にそうであるから、大きな問題となったし、いまでもなっているのです。戸塚氏によると「いい体罰」、あるいは「正しい体罰」というものがあるのだそうです。本当にそうかどうか、ぼくには大いに疑問です。思い余って、仕方なく加える「体罰」ということはあるのでしょうが、それが「教育である」ということは、かなかなか認められないと、ぼくは考えている。ここで持ち出すのは適切かどうか、ぼくには疑わしいのですが、誤解を恐れずにあえて出すなら、森鴎外の「高瀬舟」の場面です。自殺したが、死にきれなかった弟の頼みで、止めを刺した兄は、「自分がしたことを知って」「知足していた」というのが主題となっていました。「悪いとはわかっていたが、見かねて殺した。罪に服す」という態度でした。戸塚さんの「体罰」には、このような「知足」があったかどうか。あったとしても、世間はそれを認めなかったのだといえます。

 (この「安楽死」「自殺幇助」)については、すでにどこかで触れています)(註「たかせぶね【高瀬舟】[書名]森鴎外の小説。大正5年(1916)発表。弟殺しの罪により、高瀬舟島流しになる喜助の、知足境地安楽死の問題を描く」デジタル大辞泉)

 家庭内で暴力を振り、命の危険を感じつつ、最後の手段として「体罰」以外に手はないという場合、あるいは「正当防衛」ということがかかわってくるのではないかとも愚考している。戸塚ヨットスクールの提示した問題のおおよそは、そこにあったのではないでしょうか。

〔戸塚宏さんへのインタビュー〕
ホリエモン 山より海においでよ…戸塚宏校長本紙単独インタビュー 
体罰で訓練生2人が死亡、2人が行方不明になった「戸塚ヨットスクール」事件で、傷害致死罪などで服役、先月29日に出所した同校の戸塚宏校長(65)が5日、スポーツ報知の単独インタビューに答えた。戸塚氏は「体罰は教育」と改めて独自の教育論を展開し、健在ぶりをアピール。一方で約3か月ぶりに保釈されたライブドア前社長・堀江貴文被告(33)について「社会のスケープゴートにされたのは私と一緒。親しみを感じる。うちの学校においで」と熱いエールを送った。
―4年にわたる刑務所生活はどうだった―
「人権を侵害された。暴力はなかったが、言葉の暴力というのか、精神的に痛めつけられた。行進させられる時も『腕を前方に90度振れ』と言ったと思ったら『110度にしろ』とかね」
―戸塚ヨットスクールとどちらが厳しい?
「ヨットスクールは教育機関ですよ。刑務所も矯正教育機関のはずなんですがね。どっちがなんて話にならない。役人のダメさ加減がよく分かった」
―中ではどんな生活を?
「午後7時から9時まで限定だけど、テレビが全チャンネル視聴できるから、世間の様子は知っていた。新聞もスポーツ紙はOK。社会面も読んでいましたよ(笑い)」
―同時期に保釈されたホリエモンも知っていた?
「知ってるよ。ライブドアだっけ。彼も私と同じようにスケープゴートにされているね。粉飾決算なんて誰でもやってるのに、一人で悪者にされて。親しみを感じるよ。彼が『山に行きたい』って? 海においでよ。一緒に楽しくやろうと言いたいね」
―堀江被告は塀の中で百科事典を読んでいたそうだが―
「僕は自分の教育論を完成させるため、仏教と儒教の本を読みあさった。原本で読みたいから、冊数制限があるのに辞書を持ち込んだりと大変だった」
―なるほど―
「何人もの囚人が『戸塚さんのスクールに行かなかったから、今、ここにいるんです』と話してましたよ(笑い)」
―体は鍛えていた?
「運動は平日に30分しかできなかった。だから食事制限して体重を10キロ落とし、必要な筋肉量を減らしてから、足の筋肉維持のためのストレッチをやった。また割りとかね」

 「体罰」以外に、その子を救う、子どもの暴力を阻止する方法が見当たらない(と、当事者に思われた)時、加えられた「体罰」は「養育」や「教育」にも等しい意味(効果)を持つのでしょうか。戸塚氏の言うような「正しい体罰」と聞かされれば、ぼくには直ちに「悪い教育」というものが連想されます。いつも言う如く、「体罰と教育」という二点間には、「手を出す教育」と「口で語る教育」の無数の混交・混在があるのでしょう。極度の「成績重視」は、もうすでに「体罰」の境域に入るとは言えないでしょうか。こんなことを言えば、顰蹙を買うのは目に見えていますが、何時だって、学校教育においても「悪い教育」が横行しているとぼくには考えられるし、それは「子どものためを思って」といいながら、実際は、教育の名を借りた「(物理的力によらない)体罰」そのもので、そんな見たくもない風景はいたるところで見られるのですから。

―スクールの現状は。
「訓練生が6人いる。私が出所後に入学の申し込みが急増し、数十件は来ている。子供たちに対処するカウンセラーなどに限界を感じ、親御さんが厳しい指導をする我々のやり方を求めているということかな」
―事件当時と指導方針は変えた?
「23年前に私が逮捕され、(いったん)保釈された後にスクールを再開して以降は体罰はしていない。やったら、また捕まるからさ。海を相手にした激しい訓練は続けているが、教育の効果が薄れたね。体罰を用いた指導なら1~3か月で卒業させられたけど、今のやり方では1年はかかる」
―やはり体罰は必要?
「『体罰は教育』という考えに変わりはない。スクールに来る生徒は、人間の本能が弱い子ばかり。本能を呼び起こすために体罰を用いるんだ。最近の子供が妙な事件を起こすのは本能が弱いからだ。小学生が突然、友人を殺したりもする。罪の意識もなく、してはいけないことを平気でしてしまう。本能を刺激するために時として痛い思いをさせないといけない」
―その「体罰」が問題視されてきたが―
「『正しい体罰』は質と量が大事で、バランスを間違えると、ただの暴力になる。あの事件では私は量の部分で間違っていた。そこは反省している」 
―最近の引きこもりやニート問題など、子供の気質も変わった?
「人間は成長する過程で、3歳ごろに母親から独立するため、13歳ごろには家庭の外に出るため、反抗期を迎える。ニートが生まれるのは反抗期がなかったからで、そこも本能の弱さと関係する。すさんだ世の中になった原因は何なのか。体罰を否定してきた日本の教育現場、そのイメージを作り上げたマスコミにも責任があると思う」
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◆ 戸塚 宏(とつか・ひろし)1940年9月6日、旧朝鮮・清津生まれ。65歳。第2次大戦後に帰国し、59年、名古屋大工学部に入学。65年から国際ヨットレースに参加。75年、太平洋単独横断レースに出場し、41日間でゴールする世界記録で優勝した。77年、ヨット訓練を通して情緒障害児の矯正、治療を目指す戸塚ヨットスクールを開設。83年、訓練中に生徒2人が死亡、2人が行方不明になった事件で傷害致死容疑などで逮捕され、02年、最高裁で懲役6年の実刑が確定。06年4月29日、刑期満了で静岡刑務所から出所した。著書に「私が直す!」などがある。(2006年05月06日06時07分  スポーツ報知)

 「体罰は教育だ」という信念で独自の「体罰教育」を実践をされていた戸塚さんが、スクールの訓練中に訓練生2名の死亡者と2名の行方不明者をだし、「傷害致死」の容疑で逮捕、裁判では懲役六年の判決が確定。静岡刑務所に収監されていました。引用したのは、刑期満了で出所された直後のインタビューです(2006年5月)。

「第11条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」(学校教育法)

 もちろん、「戸塚ヨットスクール」は、学校教育法に規定された「学校」ではありませんから、この「11条」は直接的には関係ありません。したがって、つけられた罪状は「傷害致死」であったのです。戸塚さんは「自分の教育実践を否定した裁判は認められない。教育行為における事故だったのだから、『業務上過失致死』なら納得する」といわれています。

 「体罰は教育だ」といえば、ひっくり返ったり、目をむいたりして驚く(ふりをする)教育学者や評論家がたくさんいます。たしかに体罰はしないほうがいいにきまっている。やさしく愛情をもって接して、それで「情緒不安定(障害)」をかかえた人の問題行動が治るのなら、です。万策尽きた、そのあかつきにヨットスクールに最後の望みを託した関係者の思いはどうであったか?

 「体罰がいいかわるいか」、そんな理屈をこえたところでヨットスクールでは、鍛え、鍛えられる者それぞれの「いのちをかけた闘い」が展開されていたことだけはたしかです。それは「事実」であったという意味です。「海を相手にした激しい訓練は続けているが、教育の効果が薄れたね。体罰を用いた指導なら1~3か月で卒業させられたけど、今のやり方では1年はかかる」(戸塚氏)

 映画化される段階で「事件」が明らかになり、裁判になったこともあって、公開は延期されたという事情がありました。この映画のもとになったのが上之郷利昭さんの「スパルタの海 甦る子供たち」でした。このドキュメントは、はじめは東京新聞に連載されていたと、ぼくは記憶しています。昭和五十年代初めでした。ぼくは衝撃を受けたし、連載を熱心に読み、単行本になった段階でも購入して再読三読した。当時、「手に負えない家庭内暴力(いまでいうDV)」が猛威を振るい、不幸を絵にかいたような、悲惨な事案が各地で生じていた時期でした。以来四十年、事態は変わったのかどうか、むしろ深く静かに潜航して、家庭と学校における教育問題は混迷を深め、その垂れ込める暗雲は湧き出すことを止めないように思われます。この時期には、ぼくもまた、いろいろな方面から「相談」を受けたり、問題を投げかけられたりしていました。もちろん、ぼくには「特効薬」のあろうはずがありませんでしたから、ひたすら、親や子どもと話し合うことしかできなかった。校内暴力も激しさを加えていたし、いわば、学校を戦場にした「教師・子ども・親」たちの「三つ巴の戦い」は熾烈を極めていたように記憶しています。

 そのような時代状況下で「私が直す」と手を挙げ、「手を出していた」のが戸塚さんたちだった。当時においても、「体罰」に関しては賛否こもごもだった。いろいろな事件や事故の連続した結果、今日では「体罰容認」は極めて少数派になりはしました。一面では当然ですが、しかし世論の「暴力否定」「体罰反対」の声が高くなったから、それだけ教育の場で体罰がなくなったかといえば、単純に、そうは言えないのは当然でもありました。しばしば「しつけ」が問題になり、厳しい「しつけ」の挙句、子どもを死に追いやるという事件や事故が後を絶ちません。「しつけ」の一環で、手を出したということはいつでもどこにでもあることでしたし、事態は今でも変わりません。しかし「しつけ」の結果、怪我をしたり死に至るとなると、事情は異なってきます。「しつけ」のほとんどは「養育」「教育」の範疇に入るでしょうが、中にはそれを大きく「逸脱」している場合も少なくありません。その境目を画するもの、あるいは違いを示す標(しるし)は、どこにあるのでしょうか。この「体罰と教育」問題は、それぞれの事態・事情に即して考える以外に手はなさそうにではないかと、ぼくは考えている。

 社会が「暴力に寛容」であった時代はとっくに過ぎてしまった。しかし、言葉を尽くして「教え諭す」ことがまず不可能であるという状況も、どこにでもあることは否定できない、その際、ぼくたちにはどんな方途が残されているのか。何十年経過しようが、「体罰は悪」であることを認めたところで、教育の場で「体罰」は駆逐されないのです。戸塚さんの「正しい体罰」とは何でしょうか。彼の語るところを伺っても、「正しい体罰」というものが見えてこない。しかし、親も周囲も学校も「万策尽きた」、その時に、残された方法があるとするなら、「それは正しい体罰である」ということになるのでしょうか。今のこの瞬間に「身を挺して、子どもの暴力を阻止する」ほかに、彼・彼女とともに生きる道がないと暗闇に道を失う人がいる限り、この「体罰に拉致された格好の教育」は消滅しはしないでしょうし、だからこそ、いつでも問われ続けなければならないのでしょう。

(「体罰」は容認できないと、ぼくは一貫してきました。しかし、「一貫」してきたのは「容認できない」という姿勢であって、時には「手を出す」こともあったかもしれません。ぼく自身は、手は出さなかったが、手を出す人は後を絶たないのは事実として認めなければなりません。「飲酒運転は厳罰」という法律が制定されても、酒を飲んで運転し、挙句に事故を起こす人はいなくなりません。「体罰をする」ことと「飲酒運転する」ことを並列するのはよろしくないことはわかっています。問題の中核は、それを「なくする」ためには、何が求められるのかという問題であるでしょう。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。