食料自給率の「低下傾向」は何を語るのか

 【三山春秋】▼近所の農道を歩くと、土を起こしたり、苗を植えたりする人の姿が目立つようになってきた。作業合間の茶飲み話も楽しそうだ。菜の花が咲き、野鳥がしきりにさえずる春は戸外で体を動かしたくなる▼〈トレーラーに千個の南瓜(かぼちゃ)と妻を積み霧に濡(ぬ)れつつ野をもどりきぬ〉。北海道帯広市の歌人・時田則雄さんは農業の喜びを詠んできた。就農から50年あまり。〈野男の名刺すなはち凩(こがらし)と氷雨にさらせしてのひらの皮〉。「野男」を自認し、農文一体の暮らしを実践する▼「行き当たりばったりの農政に振り回され、時には土から剥がされそうになりながら営農を続けてきた」という。危機感を抱いているのが日本の食料自給率の問題だ▼農林水産省によると2020年度はカロリーベースで37%。先進国では断トツの最下位である。都道府県別(18年度)では北海道196%、群馬33%、東京1%。政府は30年度までに45%とする目標を掲げているが達成は容易でない▼農業関係者が、輸出国が凶作に見舞われたら、紛争が起きたらと繰り返し指摘してきた。だが訴えは届かず、ロシアのウクライナ侵攻でその「もしも」が現実になった▼少年時代に飢餓を体験した作家の故・野坂昭如さんは「いざとなったら食い物のある国が生き残るのだ」と述べている。農業と生産者を守るにはどうしたらいいか。われわれの食生活への意識が問われている。(上毛新聞・2022/04/25)(ヘッダー写真:https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/20/us-agriculture-_n_5693779.html)

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 この数日で、近所の散歩コースの水田はほとんどが「田植え」を終えたように思われます。そろそろ始まるなとみていると、あっという間に見渡す限りの「早苗の田んぼ」になっているのです。これも機械化のたまものだと感心しているばかりではありません。歩いていて少し気になったのは、これまでよりも「休耕田」が増えているようだということです。正確なところはわかりません(後日、JAに尋ねることにしています)。ひと頃より、銘柄米の値が安いという感じを持っていました。それは決して気のせいではなく、事実、同じコメが値下がりしていたのです。拙宅は二人だけですし、年齢的にも遥かの昔に「育ちざかり」を終了しており、いまや「老衰一途」ですから、五キロのコメを買ってもなかなか減らないのです。どれくらい持つかは調べたことがありませんが、五キロで一月以上は優に持ちます。だから、コメの値段には鈍感になっていました。

 「米の1人当たりの年間消費量は、昭和37年度をピークに減少傾向となっています。/ 具体的には、昭和37年度は118kgの米を消費していましたが、平成30年度は、その半分程度の53.5kgにまで減少しています。/ また、主食用米の全国ベースの需要量は一貫して減少傾向にあり、最近は人口減等を背景に年10万トン程度と減少幅が拡大しています。/ 家庭における1世帯当たりの年間支出金額の推移を見ると、平成26年以降はパンの支出金額が米の支出金額を上回っています」(農水省HPより)

 右の資料は少し古いものですが、年々消費量が減っている傾向は変わらないのですから、これをもとにすれば、ぼくの家では年間では、三十キロも米を食わないようです。もちろんその分、パン(小麦)食が増える傾向にありますが、これでもたかが知れています。

 ここで言いたいのは「食料自給率」の問題なんです。この「自給率」はいかにもややこしいものですが、単純にいうなら、国内生産量と消費量の比率を指して言います。それを農水省では「①カロリーベース総合食料自給率 基礎的な栄養価であるエネルギー(カロリー)に着目して、国民に供給される熱量(総供給熱量)に対する国内生産の割合を示す指標です。カロリーベース総合食料自給率(令和2年度)=1人1日当たり国産供給熱量(843kcal)/1人1日当たり供給熱量(2,269kcal)=37% ②生産額ベース総合食料自給率 経済的価値に着目して、国民に供給される食料の生産額(食料の国内消費仕向額)に対する国内生産の割合を示す指標です。生産額ベース総合食料自給率(令和2年度)=食料の国内生産額(10.4兆円)/食料の国内消費仕向額(15.4兆円)=67%」(農水省HP:https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/011.html)

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 「例えば農水省の資料によると、一般的な「天ぷらそば」を例に考えてみると、ソバは中国やアメリカ、天ぷらの中身であるエビはタイ、ベトナム、インドネシアなど、天ぷらの衣となる小麦はアメリカやカナダ、そしてその天ぷらを揚げる油は、カナダから主に輸入している。/ 天ぷらそばの食料自給率は22%にしかならない(2014年の数値)そうだ。単純に考えて、天ぷらそば1杯にしても日本は世界中の国から、さまざまな食料を輸入して日常生活を送っているということになる。/ 仮に、中国とアメリカが戦争状態に陥るような地政学リスクが高まったら、日本は真っ先に食料不足とエネルギー不足に陥る可能性がある」(岩崎博充「日本人は低い食料自給率のヤバさをわかってない 6割以上を海外に頼る状況を放置していいのか」東洋経済・2021/10/30)

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 ある時は「産直」ともてはやし、またある時期には「地産地消」と言い募ってきました。その張本人は誰だったのか。上の記事にある「(一般的な)天ぷらそば」は、どこの店のものか、あるいは「自家製」なのか。純日本風の「特別の天ぷらそば」なら、どういうことになるのでしょうか。「一般的」が一杯五百円だとして、「特別製」は二千円もするのでしょうか。値段の高低だけが問題でないことはわかりますが、しばしば食するものであれば、何よりも「廉価な値段」ではないか、それが普通の感覚です。しかし、「食料自給率」といって、はたして「自給率」を高めることがいいことかどうか、それもにわかには判断できないのです。もっと言えば、自給率百%の食材を確保するということが、どういう意味を持つかということにもなるでしょう。よく「食糧安保」などと言いふらされてきましたが、こちらの安保は「他国にただ乗り」しているようで、それが、いかにして国家の危機につながるのか。

 ロシアの「ウクライナ侵略」以来、この島のモノの値段(物価)は右肩上がりです。この先どこまで行くのか、怖いようにも思われます。加えて、多くの食材は「化石燃料」なしではにっちもさっちもいきません。面倒なことは言いませんが、あらゆる段階で、化石燃料が用いられていますから、「燃料安保」無防備の、この島では、問題は「食料自給率」だけにとどまらない段階にきているのです。たまにスーパーに行きますが、野菜や果物、あるいは魚介類が実に豊富に店頭ケースや棚に並んでいます。そのいちいちを確かめたわけではありませんから、正確ではないかもしれませんが、純粋な「国産品」は少ないのではないでしょうか。今では「原産国」と「販売消費国」を区別しているそうですね。例えば「そば」、原料は国外です、しかし、それを粉からそば(麺)にするのは国内各地だと表記されています。

 かなり前になります。近所のすし屋に入ったら、「当店は百%国内産米を使用しています」と張り出されていました。以来、その店にはいかないことにしています。ここにも、感情の面でも複雑なものが入り混じって消えないままで残っています。すしネタのほとんどは「海のもの」であって、日本産でもなければ、アメリカ産でもありません。醤油の原料はどうでしょう。大半は外国産の大豆ですし、…、このように言っていけば、「国産」とか「国内産」というのはどういうことになるのか。極端な話です。小さいころからケンタッキーやマックに通い、成人してからは吉野家や松屋などという店に通うのは、値段的にも栄養的にも、(多少は問題があるか)それはよくないとはいえないことでしょう。仮に、そのようなチェーン店で使われている食材が「アメリカ産五割」「カナダ産三割」「ロシア産一割」「中国産一割」だとして、「この人」は「何人ですか」と訊くのはどうでしょう。ぼくが言っているのは、国籍や人種というものが、あるいは民族というものが決定的に個人や個人同士の属性を決定しているということはあり得ないし、アメリカ育ちが成人して「日本国籍」を取得すると「日本人」になるのではなく「日本国籍取得者」であるというだけのことでしょう。今時、「国産」や「舶来」といっても、意味をなさないんじゃないかな。食材の「多国籍人」、それが今を生きる人間存在の在りようではないですか。

 もっと深い問題になることですけれど、面倒は嫌ですから、ここまでにしておきます。「国籍・人種・民族」、さらには「言語・歴史・文化」などと単語をつなげていけば、そのような人間の心身を育て上げてきた環境自体が、千年前・五百年前とは決定的に異なるのであり、その異なる背景を把握しなければ、偏狭な「根なし国粋主義」というか「インチキナショナリズム」に足元をすくわれかねません。ロシアだけではなく、中国にも朝鮮半島にも、この日本劣島にも「国本主義」の根は絶やされてはいないのです。「食糧安保」を言えば、きっと「燃料安保」が不可欠の問題として浮かび上がります。加えて、「金融安保」や「財政安保」も忘れるわけにはいきません。いろいろな方面の「安全保障」は、決して一国で完結するものではないということ、それを言いたいだけなんです。「一国平和主義」は、評判が悪かったのは、隣国が不幸にあえいでいるのに、素知らぬ顔で「わが世の春」を決め込むことはできない相談だということではなかったでしょうか。困っている人がいたら、できる範囲で助太刀するのが「素朴な人情」の第一歩です。「相身互い身」といいます。よほどのことがない限り、人間は「ぼちぼち」です、だから「相身互い身」、お晏司ようなもので、ちっとも変わらないじゃないか、困ったら助け合おうということになります。「安全保障」も同じではないですか。他国に勝ろうとして、わが「威」を誇るというのは、ぼくには見苦しいし、醜いとしか思われません。醜悪そのものです。

  コラム氏はいう。「農林水産省によると2020年度はカロリーベースで37%。先進国では断トツの最下位である。都道府県別(18年度)では北海道196%、群馬33%、東京1%。政府は30年度までに45%とする目標を掲げているが達成は容易でない▼農業関係者が、輸出国が凶作に見舞われたら、紛争が起きたらと繰り返し指摘してきた。だが訴えは届かず、ロシアのウクライナ侵攻でその『もしも』が現実になった▼少年時代に飢餓を体験した作家の故・野坂昭如さんは『いざとなったら食い物のある国が生き残るのだ』と述べている」

 困った事態が起きないように「自給率を高めよう」というのはその通りですが、自分のところだけが富んでいたり、生き残ったりしていて「嬉しいのですか?」と、今のウクライナの惨状を見るにつけ、「相身互い身」を痛感するのです。この地球上で、極端に貧富の差が生まれないようにすることこそ、最も求められている「食料安全保障」ではないでしょうか。「自分だけ」「我が家だけ」「わが国だけ」というような、まるで自分だけで存在しているような錯覚(蒙昧)に気が付く時節が到来したんですね。「コロナ感染」も、「自分だけ」「我が家だけ」「わが国だけ」などとということはあり得ないのだと教えていますよ。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。