真正な愛国者として、言わねばならぬ…

 【地軸】本屋大賞と戦争 インタビューに答える姿は、受賞の喜びより、悲しみに覆われているようだった。デビュー作「同志少女よ、敵を撃て」が今年の本屋大賞に選ばれた逢坂冬馬さんだ。◆第2次大戦の独ソ戦を舞台に、母を殺された少女がソ連軍の狙撃兵となり、女性だけの小隊で戦う小説。描写される戦争の理不尽さが、当時と立場を逆にしたロシアのウクライナ侵攻と重なる。作品が同時代性を持つのは本来誇りうることだが「悪夢を見ているよう」。◆大戦からおよそ80年。戦争の本質は全く変わっていない。ロシア軍が行ったウクライナ市民への残虐行為が次々と明るみに出ている。泥沼化した戦局の打開へ、生物・化学兵器、核兵器を使用する可能性まである。◆ロシア国内では、生物兵器を使うのは相手側だとする公式プロパガンダが繰り広げられているという。くしくも生物兵器禁止条約が調印されて、あすで50年。調印式の場はモスクワだった。ロシアにとって「撃つべき敵」とは、外交成果などより武力がものを言うと考える内なるおごり。◆「失った命は元に戻ることはなく、代わりになる命もまた存在しない」。戦争から学んだ事実はそれだけだと、小説の主人公は吐露する。言葉によって、人間存在の敵である戦争とたたかう作家の意地を見た。印税の一部は難民支援に寄付したそうだ。◆絶望しない。目を背けない。平和を願う声を上げる。日々のこうした行為もたたかいだろう。(愛媛新聞・2022年/04/09日)

 狙撃兵、いわゆる「スナイパー」。それははっきりした任務を持ち、短くない距離を保って「標的」を射ることに専念するそうです。今次の「ウクライナ戦争」でも、相当数の狙撃兵が任務に就いており、過日「ロシアの女性狙撃兵(イリーナ・スタリコワ)」が拘束されたとの報道がありました。https://youtu.be/mo5I6QBvywE(上の写真右の真ん中)これまでに、四十人余の狙撃に成功したとされています。戦場においても、男と女の「差異」は低くされてきているのは、どういうことでしょうか。上の写真のそれぞれが「名うてのスナイパー」だったし、今も現役である人もいます。それぞれの「戦績」は確かなものですが、それを語る元気が、ぼくにはありません。

 「同志少女よ、敵を撃て」は未読です。おそらく、読むことはないでしょう。理由は単純、ぼくの心が折れかかっていて、少しばかりの「休息」では回復しそうにないのに、それをさらに悪化させるための「読書」はしたくないからです。ぼくの見立てでは、やがて「侵略戦争」は収束を迎えるという想定になっています。いくつかの根拠のようなものはありますが、それは言わないでもいいでしょう。戦争(侵略)を始めた者が、他国の領土から「撤退」することが、その唯一の方法です。狂気に襲われている「P」がそうするとは思われないのは、仕方ありませんが、アメリカをはじめ「西側」が、ここを先途と「P」叩き、「R(ロシア)」潰しに躍起になっています。一理はあるのでしょうが、水に溺れた「犬」よろしく、完膚なきまでに叩き殺すというのでしょうか。まるで「代理戦争」の様相を示してきたのを知るのは、なんともやり切れません。

 武器や物資を送るということは、「長期化」を狙っているからとしか思えない。「停戦」が一日遅れれば、それだけ犠牲者は増える、露軍の悪辣さは、追い込まれている度合いに応じて「歯止め」がかからなくなっているのです。悪逆非道は露軍の「専売」と言って済ましている段階は過ぎた。「国連」にあるさまざまな「機能」「役割」がまったく効果をあげていないのは、一面では当然であり、それにしても、もっと大きな「停戦」「非戦」の声が国連加盟国内から生まれてくるのを、ぼくは首を長くして待つのです。今の段階で「国連改革」もないはずで、試合中に「ルール」を変更しようという、アホな「野球機構」みたいなものですから。

 言わなくてもいいことですが、「スナイパー」が出て来たので、どうしても、もう一人だけあげておきます。この人は史上最強の「スナイパー」と称された「英雄」でもあった人で、生涯(軍役従事中)、五百数十人の「敵兵」を狙撃したとされます。シモ・ヘイヘSimo Häyhäフィンランド語発音: [‘simɔ ‘hæy̯hæ] (1905-2002)フィンランドの人でした。従軍前は狩猟と農業に勤(いそ)しんでいたと言われます。彼が本領を発揮した戦場は、対ソ連の「冬戦争」(1939-1940)だった。「赤軍」は、彼を「白い死神」「災いを成す者」として恐れていた。「近代戦争」全体の構図のなかで、この個人的、一匹狼的な「狙撃兵」がどんな位置を占めるのかぼくにはよく理解できません。しかし、執拗に「敵の命」を狙うのが役割だという、そんな軍人が評価される「戦争」というものが内包している「狂気」「残忍性」「評価」が、実は「平時」においても、それと気づかれることなく(世人は麻痺しているので)「求められている価値」だとすると、いよいよ、平時にもまた「戦争」があることを思い知らされるのです。

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 「言葉によって、人間存在の敵である戦争とたたかう作家の意地を見た。印税の一部は難民支援に寄付したそうだ。◆絶望しない。目を背けない。平和を願う声を上げる。日々のこうした行為もたたかいだろう」というコラム氏の指摘は、まさにその通りです。新聞人も「かつては、「言葉によって、人間存在の敵である戦争とたたかう」のが本職でもあったのではなかったか。

 ここでもまた、ぼくは「引用」しておきたい。新聞人・桐生悠々の「肺腑の言」です。

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 言いたい事と言わねばならない事と         桐生悠々

 人ややもすれば、私を以て、言いたいことを言うから、結局、幸福だとする。だが、私は、この場合、言いたい事と、言わねばならない事とを区別しなければならないと思う。
 私は言いたいことを言っているのではない。徒に言いたいことを言って、快を貪っているのではない。言わねばならないことを、国民として、特に、この非常時に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国者の一人として、同時に人類として言わねばならないことを言っているのだ。
 言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。だが、言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、苦痛である。何ぜなら、言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、義務の履行だからである。尤も義務を履行したという自意識は愉快であるに相違ないが、この愉快は消極的の愉快であって、普通の愉快さではない。
 しかも、この義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。少くとも、損害を招く。現に私は防空演習について言わねばならないことを言って、軍部のために、私の生活権を奪われた。私はまた、往年新愛知新聞に拠って、いうところの檜山事件に関して、言わねばならないことを言ったために、司法当局から幾度となく起訴されて、体刑をまで論告された。これは決して愉快ではなくて、苦痛だ。少くとも不快だった。
 私が防空演習について、言わねばならないことを言ったという証拠は、海軍軍人が、これを裏書している。海軍軍人は、その当時に於てすら、地方の講演会、現に長野県の或地方の講演会に於て私と同様の意見を発表している。何ぜなら、陸軍の防空演習は、海軍の飛行機を無視しているからだ。敵の飛行機をして帝都の上空に出現せしむるのは、海軍の飛行機が無力なることを示唆するものだからである。

 
 防空演習を非議したために、私が軍部から生活権を奪われたのは、単に、この非議ばかりが原因ではなかったろう。私は信濃毎日に於て、度々軍人を恐れざる政治家出でよと言い、また、五・一五事件及び大阪のゴーストップ事件に関しても、立憲治下の国民として言わねばならないことを言ったために、重ねがさね彼等の怒を買ったためであろう。安全第一主義で暮らす現代人には、余計なことではあるけれども、立憲治下の国民としては、私の言ったことは、言いたいことではなくて、言わねばならないことであった。そして、これがために、私は終に、私の生活権を奪われたのであった。決して愉快なこと、幸福なことではない。
 私は二・二六事件の如き不祥事件を見ざらんとするため、予め軍部に対して、また政府当局に対して国民として言わねばならないことを言って来た。私は、これがために大損害を被った。だが、結局二・二六事件を見るに至って、今や寺内陸相によって厳格なる粛軍が保障さるるに至ったのは、不幸中の幸福であった。と同時に、この私が、はかないながらも、淡いながらも、ここに消極的の愉快を感じ得るに至ったのも、私自身の一幸福である。私は決して言いたいことを言っているのではなくて、言わねばならない事を言っていたのだ。また言っているのである。
 最後に、二・二六事件以来、国民の気分、少くとも議会の空気は、その反動として如何にも明朗になって来た。そして議員も今や安んじて――なお戒厳令下にありながら――その言わねばならないことを言い得るようになった。斎藤隆夫氏の質問演説はその言わねばならないことを言った好適例である。だが、貴族院に於ける津村氏の質問に至っては言わねばならないことの範囲を越えて、言いたいことを言ったこととなっている。相沢中佐が人を殺して任地に赴任するのを怪しからぬというまでは、言わねばならないことであるけれども、下士兵卒は忠誠だが、将校は忠誠でないというに至っては、言いたいことを言ったこととなる。
 言いたい事と、言わねばならない事とは厳に区別すべきである。(「畜生道の地球」所収。中公文庫、1989年)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。