代かくやふり返りつゝ子もち馬(一茶)

 寒い朝を迎えました。寒暖の差が大きく、体調も天候の目まぐるしい変化に慌てているような様子が、我ながらわかります。このところ、時々、陽光のさしている時間を狙って、少しばかり歩いています。すっかり桜が終わったかと思っていたら、まだ、山桜の遅咲きが今を盛りに麗しい姿を見せている。拙宅の横の竹林にも、樹齢がかなり高い、一本の大きな山桜が満開の花びらを風や雨に散らしています。本日の雨天で、花は終わりになるのでしょう。周りの田んぼは田植えの準備に余念がありません。代掻きも苗代づくりも田植えも、今ではすべて大型の機械で実にあっさり、たった一人でやっているのを見かけます。いい時代になったのかどうか。ぼくの幼年時代(まるで井上陽水のよう)、まだまだ「田植え」は一年のうちでもっとも大事な、しかも晴れやかな作業(行事)として取り行われていました。結(ゆい)とか巻(まき)催合(もやい)とか、その他地域によっていろいろな呼び名がついていましたが、いわゆる「集合の力」が、この際に発揮されたのでした。村を挙げて、総出で「田植え」をする、そんな印象がまだ、ぼくの記憶には残っているのです。

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◎ 結(ゆい)=語源的には結う、結ぶ、結合、共同などを意味し、地域社会内の家相互間で行われる対等的労力交換、相互扶助をいう。地方によってはイイ、ユイッコ、エエなどとよばれ、また中国・四国地方のように手間換(てまがえ)、手間借(てまがり)と称する所もある。結は催合(もやい)とともにわが国の伝統的な共同労働制度の一つであるが、催合の慣行がかつて漁村で盛んで現在は衰退しつつあるのに対し、結は農山村で盛んで、現在も田植、稲刈りなどさまざまな機会に行われている。結における労力交換では、多くの場合、働き手として出動する個人の労働力の強弱はあまり問題とはされないが、一人前の人間が1日提供してくれた労力に対しては、かならず1日の労働で返済することが基本で、金銭や物で相殺することを許さない点に特徴がある。結は農耕作業で行われることが多く、起源もそこにあると考えられるが、実際の機会はそれにとどまらず、屋根の葺替(ふきか)え作業における茅(かや)の切出しや縄ないなどでもよく行われた。/ そのほか奇抜なものとして、秋田県では共同で按摩(あんま)の練習をすることを結按摩とよんでいたし、結で髪を結い合うなどの例もあり、結の意味が共同という範囲にまで拡大して解釈されることが少なくなかった。(ニッポニカ)

◎ 代掻き(しろかき)=に水を入れた状態で、土の塊を細かく砕く作業。田面に散布した肥料を混和するとともに、表面の土を柔らかくして田面を均平にし、また水田漏水を抑える効果がある。田面が凸凹だと、田植がしにくく、また、田植後に水を入れたとき、稲株が沈んだり、水が届かなかったりするので、これを防ぐために田面を均平にする作業はきわめて重要である。従来の人力あるいは畜力を用いた時代は田を荒起こししたのち水を入れ、数日置きに数回櫛型(くしがた)馬鍬(まぐわ)などを用いて代掻き作業を行って、それぞれ荒代(あらしろ)、中代(なかしろ)、植代(うえしろ)とよんだ。現在は一般に、ロータリーティラーなど耕うん用機械で耕し、水を入れてからロータリーティラー、カゴ型ローターなどで代掻きを行う。(ニッポニカ)

 唱歌「田植」も、しばしば歌っていました。その歌詞は、今から考えれば、いかにも「瑞穂の国」然としていたことを、驚きをもって、しかも懐かしくも思い出しているのです。昭和十七年といいますから、戦争のさなかだった。作詞の井上氏は島根出身の文部官僚で、長く図書監修官(教科書検定にかかわる)をつとめ「サイタサイタ」読本の生みの親でもありました。相馬盆歌に通じる「稲作賛歌」を色濃く感じさせます。「御国」「小金の花」など、ぼくは何も知らないで口ずさんでいたのでした。教室は「苗床」であるといったのは、芦田恵之助という大先輩でした。(この雑文山のどこか、裾野にあたるところに書いています)

『田植』
そろた 出そろた
さなえが そろた
植えよう 植えましょ
み国のために
米はたからだ たからの草を
植えりゃ こがねの花が咲く

そろた 出そろた
植え手も そろた
植えよう 植えましょ
み国のために
ことしゃほう年 穂(ほ)に穂が咲いて
みちの小草(こぐさ)も 米がなる
(文部省唱歌『田植(たうえ)』昭和17年。作詞:井上赳、作曲:中山晋平)

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 ある時期、農家の跡取り問題が心配され、その後、それは「三ちゃん(じいちゃん・ばあちゃん・かあちゃん)農業」といわれるような、農業自体の行く末が案じられる時代を迎えました。ぼくが生まれ育った、能登半島の中ほどの村では本家と分家、あるいは新宅などという普通名詞で、その家主を表していたことを今も覚えています。長子相続という長い間続けられてきた農業の世界の劇的変化は、何時起こったか。人によって解釈や意見は異なるでしょうが、ぼくが最も面白いと思ったのは、歴史学者の網野義彦さんの「列島は戦後になって、弥生時代が終わったのだ(弥生時代は戦争に負けるまで続いていた)」という大胆な仮説(?)でした。その真偽はともかく、この社会が世界の一員として「やり直す」という覚悟(だったと思う)を決めた直後には、もう新たな産業時代に突入していったのでしょう。

 世界という「町内会」に加盟して仲良くやっていくという宣言は、やがてコメ中心の農業の姿が変化することを指し示していたともいえます。その行き着く先が、米離れと農作業の機械化と、農業人口の劇的減少時代の到来でした。しかし、さまざまな施策の導入、個々の農家の工夫と創意による「個性的農業」とでもいうような、それぞれの得意分野を限定した農業経営の展開が各地でみられるようになりました。その半面で、食生活の変化というか、米食中心から多彩な食糧需要の傾向が濃厚になったのでした。大きなテーマではありますが、ここではそれには触れません。大きな町内化に加入したのですから、互いに交流するため「付き合い方」があるのは当然、ある時期まではいろいろと迷いもあったが、そのうち、その町内会のボス(戦争に負けた相手国)の子分というか、腰巾着になることで、徐々に「世界一家」という町内会でも羽振りを利かすようになっていきました。近年では、ボス自体が、このところ急激に地盤沈下というのか、すっかり昔日の面影を失い(それは一面ではいいこと)、親分が後期高齢者でもあり、それはいけないのではありませんが、とにかく、この町内全体を広くかつ遠くまで見通す「展望」が持てないままで、老衰していくような状況が見えます。

 と、ここまでの世迷言は「田植え間近」の景観を眺めながら、今年はやたらに「休耕田」が多いという気がしてきて、それはどうしてかとなにかと心配しだしていた結果でもあるのです。このところ、立て続けに猫が通院しています。その付き添いはひたすら僕です。食事の世話も基本は当方で、まるで僕は家にいる猫の「ヘルパー」か、それ以下の扱いを受けているので、いささか、行く末を儚(はかな)んでみた次第、というのは嘘。今のところ、確たることは言えず、ぼくの印象だけで、「休耕田の増大」をいうのです。しかし、コメが生産方のようだと、毎年のようにささやかれ、それを家畜米などと称して処分しているというのも、この先の心配のためなんです。こういう本人が、おそらく何日も米の飯」を食わないで生きているのですから、世話がないのでしょうが、それだけコメ中心の生産と消費のが変化してきた、明らかな証拠もなどでもあるでしょう。

 そしていま、この大変な時期に、町内会にいながら、隣国を踏みにじって、なお「恬として恥じない」という国家が暴れだし、その勢いに多くは反対するかと思いきや、意外に多くの国が「乱暴狼藉」を称賛しさえしているのは、いかにもこの「老衰大国」のこれまでの所業を快く思っていなかった「胸の内」の顕在化であろうと愚考するのです。そんな「老衰大国」にコバンザメよろしく付着しいるだけでていいのかどうか、コバンザメの一部・一片たる「ぼく」は杞憂しているす。

 この島では、久しく「コメ余り」現象である、あるいは「フードロス」の防止などと、食材にまつわるいろいろな課題が現れてきました。健康にいい接触、食の安全なども大きな話題となってきています。そのいずれもが、なかなか一筋縄ではいかない問題の深さを持っています。「食の無駄・浪費」が云々されている一方で、貧困や、最低限の食の確保が追及されるべき問題ともなっているのです。大半が貧しかった時代から、ほとんどが満腹であるにもかかわらず、少数が空腹を訴えているという事態を、ぼくたちはどう見たらいいのか。これは一国内における問題の所在ですが、世界大でも同じような現象が認められてきました。食糧危機は、食料の不足だけではなく、必要以上に栄養過多の地域や人々がいるという、二律背反のような問題でもあるのです。

HHHHH

 朝一番(九時)に猫を連れて病院へ。レントゲンを撮って、抗生物質の注射を打って、七日分の抗炎症剤などを処方してもらい、金一万二千円也。数日前にも、金城の猫だと思われますが、喧嘩でかまれた傷口の化膿のために消毒と抗炎症剤処方。同じような金員がかかりました。(喧嘩両成敗とはいかないんですね)この後には、避妊組と去勢組、さらに「年一回のワクチン」、それが一回につき六千円だったか。七人いますから、えーと、いくらかわかりませんが、とにかく「金が出ていく、レシートは残る、残るレシート何になろ」と愚痴歌を歌いたい気分です。この行いは、けっして「み国のために」ではないのですよ。猫と付き合っていても、黄金の花が咲かないんだな。本日は終日雨のよう。

OOO

 雨の日にはいい顔を!そして、若い人たちの楽しそうな演奏を!❣(Flashmob Concentración Músicos de Cuerda “Málaga por la Música”)(https://www.youtube.com/watch?v=U4ApptU7dyE

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。