うわべばかりと つい知らず惚れてすがった …

「私たちの戦争ではない」、「世界に憎まれてしまう」 戦争に反対するロシア人の声

 ロシア軍が24日に隣国ウクライナを侵攻し、ウラジーミル・プーチン大統領はロシアを妨げようとする者には「直ちに」、「歴史上経験したことのないような結果」をもたらすと警告した。国営メディアはこぞって、侵攻を支持した。/ 一方で、同日夜にはモスクワなど国内各地で反戦デモが相次いだ。今や数少ない独立系新聞の編集長でノーベル平和賞を受賞したドミートリ・ムラトフ氏は、「ロシアが第三次世界大戦を始めたと、ロシア人は世界から憎まれてしまう」と嘆いた。/「自分たちの戦争ではない」と言うロシアの人たちに、BBCのモスクワ特派員、スティーヴ・ローゼンバーグ記者が話を聞いた。(BBC・2022年2月25日)(https://www.bbc.com/japanese/video-60520150

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 ウクライナとの「戦争」と言わないロシア国営メディア 信じる国民と信じない国民

 ウクライナでの戦争についてロシアの国営メディアは、「戦争」や「侵攻」「侵略」という言葉を使わず、平和実現のための武力行使、「特別軍事作戦」だという、政府の公式見解を繰り返している。/ これを信じ、たとえ外国メディアでロシアがウクライナの都市を砲撃したと読んでも、「政府はそんなことはしないと約束したから、絶対にそんなことはしない」と言い切る人がいる。/ 一方で、国営テレビ以外の手段で情報を得て、ロシアの未来に絶望し、国を出ることにした人もいる。/ BBCモスクワ特派員のスティーヴ・ローゼンバーグ記者が取材した。(BBC・2022年3月3日)(https://www.bbc.com/japanese/video-60587579

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 外国報道機関(新聞・テレビ等)の報道を見る機会が多くなりました。現実に生じていることのすべてが、そこに「活写」されているというつもりはありません。しかし、「戦場」に入っての報道が相当にあるのは事実です。そのような、いくつもの「報道」を通して、最後には自らの判断というか、自らの見方を少しずつ確かめていくように、ぼくは努めて(ちょっと大袈裟ですが)きました。今次の「プーチンの戦争」勃発時、いったいロシア国民はどんな反応をを示したのか。上には、二つばかりBBCニュースを「日本版」から引用してみました。もっとも最初期(「侵略」の翌日の報道)のものと、それから十日ほどたったとき(三月三日)の、BBCの同じ記者のインタビューなどを含めた映像が記録されています。報道規制がされているとか、国営放送しか見ない人が圧倒的だという「報道」もまた、いろいろな思惑が込められて知らされてきました。この時代、政府広報、国営放送しか見ないで、それを無条件に信じる人ばかりがロシア社会を作っているのだというのは、まるで「お伽の国の物語」で、断じてありえないことです。

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 当たり前に「戦争はよくない」「人を殺すことは、どんな理由があっても認められない」(といえば、「死刑」制度はどうなるんですか。私人の「殺人は許されない」のに、国家が「合法的殺人」を堂々と実行しているという「矛盾」には目をつむるのですね)ぼくはロシアの人であれ、ウクライナの人であれ、「戦争」は認めるから、「殺人」も認める(「戦争は、つまるところ、人殺しなんだ」)という人はそんなにいるものではないと、確信しています。「戦争反対」を訴える国民が多く生まれているからこそ、国家権力はさまざまな手段を用いて「暴力行使」をしてでも反対の声や動きを封じようとしているのです。逮捕監禁されると、その人は社会における発言を封じられます。「アムネストス」というのはギリシア語のようですが、「口を封じられた人」という意味で、その人々の「語る権利」を回復するために組織されたのが「アムネスティ」です。(このことには、どこかで触れています)

 報道統制が敷かれているから、これが解放されれば目を覚ます民衆もいる、そんな寝言を言う人もいるでしょうが、それは、どこまでいっても寝言。視覚や聴覚を働かせ、五感を動かしている人なら、プーチンが勝手なふるまいでおのれの欲望を、国家の目的にすり替えていると見抜きます。きっと、猫だって、犬だって気が付きますよ、プーチンがどんな「悪」であるか。よしんば、国家機関が垂れ流している情報を模範国民として受け入れているとしても、やがて「戦死した兵士」が帰還したらどうなりますか。「戦争」ではなく「侵略」でもなく、「祖国の防衛」「ロシア住民の危難を救うため」といって出かけた兵士が「棺(ひつぎ)」に収められて帰ってきます。それでも政府は五万と嘘を並べるでしょう。それを「脳みそ」のないロボットのように「唯々諾々」として、「英雄」「英霊」として、民衆は弔うことが出来るのでしょうか。現状が隠されているのではなく、「見えなかったことにしている」、それがロシアの実際の状況だと言えます。テレビの生番組で、「戦争反対」「デマを信じないで」と、国営テレビ局員の女性職員が身を賭して訴えた、それが本人もびっくりするほどに「成功」したのは、彼女の行動を阻止する人がいなかったからです。テレビ局員の多くも「(消極的な)プーチン反対」であると、(画面を見た瞬間に)ぼくは受け止めた。

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 ぼくが大学生になったころに、劣島に流行った「歌謡曲」がたくさんありました。そのなかでも今回の「プーチンの戦争」と、それを真に受ける「純粋な、愛国的市民」との関係に近づけて思い返してみると、バーブ佐竹という歌手が歌った「女心の歌」が符合する、いや附合しすぎますね。「戦争」で多くの人が亡くなり、住居を追われ、家族が離反せざるを得なくなっている、国を奪われて、身寄りも頼りもなく、異国に「避難」しなければならない、それを知っていながら、なんとも悪ふざけが過ぎいると非難されるかもしれない。許されない「いのちの冒涜」であるという方がいるでしょう。その通りと、ぼくは認めたうえで、「過ぎたる悪ふざけ」以上の非道を行っているのは「P」の方です。それもいくらかの「三分の理」があるならともかく、一ミリの「正当性」もない「殺戮」そのものを強行しているのです、と反撃したくなります。ぼくは漱石風「無鉄砲」で、加えて、塚原卜伝仕込みの「無手勝流」です。「P」一派をこきおろしたいのは山々ですが、如何せん、敵は遠方にあり、です。だから、この程度の「ふざけ」でも舞ってみようとしているのです。(下の写真はBBCニュースから・2022/04/02:完膚なきまでの破壊、それをなさしめるのはいかなる「怨念」「憎しみ」なんでしょうか)

 諧謔なのか、駄洒落なのか、言い訳も弁解も解説も解釈もしません。「女心の歌」は洋の東西に腐るほどあります。ヴェルディのオペラ(リゴレット)にも有名なのがありますが、ここは、ネオン街の「男と女」、あるいは「狐と狸」です。「男心に騙されて」と、恨みもつらみも言いつのりたいのが、身の愚かさを棚に上げて、騙した相手を呪う、それが「捨てられた側」の身の定めであり、身の破滅でもある、いかにも「ありそうな」「なさそうな」「女心」です。「戦争は悪そのもの」、それを仕掛ける方も支持する方も、取り返しのつかない非道徳、不義を働くことになるのを学んでこなかったのですね。これまでの「人間の歴史」でどれだけの「悪逆」「非道」が繰り返されて来たか。真面目に学ぼうとしてもいいではないか。「女心の歌」では、誰と誰が「あなたと私」なのでしょうか。まさか、取り違えはしないでしょうが。「唯一の被爆国」「ホロコーストの呪縛」といいながら、またもや「同じこと」を繰り返そうとしているのかもしれない。ヘッダーの写真のM.T.は言っている、「歴史は繰り返さないが、多くの韻は踏んでいる」と。

 「P」も初心はあったのでしょうか。あるいは、はなから「権力におぼれてしまったの」か。「男心の裏表」といっていますが、実は「裏」ばかりであることを、学校は教えてくれないんですね。逆に「表」しか見ないように、そんな偽教育が、人を見抜く「眼力」というか、直観力を養わないどころか、それを失わせてきたのではないですか。「男はみんな狼だ」という歌も巷(ちまた)に流れていました。その通りです。「男は狼」でありますが、狼には「やさしい」のと「やさしくない」のがいるというのは、嘘です。「狼は狼だ」と、迷わないで見抜くべきなんでしょうね。「赤頭巾ちゃん、気をつけて」です。じゃあ、「あなた」はどうなんですかといわれますか。「女心」で謳われているのは「観念」に過ぎないともいえそうです。騙される女もいれば、騙す女もいます。騙す男に騙される男、それが世のならいです。だから、ぼくは「世間」「社会」は大嫌いでしたね。騙すふりに騙された振り。振りでもなんでも「人を殺すのは許せない」のだ。

 「散って砕けた 夢の数 つなぎあわせて 生きてゆく いつか来る春 幸せを のぞみ捨てずに ひとり待つ」と謳う。実を言えば、これは「女心の歌」になぞらえているのであって、真実は「民主主義の歌」だったんだ。「のぞみ捨てずにひとり待つ」のはぼくであり、あなたです。改めて、「民主主義」への道は、はてしがないことを実感している。それでも「リレー」をしていくほかありません。バトンを前から受けて、後ろに渡す、「それもまた人生」と、川の流れのようにも見えてきます。とにかく「戦争犯罪」を即刻止めなければ、それをひたすら祈る卯月三日です。

 「女心の歌」は、はるかロシアの孤独な権力者に向けられている呪詛であり、騙し、虚偽、利権漁り等々の、数知れない「売国行為」に目覚めた、目覚めようとしている人民の「暴発」「反乱」を予兆させる、時限爆弾であり、まさに「一触爆裂」間違いない、その瀬戸際で謳われている(とぼくには思われる)歌でもあるのです。数日前の報道で、P大統領の「支持率は93%」とありました。国民の信頼が厚い大統領ですね、といいたいけれど、実際に「調査」をしたのかしら。あるいは、「ウクライナ侵攻」は、自国民の救済のためだという大統領の許言を露疑わない、そんな国民感情だから、この数字は当然だというのですかな。あれもこれも、「詐術」であり「でっち上げ」だと言っているのは、「よそ者なのだ」とでもいうのでしょう。極東に存在している「核を持った小国」からロシアは学んだのだと、ぼくは考えています。人民がどれほど飢えて死のうが、知ったことかというのが「権力者」だとするなら、そこに生まれ合わせたのが不幸だというほかありません。(このような「ならず者国家」の存在を許している限り、超大国(A国)は、これまでの世界における「指定席」を独占できるという、深慮や遠謀が働いているのでしょう。というのが実情のようでありそうな雰囲気になっていませんか。いずれも「ならず者」である限りにおいては、どっちもどっち、五十歩百歩でしょ、その五十歩だか百歩の「下駄の雪」状態を永遠に続けていく気になっているのが、「わが祖国」です。

 「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」とうそぶいた寺山さん、ぼくはその「姿勢」を自らのものにしてきたような気がします。

 「どうせ私を だますなら だまし続けて 欲しかった」というのが本音の人民がいるのも確からしい気がしてきました。やりきれないから「女心の歌」なんですね。(「世界中が、本日はまだ、「四月一日」なのかしら)

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バーブ佐竹「女心の歌」https://www.youtube.com/watch?v=Rf0gLNV1tCQ

 「女心の歌」:バーブ佐竹(作詞:山北 由希夫 作曲:吉田矢 健治)

あなただけはと 信じつつ  恋におぼれて しまったの  こころ変りが せつなくて  つのる想いの しのび泣き

どうせ私を だますなら  だまし続けて 欲しかった  酔っている夜は 痛まぬが  さめてなおます 胸の傷

うわべばかりと つい知らず  惚れてすがった 薄情(うすなさ)け  酒が言わせた 言葉だと  なんでいまさら 逃げるのよ

女ですもの 人並みに  夢をみたのが なぜ悪い  今夜しみじみ 知らされた  男心の 裏表

逃げた人なぞ 追うものか  追えばなおさら 辛くなる  遠いあの夜の 想い出を  そっと抱くたび ついほろり

散って砕けた 夢の数  つなぎあわせて 生きてゆく  いつか来る春 幸せを  のぞみ捨てずに ひとり待つ

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。