<あのころ>日ソ中立条約調>

モスクワで松岡外相(上写真】 1941(昭和16)年4月13日、モスクワで日ソ中立条約に調印する松岡洋右外相。右端にはスターリン書記長。南進を図り背後の脅威を除きたい日本と、ドイツに備えるソ連の利害が一致し、お互い相手の戦争に中立を守ると規定した。しかし、第2次世界大戦末期の45年8月8日、ソ連は対日宣戦を布告し条約を破棄。(共同通信・2022/4/13)
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「人間は約束しうる動物である」といったのはニーチェだったと思います。若いころには、こんな言い草でも、おそらく哲学的な深みのある表現として、おそらく後生大事に記憶していたのだろうと思います。ニーチェに限らず、大したこともない事柄を針小棒大に言い募ることが、あるいはわかりにくく表現することが「哲学」の代名詞だったように見えてくるのですから、どうかしていたんですね。確かに犬や猫は「約束」はしないでしょう。だから「約束する」のは人間の特質だといっても、空約束はお手の物だったりする人もいますから、そんな手合いなど、犬や猫にも劣るとも言えます。「針千本飲ま」しても平気なんですから。約束は「守るかどうか」が問われるのです。持った大事には「自分に(と)約束する」ことですね。

個人同士でも「約束」を「する」と「果たす」に大きなギャップがあることは、いつでも認められます。どんな約束でも必ず守るというのは、たぶん、とても稀なことなのもかもしれません。「国と国」同士ではどうでしょう。これも、個人間における場合と似たり寄ったりで、信用できたりできなかったりするのです。物を買うとか売るという程度のことならともかく、「戦争」に関して二国間で「約束」をして、それを互いが守ると、国家代表がサインし、条約・協定は発効します。それは「破棄されるまで」は、順調に遵守されているんです。このような事例は歴史を覗いてみるときりがありません。今回のウクライナ侵略にかかわらせて、旧ソ連(現ロシア)の結んだ「条約」に限ってみると、一つは「日ソ中立条約」(1941年)があり、もう一つは「独ソ不可侵条約」(1939年)です。そのどちらも、ソ連は白昼堂々と「条約破り」を敢行しました。条約破棄は、ロシアの昔からの「しきたり」「伝統」、つまりは「お家芸」であるともいえます。困ったものですよ。
日ソ中立条約の内容は、以下の「解説」にある通り。しかし同条約は一方的な破棄通告がなされ、ソ連は第二次世界戦争にぎりぎりで駆け込み参戦し、今に至る「領土問題」の基礎を築くことになりました。第二次世界大戦中のことでしたから、この「条約」は、両国とも「自国の利益」という一点でのみ結ばれたものでしたが、利害得失のバランスが崩れれば、条約は弊履のごとく捨てられるのです。初めから支払いの気持ちなど持たないのに、「約束手形」を結び、それが明らかに「空手形」であったと、「臍を噛む」のは、より大きな利益を、身の程もわきまえずに狙う輩であるといってもいいでしょう。日本の場合、後悔は先に立たずで、ソ連と手を結ぶこと自体が奇怪であったのです。

日ソ条約の扱われ方もどうしようもないものでしたが、それに輪をかけていたのは(時間的には、こちらのほうが先でしたが)独ソ不可侵条約です。前後関係から言えば、独ソ戦は避けられないとみていたスターリンは、形式的には「独ソ不可侵条約」を結んだうえで、ドイツとの不可避の戦争に専念できるように日本をコケにしたという体でした。この「不可侵条約」でヒットラーとスターリンは、他国の「分割」「割譲」(手前勝手な「山分け」)を図っていたのですから、実に「火事場泥棒」というほかありません。その際には、ポーランドやフィンランド、バルト三国などをソ連領土と目論んでいたのです。
今回、フィンランドとスェーデンがNATOに加盟する方向で動いていることも、このような「略奪」「侵略」の前科者が闊歩しているのを見れば当然であるというべきでしょう。核攻撃を武器にして、加盟阻止へ圧力をかけているのが「P」です。お里が知れるとはこのこと。ぼくは落語の「らくだ」という話を、これまでどれくらい聞いたか。おそらく百回では足りないでしょう。いろいろな噺家で聞きましたが、やはり志ん生でしょうね。そして、元気な時代の松鶴さん。図体がでかく、のそのそしているが、やることが乱暴だという、人呼んで「らくだ」、通称うまさん。話の内容については触れません。とにかく手に負えないならず者が町内に越してきて、家賃は払わない八百屋・魚屋などの品物も好きなだけ持っていくのに、料金は一銭だって払わない。こんな「悪」がいるものだと感心するほどの「無法者」がいるものです。きっと江戸の長屋にも、この手の「やくざ」はいくらもいたし、その始末に困っていた庶民は、落語の中とは言え「らくだを殺し」(死因は「フグに中(あた)ったとされる)、積年のうっ憤を晴らしたのではないでしょうか。果たして今日のラクダは「ロシア」でしょうか。

「らくだがくたばった」と、赤飯でも炊いて祝おうじゃないかという大家をはじめとする長屋の住人。そこに、ラクダの兄貴分、人呼んで「くまさん」がやってきて、ラクダ以上にでたらめの限りを尽くし始める。この悪友に取っ捕まるのが「くずやさん(きゅさん)」。商売に出かけた途端に、らくだの家の前に来ると呼び止められ、くまさんから無理難題を背負わされ、仕事に行けずしまいになるのです。町内から「香典(不祝儀)」を集めろ、お通夜のための「料理」を大家からもらって来い、死体を焼き場に運ぶのに樽がいるから、八百屋の「菜づけの樽」を借りてこいなどと言いつけるなど、さっぱりでしたが、その用事を済ませて、さて商売に戻ろうとすると、大家からお通夜の品が届き、その中でお酒があったので、くまさんは、屑屋さんに、「まあ、一杯」と盃を突き付けるが、仕事があるのでと、申し出を断る。「清めの酒だから」と、勧める。ところがきゅうさんは、仕事があるのでと断る。ついに、うまさんは怒り出す。…結局、このくず屋さんの働きで、らくだの通夜も済ませて一段落。(もとは上方のネタでした。最も得意としていた近代の噺家は、六代目、笑福亭松鶴さん(右上)。鶴瓶さんの師匠でした)(「松鶴「らくだ」:https://www.youtube.com/watch?v=u4nvboV1cPQ)
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悪い冗談ですが、「ラクダ」の登場人物をたどると、「らくだ」は手におえない乱暴で無法者の「ロシア」で即決ですが、悪友の「くまさん」は中国、いやベラルーシか。そして問題のくず屋のきゅうさんですが、適当な存在が見当たらないのが実際で、今日の暴力の拡大進行も、ここに原因がありそうです。一パイ酒が入ると、らくだの兄貴分も腰を抜かすほどの「啖呵」を切り、相手(ならず者)をへこませてしまう存在です。あるいは「インド」あたりが、とも言いたくなりますが、なかなかそうでもなさそう。思いもつかない人物や国が「きゅうさん」にならないとも限りません。八方手を尽くしてもいなければ、もう世界中の人や国が「(酒癖の悪い)くず屋のきゅうさん」になるほかないでしょうね。昔からよく言いましたね、「酒中に真あり」と。大好きなモットーでしたよ。
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● 日ソ中立条約(にっソちゅうりつじょうやく)Japan-USSR Neutrality Pact=日本とソ連が 1941年4月 13日松岡洋右外相とスターリン首相の間で調印,締結した条約。4ヵ条から成り,両国間で平和友好関係を維持し,相互の領土保全,不可侵を尊重すること (1条) ,締約国の一方が第三国によって軍事行動の対象とされた場合には,他方はその紛争の全期間,中立を守ること (2条) ,有効期間は5年,期間満了の1年前に予告をもって廃棄通告しうること (3条) などを規定している。本条約は,日本にとっては北方からの軍事的脅威を弱め,南進に力を注ぐことができ,ソ連にとっては対独戦にのみ集中することができる効果をもった。その後ソ連は 45年2月のヤルタ会談の「秘密協定」で対日戦参加を決め,同年4月5日に廃棄を通告,日本は延長を希望したが拒否された。ソ連は中立条約の有効期間満了に先立つ8月8日に日本に対し宣戦布告した。(以下略)(ブリタニカ国際大百科事典)

● 独ソ不可侵条約(どくそふかしんじょうやく)Russo-German Nonaggression Pact 英語 Deutsch-sowjetischer Nichtangriffspakt ドイツ語=1939年8月23日モスクワで調印された独ソ間の条約で、秘密付属議定書が付せられる。条約は全文7か条。両国は相互に攻撃せず、両国の一方が第三国から攻撃された場合、他方はこの第三国を援助しない(第1条)、共通の利害に関する問題では協議する(第2条)などを約し、期間は10年(第6条)、調印と同時に発効する(第7条)という内容であった。両国は、秘密付属議定書において、東欧の領土的・政治的再編成の際、ポーランドを分割し、ナレウ、ビスワ、サンの各河川を境界として、フィンランド、エストニア、ラトビア、ベッサラビアをソ連の、リトアニアをドイツの勢力範囲とすることを確認した。だがこの点は、ドイツの攻撃でポーランド国家が崩壊したのち、39年9月28日モスクワで調印された「独ソ境界・友好条約」の秘密補足議定書では若干修正され、リトアニアはソ連の勢力範囲とされるかわりに、ポーランドの分割線はほぼいわゆるカーゾン線に沿って確定された。(ニッポニカ)
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