その時、心、さらにこたふる事なし

 抑(そもそも)、一期の月かげ傾(かたぶ)きて、余算の山の端(は)に近し。たちまちに、三途の闇に向はんとす。なにのわざをかかこたむとする。仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、閑寂(かんせき)に著(ぢゃく)するも、さばかりなるべし。いかが、要なき楽しみを述べて、あたら、時を過ぐさむ。

 静かなる暁、このことわりを思ひつづけて、みづから、心に問ひていはく、世をのがれて、山林にまじはるは、心を修めて道を行はむとなり。しかるを、汝、すがたは聖人(ひじり)にて、心は濁りに染(し)めり、住みかはすなはち、浄明居士(じょうみょうこじ)の跡をけがせりといへども、たもつところはわづかに周利槃特(しゅりはんどく)が行だにおよばず。もし、これ貧賤の報(むくい)のみづから悩ますか、はたまた、妄心のいたりて狂せるか。その時、心、さらにこたふる事なし。ただかたはらに、舌根をやとひて、不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ。

 于時(ときに)建暦の二年(ふたとせ)、弥生のつごもりごろ、桑門の蓮胤(れんいん)、外山の庵にして、これをしるす。(「方丈記」参考文献は既出)

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 「方丈記」の最後の部分です。「建暦二年」は一二一二年、「方丈記」が完成した年。同年には、法然も亡くなっていますが、はたして長明は、それを知っていたかどうか。その四年後に長明は亡くなります。六十二歳でした。

 この一文をここに引用した深い意味はありません。その長明さんですら、「要なき楽しみを述べて、あたら、時を過ぐさむ」つまらないことを述べて無駄にする時間があるのか、そもそも、山林に入り、草庵を開いたのは修行のためではなかったか。今のお前は「姿は聖人でも、心は濁りに染まっているではないか」という彼の「自己領解」は、およそ仏教徒の道からはるかに離れていたのです。周利槃特(釈迦の弟子の一人で「生来愚鈍で愚路とよばれたが、のちに大悟したという)(デジタル大辞泉)にすら及ばないとは、出生や生活の貧しさ賤しさの報いか、あるいは妄信が身を狂わせたのか。「その時、心、さらにこたふる事なし」長明は、自問して、自答することがなかった。辛うじて、「南無阿弥陀仏」を三度ばかり唱えて、後は何もしなかった・できなかった。

 まさしく、「一巻の終わり」です。長明さんなのだから、もっと悟りを開いていただろうとか、もう少し修行者らしい一面を見せてくれてもよかったではないか、世の多くの人々はそう考えたかもしれません。しかし、長明は「舌根をやとひて(ちょっと舌を動かして)、不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ」気が進まないながらも、念仏を三度唱えただけでした。生に(を)悟る、死に(を)悟るといいますが、その多くは「言ってみるだけ」ではないでしょうか。生死を超越していた、などといわれる人が時にはいましたが、それはどういうことでしたか。

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 ぼくは「宗教」とはおよそ縁遠い生き方をしてきました。宗教問題に関するいくらかの読書体験はありますが、自らが「修行」するなどということはただの一度だってしたことがないし、「教理」に深くひかれたことはまったくありません。日本流の仏教(既成仏教)の「虚飾」「形骸化」にはむしろうんざりしていたところがありました。もちろん、ぼくの知らないところで、「大悟」を開いた人はいたでしょう。しかし、そもそも、「人生とは何ぞや」などという答えのなさそうな疑問や難問は、ぼくには生まれてこの方、ただの一度だって生じたことがないのです。これをして「罰当たり」といわれるのか、あるいは「恩知らず」「縁なき衆生」と謗(そし)られるのでしょうか。これはキリスト教も同じでしょうが、信者になり、信仰を持つことで「救われる」ものは何でしょうか。このような問題に関しては少し前にユダヤ教の「ラビ(教師)」だった人の話に触れたことがあります(H.S.クシュナー「なぜ私だけが苦しむのか」岩波現代文庫)。「深く神を信じている」にもかかわらず、どうして不幸があの人に、あるいはこの私に起こるのか、それに対して教会やそこにいる神父たちは答えられないと思うのです。いや、正確に言えば、なんとでもいえるというだけの話でしょう。仏教徒であり、キリスト教徒であるということで「安心」が得られることはあるでしょう、それもつかの間ですが。

 神を信じている人にも信じていない人にも「災害」は起こる。戦争の犠牲者になるのは、信仰が足りなかったからだといえる牧師はいるのでしょうか。仏教でも同じことが言われてきました。日中戦争や日米戦争で「鬼畜米英」と、憎き敵を殲滅すべく「旗を振った」のは本願寺であり、高野山であったし、その他も残らずに参戦したのです。個人において「戦争の非なること」を身をもって訴えた信仰者はいました。でも信心に関係なく、そのような「人間の正しさ」を求めた人はいつでもどこにでもいるのです。信仰というのは「姿勢を正す」ということ、それだけではないにしても、そこから離れては成り立たないのではないでしょうか。名もない神や仏はいるのでしょう。「信仰を持たない」というのは「啓示」を与える神や仏に依存していないということであって、少なくとも「自らを超えた、ある何か」に対して、ぼくたちは拝むのであり、祈るのでしょう。

 「なぜ,こんな不幸が私の家族に?」「神の前に正しい生き方をしてきたのに」「阿弥陀さんに願いは通じなかったのはどうしてか?」とぼくたちは言いたくなります。しかし、それに対して神や仏は答えられないのです。その解答は自分で見つけるしかないのです。その発見に至る道を、「神」や「仏」がともに歩いてくれるだけです。(そのように考える・信じるのは自分心です)その人といっしょに歩く人を、ぼくたちは「神」といい「仏」というのでしょう。でも、まったく別の名で呼んだってかまわない。現にウクライナの地で「無辜(むこ)の民」が「虐殺」されています。その惨状に対してローマ教皇は「お願いだから、もうやめてください」というしかなかったのです。

 宗教に関して、言わなければならぬことは多くありますが、ここで言いたかったのは、信仰を持つとか持たないことが、人生にどれだけの有効性をもたらすか、それは人それぞれで、何とも言えないのです。信仰を持つことで、自らの生活を律する人もいるでしょうし、そうでないからでたらめの生活に明け暮れたということもできないのです。答えに窮する難問は、生きているさなかにいくらでも起こるでしょう。その難問を超えるには「信仰」の力による人もあれば、それ以外の何かによる人もいるのです。「神も仏もあるものか」といいたくなる時、それは神や仏に「助けてくれるのは当然ではないか」という「信仰」による迷い(依存心)ではないでしょうか、信仰心が足りるとか足りないの問題ではなく、生きる姿勢や態度にこそ、ぼくたちは足場を築くべきだと思うのです。それを教えてくれていると、ぼくが愚考したのが「方丈記」の最後の一文だったのです。

 「汝、すがたは聖人(ひじり)にて、心は濁りに染(し)めり」「もし、これ貧賤の報(むくい)のみづから悩ますか、はたまた、妄心のいたりて狂せるか。その時、心、さらにこたふる事なし」「不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ」このように答えるしかできなかった長明さんを、ぼくは、この上なく好んできました。悩みをそのままに、自らに隠さなかったという意味で。

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 ロイター通信によると、教皇はロシアの侵攻を巡り、「残酷で無意味な戦争に巻き込まれ、暴力と破壊によって痛めつけられたウクライナに平和が訪れるように」と訴えた。/また「あまりにも多くの流血と暴力を見てきた」と述べ、名指しを避けつつも、ロシアを批判した。ウクライナからの難民を受け入れている隣国ポーランドなどの人々に謝意を表明し、早期に戦争が終結し、平和がもたらされることに期待を示した。(以下略)(読売新聞・2022/04/18)

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 このところ、ずっと<sound of silence>に惹かれている。「沈黙の音」「静寂の声」とは何でしょうか。轟音が響き渡り、烈風が吹きすさぶ地獄さながらの境地に、しかし「沈黙の音」「静寂の声」が、きっとぼくたちにまで届いているような気がしてならないのです。             “The words of the prophets are Written on the subway walls And tenement halls And whispered in the sound of silence.”(https://www.youtube.com/watch?v=NAEppFUWLfc)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。