生きた子どもたちと、魂の触れあいをして…

 以下の文章は、戦前戦後を通じて、ある地域・地方を中心して隆盛をみた「生活綴り方」教育界の「重鎮」だった人の文章です。この文章で言われていることは、時代の古今を問わずに、いつでも指摘されることではないでしょう。参考までに言いますと、この著作は今から七十年前に刊行されたものでした。(ヘッダー:http://www.ybc.co.jp/tv/sougatotudurikata/)

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 〔先生の言葉遣い〕

 もしも、意地悪の録音家がいて、先生のコトバを、こっそりと、そっくりそのまま録音したとすれば、どんなことになるのでしょうか。わたくしは、あるとき、こんなことを考えて寒む気をもようしたことがありました。

 ―何なにしてはいけません。

 ―何なにするのはいけないことです。

 ―それはダメです。

 ―しなければなりません。

 ―するものです。

 ―したらいいでしょう。

 ―するように注意しなければなりません。

 ―しなさいよ。

 教師のコトバの語尾というものは、どうして、こうも、禁止や覚悟や命令義務感や道義に関係するもので結ばれるのでしょうかしら・・・・

 あまりにも芸術性に乏しい、概念のコトバのら列とその終結にわれながら驚くということもしばしばありますので、外国映画の画面のすみにかかれる日本語訳のみじかい、気のきいいた文章に、思わず心うたれて、ハッとするというようなこともありました。

 生きた子どもたちと、魂の触れあいをしているところが学校の教室なのですから、どうにかもう少し感動的なコトバのとりかわしを、わたくしたちはできないものでしょうか。このこともまた、わたくしたちの古い型からの解放のために、ぜひ自覚してみたいことだと思われます。(国分一太郎『君ひとの子の師であれば』東洋書館刊、1951年)

 国分さん(1911~85)は山形の出身、もと小学校教師であり児童文学者でもありました。戦前・戦後の「生活綴方」実践の第一人者と自他ともに認めていたひとです。国分さんの指摘はけっして教師にだけあてはまるものではなさそうです。親もそうだし、警察官もそうです。たいていの大人は子どもに対して、そのような口をきくのではないでしょうか。まあ、すべてが命令口調なんですね。ホントにいやになるほどです。

 さらに国分さんはつづけます。

 「また、教師のコトバには、よく「だから」とか、「それだから」とか、「そのために」とかいうコトバが出てきます。けれども、よく聞いていると、そのコトバも、どうして「だから」なのか、何のために「そのために」なのか、どうだから「それだから」なのか、よくわからないことが多いようです。

 つまり、教師たちが、ほんとうにわかっていて、事実をつみかさねて、「それ故に」というコトバを使用していないようなことさえ多いことに気がつくのです。そのくせ、子どもたちに対してだけは、「もっとはっきりといいなさい」とか、「正直にいいなさい」とか、「どういうわけで、そうなのか、よく考えていいなさい」とか、勝手な注文をしているときが多いようです」(同上)

 今だって、このような指摘がなされていますでしょう。親や教師の「常套句」がいくつかありそうですが、ぼくには「静かにしなさい」と「早くしなさい」が「双璧」だと思われます。もちろん、時と場に応じて「静かに」「早く」は必要ですし、それを子どもたちも飲み込んでくれればいいのですが、親や教師の思い通りに、都合よく「早く」「静かに」といかないことの方がほとんどでしょう。だからこの「常套句」が飛び出してくるのです。

 ある時期に、ぼくは国分さんの仕事をまとめて本にしようと原稿を書き溜めたことがあります。その時、よくお会いしていた編集者が、この部分は「事実とは違う」というようなことを繰り返し言われました。Mさんという方で、彼の父親は高名な「生活綴り方教育」の実践家・指導者であり、国分さんの同僚のような方でした。またそのMさん自身も国分さんと親しく、いわば故郷の先輩であり、いつでも親しく語り合うという関係にありましたから、ぼくは国分さんのことを書くのを止めてしまいました。国分さんの著作からの引用に、ことごとく、「あれは違う」「それは事実ではない」というダメ出しが出たのですから、見ると聞くでは大違いだなあと、つくづく考えたことでした。大学生になり、国分さんの書かれたものを何冊か読み、生活綴り方教育というものの歴史や人物(実践家)を知りましたが、その人々の残された「仕事」を明らかにするという作業は、ぼくにとってはいまだに宿題となって、目の前に「放置されて」あるのです。

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● 国分一太郎(こくぶんいちたろう)(1911―1985)=児童文学作家、評論家。山形県に生まれ、山形師範学校を卒業。教員生活中、非合法な組合運動で検挙される。第二次世界大戦後、現在の日本児童文学者協会設立(1946)、日本作文の会結成(1950)に参加する。『の町の少年』(1954)、『リンゴ畑の四日間』(1956)など、民主主義的人間像確立の過程をわかりやすく読みやすい物語で描き、若い作家たちに大きな影響を与えた。また『生活綴方(つづりかた)読本』(1957)などで綴方運動にも主導的役割を果たす。(ニッポニカ)(国分一太郎HP:http://www.hinayusa.net/kokubun/index.php?FrontPage)(左写真:左から巽聖歌・今井誉次郎・滑川道夫らと)(下写真:左は無着成恭氏)

●生活綴方【せいかつつづりかた】=児童・青年,さらには成人にに取材したまとまった文章を書かせることによって,文章表現能力または,表現過程に直接間接に現れてくる知識,技術,徳目,権利意識,意欲,広くはものの見方,考え方,感じ方を指導しようとする教育方法,またその作品,あるいはその運動。大正初期に発生以来,時代,指導者の違いにより,どこに力点を置くかが異なってきた。その原型をうちだしたのは芦田恵之助鈴木三重吉,小砂丘(ささおか)忠義など。昭和初期の小砂丘以後の運動は,秋田県の成田忠久ら東北地方の教師たちの北方教育運動等と呼応,綴方生活指導を通じて子どもの生活・学習意欲をつちかうことをめざし,生活綴方運動と呼ばれた。1929年10月に,運動の母胎となる雑誌《綴方生活》創刊。その伝統は戦後に継承され,1951年3月刊の無着成恭編《山びこ学校》や国分一太郎著《新しい綴方教室》はその再興といわれた。(マイペディア)

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 国分さんの指摘を待つまでもなく、他者(自分以外と)とていねいに話をすることは、殊の外むずかしいようです。おそらく、それはきっと、自分と話すことを十分にしていない結果だと思っています。つまりは、「自問自答」の欠如ですね。ぼくたちは、いつでも「決まり文句」「陳腐な表現」などを、まるで速射砲の連弾のように発射しています。それで不都合がないと考えているのですが、じつは問題があるのだということに気が付かないだけなのですね。やたらに早口で話すのが得意な人がいますが、はたしてそれらの言葉は、十分に吟味されて(探し求めて)使われているかどうか、実に怪しいものです。繰り返し、この駄文でも言ってきましたが、「人間は言葉からできている」ということを、今一度、腹の底から徹底して納得したいものだと痛感しています。どなたとも、言葉を吟味して、吟味した言葉によって「話す」(それが「話す」ということです)、それこそが「暴力」を生まない最良の方法であり手段ではないでしょうか。相手が犬であれ猫であれ、そうありたいと、日々苦労しています。果たして、この「苦労」の実る時が来るのでしょうか。「問答無用」は、言語使用(言葉遣い)において不自由している人間の「常套句」「クリシェ( cliché)」=常套手段なんですね。

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