プーチンが去っても何も変わらないかも…

 【滴一滴】NHKで先日放送されたドキュメンタリー「プーチン政権と闘う女性たち」は昨年、ロシア国内で撮影された。英国の取材班がロシアの反体制派に密着した記録である▼男性幹部のほとんどが投獄され、残された女性たちが政権に抗議の声を上げようとするが、すさまじい弾圧を受ける。ツイッターで抗議デモへの参加を呼び掛けただけで警察に拘束される。当局が「過激派とつながりがある」と一方的に認定すれば、選挙の立候補すら認められない▼「これからどうすればいいのか」。政治参加の手段を奪われ、女性たちが涙を流す姿が痛ましい。徹底的に異論が封じられる社会は恐ろしいが、かつての日本にもそんな時代があった。戦前、戦中に人々は言論を理由に拘束され、時には拷問で命を奪われた▼時代を後戻りさせてはならないとの思いから、この訴訟に注目していた。3年前の参院選で当時の安倍晋三首相が札幌市で街頭演説をした際、「辞めろ」「増税反対」と叫んだ聴衆が警察に囲まれ、その場から引き離された▼行きすぎた公権力の行使だと2人が訴えた訴訟で、札幌地裁は憲法が保障する表現の自由を侵害したと指摘。北海道に賠償を命じた▼政治的な意見を表明する自由は民主主義の基盤である。私たちの社会がおかしな方向に進んでいないか。折に触れて目を凝らしたい。(山陽新聞・2022年03月29日)

 (ヘッダー写真:Press service of the National Guard of Ukraineが9日に提供。ウクライナ当局によると、同国東部クラマトルスクで撮影した不発の短距離極超音速ミサイルだという(2022年 ロイター)(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/03/6-116.php)

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 全体主義、その実は、一人の権力者による「独裁国家」であることが大半なのですが、今のロシアにおいて生じている「政治的迷妄」「政治の闇夜」は、この独裁者の自己肥大の延長上にあります。歴史を見れば、さまざまな時代や社会で「全体主義」「独裁国家」が生まれては消えていきました。おそらく、大まかにいうなら、政治というのは「全体主義(独裁主義)」と「立憲民主主義」の間を彷徨(さまよ)う漂流船のような塩梅でもあります。よく「全員一致」といいます。しかし、その実態は「ただ一人の意向」に全員が賛成(身を寄せる)するので、そこには「一人」しかいないんですね。それが「全体主義」です。一人が全体、そういう仕組であります。

 選挙制度が整えられている社会・地域では、政権を掌握するために「政治政策」「国家運営」などについて、自らの「政見」を有権者に訴え、その結果、政権の座につき、国民から委託・付託された政治課題の実現に努めるというのが教科書の解説です。しかし、いったいどこの世界に「教科書」に記載されている通りの願わしい、夢のような政治活動・政治行為が行われて来たでしょうか。権力の座にいる期間が長くなるにつれて、どの権力者も、かならず「馬脚」を露わします。もともと馬脚(お里)しかなかったのですから、それは当たり前のなりゆきでもあるのですが。

 「(芝居の馬のあしの役者が姿を見せてしまう意から) つつみ隠していた事があらわれる。ばけの皮がはがれる」(精選版日本語大辞典)たいていなら、この「馬脚」が露わになった段階で、事態は暗転するのでしょうが、どっこい、政治の世界ではこの「馬脚」が露見してからが、いよいよ「本領」「本番」だというわけです。大なり小なり、そのように政治権力は、徐々に正体を現してくるのです。そしてその「馬脚」露見期間が長くなるほど、いよいよ本性むき出しの状況を迎えると言っていいでしょう。山に登るときは、だれでもなかなか慎重に足を運びますが、「頂上」が近くなると、いい気なもので、「もうこの山は征服した」というさもしい魂胆が見えてきます。そして、その頂上は(どんな山でも頂上は、極論をすれば一地点でしかないのです)、どこまでも通じているという錯覚と、後から頂上を目指すものには決して登りきることを許さないという、きわめて手前勝手な感情に支配されるのです。しかし、頂上には長居は無用というべきで、後は降りるしかないのが登山の要諦です。しかし、「頂上」を独り占めしたいという独占欲に駆られる人は決して降りようとはしないものです。山の天気は変わりやすいのが通り相場、晴天が、一瞬にして豪雨に変化するのは当たり前です。それを見誤るから、奈落の底に一直線ということになるのも、世の習いです。そこに行くまでの「犠牲者の堆積」だけが悔やまれます。

 雨が上がれば、晴れ上がることもありますが、強風が襲うこともあります。雨嵐を避けるためにどうするのか。実際の登山家ならいざ知らず、政治権力の亡者は、雨霰(あられ)を「政敵」とみなし、あたりかまわず、あるいはなりふりかまわず、打倒しようと躍起になるのです。あらゆる手段を使って政敵を葬ろうとします。それに成功する場合もあれば、失敗することもある。しかしどんなにひどい攻撃を加えても、もともとがそれが本性(馬脚)だったから、当人は何の痛痒も感じない。しかしその「馬脚」に踏み倒され蹴散らされる民衆の中からは、「これは許せない」と、政権中枢にまっしぐら、あるいはからめ手から忍び寄り、百鬼夜行のごとく、こちらもあらゆる方法を駆使して、政権の交代・転覆をはかります。しかし、敵は権力者、「朕は国家なり」の末裔は雨後の筍の如くに、あらゆる地域に叢生します(地味を選ばない、しぶといんです)。自分が法律だ、いや自分こそが「憲法」だと言わぬばかりに、それを自らの鎧兜(強権的支配構造)にしてしまう。

 並みいる政敵のことごとくを葬って、その死屍累々を振りかえりみれば、殆んどが男だったと気が付く。葬られた側に親和性を持っていた女性たちは、このままで事態を放置するわけにはいかないと、立ち上がる。立ち上がる(声を出す・異を唱える)と目立つから、権力者は抑圧する。「七転び八起き」が女性の特技かどうか、ぼくにはわかりませんが、根性というか、肝の据わり方が、男よりはるかに強いという実感があります。

 ここまで来て「プーチン政権と闘う女性たち」に真向かう段取りになりました。詳細は「映像」に譲りますが、反体制派といわれる女性とその仲間たちの、反権力を旨とした政治活動の軌跡がたどられ、彼女たちが悪戦苦闘している状態が、うまくまとめられていました。この事態は、いまはもっと緊張感をもって持続しているのでしょう。ドキュメントは三人の「反P」の女性と、その支持者を扱っていましたが、彼女たちが存在しているということは、このほかに無数の女性の「反P」がいるということの証明です。「恐ろしい」と交々に彼女たちは語っていました。でも「もっともっと、恐ろしい」のは「P」の方かもしれません。あからさまに、国内では「虐待」できないだけに、あらゆる手法を駆使して、反対派を抑圧しよう(言論を封殺しよう)としますが、その段階になると、Pたちは想像以上に追い込まれていることに気づかされます。不適切な例えですが、「テントウムシ」を除去するのに、ミサイルを撃ち込むというような、とんでもない不釣り合いの「怖がり方」からの逃走を示しているからです。また「反P」たちは、ロシアの外の人々と連携することが出来るし、現に連携しています。Pの支持者は、同じような力の信奉者である「独裁的政治家」でしかないでしょう。人民を殺戮しながら、自らの「権力の延命」を図るのが政治だというのでしょうか。ぼくはルーマニアの「独裁者」の末路がどのようなものであったか、今でも、実に暗澹とした記憶とともに、その姿が目の奥に焼き付いています。(*https://www.dailymotion.com/video/x88jb37

 Pの単独政権が長く続くのは、報道統制が敷かれているから、真相がわからない民衆が圧倒的だからというかもしれない。その面はあるかもしれませんが、情報がいきわたっているところでも、政治的無関心派や刹那・現状追認派はいくらでもいるのです。(この島社会はどうです)何かが変わるのは、極めて少数者の途切れない「異議申し立て」からだったのではないでしょうか。「暖簾に腕押し」とか「糠に釘」といって、いかにも無駄であり、徒労でもあるということを言い当てているように理解されますが、そうではありません。腕押しを続けていると、暖簾はどうなりますか。糠に釘を打ちつづけるとどうなりますか。(どうにもならないことはないのですよ)歴史は確実に歩を進めています。手を変え品を変えて、抵抗する人民がいる限り、事態はかならず変わる、それがいたるところの「歴史」が教えている内容・核心ではないかと、そのように、ぼくは「歴史」を学んできました。一人の女性が「プーチンが去っても、何も変わることがないかもしれない。もっと悪くなるかも…」ということを語っていました。そこから、始めること、そこが出発点であるということではないでしょうか。「旧体制」を倒して「新体制」が生まれる。それを繰り返しているのが、政治・人間の歴史です。「もっと悪くなるかも」という懸念を失わないで、「反体制」「反権力」の姿勢を持ち続ける、その姿勢(態度)が、ぼくにとっての、身に着けるべき(政治)思想でもあるのです。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。