不倶戴天の「敵」だよ「報道機関」は

【小社会】ろうそくの炎 もうかれこれ20年前のことだ。取材旅行で地方紙の仲間と北欧デンマークの首都・コペンハーゲンに着いた。夕食まで時間があり、一人でホテルを出て、夜の市街地に散歩に出た。◇市庁舎前の広場に来ると、急に前が開け、そこに圧倒されるような、だが美しい光景が広がっていた。数え切れないほどの市民が、大きなろうそくを持って集まっている。揺れる炎の海は、夜遅くまで増え続けた。◇この前夜、米英軍が米中枢同時テロへの報復としてアフガニスタンを空爆した。集会はそのことに抗議するためだ。プラカードの「War is Terror(戦争はテロだ)」の文字が、目に焼き付いている。本当にそうだと思う。◇日本の陸上自衛隊が2年前に記者向け勉強会で配布した資料に、「新たな戦いの様相」として「反戦デモ」が例示されていることが、先日報じられた。「暴徒化したデモ」と修正したが、陸自の反戦デモを敵視する認識が透けて見えるようだ。われわれ報道もそうした「グレーゾーン」の中にいることにもぞっとする。◇ウクライナ情勢一つ取ってみても、戦争がテロであることは疑いようがない。各地で頻発するテロも、同じように罪なき市民の命を奪う。◇20年前大きな声も張り上げない静寂の中で見つめた炎の海は、人々の寛容の心を信じる祈りだった。理不尽な暴風に吹き消されることのないよう。こちらも信じ、祈っている。(高知新聞・2022.04.16 08:00)(ヘッダーは産経フォト:2016/02/09)

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 新たな戦いに「反戦デモ」を例示 陸自、不適切と指摘受け修正 陸上自衛隊が2020年2月に実施した記者向け勉強会で配布した資料に、「予想される新たな戦いの様相」として、テロやサイバー攻撃と共に「反戦デモ」を例示していたことが分かった。記者から不適切だとの指摘を受け回収し修正。資料は公文書管理法に基づく行政文書だが、保存期間を経過する前に誤って廃棄していたことも判明した。防衛省が30日の衆院外務委員会で、共産党の穀田恵二氏の質問に明らかにした。/ 資料は陸自の今後の取り組みを紹介するもので、陸上幕僚監部が作成。反戦デモやテロが、武力攻撃に至らない手段で自らの主張を相手に強要する「グレーゾーン」事態に当たるとしていた。(共同通信・2022/03/30)

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 もう数十年も前のことです。国会で「三矢(みつや)事件」というものが起こり、大問題になったことがありました。一旦緩急あらば、自衛隊はそれにいかに対処するか、仮想敵を想定し、様々な状況を仮定して、それぞれに自衛隊の配置から武力行使の実施までを計画したものでした。昭和三十八年でしたから、ぼくはまだ政治に何の興味も関心もない「蛹(さなぎ)のような時期」であったが、当時の社会党代議士・岡田春夫氏の国会での追及(質問)だけはよく覚えています。ちなみに「三矢(みつや)」とは昭和三十八年と、毛利元就の故事に言われる「三本の矢」に由来するとされます。自衛隊が「一致団」して、結集するということだったでしょうか。何が問題だったのか。とんでもない「戦争」状況を想定しているのは許されざる行為であるということだったでしょう。

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● 三矢研究(みつやけんきゅう)=正式には昭和38年度統合防衛図上研究といい、同年2月から6月末にわたって行われた自衛隊の大規模な図上演習。研究は、統合幕僚会議事務局長を統裁官として、当時新たに確定されたアメリカ新戦略のもとで、朝鮮半島に武力紛争が生起した場合を例題に「自衛隊としてとるべき措置」「とらるべき国家施策の骨子」を検討するために実施された。制服からは「集めうる最高のスタッフ」が参加、当時の防衛庁内局、在日米軍司令部からも少人数が参加した。場所は主として市ヶ谷が使われたが、秘密保持は厳重を極め、参加者全員が腕章をつけ、他の者の立ち入りは禁止された。研究終了後二つの作業が行われた。一つは、実際の作戦計画づくりで、米軍と別途作業に入り作成された。「フライング・ドラゴン」「ブルーラン」というニックネームでよばれた日米共同作戦計画(秘密区分「機密」)がそれである。もう一つは「今後における防衛及び警備の年度計画の整備並びに有事における諸施策の遂行に資することを目的」とした文書づくりで、研究中作成された資料は5分冊1419ページの文書(秘密区分「極秘」)にまとめられた。この一部が1965年(昭和40)に衆議院議員岡田春夫(1914―1991)らによって暴露され国民を驚かした。それはごく一部とはいえ、目下進行中の日米共同作戦をめぐる作戦・指揮・情報・後方支援や、総動員、有事立法などの諸問題を検討するうえで貴重な資料や手掛りを提供している。(ニッポニカ)

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 しかし、自衛隊(という名称の「軍隊」)であるからには、国防(専守防衛 ⇒ どこまでが「専守」で、どこからが「攻撃」かはあいまい極まるもので、防衛の土俵なるものがあって、その外に出てはいけないというわけにもいくまい)の任に当たるわけで、あらゆる事態を「想定」しておくのは当たり前のことではないか。あるいは「自衛隊では、今こんな事態を想定して、朝鮮半島有事に対処すべく、アメリカと共同でさまざまなシミュレーションを実施している」と言われて、そんなことを一切していないことのほうが、自「専守防衛」の役割放棄になるでしょう。自衛隊(に限らず)が「有事想定」をするのは当然であり、それを「秘密裏に、恐ろしい想定をしてるのは許せない。すべてを国民に明らかにしてすべきである」とでもいうのかしら。

 「反戦デモ」も「報道」も、国防の観点からは「テロ行為」と同等とみなしていたのが、明らかになったから、それは「怪しからん」というだけのこと。隠されていては、いったい何をしているか知れたものではないというべきでしょう。ぼくは「自衛隊」とはいえ、軍隊を持つのは賛成できないが、ロシアのようなとんでもない規則違反・国際法逸脱を「朝飯前」のように行う国があれば、それに備えるのは致し方ないというより、当たり前です。一軒の家が戸締りや防犯カメラを備えるようなものとは意味が違うかどうか、ぼくには断じがたいのです。現実に「無法国家」があるのですから、戸締りの備えは不可欠。それ以上は、この小さな国では手に余る。だから「日米安保」というのでしょうけれど、アメリカは自らの国益に資する限りで「日米共同行動」をとるでしょうが、利害がなければ、まず「安保条約」を守るとは思われません。いつのことか、「国際軍」というのか「国連軍」というのか、世界政府が樹立された暁には、必ず必要になる軍事力というものは想定されます。(この「世界政府」の問題や構想などに関しては、別の機会に丁寧に考えてみたい)(上の写真は「ロシア・モスクワ中心部で、拘束されるウクライナ侵攻に抗議するデモの参加者(2022年3月13日撮影)。(c)AFP)

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 本日の「小社会」のコラム氏の反応は、おそらく今日、この島の新聞報道関係者の大方の反応であるとみていい。「われわれ報道もそうした『グレーゾーン』の中にいることにもぞっとする」と言っておられますが、大変な心得違いだといわねばなりません。自衛隊(権力側)にお気に入りの新聞や報道機関というのは、ぼくたちにとっては不要です。なぜなら、自衛隊(防衛省)は自らの広報宣伝機関を持っているからです。おしなべて、今日のマスコミ報道機関が「歯のないうさぎ」みたいになって、ひたすら権力の「ペット」よろしく、つまらぬ「ピン芸」をして餌をもらっている図は、いかにも報道機関の頽廃(墓所)です。現在のテレビは、報道機関ではありませんから、お笑い芸人が入れ代わり立ち代わりしてもなんということはないのですが、そんなテレビに存在意義があるかとなれば、一言のもとに「なし」となるでしょう。「言わねばならぬことをいう義務」を追っているのが報道機関であり、それゆえに「権力に嫌われる」し、そのためにこそ報道機関は社会的認知を受けているのだということを理解していない記者が、おそらくほとんどではないでしょうか。それは国家にとっても人民にとっても「百害あって一利なし」ですね、遺憾ながら。

 数日前に亡くなられたと報じられていた原田宏二さんについて、思い出すことがあります。原田さんは、北海道警の№2の職責を任じられていた方でした。道警を退職後、北海道警の「裏金問題」を告白され、自身も加わっていたから、その内情告発は大変な反響を呼び、道警はいろいろと秘策を練ったそうです。(右の写真 ➡(2021・02・15 東洋経済オンライン)

 ある時期、彼と二人で夜遅く人気のあまりない地下鉄のホームを歩いていると、「気を付けてくださいよ、電車が来る寸前に線路に突き落とされるかもしれないから」と言われた。だから「自分はいつも、身辺を注意深く見守るのです」と、権力の側にいた人間だからこそ、権力側は「許しておけなかった存在」ということです。いっしょに歩いていると、「君も巻き添えを食うよ」という注意でした。原田さんとばかりではなく、ぼくは在職中に、いろいろな機会に「人権問題」に関する授業や講演会を開いてきました。その際には、何度も「普段見かけない顔」が会場にいたことを知らされ、「その筋だ」ということを教えられたのでした。ぼくは何の力もない素浪人でしたから、無事ここまで生きてきました。しかし、戦後に限っても、「権力の側に不都合・不利益」な報道に身命をかけた新聞人やジャーナリストは数えられないほどいたことでしょう。その中の何人もが、解雇されたり、裁判にかけられたり、人生の大事な時期を拘束されるような時間を送ったのでした。(機会があれば、そんな人(記者)たちについて書いてみたいですね)

 いずれの国家権力においても「治安維持」というのは金科玉条であり、錦の御旗です。穏やかであろうが過激であろうが、デモンストレーション(示威行為)に寛容な国家権力はまずありません。それはデンマークであろうと、スイスであろうと変わりはないといえます。ぼくはこれまでに何度も「デモ」に参加したし、ひとり「デモ」もしたので、その辺の事情はわかるのです。軽トラに「おみこし」を載せて行列するのとわけが違うのです。第一、権力の側は、人民を信用していないというか、疑ってかかるのです、それは商売だから、仕方がないのでしょう。その権力の「お気に入り」であるとは、どういうことでしょう。報道に従事している記者が「権力」に気に入られないというのは、間違いを見逃さない権力監視の役割を担っていると権力側が認めていればこそです。「われわれ報道もそうした『グレーゾーン』の中にいることにもぞっとする」と、寝言は寝てからにしてほしいと、ぼくは言いたいね。検察のトッポと「賭けマージャン」をしたり、政権中枢と「会食」して、それを「金星」のごとく、見せびらかしている報道機関のトップどもが横並びで、恥ずかしげもなく、ふんぞり返っています。(午後にでも、この記者さんに電話して聞いてみたい。「夢の中でコラムを書いたのですか」って)

 権力にとって、言わねばならぬことを言い続ける報道は、看過できない「不倶戴天の敵」であって、仲間じゃないぞ。だから「新聞(報道)のない政府を権力は願う」のさ。劣島の近況は、それにかなり近づいている。ぼくはどちらかというなら、政府のない新聞(報道)を取りたいですな。この島は、気が付けば、報道(新聞)のない政府(権力)に大きく入り込んでいます。その際の「報道」は御用新聞であり、政府広報という看板をつけています。看板を複数枚あるのであって、表向きを外せば「本看板」が現れてきます。報道は「第四の権力」であるというのは「三権(司法・立法・行政)」を批判する力(「言論の自由」を行使する勇気)を有しているからです。「ペンは剣より強し」だ。

 (二月二十四日以来、ほとんどの駄文は「穏やかではない、反戦一色」になっています。「プーチンの戦争」が終息(収束)するまで、この問題に触れ続けるといいましたが、それは勢いでも、場当たりの言でもなく、「人命を蹴散らす」ことが許せないと思えばこそでした。ロシアは悪で、ウクライナは善というのではありません。「侵略」そのものが認められないし、侵略の理由が嘘八百(ロシア系住民が虐殺されているから、それを防ぐための攻撃だと「P」は言った)だったということも、世界中の人民(もちろんロシアの民衆も入ります)を愚弄したことになっている、そのことをぼくは放置できなかったからです。「お前さんがなにを言っても無意味」、そんなことにはいっさい構わずに、「言わなければならないこと(と、ぼくが判断した事柄)」を小声で叫ぶ、「ミミズの戯言(たわごと)」であったって、まったく構わない。「だから「戯言」は、まだ続きそう)

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