今人は皐月の鯉の吹き流し口先ばかりで腸はなし 

【談話室】▼▽知人からかつて、こんな話を聞いたことがある。山形市の中心街に行って用事を済ませ、バスで帰宅した。すると降りる際、運転手に言われた。「さっき運賃を10円余計に頂いたので、その分を引いて払ってください」▼▽そういえば家から出かける時もバスに乗った。往復ともたまたま同じ運転手だったのだ。行きに多く払ったという意識がなかっただけに、知人は驚いた。同時に「運転手さんの客への誠実な対応にはほとほと感心した」。教えてもらった身にしても、気持ちがほっこりした。▼▽近頃は対照的に、多額の金がいとも簡単にやりとりされる。例えば、町役場から誤って4630万円を振り込まれた男の話。元に戻すよう頼まれても「海外のインターネットカジノで全部使った」と嘯(うそぶ)いていた。しかし最近になって、町にその9割余りが返ってきたという。▼▽男が送金した決済代行会社が、町に入金してきた。代行会社側が捜査を恐れた、との見方もある。本をただせば町のミスがなければ問題は生じなかった。とはいえ、謎を残したまま大金が行き交う記事を読むにつけ、10円を巡る気遣いの方が人の本然であってほしいと願う。(山形新聞・2022/05/28付)

 まだ「券売機」などが姿を見せていなかった時代、ぼくの記憶では半世紀以上も前のことのように思われますが、今のJR上野駅の窓口駅員が切符の釣銭、十円かそこらを不正にポケットに入れたという廉で、解雇されたというニュースがあった。たかが十円で「首」とはあまりにも無慈悲と思ったし、勤続何十年かの履歴が一瞬にして消えてしまったという、駅員の(人生の)暗転に心を痛めた、そんな記憶が今もはっきりと残っています。これはいろいろなところで聞いた話ですが、電車やバスに運転手以外に車掌が乗っており、その車掌が「車内切符販売」を請け負うていた。勤務が終了すると、乗車券販売枚数と金額が見合うかどうか、毎回実に厳格は検査が行われていたという。その反対に、これは誰の書いた小説だったか電車の車掌が当たり前のように「どんぶり」をしている場面が繰り返し書かれていた。「どんぶり」というのは切符を売らずにお金だけもらい、それですっかり「私腹」を肥やすというように使っていました。どんな商売でも「信用」が何より接客業ですから、たとえ一円でも不正は許されないのは言うまでもありません。「キセル」などと相まって、電車やバスにまつわる黒話ですね。

 小学生のころ、よく釣りや水泳に連れて行ってもらった隣のおじさんは、京都堀川の「チンチン電車」の車掌さんでした。その人が乗車していた時にも乗せてもらったが、料金は払った覚えがありません。「不正(無賃)乗車」だったのかもしれませんね。だから、「談話室」の記事に、ぼくは感心している。「さっき運賃を10円余計に頂いたので、その分を引いて払ってください」という、「運転手さんの客への誠実な対応にはほとほと感心した」とあります。行き帰りが同じ運転手だったことも珍しいけれども(山形市内循環バスだったでしょうから、乗務員はたくさんおられるに違いありません)、客に声をかけて「十円多く払った」と行きの時には言えなかったのかもしれません。それにしても、「奇特」というべきは運転手の姿勢でしょうか。なに、そんなことは当たり前だという向きもあるでしょう。しかし、その行為がどれほどまれであるか、他でこんな話を聞くことがめったにないのがその証拠です。

 しばらくはバスで駅まで通っていた時期、小銭の持ち合わせがなく困っていたら、「いいですよ、帰りにでもその分も払ってください」と言われ、ぼくは感心したり感謝したり、同じ会社でも嫌な感じの運転手もいましたから、なおさら気分がよかったのを今なお覚えています。繰り返します。そんなのこんなのは、当たり前で、取り立てて云々することはないさ、たしかにそう思うこともありますが、時代や社会の風潮があまりにも荒んでいるから、この小さな「逸話」が心を軽くしてくれるのです。「帰りに払ったのかって?」「払いましたよ倍返しで、それはなかったが」

 これと対照させている、別件の「金銭にまつわる話」は、触れるのも気が進みません。ぼくは疑り深いので、この「誤入金」されたのも、実は仕組まれていたのか、あるいは決済代行業者も「一味(グル)」じゃなかったか、などとあらぬことを妄想してしまいました。もっとも間違っても振り込んではいけない「あんちゃん」に振り込むのですから、いらぬ妄想を掻き立ててしまったのでした。体が丈夫なら、自分で生活する分は、自分で稼ぐのが一番、それに尽きます。

 なにかと浮き世の憂き話ばかりが登場していますから、この「十円」の「当たり前」が光り輝くのでしょうね。いや、この話を書いた記者が、「知人からかつて、こんな話を聞いたことがある」と書き出している。だからこの話が紙面に載ったのは珍しいことであって、ほかにもいくらも、「紙面に載らない十円」話があるのかもしれない。おそらくそうでしょう。いや世間も悪くなったから、この手の話には「眉につば」ということかもと、思わないでありません。かなり前になりますが「一杯のかけそば」という「美談」というか「人情噺」が話題に上りましたが、その当人がこの手の「美談づくりの常習者」だとわかり、一気に「美談は醜談に」様変わりした。ようするに「美談」に酔った人は「一杯食わされた」のだし、「嘘か真か」と映画化して恥をかいた映画人たちは「文字通り、そばに賭けた」んでしょうな。これがほんとの「賭けそば」ですよね。美談は表面に現れると(世間に知れると)、それは美談ではなくなります。「伊達直人のランドセル」は、ぎりぎりの線を維持していましたね。

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● 「一杯のかけそば」=交通事故で父親を失った母子家庭とそば屋との交流を描いた、栗良平による短編である。見過ごせば、たんなるアナクロな人情物語でしかなかったのが、ワイドショーや各週刊誌などがこぞってとりあげ、近来まれにみる美談として(おもに四〇代以上の層の)共感を獲得した。しかしその後、実話に基づいているというわりには、実際のモデルが存在しないことが問題になり、さらには作者自身の過去のスキャンダルが暴露されるに至り、別の意味でメディア現象化し、やがてブームは去った。(とっさの日本語便利帳)

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 本日で「皐月」は終わります。俗に、江戸っ子を称していったされます。「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し=江戸っ子はことばづかいは荒っぽいが、気持ちはさっぱりしていて物事にこだわらない。また、江戸っ子は口先ばかりで、ほんとうの胆力にとぼしい。[使用例] お前がの、売り言葉に買い言葉で、三言四言饒舌れば男てえやつは腹に何もなくても、江戸っ子は皐月吹き流し、口先ばかり(はらわた)はなし、だから癇に障ると出て往けと言おうが[初代三遊亭遊三*落語・厩焼失|1890][解説] 「吹き流し」は、鯉のぼりが風に吹かれて泳いでいるさま。腹が空洞で何もないところからいうもの。(ことわざを知る辞典)

 口先ばかりで腸はなし ー いかにも現代人のようでもあります。さすれば、すべては「江戸っ子」になったということか。いいのか悪いのか、何とも閉まらない話です。というわけで、「皐月」はドン詰まりましたね。だからこその「十円」の正直さがうれしくなるのです。

 明日からは「水無月」です。六月が水無月とは、これいかに? いずれ、どこかで陰暦・陽暦などにかかわらせて、徒然なるままに、よしなしごとを書いてみるかもしれません。諸説紛々で、好き勝手に、より取り見取りの大放出の気味があります。それはそれで結構なことかもわかりません。いかなる「十円話」が登場してくるでしょうか。

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● 6月(ろくがつ)June 英語 Juni ドイツ語 juin フランス語=1年の第6番目の月。陰暦ではこの月を水無月(みなづき)という。初夏から仲夏の季にあたり、中旬には梅雨入り、下旬には一年中でもっとも昼の長い日、夏至がくる。田植時で、の色づく麦秋の季節でもあって、農家ではもっとも多忙な月である。(ことわざ)の「六月に火桶(ひおけ)を売る」は、することが季節外れのたとえで、「六月無礼」は、陰暦6月は暑さが厳しいので、服装が少々乱れる無礼も許されることをいう。(ニッポニカ)

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 個人を崇拝しすぎると、自由は失われるんだ

 【小社会】ムーミンと独裁者 世界中で愛されるムーミンの物語に抱く印象は平和や多様性、寛容さだろうか。ただ、やや意外なことに作者の故トーベ・ヤンソンさんは、第2次大戦中の風刺画で頭角を現している。◆スウェーデン語系フィンランド人による政治風刺雑誌で恐れのないペンを披露した。いくつかの評伝本には旧ソ連のスターリンをやゆし、検閲に引っ掛かった表紙の下絵が見える。◆撤退するナチス・ドイツ軍の略奪行為を描いた表紙は、兵士たちの顔が全てヒトラーだ。もちろん、風刺画には戦争への深い憎悪と平和への愛がある。後に「あの仕事で一番楽しかったのは、ヒトラーやスターリンをこてんぱんにこきおろせたことね」と語っている。◆ムーミンの作品化は1945年から。自由と孤独を愛する旅人スナフキンのファンも多いだろう。彼にこんな名言がある。「あんまり誰かを崇拝すると、本物の自由は得られないんだぜ」。時節柄、今また世界を振り回している専制主義的な国を連想しないでもない。◆北欧2カ国が北大西洋条約機構(NATO)に加盟を申請した。ウクライナを第2次大戦下に引き戻したかのような、ロシア軍による蛮行の帰結といえる。NATOの拡大に反発するプーチン政権に対し、フィンランド大統領が言う「鏡を見ろ」は的を射ていよう。◆戦禍はまもなく3カ月になる。ヤンソンさんならば、この混乱した世界や「独裁者」をどう風刺するだろう。(高知新聞・2022/05/23)

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● ヤンソン(やんそん)(Tove Jansson)(1914―2001)=フィンランドの女性画家、児童文学作家。スウェーデン系の出で、作品もスウェーデン語で書く。スウェーデンやフランスで絵画を学ぶかたわら、1930年代より政治誌『ガルム』に表紙絵を寄稿する。その後、表紙絵に自らのサインのかわりに描いていたムーミントロールを主人公にした『小さなトロールと大洪水』(1945)を著して挿絵画家および作家としてデビュー。以後、『ムーミン谷の彗星(すいせい)』(1947)をはじめ、幻想的な「ムーミン物語」を8冊発表。70年に発表した『ムーミン谷の11月』が、シリーズ最後の作品となった。フィンランドの海辺を舞台に、孤独、愛情、理解、慰めをやさしく語り、広く世界に真価を認められる。フィンランドのルドルフ・コイブ賞、スウェーデンのニールス・ホルゲルソン賞とエルサ・ベスコフ賞を、66年には国際アンデルセン賞を受賞。ムーミン・シリーズは30以上の言語に翻訳され、日本では発行部数1000万部を超えたといわれた。また、69年以来三度テレビアニメ化され、90~91年のアニメは本国フィンランドでもブームを巻き起こしたという。ほかに絵本『それからどうなるの?』(1952)、少女小説『ソフィアの夏』(1971)、自伝的小説『彫刻家の娘』(1968)、短編小説集『聴く女』(1972)などがある。(ニッポニカ)

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 権力者を心から「崇拝」するなどということがあるのでしょうか。ぼくにはよくわからない感情ですね。おそらくスナフキンのセリフに使われている「崇拝」の言語がなんであるか、折をみて調べておきます。文字通りの「崇拝」は「[名](スル)心から傾倒して、敬い尊ぶこと」(デジタル大辞泉)でありますから、「あんまり誰かを崇拝すると、本物の自由は得られないんだぜ」という表現は、少し割り引いて受け止めたいとぼくは考えています。「誰か」とは「独裁者」であったり、「権力者」であったりします。あるいは宗教的な指導者もその対象になるでしょう。身も心も「御一人」に捧げると、当人は「蛻(もぬけ)の殻」になっているのでしょう。それは「崇拝」という行為のあり方とは相いれないようにも思うのです。いずれにしても、何が何でも誰かを受け入れると、自分には考える余地はなくなるし、その「御一人」が間違えるなどと「疑う」ことはご法度になる。つまり、ここで「自由」とスナフキンが言うのは「疑うということ」です。疑う自由、それが奪われると、人間は無思考存在になるほかありません。

 現下の状況に置き換えて、ロシア国民(人民)が「P」を「崇拝する」気分なんて微塵もないと思う。彼に任せておけばいい、自分はそんなことにかかわりたくない、そんなところがせいぜいではないでしょうか。彼は損をするようなことはしないだろうから。さらに質が悪いのは、必要な「知る権利」すら奪われているのですから「自由でなくなることおびただしい」と言わざるを得ません。ことは「戦争」ですから「勝ち負け」が付くのでしょう。しかしこの「戦争」は、どこから見ても「土足」で隣国に踏み入り、これこれの土地は俺のもだから、いやなら出て行けと言っているに等しい。泥棒国家であり、強盗帝国ではないか。こんな盗人猛々しい輩に「理屈」を繰り出しても無意味です。四の五の言わずに、その「非」を、国際世論にはっきりと訴え続けるべきでしょう。いずれ、どんな形にしろ「戦争は終わる」が、そのとき国際社会はどうするか。国連を使って何かをするなどできない相談であり、むしろ、国連を無にしてきた無法者を明らかにするための新たな「手法」を準備すべきです。

 ロシアを筆頭として、国際社会から追放・排除しなければならなような事態が生じているのです。あからさまな暴力で他国を侵略し、その土地を奪うことを、認めたなら、今後、この手の強盗国家・盗人権力者が陸続として蔓延り続けるでしょう。コラム氏いわく、「時節柄、今また世界を振り回している専制主義的な国を連想しないでもない」と、スナフキンの箴言を受け止めかねるのか、受け止めているつもりなのか。高知新聞にして、この程度の「役目ずまし」とは、なんともやりきれない緊張感のなさですね。ロシア国内においても右から左から、「権力批判」は「クーデター勃発説」すら出ているのです。時の権力者に向けた「怨嗟の声」は大きくなることはあっても、立ち枯れることはないでしょう。

 個人を崇拝しすぎるということは、これまでも歴史にはどこかであったに違いありません。例えば、ヒトラー。彼を「崇拝しすぎた」民衆は五万といたのか。ぼくにはそうは思えない。ほんの一瞬の旋毛風(つむじかぜ)、あるいは辻風であり、一瞬にして消え去るものでした。民衆の圧倒的「崇拝(という錯覚)」を長時間維持することはまず不可能で、辻風はやがて「逆風」になるのが定めです。ヒトラーに限らない。現下の「ロシア皇帝」も例外ではありません。旋風は、一時期は順風に見えたけれど、当の本人が「風を読み違えた」のだ。順風だとばかり思っていたら、なんと「逆風」逆巻く大嵐だった。それを取り巻きがおべんちゃらばかりでごまをすったがために、意想外の「長丁場」にはまり込んでしまった。かかる誤算を引き起こすこと自体、彼はもう「焼きがまわった」ということです。

 長期に及んで自己権益を貪ってきた「落とし前」をつける時が来たようです。ロシアが「ウクライナ戦争」に勝つというのではない。ロシアには勝つ以上に戦い続けるしか道がないのです。一方のウクライナには「侵略」を見逃すことはできない。戦いを放棄すればウクライナは地球上から消えます、いや消されるのです。両者の立場にはあからさまな、差異があるのです。侵略を正当化しようとした「盗人に三分の理」である、「ロシア系住民の虐殺」はどこに行ったのでしょうか。いかにもPは、恥も外聞もかなぐり捨てて(もともと、彼には恥じらいも外聞を気にする気持ちはさらさらない)、とにかく、土地を奪いロシア化するだけ。こんなばかげた「傍若無人の振る舞い」を世界中の人民が認めたら、どうなりますか。KGB上がりの「皇帝」一人に手もなくひねられて、それでもだんまりを決め込むつもりでしょうか。

 「ヤンソンさんならば、この混乱した世界や『独裁者』をどう風刺するだろう」などと、高みの見物を決め込んでいる場合ですか、コーチの兄さん。「『小社会』ならば、この混乱した世界や『独裁者』をどう風刺するだろう」という期待のかけらくらいは見せてほしいですね。まさか「内政干渉」という批判を恐れているんじゃないでしょ。ウクライナからの避難者をこの島社会の各地が受け入れてきました。すでに千名を超えたとされます。もちろんすべてが上首尾だというわけにはいきませんし、異国で働くことのこんな差を少しでも和らげておきたい。故国が落ち着いたら帰国したい方々もおられる、それは当然の想いあり、そうなるようにできる範囲で尽くしたいと念じているのです。

 (9条の会・医療者の会 )

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 「ああ、芽が出ん」は、もうすべてあかんと

 取り立てて「植物」が好きというわけではありません。しかし、これまでの生活の場面には、なにかと花や木々がぼくの荒(すさ)もうとする心持を慰めてくれたことは事実です。大きな問題ではなく、自分が育った環境が、ものの見方やスキ・キライ、さらに言えば、性格などの隅々までをなにくれとなく決める要素となってきたのは事実ではないかと思っています。あえて言えば、ぼくは都会派ではなく、「田園派」などという洒落たものではなく、生来の「ド田舎人間」だといえるでしょう。都会と田舎、あるいは地方と都会などというのもおこがましいのですが、都会は田舎人の集まりだと考えるなら、都会の根源(供給地)は田舎(地方)に存しているともいえるのです。変なものというか、同じ地方都市に住んでいても、「都心」だとか、「僻地」などと対比してしまうのも、何とも滑稽だというほかありません。こんなのは「笑っていいと!」というのですな。(上の写真は「うつぎ」)

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●「らしょう‐もん ラシャウ‥【羅生門・羅城門】[1][一] (羅城に設けられた門、京城門の意。ただし、平城京では羅城の有無は確かでなく、平安京では南京極だけに設けられた。後世「らじょうもん」とも) 平城京・平安京などの都城の正門。朱雀大路の南端にあって、はるかに朱雀門に対する。平安京のものは南北二丈六尺(約七・八メートル)、東西一〇丈六尺(約三一・七メートル)、戸七間で、重閣、瓦葺に鴟尾(しび)を上げていた。はやく荒廃し、鬼がすむといわれ、また、死体がその上層に捨てられたという。その跡は京都市南区唐橋羅城門町にある。らせいもん。らいせいもん。(以下略)(精選版日本語大辞典)

● みや‐こ【都】=《「みや」の意》 皇居のある土地。「都を定める」「京の都」 その国の中央政府の所在地。首都。首府。また一般に、人口が多く、政治・経済・文化などの中心となる繁華な土地。都会。「住めば都」 何かを特徴としたり、何かが盛んに行われることで人が集まったりする都会。「音楽の都ウィーン」「水の都ベニス」 天皇が仮の住居とする行宮あんぐう。「秋の野のみ草刈りき宿れりし宇治の―の仮廬かりいほし思ほゆ」〈・七〉(デジタル大辞泉)

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 こんなことは取り立てて言うまでもないのですが、都会とか都市などという場合の「都」は「みやこ」とも読ませています。その意味するところは、京・都=みやこであり、元来は、「天皇の住んでいるところ(宮処・みやこ)」でした。おおよそは上の辞書の「説明」にあるような使われ方をしてきたのです。特に[]を指して言われてきたことは確か。その他は、それに準じる用法でもあるのです。近年、あらゆる地域で「都心」「新都心」「副都心」などと称されているのは、あながち不動産屋の宣伝材料になるだけではなく、「都」が、どんなところであれ、その「都」というところに住みたいという「ミーちゃん・ハーちゃん」の「付和雷同の情」でもあるからでしょうか。「住めば都」というではないか。かくも申すぼくも、選択をしたわけではなく、意識の有無にかかわりなかったとしても、相当程度に、ぼく自身も「付和雷同」の例外ではなかったわけですな。京都に十八年、東京に十年、その近郊に五十年近くもへばりついていたのですから。この山の中には、まだ十年足らずですよ。都会派のミーちゃんだったというべきですな。

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 ぼくは高校を卒業するまで「京都(みやこ)」に住んでいました。その実際は「右京区」に住居がありましたから、中心部(みやこ)からすれば、偏狭・辺境の地(辺縁=マージナル)で、兼好さんや長明さんなどの書いたものにも、人も住まないような「外れ」「異界」だといわれていました。化野(あだしの)などといわれ、行き倒れの人間を葬るところでもあった。もちろん、「都」の中心部は御所で、そこからの距離の遠近によって、都会度は下がったり、逆に田舎度は上がったりしていた。「羅生門」は、異境・異界との接点の印でもありました。遥かの昔、そんな時代が本当にあったのかと、いかにも霞むばかりの夢の世界でもあります。車で移動できない時代、人間の足で歩く範囲は知れていましたから、兼好や長明の書き物は、この「霞む夢」の世界に生き死にする人間と世情を余すところなく描いてもいるのでしょう。とにかく、人は、中心部に向かって集住したい種族であることは確からしい。

 やたらに「前置き」が長くなりましたので、本日は、ここで終わりにさせていただきます、といいたいところですが、それでは駄文の趣旨に反しますので、少しばかりの懐旧談でお茶を濁しておきます。この話は、右京区嵯峨広沢南ノ町に住んでいた時代の、一コマで、「植藤」という仁和寺の植木屋さんの語りを、大いに時期が過ぎましたが、桜の木になぞらえて、人間の教育問題のいくばくかの参考にしてみたいと考えた次第です。この物語の発端も、すでに七十年の昔になりました。なお、この佐野藤右衛門さんに関しても、すでに何度か「駄文」で扱っており、似たような話題ですが、駄文の名に恥じない展開をお許しください。

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 「わしがいろんなことに気づくようになったのは、やはり桜をやりかけてからですね。桜の生長の度合いを見ているときに、いくら人間がやいやいというてもどうにもならんとこがあるんですわ。花を咲かすには遅れていても芽さえできていれば、時期がくれば咲きますし、逆に咲くのを遅らす場合はフレームを入れるとか、日に当てないで長いこと寝さしておくとか、そういうことはできますけれど、人間の力で花の咲く芽をつくることは絶対できませんわね

 人間はできたものを咲かすということはある程度できますわ。でも芽がなかったら、どうしようもないんです。そやから、「ああ、芽が出ん」というのは、もうすべてあかんということですわな」(佐野籐右衛門『桜のいのち 庭のこころ』草思社刊)

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 「芽が出ない」というのは「もうあかん」ということ。そういわれれば、それまで。しかし、よほど無茶なことをしないかぎり、どんな木でも「芽を出す」ものです。これまでの植木や花いじりで失敗した理由の第一は「水のやりすぎ」でした。それでは、にんげんのばあい、この「芽」は何に当たるのでしょうか。イボやニキビでないことは確か。

 今年咲いた桜の花芽は、前年のお盆ころにでる。花を咲かせるというのはその木の一年間の仕事納めです。咲き終わると、あっという間に散る。それは、さあこれから来年に向けて精をつけるぞという合図のようなものでしょう。一年かけて花を咲かせるように時間をたどる。自然のリズムをいじることはできます。開花の時期を人工的に早めたり、遅くしたりすることはできる。でも、それがどんなに「美しい花」をつけたとしても、時間を節約すると、それはまちがいなく樹木の生長する時間を奪うことになるし、そのことの弊害ははっきりしています。

 「このあいだも、仙台から、桜が弱ったから来てくれという手紙がきたので見にいったら、広瀬川の土手の上の官地と民地の境にずーっと桜が植わっているんですわ。問題の桜はたまたま民地のほうにあって、そこへ家を建ててから急激に弱ったという。一抱えもある桜です」(このくだりは、どこかですでに触れています)

 いろいろ話を聞いていると、家を建てるときに、桜の根をあやまって切ってしまったらしい。だんだん元気を失って、すぐに葉を落としていったそうです。それで、これはいかんと勝手に思いこんで、根本に水をたっぷりやったというのです。

 「こんな木になんで水をやるんやて、わしは言ったんですわ。根腐れしているのと同じことなんです。この桜の根の先はずっと向こうにあって、そこから栄養分を吸うておるのやから、こんな幹の根本に水をやったって、かえって腐らすといったんです」

 佐野さんの弁はさらにつづきます。

 なんでも人為的に、つまりは人間の都合のいいように判断する。「自分の見たところで木までそうやと思っている。人間の生活と同じリズム、状態のことを相手にさせようとする。日本のあちこちの桜を見に行くと、ぜんぶそれですわ。それが日本の桜をだめにしているんです」人間の勝手が、どんなに自然を壊しているか、その自然から人間もはずれることはできないのに、です。自然を壊す、それを教育やなんやと、アホなこというてますな。

 根本・根元に水をやりつづけるとどういうことになるか。

 その木は根を伸ばそうとはしなくなります。なぜなら、自分で根を伸ばさなくても栄養分がよそからやってくる(与えられる)からです。根を伸ばす、根を張るというのは栄養分を吸収するための活動であり、大きく根を張ることで木の成長を支えるわけです。根を張ることで、大地にしっかりと立つ、つまり木がじょうぶになる。根を伸ばさないで栄養分がとれるから、どんどん木は高くなる。つまり、頭でっかちになる。そして、ちょっと風が吹いたり、地震が来ると見事に倒れるんです。年中、そんな光景をみるでしょう。

 この先はいわなくてもいい話ですが、せっかくだから…。

 「日本人の子供の教育のしかたと一緒でっしゃろ。こんなですから、ちょっと大きな風が吹いたら、ゴローンとひっくり返る。これは根張りがないからです。伸ばす必要がないのやから。伸ばさなくても餌をもらえるんやから。人間はいらんことばっかりしてるんですわ。そやから、わしは相手のこと、植物のことを考えて人間がやれていうんですわ」

 植物に対しても動物に対しても人間は自分の好き放題をして、相手の気持ちを忖度(そんたく)しない。得手勝手というのはまさに人間のことをいうのでしょう。勝手にいじり回して、その挙げ句に放り出す。放り出された方は、独り立ちして生きていけなくされてしまっているのだから、始末に悪い。人にも動物にも植物にも、まったくおなじことを人間はしているのです。飽きたら捨てる、いらなくなったら捨てる。かまいすぎて、いじりすぎて、この先は自分でやれといわれても、どうしようもないのです。「環境にやさしい」「地球にやさしい」というのは、最暗黒の「ジョーク」だね。

 転ばぬ先の杖、これが余計なことなのですが、親切と勘違いしている人間が多すぎます。自分の都合で杖を与えるのですが、与えられた方は杖なしでは生きていけなくなる。

 小さな木は小さいなりに、大きな木は大きいなりに根を張る、そしてその根でしっかりと土をつかみ、その根の先から必要な栄養を吸収する。そのように人間も育ちたいのですよ。根を張る、根張る、根張り(ねばり)ですね。屋久島の縄文杉は樹齢五千年とか六千年とか。厳しい環境で栄養価が、杉の木にとっては豊饒ではないからこそ、長い時間をかけて根を張り、生育するんです。人間は「生育時間」が短すぎますから、頭でっかちになり、風に、それこそ「根こそぎ」やられんでしょう。前日の「ファスト映画」というものが、人間の成長にとって、いかなる状況を指しているかが、少しはわかろうというものです。(体調はあきません。まだ、すっきりしませんね。「ああ、芽が出ん!」「まったく、あかんわ」)

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 ファスト映画の教えているところは?

 【筆洗】「答えのある問題なら悩む必要はありません。答えのない悩みなら悩んでもむだです」▼何の引用かといえば映画である。米映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」(一九九七年)。もはや筋もおぼろげだが、劇中に登場する若き日のダライ・ラマのこのせりふはよく覚えており、困ったときに頭をよぎる▼こういうことはどなたにでもあるのではないか。映画のあのせりふ、あの場面、あの音楽。人生に大きな影響といえば、いささか大げさだが、人を励まし、生きていく上での助言となるような場面との出会いは映画の良いところだろう▼映画を権利者に無断で短く編集し、動画サイトに投稿するファスト映画の問題である。東宝など映像大手十三社はファスト映画を投稿した男女三人に五億円の損害賠償を求める訴訟を起こした▼五億円という額は映画文化を台なしにしかねない違法行為を断じて許さぬという作り手の決意だろう。戸惑うのは筋だけ分かればいいとファスト映画を求める風潮か。映画館でのひとときが現実を忘れさせてくれるというのに「時短」の時代にあってはその大切な時間さえ短縮したがるのか。それでは味わい深いせりふとの出会いはあるまい▼時間と愛情をたっぷりそそいだ料理ではなく、材料だけが無造作に並んだ皿をファスト映画に想像する。うまいわけがない。それこそ時間の無駄である。(東京新聞・2022/05/23)

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(右は朝日新聞記事より:2021年7月29日 5時00分)

 便利な時代になったといえば、昨日の茨木のり子さんの言を思い出します。時代に受け入れられているスマホやパソコンを持っていなくて、取り立てて支障なんかないと仰られた。そんな「向き」は五万といるし、そんな人々にも「スマホ」やパソコン」を使えといってもあまり勧められたことではないでしょう。今から何十年前になるのか、ぼくが住んでいた「団地(マンションというらしい)」のそばに「セブンイレブン」の第何号店ができた(全国で二番目か三番目だったそうだ)。そのお店は、もとは酒屋であり、コメも扱っていたので、重宝していた。オーナーは、アメリカまで出かけて学んでこられ、この業態がこれからの時代にどんな影響をもたらすか、ぼくに教えてくれました。以来、ぼくは、ほとんど「コンビニ」は利用しなくなったのです。「コンビニ」は便利でお手軽という評判が立ち、あっという間に、劣島を席巻しました。(「便利」というのは、人間を賢くはしませんね)

 ワットとビットに支配された時代の「開始」であり、人間の想像力の退化も同時に始まったのではなかったか。街中に住んでいた時代には、ぼくはまずコンビニを利用しませんでした。やがて、山中に越してきて、最寄りコンビニまで約五キロ、牛乳や食パンは、どうしてもお気楽にコンビニで購入という「堕落」です。この時代相にいちゃもんをつければ、ぼくも「男版・茨木のり子」になれるでしょう。でもいちゃもんはつけません。必要ならば使う、不要なら行かないまでです。

 ここに登場してきたのが「ファスト映画」だというのです。数か月前に後輩の教師から、この現象のあれこれについて興味ある話を聞きました。我慢できない2時間を「10分」に短縮し、それで用が足りるのなら、何とも好都合ですね。ファスト映画隆盛の背景には、巨額の資金が動いているようです。その「金とのかかわり」にぼくは興味がないし、それで儲けようとする人間が出てくるのは避けられませんね。判明しているだけの「被害額」はかなりのものになります。

 どうしてこんな安直なことがはやるのか。一つは、再生回数が一定数以上であれば、お金が稼げること。もう一つは、「早く分かりたい」という人間がやたらに多いということ。早分かりで何かを得るのではなく、「ネタバレ」とかいうような、毒にも薬にもなる「利害」が絡むからでしょう。youtuber なる人々が爆発的に増加してますが、また爆発的に減退もしています。再生回数の多いがぞkにはそぽんさーが付き、番組の中で「せんでん」もする。まるでテレビがあらゆる場面に入り込んだ状態ですね。これが長く続くとは、ぼくには考えられないですね。(多くは私生活を暴露して異様なもので、それに興味を持ち続けられる人は、かなり「マニヤック」ですね)

 時代は、全員が早分かりの「クイズ」参加者の様相を呈してきました。コンビニに陰りが見えてきた今、新たな「ファスト」と「早分かり便利な業態」がのしています。それが時代の反映で、とにかく結論を知りたいということか。早く分かるということは、わかるための手間暇を省くということ、これがさらに進めば、まるで「ルンバ」ですね。ごみを取った気にさせるところが大事なんだ。(複製技術とその開発の促進、加えて、拡散するための道具類の開発が脅威的に進行。はたして「著作権」などの法的課題をいかにして克服することができるか、それが目下の急務)

 昨日から、珍しく頭痛と悪寒がしてきました。数日前にかみさんが「ゴホン」「ゴホン」とやらかしていたから、「マスクをして寝なさいよ」といったら、「息苦しいのに、何でそんなものをつけるの」と宣うのだ。この女性は、まず自分のことを考えて、周りに他人がいることは眼中にない。困った御仁ですよ。ウイルスが飛散して、あるいは「大事な人?」が感染するかもしれぬとは、つゆ思いもしないのだ。これはすごいと今さらにあきれて、感心する。

 仕方なしに、布団を抱えて別の部屋に行こうとしたが、家じゅう猫だらけで、ぼくの寝る場所がない。「危ないなあ」と布団をかぶって寝たのですが、案の定、朝起きたら、節々が痛いし、頭も重い。CRNかと一瞬疑ったが、それはあり得ない。まず外に出ないのだから。というわけで、かなり古い風邪薬(期限切れ)を飲んでい「偽薬(オプシーボ)」効果を期待しているのですよ。ファスト映画どころではないという気もします。(この続きは明日にでも。「ファスト映画の教えているところ」は、かなりの、文化的歴史的な傾向を持っているようでもあり、取り立てて言うほどでもないじゃないかとも思います)

 (しんどいさなかに、かみさんの友人が一家三人で「猫を引き取り」に来られた。二つ(白と黒=碁石猫)を持っていかれました。たくさんいるから、一つや二つ減ったくらいでは気分の変化などはありません。でも、朝の食事やりは、少しは楽になるか)

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 選びとった時代おくれ もっと遅れたい

 【水や空】ネット中傷、また 大正の終わりに生まれた詩人の茨木のり子さんは生前、ワープロにもインターネットにも縁がなかったらしい。〈けれど格別支障もない/そんなに情報集めてどうするの/そんなに急いで何をするの〉。「時代おくれ」という一編を残した▲詩は続く。〈電話ひとつだって/…盗聴も自由とか/便利なものはたいてい不快な副作用をともなう〉。振り込め詐欺のように、電話一つにも副作用が絶えることはない▲時代とともに、あらぬ作用をもたらす物も、その不快さも変わる。スマートフォンやパソコンという〈便利なもの〉の副作用、つまりネット上の中傷もまた、絶え間ない▲つい最近も、行政から多額の給付金が誤って振り込まれ、受け取った人物が逮捕された一件で、「間違って振り込んだのは…」と、ある町職員の氏名や顔写真がネットで広まった▲その情報は誤りだったが、そもそも内容が正しいかどうかを問わず、氏名や顔が公にさらされるいわれはない。あやふやな情報をかざし、「不正を暴く」と思い込みの“正義”をかざせば、言葉は「言刃(ことば)」に一変する▲姿を潜めた暗がりから、出し抜けに人を矢で射るような仕業を「正義」とは呼ばない。〈そんなに情報集めてどうするの/そんなに急いで何をするの〉。悲しいかな、問い掛けは今に通じる。(徹)(長崎新聞・2022/05/26)

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 茨木のり子さんは、ごく初期のころからの作品に親しんできました。年齢とともに、彼女の詩想(思想)は鋭敏になり、間延びのない緊張感を漂わせるものの如くになってきたのがわかります。しかし、それはけっして直情ではなく、一癖も二癖もありそうな佇まいを持ちながら、実は、茨木さんの本領は直球ではなく、いわゆる変化球(あるいは、それは彼女流のフォークボールだったかもしれないと、ぼくは見ています)、それも直球と見まがうばかりの速さも角度も鋭敏な「変化球」だといえるのではないでしょうか。

 ある種の作品に対して、それは、茨木さんの「反省文」というものだと、生意気にも言ったりしてきました。それは作品の値打ちを貶めて言うのではなく、詩の中に「反省」「自省」を深く読みこむことは至難の業だと知るからこそ、ぼくにはそう思われたのです。その典型は、人口に膾炙(しすぎた感のある)した「倚りかからず」「自分の感受性くらい」などを挙げてみたくなります。世の中にはやる「反省文」は、自己欺瞞や他人の同情を買うばかりの醜悪なものが見られるからこそ、茨木さんの、腹の底からの「反省」が「詩に昇華」したもの、それは、なんとも見事なものだともいえるでしょう。

 さて「時代おくれ」です。取り立ててどうだ、ということもないとぼくは思います。「時代おくれ」は、別名「時代の波に流されない」というのでしょうから、「頑迷固陋」「アナクロニズム」、そんな人はいつだっていましたし、やがて、それは「絶滅」していくのが運命でした。明治維新になって、「廃刀令」が出され、それを頭から否定はできなかったから、やがて「刀」を持ち歩く人間はいなくなりました。ところが「断髪令」は出なかったから(いや、出たかもしれないが、ぼくは調べていません。「ザンギリ頭を叩いてみtら文明開化の音がする」と謡われたから、あるいは出されたかも)、かなり遅くまで丁髷(ちょんまげ)をつける人が残りました。しかし、今では、(時代劇や大相撲の力士以外)まず絶えて見られなくなりました。それだけのことです。「はたから見れば嘲笑の時代おくれ」と詩人はいい、でも、それは「進んで選びとった時代おくれ」という。そうかもしれない。でも「それがどうした」ともいえます。ぼくだって、携帯は持たない、テレビも見ない、新聞も購読していない。しかしネットでニュースは知る。ラジオは聴く。茨木さんも「車がない」といってもタクシーは使ったかもしれない。ファックスはないけれども電話はあるでしょう。「情報を集めてどうする」ということなのかどうか。ことさらに言うほどもないでしょ、と思います。

 単に「時代の波」に乗るか乗らないか、です。乗らないままで消えてゆく。やがて車もなくなるし、パソコンも消えるでしょう。だからと言って、困りはしないし、「格別支障もない」のです。本物の「時代おくれ」というのは、そんなところにあるのではなさそうです。ワープロは使わないから、時代に遅れているというのなら、そんな時代遅れはいくらでもあるものですし、時の流行に合わせないままで生きられるなら、そうするでしょう。でも、筆で字を書く時代から、次には鉛筆やインク(ペン)の時代になりました。その時、詩人はやはり「時代おくれ」を自認していたか。そうではなく、「格別支障」があったから、時代に合わせることになったのではないでしょうか。蠟燭(ろうそく)はいいという人もいるし、燭台で明かりを取って本を読む人もいるかもしれない。しかし電灯時代が来たのです。これは明るい、便利なものだとなって、時代は「燭台派」を飲み込んで(撲滅されて)いったのです。

 ところで、いったい、なにが「詩」であり、なにがそうではないのか、そんな定義はないでしょうし、あってたまるかともいえそうです。短文で、行替えがしきりになされていれば、それを「詩」というのでしょうか。一編の小説が、そのままで「詩」だといわれるものもありますから、これぞ「詩」であるというものはなさそうだし、ない方がいい。自分で、あるいは他人(読者)が、「これが詩だ」と思えばいいんじゃないですか。「茨木のり子がこう書いたから、それが優れた詩だ」といことになるのかもしれない。同じことを評価の高い人が言うから、「詩」になるのでしょう。微妙というか、奇妙というか。

 要はそこに表現される「思想」というか、「体験の深さ」というものが問題にされるのでしょう。もちろん「時代おくれ」は詩ではないというのではありません。茨木さんであろうとも、取り立てて「詩」にしましたというほどのものでないでしょうと、ぼくは感じたまでです。「もっと遅れたい」、どうぞ。それは当たり前の水が自然に(高いところから低いところに向かって)流れるような風景の、日常の「歴史」でもあるのです。時代の波を被らないといい上に、時代にそぐわないという感情は理解できますが、それでも「その時代と社会」で生きているんですね。

 ここで考えてみたいのは、流行を追うということと、それ(「流行」)を所持しないでは仕事や生活に差し支えるから、否応なく「流行に乗る」という姿勢の違いを、ぼくたちはどうとらえるか、です。「時代おくれ」結構、「もっともっと遅れたい」という人がいるのは構わないし、それは人それぞれです。でも「流行」だか「波」だか知りませんが、それを避けては生活が成り立たないなら、どうするかという前に、「波」に乗るほかないでしょう。そのような人をして、いかにも「軽薄」視するような態度をぼくは取らない。「そんなに情報を集めてどうするの / そんなに急いで何をするの / 頭は空っぽのまま」というところに、茨木さんの「詩」で終わらない、詩に収まりきらない「教育的」な姿勢、余分・余計なものがあるのではないですか。それがたまらなく好きだというファンがいてもいい。ぼくは違うなあ、と思うばかりですが。

 

  

     

  

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 「賑々しきなかの」という詩はどうでしょうか。ぼくには、特別の文句がありません。「言葉」「言葉らしきもの」が多すぎるのを嘆き、じつはそれは「言葉といえるほどのもの」などではないのだというのは、日ごろのぼくの痛感しているところですから。「痛感」というのは、ぼく自身の駄文が「言葉らしきもの」でもなく、もちろん「言葉」ではなく、「言葉と言えるほどのものが無い」と自覚しているから、それをことさらに言い当てられていると思えばこその「痛感」です。こんなことを言える詩人はさすが、と言っておきます。「この不毛 この荒野 / 賑々しきなかの亡国のきざし」という指摘は、そのままに、この島社会の「現実の貧相」であり、「人間それ自身の腐熟」を言い当てていると思われるのです。でも、それもまた、何時の時代にも感じる人には感じられる「亡国のきざし」ではないでしょうか。しかし、どんなに「極貧の社会相」にあっても、いい例えではありませんが、「掃き溜めの鶴」「珠玉瓦礫るがし」よろしく、思いもかけないところで、思わぬ「ふかい喜悦を与えてくれる言葉」をぼくたちは、待望し念願しているのです。その願いを果たすのが「詩人」である(あってほしい)ということは大いにあり得ます。

 (蛇足 茨木のり子という人を想う時、いつでも(ではありませんが)、タバコをふかしている彼女の姿(写真)が浮かびます。タバコと詩人は密接不離でしたね、ぼくにとっては。実に強烈な印象を持ちました。もちろん、タバコは男が吸うものという偏見や愚見は持っていませんが、その見事な吸い方に圧倒されたのでした)茨木さんがいつタバコを吸いだして、いつお止めになったのか知りませんが、その「一服」は「流行の波」「時代の流れ」に合わせた結果だったでしょうか。禁煙されたのはどうしてだったか、それも「時代の波」だったのかどうか、そんな余計なことをぼくは愚考してしまいます。(禁煙されたかどうかも知らないままです)要するに、「流行を追う」「流行から外れる」、そのどちらであっても、何のことはない「個々人の趣味・趣向」の問題だとでもいったらどうでしょうか。仮に、それなしでは「生活」ができなくなるなら、それはもう「趣味」ではなく「必須・必需」ですからね。それにしても、「喫煙する」という一風景が、茨木さんの詩情の幾分かを示しているような気がしますね)

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● 茨木のり子(いばらぎのりこ)(1926―2006)=詩人。長野県出身の父宮崎洪(ひろし)(1897―1963、医師)と山形県出身の母勝(かつ)の長女として、父の勤務地である大阪市に生まれ、京都府、愛知県に転居後、1943年(昭和18)に県立西尾高女を卒業し、上京して帝国女子薬学専門学校(現、東邦大学薬学部)に入学。在学中空襲と勤労動員を体験。1945年敗戦(第二次世界大戦)は都内の薬品工場(海軍)で迎えた。1946年同校卒業。戯曲に関心をもち山本安英(やすえ)との出会いもあったが、1947年の結婚(本姓三浦)前後に詩を書き始め『詩学』に投稿して認められ、1953年に川崎洋(ひろし)(1930―2004)と『(かい)』を創刊。水尾比呂志(1930―2022)、谷川俊太郎、大岡信(まこと)、吉野弘らが参加した。詩篇(へん)の代表作としては「根府川(ねぶかわ)の海」「わたしが一番きれいだったとき」「りゅうりぇんれんの物語」「総督府へ行ってくる」「倚(よ)りかからず」などがあげられ、戦後、青春期に軍国主義から民主主義への移行期を通過した詩人としての、現実的あるいは社会的視野にたって、ヒューマニズムに支えられた批評性・記録性の鋭い詩風をもっていた。/ 詩集は『対話』(1955)、『見えない配達夫』(1958)、『鎮魂歌』(1965)、『人名詩集』(1971)、『自分の感受性くらい』(1977)、『寸志』(1982)、『食卓に珈琲(コーヒー)の匂い流れ』(1992)、『倚りかからず』(1999)があり、詩集成としては『茨木のり子詩集』(現代詩文庫20・1969)などがあり、編訳詩集としては『韓国現代詩選』(1990)があり、ほかに評伝、エッセイ集がある。(ニッポニカ)

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