濡れ手に粟というのは、どういうこと?

【小社会】そうじゃない 昔から政治改革を書く記事によく使う表現というのがある。一つは「お手盛り」。自分の手で好きなように飯を盛る様子が転じ、権力者が自分に都合よく物事を取りはからうことを言う。▲もう一つは「お茶を濁す」。茶道に詳しくない人が茶を濁らせて抹茶に見せかけ、その場をごまかしたのが由来だとか。それに加えて最近はなぜだろう。歌手の鈴木雅之さんがかつて飛ばしたヒット曲の一節〈♪違う違う/そうじゃ/そうじゃない〉が浮かんでくる。▲昨秋の衆院選後、10月は1日だけの在任になった議員に1カ月分の「文書通信交通滞在費」100万円が支払われた問題。世論の批判が高まり、年越しになった協議で与野党が先日、日割り支給に見直す方針で合意した。▲ただ、それだけで改革のお茶を濁すとすれば、世間の反応は「違う違う、そうじゃない」ではあるまいか。日割り支給など一般社会なら当然だろう。使い道の公開や残金返還といった「政治とカネ」の透明化はまとまらぬままだ。▲与野党は文通費の名称を「調査研究広報滞在費」に変えるという。カネを使える範囲を広げ、使い勝手をよくする思惑を疑う目もあるようだ。この辺りも自分に都合がよいように取りはからう「お手盛り」だろうか。▲そういえば、衆院が4月から都心にある議員宿舎の家賃を1割ほど値下げしたと報じられた。庶民が物価高騰に苦しむご時世。これも何か違う、そうじゃない。(高知新聞・2022/04/12)

 国会は「国権の最高機関」というそうです。最高に出鱈目なといえば、角も立つでしょうが、最高うまい商売といったらどうでしょう。議員諸氏から言わせれば、「冗談じゃない、我々は選挙という『洗礼』を受けている」というでしょう。当方こそ(冗談じゃない、これで『選挙』がなければ、どういうことになるのか」といいたい。選挙に金がかかるとか、政治に金がかかるとか言います。それを全否定はできないし、金がかかるのは何も選挙や政治だけに限るまい。こんな「お手盛り」だか、「現場不在(アリバイ)証明」の回避・拒否だか、いずれにしても「都合の悪い金の獲得法」であることに間違いはないでしょう。「必要経費」という費目にいくらでも新規に追加修正すれば、文句があるかというわけです。政治資金規正法という法律が議論された際にも、同じような国会議員の「金の亡者ぶり」が露わになりました。それ以前は、まったく政治と金に関しては「無法地帯」まがいで、要するに税金を材料(餌)にして、いくらでも資金を収奪することが出来たし、「金は権力」と、国会議員のほとんどは、まじめに政治と金に関して「規制」することを望まなかった。 

 「税金」が一人当たりの議員にどれくらい(政治活動の対価として)支払われているのか、気が小さいぼくとしては、計算したくありません。昨年の秋の衆議院選挙後の国会開会当時にも、この「文書通信交通滞在費」に関しては政治家以外から問題指摘され、いかにも「改正」するようなふりをしました結果、ようやくここに来て、その骨子が明かされたという次第です。いささかの「改善」も「改正」もなされていないことは一目瞭然です。現行制度が「出鱈目」すぎるから、少し手を入れた体裁を見せれば、世間は大甘でそれを認めてくれるという、手に負えない(悪質な詐術を弄する)面々だと、ぼくなどは何十年この方あきれ返っているのです。

 「文書通信交通滞在費」から「調査研究広報滞在費」へと看板の塗り替えだけで、「濡れ手で粟」「やらずぶったぐり」の商売内容はいささかの変化もないどころか、もっと手の込んだ「悪乗り」が図られているとも見えます。厚顔に無知とくれば、一切の恥じらいも世間体も目に見えず、身に感じられなくなるのです。

●[解説]「濡れ手で粟をつかむ」ともいいいます。粟をつかむのにわざわざ手を濡らすことは、ふつう考えられませんが、実際にそんなことはしなくても、粟粒が二ミリほどの球形卵形でごく軽いのを実感していると、濡れた手に簡単にたくさん付着するイメージがわいてくるでしょう。簡単に大もうけするたとえですが、そんなうまい話はめったにないので、ふつうは否定的な文脈で使われます。
 粟は、五穀の一つで、古くから山間地などで栽培され、他の穀物不作の年でも収穫できる重要な穀物でした。しかし、今日では、わずかしか栽培されず、日常あまり見かけなくなったため、「濡れ手で泡」と誤解されることも多くなっています。しかし、「泡」と解したのでは、つかんでも何にもならないものなので、比喩的味がわからなくなってしまいます。(ことわざを知る辞典)(上図:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA187NB0Y2A110C2000000/)

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 月100万円「目的外」使用を合法化へ 国会議員文通費で共産除く与野党が合意 専門家「横流しを正当化」と批判 国会議員に月100万円支給される「文書通信交通滞在費」(文通費)を巡り、与野党は7日の協議会で、日割り支給への変更に合わせ、名称と目的を変更する法改正案をまとめた。4月中の法改正を目指す。文通費は議員の国会での活動を支えるための経費だが、今回の改正は議員の選挙活動などにも使われている実態を合法化する内容。識者からは、選挙などの政治活動に文通費を充てるのは目的外の支出で、横流しを正当化するものだとの批判が出ている。(井上峻輔)/ 文通費は現行の歳費法で「公の書類を発送し、公の性質を有する通信をなす等のため」と目的が定められている。しかし、多くの政党は使途を公表しておらず、各議員が仮に私的に使っていても分からないのが現状。関係者や一部政党の公開資料によると、議員が関連する政治団体への寄付や私設秘書の人件費に充てるなど、事実上、選挙活動に使っている例は多い。

 改正案では、日割り支給と合わせ、名称を「調査研究広報滞在費」に変更。目的も「国政に関する調査研究や広報、国民との交流、滞在等の議員活動を行うため」に改める。/ 政治資金に詳しい神戸学院大の上脇博之教授(憲法学)は、文通費を選挙など政治活動に支出することは「目的外」だと指摘。今回の改正案について「政治活動への横流しを正当化しようとしている。名称に『広報』、目的に『国民との交流』などの文言を入れれば、居酒屋での飲食さえ可能になる。日割り支給の議論に便乗した、ご都合主義の見直しだ」と批判した。/ 協議会では自民、立憲民主、日本維新の会、公明、国民民主の各党が賛成。共産党は名称と目的の変更に反対した。協議会事務局は「過去の国会での議論など文通費の歴史的経緯を踏まえた」と説明するが、条文に実態を合わせるのではなく、実態に条文を合わせようとする思惑が透ける。

 文通費見直しの議論は、昨年10月の衆院選で当選した新人議員が在職1日でも満額支給されたことを契機に始まった。与野党は2月に「日割り支給」「使途基準の明確化と公開」「未使用分の返還」について6月15日までの今国会中に結論を得るとしていた。ただ、領収書を公開することに消極的な意見も根強く、使途公開や返還の具体的な検討は今も始まっていない。/ 今月の法改正は、24日投開票の参院石川選挙区補欠選挙で当選した議員への支給に間に合わせる狙いがある。*文書通信交通滞在費 国会法と歳費法に基づき、国会議員に支給される経費。1993年に現行の制度となり、月額は100万円。非課税で領収書添付や使途の報告・公開、未使用分の返還の義務はない。「第二の給与」とも呼ばれる。(東京新聞・2022年4月8日 06時00分)

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 稼ぎに追いつく貧乏なしと、ずいぶん昔から言われてきました。ここまでのぼくの生活は文字通りに「稼ぎ」と「貧乏」の競争で、稼ぎが、半歩くらいは前に行っていたかと思うと、いつの間にか貧乏がはるか先方を走っているという、実に遽(あわただ)しい「ソノヒグラシ」でした。健康(だという自覚に基づき)でさえあれば、なんとか糊口をしのげるという生活思想というものが、いつの間にか身についてしまいました。そんな人間ですから、「他人の財布」に興味があるはずもない。しかし、その他人が「すべては税金で食っている御仁」となれば、話は別です。公務員というのも同じ範疇に入るでしょうね。でも、決定的に他と異なるのは「特別公務員」である政治家は、どんな内容のものであれ、立法行為の主人公だという点です。まして、それが自分たちの手足を縛るかもしれぬ性格の法律である場合、可能な限りで「緩やか」な、「抜け穴」「抜け道」が盛りだくさんの法律を作りたくなるんでしょうね。こういう輩を「厚顔無恥」「悪知恵の働く奴」というのでしょうか。(左図の出所:https://www.news-postseven.com/archives/20211129_1710288.html/2)

 「人を呪わば穴二つ(掘れ)」というようですから、ぼくはいつだって自分用の「墓穴」は用意しています。「墓地」を生前購入しているという意味ではなく、いつどこで死のうが、そこが死に場所だという程度の覚悟で、これは若武者向け風に言うなら「人間到る処青山有り」というのでしょう。「人間」は「じんかん(=世間」」と読みたいですね。「青山(せいざん)」とは身の置きどころ、死に場所を指しています。この詩は、周防の僧月性(げっしょう)の作とされます。(これについては、どこかで触れておきました)少し話がそれましたな。要するに、それはだめですよ、と他人を諫める(呪うのではありません)のは、人間の務めであるとぼくは考えて来たし、それは翻って、己のためにもなるでしょう。他人から非難されるようなことは一切しないというなら、「人間(ジンカン)」に生きて在る、かなりな部分が失われることになります。

 政治家は悪いと決めつけているのではないのですが、きっとそんな悪い輩が政治家だとなれば、どうしても偏見が嵩張(かさば)ってくるのも避けられません。大まかな計算では、議員一人当たり、年額約一億五千万円ほどの国費(税)が投資・投入されているそうです。いかにも安いではないかといえるほど、この島は豊かな財政を誇れるのでしょうか。「ささやかに」がモットーの人間からすれば、今回のような誤魔化し法案は「盗人猛々しい」といいたくなります。あるいは「盗人(泥棒」に追い銭」とも。何時だって、有形無形の政治的迫害を受けているうえに、使い放題の「歳費」を認めるというのですから、人民・国民も人がいいというか、大甘味の輔です。「盗人の昼寝」といい、「盗人に三分の理」といい、変わったところでは「盗人上戸」というのもあります。最後に、月給取り(盗り)の頃の自分を思い出しつつ、「禄盗人」というのもあげておきます。盗人(ぬすびと)にも、いろいろな才覚があるんですね。この島の国会は、実に長い間、「盗人」に乗っ取られています。(今の政治政党を見ていると、一つの党を除外して、他はすべて「与党」です。それは、実に困ったことなんですね)

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