【編集日記】チェルノブイリ ソ連時代に起きたチェルノブイリ原発の爆発事故から、きょうで36年となる。普通の火事だと呼び出されて大量の被ばくをした消防士をはじめ、職員や事故処理作業員ら多くの人が命を落とし、故郷を追われた▼高線量の原子炉からそう遠くない場所を、軽装備で走り回る兵士たち。その様子を目に焼き付けたヘリコプターの操縦士は、帰宅した後、息子に「(あそこは)戦争だよ」と話した(スベトラーナ・アレクシエービッチ著「完全版 チェルノブイリの祈り―未来の物語」岩波書店)▼2月に始まったウクライナ侵攻でロシア軍は、「石棺」に覆われたチェルノブイリ原発を占拠し、外部電源が一時失われた。さらに、稼働中の別の原発を攻撃。チェルノブイリ原発事故の惨事を上回りかねない状況に陥れた▼原子炉を破壊せずとも、電源喪失がどんな事態を招くのか、本県は東京電力福島第1原発の事故で経験した。トラブルを起こした原子炉の制御は危険を伴い、豊かな大地は放射能に汚染される▼人々の苦しみや悲しみをつづった著書の副題「未来の物語」は、悲劇を繰り返しかねない人類への警鐘だ。原発でさえ標的となる現実をどう変えていくか。わがこととして考える。(福島民友新聞・2022年04月26日 08時30分 )(ヘッダーは:https://www.star-ch.jp/drama/chernobyl/)
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「ウクライナ戦争」で、ロシアの権力亡者は「核を弄(もてあそ)んでいる」というほかないような所業が明らかになっています。「戦略核(むしろ戦術核か)」であるとしても、核爆弾であることには間違いないのですから、それを脅しの材料に使うとなると、彼らをどのように形容すればいいのでしょう。ソ連時代の「原発事故」から三十六年目になりました。いったいこの三十六年は「原子力発電所の核爆発」の始まりの終わりなのではなく、これから先、途方もない長さの「終わりへの道行き」の始まりを記す一歩かもしれません。ソ連時代から今のロシアに至るまで、正確な情報はまったく出されていません。各種の記録を拾い読みしながら、ようやくわずかな明かりに似た「視点」を得るに過ぎないことの積み重ねでもあります。しかし、全く見通しは立っていないのだ。
この日本における「原発事故」においても同じような経過をたどってきました。「嘘」を既成事実化し、その上にさらに嘘を重ねて、一つの物語を捏造するのです。後には、それが虚偽であったことは必ず明らかになります。いつでも「一歩進んで、二歩下がる」という進み方(退歩ですが)で、ここまで来ました。この先、時間がさらに、永遠にかかるはずです。解決から「遠のく」ことを真面目を装って、国費を使ってやっているのです。事故を起こした企業は、もはや国策会社であることは隠しようもないのですから、事態が一向に明らかにならないのは、国の「隠蔽体質」によるというしかないのです。各地で原発事故による裁判がつづけられていますが、はかばかしい進捗とは言えません。生活の基盤である居住地を奪われた方、被爆された方、その他有形無形の被害者に対して、国も企業も、いささかの謙虚さもない、そんな姿勢を一貫して堅持しているのです。
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●チェルノブイリ原発事故【チェルノブイリげんぱつじこ】=1986年4月26日,ウクライナ(旧ソ連)キエフ州北部,プリピャチ市のチェルノブイリChernobyl’原子力発電所で発生した原子炉の爆発・火災事故。死傷者数,放出放射線量,原子炉の損傷状況など,いずれも前例のない激しさで,INES(国際原子力事象尺度)で最悪レベルのレベル7の大事故である。事故炉は4号炉で,他の3基と同じく電気出力100万kW(熱出力320万kW)の黒鉛減速軽水沸騰冷却型。ソ連が国際原子力機関に提出した報告書によれば,原子炉を核的にも熱水力的にも不安定な状態にした上,緊急停止機能を著しく低下させ,安全保護信号(スクラム信号)をバイパスして試験を開始した人為ミスによるものであるが,炉自体の緊急停止機能が不十分であることも原因とされている。この事故による死者は31人,負傷者203人(発電所従業員と消防士のみ。一般人を含まない)。周辺30km以内の13万人以上が避難したが,ソ連国民の集団線量は,外部被曝だけでも約900万人レム,今後50年間で約2900万人レムに達すると推定されている。事故後ヨーロッパ諸国で高度の放射能汚染が観測されたほか,日本を含む北半球の広い地域でも放射能が検出された。とくに半減期の長いセシウム137による汚染地域がベラルーシ,ロシアにも大きく広がっており,1989年にベラルーシでは1km2当り15キュリー以上の汚染地域から住民約11万人を移住させると決定したが,3共和国を合わせると同レベルの地域は1万km2,住民29万人に及ぶ。時の経過とともに甲状腺癌,白血病をはじめ癌の多発や家畜の奇形が現れており,国際的な医療・救援活動が長期にわたって行われた。事故後,4号炉は放射能もれを防ぐためコンクリートで固め〈石棺〉としたが,ひび割れが増大し崩れる心配があるため,1997年ウクライナ政府と西側諸国は改修に合意した。補強案や覆いを二重にする第2〈石棺〉案などがあるが,資金難などから早期の解決は困難視されている。2000年12月15日には事故後唯一稼動していた3号炉を停止し,チェルノブイリ原子力発電所は完全閉鎖された。事故は原子力発電の危険性を改めて認識させ,ヨーロッパ諸国の脱原発の流れに大きな影響を与えた。2011年3月11日に起こった福島第一原発の大事故で二つの事故の比較から同事故が世界の注目を集め,とりわけ事故後現在に至る放射能汚染被害とその対策が日本で関心を持たれている。(マイペディア)
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*処理水にデブリ・・・福島原発廃炉の現在地 脱炭素で“原発回帰”の流れも 震災から11年(2022年3月11日):(https://www.youtube.com/watch?v=cJdHpv8cf6w)
チェルノブイリでは原発への武力攻撃が実行されました。狂気の沙汰の上に、なお凶器の沙汰を重ねているのですが、それをだれも止めることができないのはなんとしたことでしょうか。福島では「汚染水」の海洋投棄が実施されようとしています。これはまだ、原発事故後の「廃炉に向けた作業」がほとんど手付かずの状態で、肝心かなめの「デブリ」の取り出しにはまったく展望がないことを示しています。すべてが手遅れになりながら、その大事な手続きが事後承認という「虚偽」の積み重ねでしかなされていないことに、この時代に生き、原発の「恩恵」をいやおうなしに享受してきた、一人の人間として、深い悲しみとと同時に、やり場のない怒りを自らのうちに蓄積していくしかないようです。

チェルノブイリの爆発事故から三十六年、福島の爆発事故から十一年経過した現在、ウクライナで「核」を脅迫の道具にした戦争が進められています。この戦争によって、世界の「経済開発先進国」は化石燃料の著しい「枯渇」に苦悩し、あろうことか、原発への回帰を一斉に目指し始めました。戦争も、原爆も、そして原発も、何度事故や戦禍を重ねたら気が付くのでしょうか。経済的繁栄がいかに根拠の薄いものであったか、それよりも、素朴だが、人が互いに敬いあえる生活が、はるかに望ましいものであったかが実感されることは、もうないのでしょうか。この島でも「より安全な原子力発電」を目指すと、利権金権亡者たちはいいます。狂気の沙汰といっても足りないほどの、愚劣さ加減です。(右写真:福島第1原発2号機原子炉格納容器の底で見つかった燃料集合体の一部(L字)と小石状のデブリとみられる堆積物:国際廃炉研究開発機構提供)
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狭い一本の道が続いている。その道を、人間を含めた地上の生物は(例外なしに)歩き続けるしかないのです。背後からは、汚染物質が迫りつつあります。その行きつく果てに何があるか、誰も知りません。「核と共存する」ということは、極めて限られた選択肢しか残されていない(選択の余地はないといってもいい)、行く先不明の一本道を、先を争って歩くようなものです。他人の国を奪い、そのために人民の命を簒奪する、その結果、得られるものは「幸福」なんでしょうか、「繁栄」なのでしょうか。それを「生の充実」とどうしていうことができるのか。
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