時移り、人変わる。教師も人だ

 【ニュース その一】自殺の小6女児が遺書でいじめ訴え。滝川市教委が隠す 北海道滝川市内の小学校で昨年9月、教室で首をつって自殺した6年生の女児(当時12歳)が残した学校や友人あての遺書で「いじめ」を訴えていたにもかかわらず、市教委がいじめに関する記述を隠して発表していたことが30日、明らかになった。遺族が読売新聞に寄せた遺書では、女児は「いじめ」以外の動機には触れていなかった。市教委は、「言葉だけが一人歩きすることに慎重になった」と釈明しているが、専門家からは「事実を伏せたのはおかしい。責任逃れではないか」との声が上がっている。/ 女児は昨年9月9日の朝、教室で首をつっているのを登校してきた級友に発見された。当時は意識不明の状態だったが、今年1月6日に死亡した。/ 女児は、教室の教卓上に、学校や6年生、母親あてなど7通の遺書を残していた。一部の遺書の中身は昨年10月12日、同小の校長室で遺族が読み上げ、職員が内容をメモした。/ 安西輝恭・市教委長は同年11月22日、報道関係者に対し、「手紙の中には、友だちが少なかったこと、迷惑をかけてごめんなさいという趣旨のことが書かれていた」とだけ説明し、「自殺の原因に直接結びつくようなことは書かれていなかった」と言明していた。(ヘッダーは 下村観山「(重文) 弱法師」大正4年(1915):東京国立博物館蔵)                 

 ところが、遺族が本紙に提供した学校あての遺書には、「5年生になってから、『キモイ』と言われてとてもつらくなりました」「6年生になって私がチクリだったのか、差べつされるようになりました」などと書かれていた。また、6年生全般にあてた遺書でも、言葉のいじめを訴え「それはとても悲しくて、苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました」とあった。ほかの動機は一切書かれていない。/ 市教委は当時の発表について、「言葉を選んで話していたのは事実。(手紙の)具体的なことについては触れないと決めていた」と、内容を把握していながら発表しなかったことを認め、「(いじめを訴えていたという)言葉だけが先行することに慎重になった」と釈明している。

 市教委は、同級生から聞き取り調査を行うなどして、原因を探ったが、現在も「死の直接的な原因は特定できない」としている。/ しかし、自殺した女児の同級生たちは、遺族の聞き取りに、「仲間はずれにされていた」ことや「集団的な陰口」があったことなどを認めている。/ 女児の遺族は事実関係を調査した上で、女児が自殺を図って1年になる今年9月、本紙に遺書を託した。母親(37)は「学校や市教委の説明ではとても納得できない。なぜ娘が死ななければならなかったのか、教えてほしい」と訴えている。(日付?)

================================

 あまり楽しくない、いや、ごちらかといえば、相当に深刻な病理を伝えるニュースであると、ぼくには考えられるのです。いかにも、日常のありふれた「事件」や「事故」として、新聞は紹介していますが、知れば知るほど、根が深い、人間性を根底から疑わせる記事になっているのではないでしょうか。この記事を読むまでもなく、現実に、学校は「人権」というものに対する深刻な脅威になっているのではないか。ひとりの人間が深く学ぶという行為に対しても学校が最大の障害となっていることを実感しなかった方はおられないのではないか。どこにでも起こりうる「事件」を今さらにように出してみたのは、「いじめはよくない」ということを事あらためていうためではなく、学校にはいじめを起こす条件がそろっているから、それを改善せねば、などということを言いたいためでもありません。それは、ぼくが言うまでもないこと。「戦争は最大の罪だ」と、国連の代表が言いましたが、そういったから「戦争」がなくなるものでもない。誰が、何を言おうと、戦争を起こす奴は起こすのです。だから「戦争反対」を叫ぶのは無意味だともいうのではない。そういったからなくなるものでもないというところに、足場を据える必要があるのだと、ぼくは考えているのです。

 いったん事件が起こったら、原因(理由)を解明し、その責任をはっきりとさせるのは当然です。学校のいじめで、何時でも問題になるのは、「遺書」を残して亡くなったことが明らかになった段階で、学校や教育委員会が見せる姿勢には、基本的にいずこでも同じようなパターンがあるという点です。あるいは「事故・対応マニュアル」が一律に定められているのではないかとさえ思われます。

 「事件・事故発生」⇒「(関係者は)軽々な発言は禁止」⇒「原因はいじめらしい」⇒「個々の発言は控える」⇒「いじめだとは思われない」という、公式見解(「自殺の原因に直接結びつくようなことは書かれていなかった」)これで逃げ切れれば、ラッキーと考える関係者。⇒遺族らの追求に対して、「いじめがあったとは思われないと対応」⇒さらに追及され、いじめを渋々認めるふり(知らないふりを装う)。「(手紙の)具体的なことについては触れないと決めていた」)⇒「責任追及」から逃げ切れないと判断した際、「(いじめを訴えていたという)言葉だけが先行することに慎重になった」と極めて消極的に認めたように、そして幹部連中が「お騒がせした」と報道陣の前で「平身低頭(の演技)」で、事態を終わらせる。これが上首尾に運んだなら、その幹部連中は「評価」される。しかし、これは問題の始まりであって、ここから「教育の問題」として深く深く追及されるべき事柄だと、ぼくは言ってきた。

 十年一日、いや百年一日、組織の無責任体制は「歴史と伝統」を誇ってきたのです。学校のいじめ事件で、何らかの形で「責任をとって辞職」という関係者を、ぼくはこの何十年間、ただの一人も見ていません。見落としがあるかもしれないと断ったうえで、教育関係(だけではない)をめぐって、まず「責任とは無責任」のことであり、「人命を重視するとは、はなはだしい人命軽視と同義で使う方便である」とぼくは、疑っていない。(ここで書くべきではないのですが、勢い余って、書いてしまいます。以下、つまらぬことです)

 教師の真似事を始めた際、ちあきなおみさんじゃないけれど、「三つの(お願いならぬ)誓い」を自分に立てました。①授業はさぼらない・休まない、②試験(テスト)はしない、③宿題は出さない。この三つは、何とか「誓い」通りだったとは言えませんが、自分流に筋を通したようにも感じます。そのうえで、ぼくが担任をしたクラス(ゼミクラスなど)の学生が「法に触れる行為」をしたことが明らかになったら、その内容にもよりますが、ぼくは「辞職する」ことを決めていました。これはごく少数の人間(かみさんなど)にしか伝えていませんでしたが、これも、奇跡的に「辞職する羽目」にはならなかった。幸運だったかどうか。格好いい表現をすれば、何時だって教師の末端にいる人間でしたが、いったんことが明らかになったら、見苦しいこと、醜いふるまいはしないという「啖呵」を自分に切っていました。

 日ごろから「事件を起こすな」とか「世間に恥じるようなことはしないように」ということはまったく学生諸君には言わなかった、個々の学生の判断力が育ってくれるように、ぼく流の言い方をすれば「注意深い人間になろう(Pay Attention!)」と、個々人が自らに意識を向けてくれることを願っていたからです。「職を辞する」というのは、「責任を取ること」とは無関係ではないでしょうが、まず「責任」を明らかにすることとは別の問題です。ぼくが、このところ、もっともいけ好かないと思うのは、「責任」を取ると称して「俸給の何割カット」とか「減給何分の一を何か月」とかいう、あれです。「君たちは、はした金で地位を買っているのか」というばかりです。

OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO

 二例目も、場所と人は異なりますが、似たような経過をたどっています。「歴史は繰り返さない」が、「人が繰り返す」といった政治(思想)家がいましたし、「歴史は二度と繰り返さないが、多くの『韻』を踏んでいる」といった作家がいました。そうかもしれませんね。「戦争」だってそうです、繰り返しではないんですが、「似たようなこと」「同じような殺戮」が繰り返し生じるのは、人間という「ホモ・サピエンス」といわれる「愚者」「邪鬼」がすることは、同じような内容や残虐さを持っているのです。人間の条件(Human Condition)が変わらないからですね。

 「いじめられて、もういきていけない」「いじめが原因です」「うざい奴等はとりつきます」と遺書にあっても、「いじめは把握していなかった。(自殺した日、男子生徒は)朝から目前に迫っていた中間テストに向けてプリント学習に励んでいた。給食も元気そうに食べていた」と担任は言う(言える・言わされる)のです。子どもを見ていないのか、見ていても、見ていないふりをしているのか。どちらにしても、失格ですな。教育長の談、「遺書にはっきり『いじめられた』と書かれている以上、いじめがあったと認識している。その前提で今後の調査を進めたい」と。こういう「鉄面皮」でなければ「✘✘長」にはならないんだ✘(句読点の代わりに、句✘点です)「自分の命は大事。他人の命には無関心」なんですかねえ。恐ろしいばかりの頽廃であり、堕落です。 

 「偉くなる」(ぼく流の言い方をすると、「人間の大事な要素をなくす」ということと同義)、それは、自分以外が「評価する」ことで、自己評価とは異なるのですが、たいていはそんなこと(自己評価)はまったく考慮の外、「評価されたい」、「褒められたい」という情けない一心が、きっと働いているのです。そのために、失ってはいけないものまで、平気で捨ててしまう(育てない)のでしょう。理不尽にも「子どもが命を落とす」「身をもって不正を訴える」ことに、当事者として、どんな琴線も振るえないとしたら、すでに終わっているし、終わった人間ばかりが幅を利かせているのが、世間だということになります。そんな世間から「褒められる」「認められる」なら、ぼくは生きていたくないね。

++++++++++++

 【ニュース その二】中2いじめ苦に自殺 教委も認識 「生きていけない」 福岡県筑前町の三輪中学校(合谷智校長、425人)の2年の男子生徒(13)が自宅の倉庫で首つり自殺をしていたことが13日、分かった。遺書とみられるメモ紙が計4通見つかり、「いじめられて、もういきていけない」と学校でのいじめを苦に自殺したことを示唆する記述があった。同町教委は「いじめがあった認識がある」として、男子生徒が自殺にいたった経緯を調査している。/ 同町教委などによると、11日午後8時すぎ、隣家に住む祖父(67)が自宅倉庫のかもいにビニールひもをかけて首をつっている学生服姿の男子生徒を発見。救急車で近くの病院に運ばれたが、死亡が確認された。死亡推定時刻は午後5時すぎとみられる。夕食に姿を見せなかったことから辺りを捜していた。

 残された遺書とみられるメモ紙には「いじめられて、もういきていけない」「いじめが原因です」「うざい奴等はとりつきます」などといじめを苦に自殺したことをうかがわせる記述があった。/ 同中は、男子生徒が自殺した翌12日朝に緊急の全校集会を開催。合谷校長が事実関係を説明した。その後、全校生徒にいじめの有無などを確認するアンケート用紙を配布し、同日中に回収。11日の放課後の直前に男子生徒を学校のトイレで取り囲んでいた同級生計7人から個別に事情を聴いたという。/ 学校側の聴取に対し担任の男性教諭(45)は「いじめは把握していなかった。(自殺した日、男子生徒は)朝から目前に迫っていた中間テストに向けてプリント学習に励んでいた。給食も元気そうに食べていた」と答えたという。/ 中原敏隆・筑前町教育長の話 男子生徒が自殺するまで学校内でいじめがあったことは把握していなかった。しかし、遺書にはっきり「いじめられた」と書かれている以上、いじめがあったと認識している。その前提で今後の調査を進めたい。(日付?)

#############################################

 三例目はいかがでしょう。「男尊女卑」の時代が遠ざかっていくということですか。あるいは、いよいよ「男女平等(ジェンダーフリーなんだか)」の社会が、ここから始まっているという印(兆候)でしょうか。「飲酒していたため怖くなって逃げた」というのは、男ばかりだと、ぼくは勘違いしていました。女性が「男と異なるのは、嘘をつかない、やったことは認める」という点にあるというのが、ぼくの考え(期待)でしたが、違いましたね。この「事故」で、ぼくが痛感したのは「性」で判断してはいけないという分かり切ったことでした。事故を起こした女性「大丈夫ですか」と訊くんですね、被害者「大丈夫なわけないでしょう」と反応しました。この「やり取り」はなかなかのもの。訊く方も訊く方ですが、応えた方は「正常」でしたね。どうでしょう。車で轢いて(撥ねて)おいて、「大丈夫」という人が「教師」であるという、このなんとも言えない「可笑しさ」「黒い冗談」じゃない、無神経さ。まるで「中川家」か「サンド」の漫才コンビの、「落ちない話」のような。

 不謹慎なことを言っていますが、こんな人間が「人を轢いたら逃げたりしないで、すぐに警察に届けよう」「轢かれた人のけがの具合を確かめ、かならず救急車を呼ぶのよ。いのちは地球よりも重いのですから(これは「人権教育」なのか)」と、子どもたちにきっと言っているはずです。これを「二枚舌」というのですか。あるいは「嘘も方便」といわれるのでしょうか。もし、この教師に「お兄ちゃん」がいなかったら、どうしていたんでしょうか。また身代わりにならなかったということでも「お兄ちゃん、偉い(はずもないけど)」この時代は、まだ携帯やスマホによる事案は「普及」しておりませんでしたろう。

*****************

 【ニュース その三】女性中学教諭がひき逃げ 「飲酒」の発覚恐れ 岐阜県警大垣署は15日、乗用車で女性をはねて逃走したとして、業務上過失傷害と道交法違反(ひき逃げ)の疑いで、同県大垣市の市立中教諭小川ナナ容疑者(30)=岐阜市藪田=を逮捕した。/ 女性は軽傷で、小川容疑者は「飲酒していたため怖くなって逃げた」と供述しているという。/ 調べでは、小川容疑者は14日午前零時20分ごろ、大垣市の県道交差点で右折した際、自転車で横断歩道を渡っていた飲食店経営の女性(52)=同市=と接触事故を起こし、そのまま逃げた疑い。/ 女性は転倒し両手にかすり傷を負った。小川容疑者は「大丈夫ですか」などと声を掛けたが、女性から「大丈夫なわけないでしょう」と言われ、そのまま立ち去ったという。その後、いったん自宅に戻り、同日午後10時半ごろ(兄に連れられて)大垣署に自首した。(日付?)

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

 先に、北の大地で「いじめ・自殺」が発覚したばかりなのに、こんどは南の福岡で起こりました。いじめ列島というにはあまりにも凄絶な事件ばかりで、気が萎えてしまいそうです。子どもが死ぬまで「いじめがあったことは把握していなかった」といい抜ける大人たち。「遺書」にはっきりと「いじめられた」と書かれているから「いじめがあったと認識している」というえげつない無責任精神。(偉くなる)というのは、人間であることを放棄することにつながるのかもしれません。(もちろん、そうでない人がほとんどであるのは当然というか、そうでなければ)「いじめによる自殺」と人は言いますが、実は、これは「学校集団による殺人(他殺)」ではないでしょうか。

 ぼくには悪い趣味がいくつもあります。そのうちの一つは、新聞記事を「切り抜いて」保存している・いたということ。膨大な量になります。今ではパソコンで、保存も楽になりましたが、この三つの「事件」や「事故」の発生時期は右のカッコ内の通りです。ある年の十月の一時期、今から十五年以上前のこと。「枚挙に遑なし」とは、このことですな。「歴史は繰り返さない。人間が繰り返す」ということになるのでしょうか。〈①(2006年10月3日 ・読売新聞)②(06/10/14・ 西日本新聞)③(共同通信・06/10/15)〉

(上の「謝罪風景」は、すべて千葉日報の記事によるもの。「学校は破廉恥の花盛り」での謝罪方式です)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「おとこもすなる飲酒運転というものを、女もしてみんとてするなり」ですか。教師は「見本」でもなければ、「師範」でもありません。ごく当たり前に生きている人間です。酒も飲めば、車も運転する。いじめに遭遇する子がいれば、その子の側に立つというのは「正義」なんかではない、本能なんだ。弱い者の助けになるという、まともな「本能」ですよ。それを曲げてまで「自己保身=組織保存(防衛)」を図るのは、利害と打算なんだな。犬や猫のような「動物」には「利害と打算」への配慮はまずないと、ぼくは言いたいね。さすれば、ある種の人間は「犬猫以下」か。犬や猫が怒るでしょうね、「そんな人間なんかと比べるな」と。人間は、思っている以上に「弱い」のですよ。「自分は強い」と錯覚している人ほど「弱い」な。強さの象徴が「メダル」「所持金」などという、「物・もの・モノ・」ばかりです。「メダル」(象徴)を見せびらかす時代は、人間が劣化しきった時代です。「殺戮」「ホロコースト」を命じる国家から、任務を忠実に果たした廉で「顕彰・授賞される」というのは、どういうことなんですか。(「プーチン大統領は4月18日、この旅団(第64独立自動車化狙撃旅団)の『大勢が英雄的行為と武勇、忍耐力と勇気を示した』とたたえ、「親衛隊」の名誉称号を付与した。BBCニュース:https://www.bbc.com/japanese/61281410)

 ぼくは学生のころには「能狂言」にハマっていました。それについて小さな原稿を書いたこともあります。住まいや学校の近くには「能舞台」(能楽会館)がいくつもありましたから、かなり通ったりしました。「なんとか流」の会員だったこともあります。その記憶の中から、やおら「舞い出てきた」のが「弱法師(俊徳丸)」です。どういう因果かはさておき、教師になる(である)というのは「弱法師」の道を歩くようなものではないでしょうか(いささか、意味不明、説明不足の気味ですね)。まるで、茨の道を行くようなもの、そんな風景を思い描いているからです。

・弱法師ほゝげた濡す清水かな (青畝)

・卯の花や弱法師の袖に蝨(しらみ)ちる (子規)

・弱法師我門ゆるせ餅の札 (其角)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

● 弱法師(よろぼし)=能の曲目。「よろぼうし」ともいう。四番目物。五流現行曲。金春(こんぱる)流は明治初期の復曲。他流も元禄(げんろく)(1688~1704)ころに再興したものとされる。世阿弥(ぜあみ)の長男、観世元雅(かんぜもとまさ)作。ただしクセの部分は世阿弥の作。河内(かわち)国(大阪府)高安の里の高安通俊(みちとし)(ワキ)は、人の讒言(ざんげん)を信じわが子を追放したことを悔い、天王寺で7日間の施しをしている。彼岸会(え)のにぎわいのなかに、盲目となり、乞食(こじき)の身となった俊徳丸(しゅんとくまる)(シテ)が現れ、梅の香にひかれつつ施行(せぎょう)を受け、天王寺の縁起を語る。彼岸中日の落日に極楽を念ずる日想観(じっそうかん)に続き、心眼に映る難波(なにわ)の景色に興奮した俊徳丸は、人々に突き当たり、盲目の境涯を思い知る。わが子と気づいていた父に伴われ、彼は故郷へと帰ってゆく。逆境にありながら、梅の香りのような詩心と、澄んだ諦観(ていかん)を失わぬ少年(青年の風貌(ふうぼう)の能面もある)として演出されるが、創作当時は妻を伴って出る脚本であった。影響を受けた後世の浄瑠璃(じょうるり)に『弱法師』『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』などがある。(ニッポニカ)

____________________________

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。