右の頬を打つような者には、左の頬も…

【地軸】健康と平和 愛の反対は? 憎しみ? では美は? 知は? ルーマニア出身でノーベル平和賞を受けた米国のユダヤ人作家エリ・ウィーゼル氏によれば、答えはどれも「無関心」ということになる(「ふたつの世界大戦を超えて」)。▲ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)で生き残った体験をもとに、ナチスの人類史的犯罪の背景にはそれを許した人々の無関心があったと訴えた。そんな確信からこう言う。「平和の対極にあるのは戦争ではない。無関心である」。▲世界が複雑な課題に直面する今日、平和でない状態も一様でない。たとえば飢餓や貧困。差別、抑圧、疫病、災害も浮かぶ。戦争は最悪の平和破壊行為だが、平和か戦争かの2択だけでは、はざまにある辛苦が視野に入らない。これも平和をむしばむ無関心の一つと言えるだろうか。▲平和と戦争の関係に似るのが健康である。世界保健機関(WHO)は憲章でうたう。「健康とは肉体的、精神的、社会的に満たされた状態であり、単に病気でないことではない」。さらにこう続ける。「すべての人々の健康は平和と安全を達成する基礎」。▲新型コロナ禍は、地球規模の感染症のもとで人類は運命共同体であることを示した。戦火は衛生状況を脅かす。健康と平和は不可分だとつくづく思い知る当節である。▲ウィーゼル氏にならうなら、健康も無関心が対極にあるものの一つかもしれない。自戒も込めて思う。きょう、世界保健デー。(愛媛新聞・2022/04/07)

 ウィーゼルについてはこのブログでも、少しばかり触れています。たった今の今ウクラナイで企てられている「大量虐殺」という現実。それに対して、ぼく(たち)にはほとんど効果のある行動をとることが出来ないのは、事実です。二月二十四日以来、いや実際上はもう数年も前、ある人に言わせれば、二千十四年(クリミヤ侵略からともいう)、今日あることが想定されていたにもかかわらず、それを、自らの直接的な脅威ちはなり得ずと、「無関心」を決め込んでいたのだともいえます。今次の「侵略」は「P」の個人的野心の発露でしかなかったが、その準備段階において、世の多くの政治家・指導者は関心を払わないままだったのです。ウィーゼルの表現を借りれば、政治的暴力の専断を許してしまったのは、「いかなる災厄・あるいは民衆の不幸」がもたらされるか、それについての関心の欠如が招き寄せた結果だと言えます。

 そして現実に、凄まじい「侵略」が始まると、にわかに「Pの戦争 反対!!」の大合唱が始まり、加えて、「断じて蛮行は許さない」という「政治的・経済的制裁」の一大共演でした。要するに、ウィーゼルが残した「愛の対極には、憎ではなく、無関心が位置している」という警句を、ぼくたちは、逆の意味で、再確認しただけということだったかもしれません。そして、そのあとの「反対」や「制裁」の一列行進の展開は「愛の反対は憎」であるという、一面では当たり前の、「正義」に基づく姿勢であり、態度だと、殆んどの人々は考えたのでしょう。いつでも、どこでも、「正義」をかざして、「戦争」は始められてきたのです。この「愛と憎の絆」は途切れることなく、人間社会で維持されてきたのです。

 しかし、さらに深くその「現実」を受け止めれば、憎しみだけでは問題(戦争)の解決(和平の実現)はもたらされないことを、ぼくたちは、このたびの「戦争」にあっても失念していた(「無関心だった」)のです。「目には目を、歯には歯を!」という掛け声は、いかにも正義に発していると受け止められれば、「戦争は拡大し、被害は拡大する」のはどうしようもなく、かえってlその拡大進化を受け止めかねているのです。それこそが、「正義」の御旗を立てるということのなりゆきではないでしょうか。

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◉ ウィーゼル Wiesel, Elie=[生]1928.9.30. ルーマニア,シゲト [没]2016.7.2. アメリカ合衆国,ニューヨーク,ニューヨーク ルーマニア生まれのアメリカ合衆国のユダヤ系作家。別名 Eliezer Wiesel。第2次世界大戦期のユダヤ人虐殺(→ホロコースト)の,冷静ながら烈々たる証言を示す作品で知られる。1944年アウシュウィッツ収容所に家族とともに送られ,両親ら親族を失った。戦後はパリに移住,1948~51年ソルボンヌ大学で学び,卒業後フランスとイスラエルの新聞に執筆。1956年アメリカに移住し,1963年市民権を得た。1972~76年ニューヨーク市立大学教授を務め,1976年ボストン大学でアンドリュー・W.メロン記念人文学教授に就任。フランスでのジャーナリスト時代,作家フランソア・モーリヤックから強制収容所での体験の証言者となるよう促され,イディシュ語による第一作 “Un di velt hot geshvign”(1956)と,それを縮めたフランス語の『夜』La Nuit(1958)を執筆。『夜』と,『夜明け』L’Aube(1960),『昼』Le Jour(1961)の自伝的三部作で注目を集めた。ほかの著作に『エルサレム乞食』Le Mendiant de Jérusalem(1968),評論『今日のユダヤ人』Un juif aujourd’hui(1977)など。それらの作品は,ホロコーストの生き残りとしての経験や,なぜホロコーストが起こったのか,それが明らかにする人間の本質とはなんなのかという倫理的な苦悩の解決の試みを反映する。作風にはユダヤの民話や瞑想的なハシディズム文学(→ハシディズム)の影響が認められる。1986年ノーベル平和賞受賞。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 ここに来て、ぼくは「目には目を、歯には歯を」ではなく、あえて「武器よさらば」と叫びたいということを繰り返してきました。「P」を葬れば、「平和」は訪れると、ぼくたちは信じているのでしょうか。暴力に対する暴力で得られた状況は「平和」ではなく「常時危機」をもたらすばかりですから。「戦争の反対は平和」であると、どうしても言いたいなら、平和をもたらすものは、どこまで行っても、「武器」ではなく「ことば」だとも言いました。国連は弱いからこそ、武器や武力がなし得ない達成・境地を獲得できる可能性があるのです。敵を武力で圧倒しても、また武力で復讐されるばかりではないか。その復讐戦は終わりがないでしょう。現下の「侵略戦争」は東欧および中欧の数百年にわたる歴史の「継続する、一コマ」でさえあると思われてきます。いったい、どこに、いつ、どのようにして「救い」がくるか、ぼくには見えそうな気がします。その「救い」とは、戦争を仕掛けられた側が「復讐を果たす」、その一瞬の凱歌が、しかし、その後の常時不安・不安定をもたらすでしょう。

 ぼくはキリスト教徒ではありませんが、「山上の垂訓」には早くから親しんできました。十分に分かっているとはとても言えないのは残念ですが、その言わんとするところに一寸でも近づきたいと願っているのです。以下、思いのままに、いくつかの章句を「聖書」から引いておきます。

 「『目には目を、歯には歯で。』と言われた のを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者 に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい 」(マタイの福音書 5章38-39節)

 「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、 肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るので す」(ガラテヤ人への手紙 6:7b‐8) 

 「愛する人たち。自分で復讐してはいけません 。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのするこ とである。わたしが報いをする、と主は言われる」( ローマ人への手紙 12:19)     

 「わたしたちは愛しています。神がまず私たち を愛してくださったからです。神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人 は偽り者です。目に見える兄弟を愛していないものに目に見えない神を愛することはで きません」 (ヨハネの手紙第一 4:19-20

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

 「山上の垂訓」などを持ちだして、君は何を言いたのだ、と詰問されるに違いありません。まして、ぼくはキリスト教に限らず「不信心」を隠していないのですから、なおさらです。開き直るつもりはありません。ここに示されている「教え」にあやかりたいという、それだけの寸志を汲んででいただきたい、そう願うばかりです。三月だったか、この「戦争」が激しさを加えている段階で、ぼくはある一人の「賢人」の「プーチンの戦争に対する意見」を知りました。そのときは、こんなことを、この人は言うのかと、いささか面喰いもし、不審に思ったのでした。「その考え」が胸につかえて、すっきりしなまま今日まで来ました。そこで、場違いですが、「山上の垂訓」を引き出して、彼の意見(態度)を見つめなおそうとしていたわけです。その文中に、彼はこんなことを述べています。

 「1960年代の後半、私はヨーロッパで南ベトナム解放民族戦線(元記事註:アメリカで当時「ベトコン」と呼ばれていた )の代表者数人との協議に参加したことがあります。ちょうど、米軍がインドシナで手を染めた恐ろしい犯罪に対し、すさまじい反対運動が巻き起こった時期です。/ 激しく怒った若者の一部は、大通りに面した建物の窓を割ったり、予備役将校訓練(ROTC)センターを爆破したりしました。そうしない者は、悪の片棒を担いでいるといわんばかりでした。

 しかし、ベトナム人の対応はまったく違っていました。彼らはこうした手段すべてに強硬に異を唱え、じつに効果的な抗議の方法を示しました。自分たちの国で殺されたアメリカ兵を埋葬し、その墓の前でベトナム人の女性数人が黙祷を捧げたのです。彼らは、ベトナム反戦を訴えるアメリカ人がこだわる正義や名誉には関心がありませんでした。ただ、生き延びたいと願っていたのです。

 これは、グローバルサウスで恐ろしい苦難の犠牲になった人たちから異口同音に、何度も聞かされた教訓です。彼らは帝国主義の暴力に虐げられた人たちです。私たちはいまこそ彼らの教訓を心にしっかりと刻み、応用しなければなりません」(チョムスキー「プーチンに“逃げ道”を用意しなければ、世界は想像を絶する悲劇を迎える」クーリエ・ジャポン、2022.4.2)

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 チョムスキーのことだから、この程度のことは言うでしょうといえるほど、ぼくは彼を知りません。ことばの正しい意味で、彼は「ラディカリスト」であるという見方は以前からしていました。過激というのではなく、物事の根っこ(root)に戻って、「今の問題状況」を考えるという姿勢を指して、ぼくは使います。「根を掘る・根に帰る」からオリジナルなんです。ラディカルというのは過激派ではないのです。もちろん、チョムスキーにはかなり過激なところがあります。でも、それ以上に物事をとらえる視点が「(オリジンに向かうという点で)オリジナル」だと、ぼくは表したいのです。彼は「(反対運動として、破壊をしないような人々)そうしない者は、悪の片棒を担いでいるとわんばかり」の雰囲気にあった、世上の空気の中で、「ベトナム人の対応はまったく違っていました。… 自分たちの国で殺されたアメリカ兵を埋葬し、その墓の前でベトナム人の女性数人が黙祷を捧げたのです。彼らは、ベトナム反戦を訴えるアメリカ人がこだわる正義や名誉には関心がありませんでした。ただ、生き延びたいと願っていたのです」

 チョムスキーさんのいう「グローバルサウス」とは、以前の表現では「後進国」「低開発国」「第三世界」といった地域のことだと推察していますが、その地域の人々は「彼らは帝国主義の暴力に虐げられた人たちです。私たちはいまこそ彼らの教訓を心にしっかりと刻み、応用しなければなりません」といわれるのです。「目には目を、歯には歯を!」ではない、キリストが求めた方向と合致しているかどうか、ぼくにはまだわかりませんが、攻撃や敵対ではない方向を求めていたのです。あるいは「融和・宥和」というものだったかもしれません。「汝の敵を愛しなさい、あるいは受け入れなさい」と。当時と状況が一変した感が、どうしても拭えません。

 現下の「ウクライナ状況」に照らして、このような指摘が当たっているのかどうか、にわかには判断できないままで、ぼくはここまで来たのでした。正義や名誉に関心を持たず、ひたすら「生き延びたいと願っていた」人々は、敵・味方を超えて、死・死者を弔い、生命に畏敬の念を欠かさなかった、その先に訪れたものは何だったか、改めて、ベトナム戦争の時代を学びなおしつつ、現下の事態に背を向けたくないと、さらに強く感じ入ったのでした。

 「戦争」の対極にあるのは「平和」ではなく、「無関心」であるというウィーゼル氏のことばをもかみしめながら、「ウクライナの戦争」に関心を持つというのはどういうことなのか、またまた深く考えるのです。興味や関心を持つというのは、「問題」や「現実」に自らの意識をつなげることです。それはテレビの画面で移されるもの(映像)を見ているだけでは、決して「関心」にも「興味」にもならない問題です。受け身の反応、姿勢からは何か生まれるのでしょうか。きっと「身につまされる」というところがなければ、「関心」も「興味」も、何時しか消えていくというのです。「わたしたちは愛しています。神がまず私たち を愛してくださったからです。神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人 は偽り者です。目に見える兄弟を愛していないものに目に見えない神を愛することはで きません」 「祖国を愛している」人が「祖国を愛する人」を殺すというのは「悪い冗談」でしかないのです。「愛国者同士の殺し合い」ですね。キリスト教徒同士も、何時だっていのちの奪い合いをやってきたのです。その「情念(正義は我にあり)」は消えないのですか。

 ぼく自身に引き付けて言うなら、キリスト者ではないからこそ、この「山上の垂訓」に示されている「教え」を自らの「問題関心」に結び付けて考えることが求められていると思っています。関心の深まりは、さらにぼくを遠くまで歩かせるようです。チョムスキー氏は次のように、先に引いた文章を続けています。まことに重要な視点だと言うほかありません。

「私たちに残されているのは、好むと好まざるとにかかわらず、「不愉快な選択」しかありません。すなわち侵略者プーチンには「罰」ではなく、「手土産」を与えるのです。/ さもなくば、終末戦争が起きる可能性が高まります。窮地に追い込まれたクマが、断末魔の叫びを上げるのを眺めるのは、さぞ溜飲が下がるでしょう。しかし賢明な選択とは言えません。/ 一方で、冷酷な侵略者から祖国を守ろうと果敢に戦っている人たち、恐怖から逃れている人たち、そして大きな危険を冒して国家の犯罪に公然と反対している何千もの勇気あるロシア人に対して、意義のある支援をすべきです。これは私たち皆が学ぶべき教訓です。

 さらに、私たちはもっと広い範疇における犠牲者、すなわち地球上に生きるすべての生命を助ける方法を見出す努力もしなければなりません。/ 今回の惨事は、すべての大国が、いや私たち全員が、環境破壊という大災害をコントロールすべく、相互に協力しなければならないときに起こりました。この災いはすでに深刻な損失をもたらしており、大規模な対策に早急に取り組まないと、いまよりもっとひどい災害が起こるでしょう。(中略)もっとも必要とされるリソースはすべて破壊へと振り向けられ、世界はいま、化石燃料の使用を拡大する方向に進んでいます。豊富な埋蔵量ゆえに、もっとも手に入れやすくて危険な石炭も例外ではありません。 ここまでグロテスクで危機的な状況は、よほど邪悪な悪魔でさえ、ちょっと考えつかないのではないでしょうか。とはいえ、何もしないわけにはいきません。一刻の猶予もないのです」(同上)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。