孤独を託(かこ)つ、などといいます。「託つ」という語は「1 心が満たされず、不平を言う。ぐちをこぼす。嘆く。「不運を―・つ」2 他の事のせいにする。口実にする。かこつける」(デジタル大辞泉)などとあって、あまり楽しくなるような言葉ではなさそうだし、それを聞いて愉快を感じるということもなさそうです。「託」という語には、いろいろな解説があります。しかし、総じてやはりうれしくなるような要素は少ないようです。託つ、託(かこつ)けるなどといって、どこかしら「口実」を設けて、自分は不幸であるのは他人のせいであるなどといいたい気分がその裏に潜んでいるようにも思われるのです。もちろんそれだけではなく、信託や委託などいう使い方もありますが、相手にお任せしますという、「あなたのお好きに」と、そこに自己主張の場面がなさそうにも思われます。(ヘッダー写真:https://eatiiyama.satonomegumi.net/header-photos/)

「孤独」とか「孤立」、あるいは「孤影」とか「孤愁」「孤高」などというのは、いかにも仲間と楽しくにぎやかにというのとは反対に、たった一人で「寂しく」「心浮かない」状態にあることを指して言われるようにも見える。孤は個であり、個は孤であるというのが、ぼくの本音です。一人でいることは寂しいと感じる場合もあれば、煩わしさから解放されたいと願う時もあるでしょう。どんなことがらにも、きっと「表裏」というか「二面性」があるのであり、そのどちらも、一方を切り離すことができないのではないか、そんことを片時も忘れないで(記憶にとどめて)、ぼくは生きてきたようです。当たり前に「孤独」を楽しんだということはありませんが、あまり寄り集まってにぎやかに、ということはあまり好まないままで、生きてきたのです。だから、どうなんだといわれると困るし、なんだか大変なことを言うようですが、それほどのものではない。家族などの紐帯が煩瑣に思われて、いっそ「独り・ひとり・一人」になりたいと願うことは誰にもあるでしょう。しかし「天涯孤独」という経験がぼくにはなかったから、その「身寄り・頼り」のなさ=寄る辺なさ(helplessness)というもの深さを知らないのだと言われれば、その通りというほかありません。山頭火の「其中日記」に、次の文があります。このところ、京都の友人と電話で、よく山頭火のことを駄弁りますので、その勢いで。
「さみしいなあーひとりは好きだけれど、ひとりになるとやっぱりさみしい、わがままな人間、わがままな私であるわい」と、いかにも自己卑下したような書きぶりですが、それが「存在の様相・実相」というものではないですか。一人はいいし、一人は寂しい。どっちの感情も、この自分からはなくなってくれない、それが人生の歩き方(過ごし方)ではないでしょうか。もう一つ、「ゆうぜんと飲み、とうぜんと酔う。そういう境遇を希う。/ 飲みでもしなければ一人ではいられないし、飲めば、出かけるし、でかけるとロクなことはない。/ ひとりしずかにおちついていることはできないのか、あわれな私である」(同上)おそらく、山頭火さんの句というのは、こんな行きつ戻りつしている自らの心境を読み込もうとしたものであり、それが彼の真骨頂だったといえばいえそうです。酒飲みは、おしなべて、しがない泣き虫なんですね。

頼りない、寄る辺ない、つまり helpless というのは「〈人が〉無力な,自分ではどうすることもできない,助けを得られない,〈表情・しぐさが〉困惑した,お手上げの;(…するのに)無力な≪to do≫」(デジタル大辞泉)と多様な説明がなされています。一例として「無力な赤ん坊」というのを例に挙げてみます。何か自分ではできないのが「赤ん坊」の姿であり、それをどうこういっても始まりません。それと同じように、無力であり、お手上げ状態が、「人の常態・状態」であると思い至れば、必要以上に「孤独」「孤立」にこだわることもないのです。でもそれは人によりけりで、どんな慰めを与えられたところで、「自分の孤独は癒しようがない」と感じるのはご当人であり、それを他者はいかんともしがたいといわなければならないでしょう。「果報は寝て待て」ではありませんが、さらに言えば、「待てば海路の日和あり」ですが、寝られないし、待てないとなると、手に負えませんね。明けない夜もなければ、止まない雨もないと気づけば、もう一工夫してみようかという料簡が生まれるかもしません。
こんな漠たることを空想したのも、久しぶりに漱石に出会った気がしたからです。彼は「神経質(神経衰弱)」で、ぼくらの想像を超えた暗闇から、世の中を見ていた人だったように、ぼくには思われました。若いころは耽読した作家です。(以下の「コラム」参照)
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【河北春秋】孤独は人間に付きもののよう。多くの著名人が関連する言葉を残している。例えば、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』には「呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩(たた)いて見ると、どこか悲しい音がする」とある。言い得て妙だと改めて感じ入った▼新型コロナウイルス禍で深刻化している孤独・孤立問題を巡り、政府が2万人を対象に初の全国実態調査を実施した。孤独感が「ある」と答えた人は約4割で、高齢者より20代と30代の方が多かった。若い人ほど寂しさを抱えている現状をきちんと認識しなければなるまい▼「せっかく入学した大学がオンライン授業ばかり」「1人暮らしを始めたが、友達ができない」。不安は募るばかりだろう。振り返れば、初めて1人暮らしをした三十数年前、「○○定食」としか言葉を発しなかった日が何日もあったような…▼孤独な環境が、人間的な成長を促すことは否定しない。ただ、実生活でそれが続き、孤立してしまうと精神的にきつい。「そばにいてほしい」「話を聞いてほしい」というのは、人間の自然な感情のように思える▼実態調査で「しばしば・常に孤独を感じる」と答えた人の雇用形態は、「失業中」と「派遣社員」が多かった。金銭的不安も人を追い詰める。コロナ禍の我慢はいつまで続くのか。(河北新報・2022/04・21)
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幡ヶ谷のバス停で寝泊まりする女性を襲った悲劇 周囲が気にかける中で…東京・渋谷の暴行死事件

◆石を入れた袋で頭部警視庁によると、女性は住所不定、職業不詳の大林三佐子さん(64)。11月16日午前4時ごろ、渋谷区幡ケ谷2の甲州街道沿いのバス停「幡ケ谷原町」のベンチに座っていたところ、男に石などが入ったポリ袋で頭を殴られ、外傷性くも膜下出血で死亡した。/ 傷害致死容疑で逮捕された同区笹塚2の職業不詳、吉田和人容疑者(46)は容疑を認め、調べに「バス停に居座る路上生活者にどいてもらいたかった」と供述している。事件前日に大林さんに金を渡して移動してもらおうとしたが、断られたことに腹を立てたとみられている。(以下略)(東京新聞・2020年12月6日 08時14分)
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上の記事にある「被告」は、来月十七日の初公判を前にして、四月八日、都内で「飛び降り自殺」をしていたのが発見されたという。暴行を受けて亡くなった女性は広島県出身で、若いころには演劇で活躍をしていたといわれます。「被告」は早くから「引き籠り」状態にあり、問題行動が多く見られたと、近所でもよく知られた、噂の男性だった。事件の被害者と加害者について、ぼくは何も知るところがありません。ネットなどのニュースで報道された範囲を超えないままで、その事件や被害にあわれた方と加害者についてとやかく言うことはしませんし、できない相談です。ひたすら、二人の「不幸な遭遇」を悼むことしかできないのです。ことが起こってからは、言っても詮無いことしか、ぼくたちは言えない、そんなことがどうしようもなく続きます。もし、「こうしておけば」、「こうなることが分かっていれば」、といかにも「言葉の無力」「行動の欠如」を痛感するのも事実です。その無力な言葉が、もう少し通じ合えていたなら、一瞬でも話ができていれば、「悲劇は起きなかった」といっても繰り言になり、詮方ないことです。どれだけ尽くしたとしても、「ああしておけば」「こうしなければ」という後悔の臍を噛まなければならないのは、すべからく「いのちあるものの寄る辺なさ」に起因しているからです。
身寄りや頼りがあるなら、なんとかできたといえることもあります。しかしたとえ身寄り頼りがあったとしても「(人間存在の根っこに基づく)ヘルプレス」はいかんともしようがない時もあるのでしょう。そのような場合の方が圧倒的に多いとも思われます。二年前の事件を考えるにつけ、人間の頼りなさ、はかなさを知らされますし、その頼りなさ・はかなさが、生の根元に宿っているということに、ぼくは「慄然」とするばかりです。「呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩(たた)いて見ると、どこか悲しい音がする」というのは漱石自身の嘘偽りのない「本音」ではなかったか、そんなことを考えたりします。

「顔で笑って、心で泣いて」ということがあります。一面では「やせ我慢」でしょうが、このやせ我慢こそが世間の付き合いの礼儀だともいえそうです。外面如菩薩、内面如夜叉というのは、これとは少し趣が違うようです。しかし、いずれにしても、二重の心持、あるいは本心の二面性のようなものが、生きていく中では必要でもあるのです。世間で生きるというのは、ある種の「仮面」を被って生きることを指すともいえます。仮面が素面(素面が仮面か)であると、どうしても息苦しさが先に立つので、世間の方もなかなか付き合いづらいことになる。奇妙な表現ですが、素面そのままで生きると、どうしても「角が立つ」ことになるのです。渋谷で起こったやりきれない「殺人事件」の報道を見、その加害者が、一年半もたたないで「飛び降り自殺」をしたというニュースに接して、ぼくは、思わず破廉恥なことを考えたのは、きっと漱石の唆(そそのか)しがあったのかもしれません。「呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩(たた)いて見ると、どこか悲しい音がする」という戯言の前にあった、「ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」とはやされたのは、明治初期の「西洋かぶれ」を揶揄した風情でありますが、それはそれで、時の勢いで、やがて世の中は、「ザンギリ頭」ばかりになり、「文明開化の音声」がとどろきわたる時代になったのです。しかし、反動はきっとやってきます。まさか「袴に二刀流」「高島田に打掛」とはいかなかったが、洋服に下駄という奇怪ないでたちで、やがて、その古今東西の不調和(矛盾・分裂)が、列島の、個々の人間を襲うようになったのでしょう。
「猫」の最後のところで漱石は苦沙弥先生に、次のように語らせています。

「死ぬ事は苦しい、しかし死ぬ事が出来なければなお苦しい。神経衰弱の国民には生きている事が死よりもはなはだしき苦痛である。したがって死を苦にする。死ぬのが厭だから苦にするのではない、どうして死ぬのが一番よかろうと心配するのである。ただたいていのものは智慧が足りないから自然のままに放擲しておくうちに、世間がいじめ殺してくれる。しかし一と癖あるものは世間からなし崩しにいじめ殺されて満足するものではない。必ずや死に方に付いて種々考究の結果、嶄新な名案を呈出するに違ない。だからして世界向後の趨勢は自殺者が増加して、その自殺者が皆独創的な方法をもってこの世を去るに違ない」(「吾輩は猫である」)(左上は岡本一平筆)
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例によって、この駄文には結論も、気の利いた落としどころもありません。生きることは喜びでもあり、悲しみでもあるという山頭火や漱石の、一種の実感・経験談は、ぼくのような粗末な人間でも、少しはその臭いをかいで生きているといいたかったし、そのどっちつかずの人生、すっきりしない人生模様は誰かのせいでもないし、もちろん自らの不始末なんかでもないといいたいのです。人はどんな「死に方」をするか、まるで死を選べるような雰囲気がありますが、それがどんな最期であっても、やはり「寿命」というものだという錯覚だか確信だか、そんなものがぼくにはありそうなんですね。どうなるか、わかりませんが。人によっては「天寿」「天命」を全(まっと)うするというおめでたい最期が準備されてもいるようです。寿命も天寿も、本人には知られていないかもしれぬが、決められた、予定された「命の長さ」です。

「むしろ、さみしいからこそ生きている、生きていられるのである」(山頭火)、これこそ種田氏の「真言」だったのではないでしょうか。
(ぼくは、ひそかに漱石と山頭火の「接点」を探しています。一つは見つかりました、重篤な「神経衰弱」です。さらに一つは「松山」「子規」でした。もっと重要な接点は、駄文といえども、まだ「書く段階」ではありません)
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