今から十六年前の、連休初日の4月29日(土)に戸塚宏さんが刑期満了で静岡刑務所から出てこられました。出所時の彼の姿が今でもはっきりと脳裏に浮かんできます。「戸塚ヨットスクール事件」をご存知でしょうか。おおよその経緯は以下の資料を参照してください。「体罰は教育だ」と、出所段階の記者会見でも戸塚さんは述べておられました。(実に古い事件とその記録ですが、彼の主張はみじんも変わっていませんので、古さを古さそのままに、以下に紹介しておきます。スクールや事件の経過などに関しては辞書の説明を参照してください)
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戸塚校長:刑期終え出所 「体罰は教育」と今後も活動 厳しい体罰で訓練生4人が死亡した「戸塚ヨットスクール」事件で、傷害致死罪などに問われて実刑が確定、服役していた同スクールの戸塚宏校長(65)が29日、刑期を満了して静岡市葵区の静岡刑務所を出所した。戸塚校長は「体罰は教育」などと改めて独自の教育論を展開。スクールをはじめとする活動に今後もかかわっていくという。 / 29日午前、刑務所正門からスーツ姿で出所した戸塚校長は、少しやつれた様子。支援者が拍手で出迎えると「ありがとう」と笑顔で迎えの車に乗り込んだ。戸塚校長はこの後、静岡市内で開かれた記者会見で「(傷害致死を認定した)裁判所は私のやってきた教育活動を否定している。業務上の過失を問われるなら納得していたが、故意犯とされたので今後争っていく」と、今後、再審請求を検討すると述べた。
一方、死亡した4人への心境を問われると、「体罰は教育です」と強調したうえで「4人を悼む気持ちは裁判でさんざん言ってきた。何度言っても反省がないと言われるが冗談じゃない」と語気を強めた。【井崎憲】(毎日新聞・06/4/29)(*戸塚ヨットスクールHP=https://totsukayachtschool.com/index.shtml)(ヘッダーの写真も、右のHPから)

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● 戸塚ヨットスクール=愛知県知多郡美浜町にあるウインドサーフィンの訓練をする全寮制の施設。定員10名で、入所期間は1年。費用は税込みで入校金315万円、毎月の生活費11万円。登校拒否、無気力、非行、家庭内暴力などの問題を抱える生徒を今までに700人以上受け入れ、約600人を更生させてきたということで有名だが、学校教育法上の学校ではない。スクールは1976年に戸塚宏によって開校された。戸塚宏は1940年生まれ、名古屋大学工学部在学中はヨット部の主将として活躍した。75年に沖縄海洋博記念「太平洋-沖縄・単独横断レース」で堀江謙一らを破って優勝し注目される。翌年子どもたちにヨットを教える日曜・休日スクールとして、現在地に戸塚ヨットスクールを開いたが、偶然参加した登校拒否児がその後登校するようになったことが報道されると、同じような問題を抱えた子どもに悩む全国の親からの依頼が殺到し、現在の位置が決定した。81年に東京新聞に連載されたドキュメント(後に『スパルタの海』として単行本刊行)をもとにした映画『スパルタの海』(監督・西河克巳、主演・伊東四朗)も83年には制作されたが、公開直前に戸塚宏が後述する事件により逮捕され、お蔵入りとなった。

スクールの訓練の厳しさから79年には13歳の少年が病死、80年には21歳の青年が死亡。82年11月には奄美大島の合宿からの帰途のフェリー船から15歳の少年2名が逃亡のため海に飛び込み行方不明。同年12月には13歳の少年が死亡した。このため83年愛知県警は戸塚宏とコーチのほぼ全員を逮捕し、名古屋地検は最初の病死事件以外を傷害致死罪、監禁致死罪で関係者15名を起訴した。このためスクールは一時閉鎖に追い込まれたが、86年戸塚宏が3年ぶりに保釈されて再開。87年には「戸塚ヨットスクールを支援する会」が石原慎太郎を会長として発足した。92年名古屋地裁は、戸塚宏に懲役3年執行猶予3年などの「寛大判決」(『読売新聞』見出し)を下すが、検察側、弁護側が共に控訴。97年名古屋高裁は戸塚宏に懲役6年、コーチ3人にも実刑判決を下し、弁護側が上告した。2002年最高裁は上告を棄却し、戸塚宏とコーチ3人が収監され、ヨットスクールは残ったコーチで活動を続けた。06年4月、戸塚宏は満期出所し校長の活動に復帰している。同06年10月にはうつ病で通院中の男性の訓練生が行方不明となり海で水死体として発見され、09年10月には女性の訓練生が寮の3階から飛び降りて死亡するという事件も起きたが、警察は後件は自殺と断定し、前件も犯罪性がない自殺もしくは事故として処理した。
戸塚宏は、青少年の問題行動は脳幹の機能低下により引き起こされるのだから、海上の訓練で生死の恐怖を与えることで、本能的な脳幹機能を回復することが必要であり、体罰も教育として必要という独特な教育論を持説としているが、判決後の現在は、ヨットスクールでは体罰は行われていないという。(知恵蔵)
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「体罰は教育だ」すでに体罰はタブーではありません。私はそう考えています。体罰を否定したために、むしろ人間のあるべき基本から外れて全体が崩壊しかかっている。タブー視するほどの価値は、体罰にはありません。にもかかわらず、体罰はいけないことだという虚妄にとりつかれているのが現状です。そして、その虚妄にがんじがらめにされていることに気づかず、言葉、論理だけで砂上の楼閣を築いているのです。/ そのインチキ性に目ざめるときがきています。/ 誤解をおそれずにあえていいましょう。〝愛〟で問題児たちは救えません。なぜなら、愛は、どこまでいってもまやかし以外のなにものでもないからです。あいまいな、ふわふわしたもので救えるほど、現状はやわではないのです。(中略)
ヨットマンの世界には〝シーマンシップ〟という言葉が あります。/ この言葉は日本では〝船乗り魂〟と訳されてます。海の男の魂なんだと。なんとなくわかるようで、じつはよくわからない。オレは海の男なんだと、心のなかにみちあふれてくる内なる叫びがあれば、それが海の男の魂のような気がしますが、果たして、それがシーマンシップか。/ 私はそういう考え方につねに疑問を抱くタイプの人間です。/ あらためて英英辞典で調べたことがあります。シーマンシップの〝シップ〟とはこの場合、何を指しているか。〝テクニック〟であると、出てくるのです。舟をA地点からB地点まで安全に航行させるためのテクニック、それがシーマンシップであるというのです。/ 目からうろこが落ちる思いでした。(註:sea・man・ship=n. 操船術. )(EXCEED)

シーマンシップを身につけるためには、それゆえ気象を知らなければいけない。無線もできなければならない。当然、操船のテクニックをおぼえ、エンジンの整備を学び、ロープの使い方を体におぼえこませなければいけない…それらのテクニックを自分のものにして初めてシーマンシップが身につくわけです。じつにわかりやすい、科学的な説明です。船乗り魂という和訳をそのまま受け入れていたら、いつまでたってもある種の虚妄にとりつかれつづけていたでしょう。(中略)/ 精神=Shipとは、じつは生きるためのテクニックであることを、私は知っています。非科学的な根性論をふりかざして子供たちに体罰を加えているわけではないのです。/ 私は、文明に対する責任感を負っています。この仕事をつづける限り、負いつづけていこうと考えています。/ なぜなら、次の時代を担う子供たちが、まやかしの論理のなかで腐敗していくのを見るのにしのびないからです。それゆえ私は、自分の方法で問題児と対峙しようとしたのです。このままでは、日本は内側から腐っていってしまう。それを本来の、あるべき姿に戻すことが、今の時代に生きている大人の責任なのではないか。私はそう考えています。(戸塚宏『私が直す!』飛鳥新社、1983年刊)
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「戸塚事件」「戸塚裁判」に関しては、さまざまな批判や非難が投げつけられてきた事件・裁判でした。このような「体罰容認論」「体罰教育論」を、ぼくたちはどのように受け止めたらいいのか。どのように考えられるのでしょうか。「脳幹」がうまく鍛えられていないからという理論(?)はともかく、そこで行われていたのは、まぎれもない「体罰」「暴力」、そして「教育」でした。さらにいえば、教育と暴力の境目はどこにあるか、それこそが問われたのではなかったか。このスクールで複数の人間の命が奪われた、しかしそれと比べて言うことはできませんけれど、その何十倍もの「魂」「精神」が救われたことも事実です。さらに加えれば、彼の「教育・体罰」実践に大きな力を得た人々がいたことも否定できません。あやふやな言い方をしていますが、戸塚さんの実践を「君はどう見ているのか」、それがぼくに突き付けられてきたのです。もちろん、ぼくは「暴力」は絶対に認められないし、その意味では「体罰」も受け入れられない。戸塚さんに代表される人々の「教育・体罰」論には、少なくとも「諸刃の刃」の効用と危険性があることは否定できないところです。
戸塚さんたちの「教育」を非難する人たち(ぼくも、その中に入る)は「学校教育」をどのようにみているのでしょうか。ここで、一つ問題を出してみます。実際に戸塚さんのところでも実践された方法(やりかた)でした。世の中には、人参(にんじん)の嫌いな人はたくさんいるでしょう。その「嫌いな人参」を食べさせたいし、食べる必要があるとした時、そうするには、どのような方法があるかという問題です。これが即教育の方法だとは言いませんが、教育を考えるときの、何がしかのヒントにはなるでしょう。「体罰はいけないことだという虚妄にとりつかれているのが現状です。そして、その虚妄にがんじがらめにされていることに気づかず、言葉、論理だけで砂上の楼閣を築いているのです」という戸塚さんの「現代教育論」のも、賛否があることを承知のうえで、暴力や強制から解放sだれた教育の仕事を生む出すためには、何ができるか、何をしなければならないか、「人参教育」もそのヒントになるのではないですか。暴力あり、生との理解・意見を過剰に尊重することもあり、子どもに取り入るような、抱き着き教育ありで、なkなか一筋縄ではいかないのが教育、つまりは人と人の関係になるので社内ですか。「教育は関係」の問題ですね。
①人参が、栄養源としてどんなに有用なものであるか、またそれを食べるのが、いかに本人のためになるかを説明して、納得させる(納得するまで説明する)。 ②おどかして、(あるいはだまして)強制的に食べさせる。 ③料理法を変え、子どもの気に入る調理法で食べさせる。 ④2~3日、絶食させ、そののちに塩ゆでのにんじんを食べさせる。(同上)





このとき、いかように料理して食べさせようとするか。そこに「教育」を考えるヒントがありそうです。くりかえしいいましたように、戸塚さんの教育実践は素晴らしいと評価するつもりはないのです。「体罰は教育だ」とはもってのほか、という気がするからです。でも、そんな理屈をこえたところで「何事かをなす」必要があること(事態)もじゅうぶんに認めなければならないようです。子どもを育てる、子どもが成長する、そのとき、親や教師はどういう立場で子どもの前に立てばいいのでしょうか。(戸塚さんたち採用した方法は④でした)
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今も、各地で「体罰」か「教育」か、その線引きが論争の種になったり、受け入れ方(見解)の問題として裁判になっている事案もあります。繰り返しますが、ぼくは「戸塚実践」擁護派ではない。むしろ、暴力からは最も離れた地点で「教育」を考え、実行しようとしてきたものです。言うまでもなく、それに成功したなどとは言えた義理ではありません。これが「体罰・暴力」だ、と衆目の一致するもの以外は、「体罰を加えるもの」と「体罰を加えられるもの」との関係如何に、判断は大きく左右されるということだけは言っておきたいのです。「中学校の頃、教師の体罰で、ぼくは目が覚めた。教師に感謝している」という人は相当にいると思います。それを善悪で判断するのではなく、それとは異なった状況下で、「体罰を受けないでも、ぼくは目が覚めた。先生にお礼が言いたい」という元生徒もいるに違いありません。
「しつけ」でも「教育」でも、物理的力をふるわないままで、子どもの中に何かを覚醒させることができるだろうし、ぼくたちは、暴力に隣接しているような方法ではなく、一層困難な道を選ぶべきでしょう。しかし、戸塚さんたちの「体罰教育論」でしか、現下の苦境を超えられないと判断する人がおり、その方法を採用することに異議を唱えないなら、その結果、「救われた」ということであるとしたら、それでも、戸塚式「体罰教育」論を否定できるのでしょうか。その時こそ、体罰と教育の境目や垣根をどのように決めたらいいのか、という難問が存在しているのであり、その課題はいまもなお残されているように、ぼくには思われます。(裁判の判決に従うべきというのも一理ですけれど、このような個々の事例であって一般化できない問題には、それに応じた対応しか考えられないでしょう)(この問題(裁判)には、法律の上では決着はつきましたが、教育問題としてはいつまでも「未決定状態」が続くだろうし、ぼくたちは、その一つ一つの具体例について、問題の所在を探る手間暇を欠かせないのではないか)(最高裁判決定後の戸塚ヨットスクールでは「体罰」は採用されていないという。「体罰」を否定しているからではありますが、「教育は体罰だ」という戸塚さんの確信・核心はどうなったのか。その「実際」「実態」を調べてみたいですね)
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